くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アリータ バトル・エンジェル」「ノーザン・ソウル」

「アリータ バトル・エンジェル」

IMAXの方が上下の映像が多いということだったので、IMAX版を見る。終盤間近までは非常に面白いのですが、クライマックスから無理矢理終わらせた感が出て、一気に冷めてしまったのが本当に残念。監督はロバート・ロドリゲス

 

空中都市からの廃棄物が地上に撒かれている現代、イド博士はそのスクラップを集めて、体の修繕をしている治療院を運営していた。この日も良質の部品探しにガラクタの中を歩いていると、一体、脳の損傷がない頭部のパーツを発見する。そして、かつて自分の娘に適用させるつもりだった機械の体を組み合わせて、一帯のサイボーグを完成させる。名前はアリータと名付けるが、彼女は戦闘ロボットだったことがわかる。

 

そして彼女はヒューゴという、ロボットパーツを集めて闇で売り、空中都市へ行く夢を持った青年と知り合い恋に落ちていく。

 

この世界には、ローラーボールのようなバトルゲームも行われていて、そこでチャンピオンになって空中世界へ行くという方法もあった。

 

アリータの体が、300年前のURM火星連邦の時代に作った最終兵器であることを知った空中世界に君臨するノヴァは地上にいるベクターを使い、さらに医者でイド博士の元妻のチレンを使って、アリータの心臓パーツを手に入れるため、グリュシュカなる化け物サイボーグを送りつけてくる。

 

その戦闘の中で、体のパーツを破壊されたアリータは、URM連邦の廃棄船に残っていた本来の体のパーツを身につけ、最強の戦士として蘇る。

 

展開がこの辺りからごちゃごちゃになり、ヒューゴがやたら鈍臭くて、すぐにアリータをピンチに巻き込む後半部分が実に荒くなってくる。ローラーボールのようなゲームでアリータがバトルするシーンは抜群に面白いのですが、その前後のドラマ部分が非常に弱い。

 

結局、ピンチばかり生み出していたヒューゴはとうとう肉体がなくなりサイボーグになるが、無理をして空中都市に向かったため、その防御兵器に殺されてしまう。とまあ、あっさり死んでしまう。

 

アリータは、空中都市に君臨するノヴァを倒すため、ローラーボールのようなゲームに参戦してチャンピオンにならんと場内を沸かせる場面でエンディング。

なんとも終盤ができの悪い映画だった。せっかくの造形が全てリセットされたような出来栄えは最悪でした。

 

ノーザン・ソウル

音楽のことはあまり詳しくないけれど、レトロ感が綺麗に出た青春映画の佳作という感じの映画でした。監督はエレイン・コンスタンティン

 

主人公ジョンは、学校でも家庭でもいどころがなく、目標も見えない生活をしていた。時は1974年イギリスランカシャー地方。ジョンは通りの建物に落書きをしたり学校や家庭で悪態をついたりしながら、自堕落に過ごしていたが、ある日、両親の勧めでいったユースクラブで、マットという青年と出会う。彼はソウルミュージックを愛し、当時流行の音楽とは少し違った曲を選曲し、ダンスをし、ジョンを魅了する。

 

そのダンスは、ブルース・リーのカンフーのようでもあるインパクトのあるものだった。ジョンはマットと意気投合し、二人でソウルミュージックのDJを始める。そして、アメリカに行く夢を持って、仕入れたレコードなどをさばきながら金を貯め始めるが、マットは次第に薬に溺れていく。そんな時、同じソウルミュージックを愛する年上のショーンと出会う。

 

三人はさまざまなクラブを回りながら、青春を謳歌するように毎日を送るようになる。しかし、大量の薬を裁くショーンは、一方で警察の手入れに怯える日々を送っていた。もともと口の悪いマットはDJをしている時に勢いでショーンの住処を口走ってしまい、ショーンの家が警察に目をつけられてしまう。

 

そんなマットにジョンは次第に心が離れていく。そんな時、自宅が警察に踏み込まれ、すんでのところで逃げてきたショーンはジョンのところへやってくる。ショーンは手持ちの薬を売ってアメリカに行くつもりだったが、マットと車に乗っていて警察に追われ、事故を起こし、死んでしまう。

 

一方マットはジョンから愛想をつかされ、夜の道路工事の仕事をしていた。ジョンはマットを訪ねるが、マットはジョンを追い返してしまう。

 

仕事が終わり夜明け、車で帰路につくマットの目に、通りの建物に書かれた落書きが目に入る。それはジョンからのメッセージだった。マットはジョンを見つけ二人はまた元のようにソウルミュージックの話に花を咲かせながら歩き去って行って映画が終わる。

 

前半は暗い画面を意図的に演出し、マットとジョンのがむしゃらな毎日を描くが、ショーンが死に、いたたまれなくなったジョンが再びマットにところを訪れる下からは明るい画面演出を施し、爽やかなエンディングを迎える。

 

全体に途切れることなく流れるソウルミュージックと、画面いっぱいに映される若者たちが踊る姿が、非常にノスタルジックな時代描写となって映画を彩ってくれる。一昔前の青春映画という空気感が漂う作品でした。

 

映画感想「トラさん 僕が猫になったワケ」「僕の帰る場所」

「トラさん 僕が猫になったワケ」

大ファンの多部未華子さんを見に行っただけなので、そのほかはどうでもいいのですが、なんとも陳腐な映画でした。ファンタジーなのですから、もっと脚本に工夫してみようとか演出に面白さを出してみようとか思わないのでしょうか。いかにも適当な茶番劇で終わった一本。監督は筧昌也

 

かつて、人気の出た漫画ネコマンを書いていた主人公寿々男だが、最終回を残して、全くやる気のないダラダラ生活を送っている。娘の美優はそんな父が嫌だったが、妻の美津子は献身的に生活を支え、明るい家庭を築いている。

 

ある時、競輪で勝った寿々男はその帰り道交通事故に遭い死んでしまう。しかし、あの世への検問所で1日だけ生き返ることを許される。それもネコとして。

 

生き返った寿々男はトラさんと美優に呼ばれて、娘のそばで暮らし始めるが、妻美津子の妊娠などの出来事で揺れる娘の気持ちなどに戸惑う。しかもすぐ二一ヶ月が立ち、最後の最後、ようやく自分のすることが見つかった寿々男は三時間だけ人間の姿にしてもらい、ネコマン最終話を書き上げる。

 

わざわざネコで生き返ったにもかかわらず、これというエピソードもなく、あっという間に一ヶ月が経つのはいかにも発想力のない脚本です。原作を知らないのでなんとも言えないけれど、なんのためにが全くないので面白くも何もない。しかも、絵も平凡で、これで映画料金を取ろうという製作側の気持ちが全く理解できない映画だった。

 

僕の帰る場所

何か新しい知識を得ることができるかと見たのだが、ドキュメンタリータッチで描かれる荒い画面は、見ていてしんどかっただけだった。監督は藤元明緒

 

日本で暮らしているケインたちの家族がドキュメンタリータッチのカメラで描かれていく。一応ドラマ仕立てではあるが、実話を基にしているので、どこまでがフィクションかと思われる展開である。

 

ある時、夫のアイセが入国管理局の指導で仕事ができなくなり、妻のケインが生計を立てることになる。しかし、厳しい毎日に飽きたケインは二人の息子を連れてミヤンマーに帰ることにする。

 

物語の後半は、ミヤンマーに戻った兄弟のうち兄の方がことある毎に日本に帰りたいと言い、一人家を出て向かおうとするが結局帰ってきて、兄弟共日本語学校に通うようになって映画が終わる。

 

子供たちが繰り返し訴える、ミヤンマーは汚い、日本は良かったなどのセリフ、さらに母が言う、日本なら外で子供を遊ばせても安全、というような言葉に、国の違いを描写しているように思うが、と言って画面に映るミヤンマーが決して悪い国には見えないし、かえって温かみを感じるのはいい感じだと思います。

正直、面白いわけでもない作品ですが、これも映画ですね。

映画感想「半世界」「雪の華」

「半世界」

これは良かった。軽妙な脚本と演出のリズムにどんどん乗せられていくのですが、登場人物がどれもとっても人間臭いし素敵、しかもラストは思いもかけぬ感動を作り出す一方で、何か訴えかけてくる人生の機微を感じてしまう。ちょっとした秀作でした。監督は阪本順治

 

幼馴染の瑛介と光彦が山道を歩いて、ある木の根元にたどり着く。子供の頃、そこに宝物を埋めたので探しにきたのだ。そして三ヶ月前に遡る。

 

一人炭焼きをして暮らす絋は、車で運転中、幼馴染の瑛介を見かける。瑛介は自衛隊に入りこの村を出ていたのだ。久しぶりに再会した幼馴染に絋は同じく幼馴染の光彦も誘い、三人で昔話に盛り上がろうとするが、瑛介はどこか影があり、家に引きこもってしまう。

 

しかし、絋は無理やり瑛介を炭焼きの手伝いに駆り出す。次第に打ち解けていく瑛介の姿の一方、絋は妻初乃に任せきりの息子明の問題が浮き上がり始める。

 

学校でいじめられているらしい明に瑛介が男として接していく下りは、ある意味よくある流れだが、ここから次第に瑛介の自衛隊での出来事が次第に頭を持ち上げてくる脚本の展開が実にうまい。

 

ある時、光彦が経営する中古車屋でトラブルがあり、瑛介が持ち前の格闘技でチンピラらを痛めつけたことがきっかけで、瑛介は絋の炭焼き小屋を離れ、近くの漁港で働き始める。

 

競争が激しく、次第に経営も圧迫してくる炭焼きの仕事をなんとかしようと、初乃は同窓会と偽って一人大手の旅館に炭を売りに行く。ところがそんな頃、一人炭焼きをしていた絋は胸が苦しくなりその場に倒れてしまう。そして、絋はそのまま他界。

 

大雨の降る中、初乃、光彦、瑛介らに見送られる葬儀に場面になる。明をいじめていた悪ガキのリーダーが道端で見送っているショットなど、細かいところに配慮された脚本の緻密さが、ボディブローのように胸に熱いものを感じさせてくる。

明は結局炭焼きの仕事を引き継ぐ一方で目標にしたボクサーにも挑戦している姿で映画が終わる。

 

石橋蓮司などを始め脇役に芸達者を配置した上に、テンポの良い洒落たコミカルなセリフと演出が実に物語に味わいを深め、本当に奥の深いドラマに仕上がっています。阪本順治らしいと言えばそうですが、彼ならではの作品じゃないかと思います。よくある葬式シーンなのに、初乃のちょっとした仕草に涙が溢れてしまいました。いい映画でした。

 

雪の華

いかにも作り物というピュアなラブストーリーを期待して見に行ったが、期待通り、本当に素直ないいお話のラブストーリーに心が洗われてしまいました。やはり岡田惠和の脚本は素敵です。監督は橋本光二郎

 

主人公美雪がフィンランドでオーロラを待っているが、見れなくてがっかりする場面から始まる。

 

カットが変わり、医師の検査結果を聞いているシーン。残り一年を悔いのないように生きてくださいと言われ、これまで自分の人生が不幸の連続だったことを振り返る。幼い頃から体が弱く、これという幸運もなく今日まで来た。そんな落ち込んだままに歩いていた彼女は、後ろから来たひったくりにカバンをひったくられる。もう踏んだり蹴ったりとその場にしゃがみ込んだが、なんとたまたま前にいた青年が犯人を追いかけてカバンを取り戻してくれた。

 

そして数日して、たまたま街でその青年を見かけた美雪は、あとをつけ、勤めているカフェにたどり着く。そこで、店長らしき男がカフェの経営が苦しくて、間も無く閉店するというのをその青年と話しているのを耳にする。

 

美雪はその青年悠輔に、100万円あげるので一ヶ月だけ恋人になって欲しいと頼む。かなり無理のある展開で、かなりくさいのですが、そこは割り切って見るところです。

 

そして、訳もわからず悠輔は美雪と交際らしきことを始める。しかし、いつの間にかお互いに本当に惹かれ始めていた。

 

そんな時、担当医からそろそろ入院して治療に専念するように言われ、美雪は最後のミッションとして、悠輔とフィンランドに行くことにする。そして無事旅行から帰り、すべての契約が終わり日常に戻る二人。

 

ところが、悠輔は弟が怪我をして連れて行った病院で、美雪と担当医を見かける。美雪は最後の望みで再度フィンランドへオーロラを見にいく挑戦することにしたのだ。

 

一人旅立った美雪を追って悠輔もフィンランドへ飛ぶ。そして、オーロラを待つ美雪のところに駆け寄った悠輔は、命の限り恋人でいようと抱きすくめる。空には、奇跡のような赤いオーロラが広がりエンディング。

 

わぁ、歯が浮くようなラブストーリーです。でも、バッチリの美少女でもない中条あやみがなかなかいい感じだし、嘘っぽいながらも夢の世界に入り込める魔力のある映画になってると思います。

 

エピローグは、悠輔のカフェで車椅子でいる美雪。悠輔は美雪を抱き上げる。美雪はもしかしたら長生きするかも、暗転。

 

これでいい。こういう感動もありだと思います。映画の出来不出来より、たまには素直に感動しましょう。

 

 

映画感想「パルプ・フィクション」「ナポリの隣人」

パルプ・フィクション

ご存知、クエンティン・タランティーノ監督の傑作を何十年ぶりかで再見。細かいシーンはさすがに忘れていたが、まるでスクラップブックのように張り巡らされた物語が、不思議なくらいにさりげなく絡んでつながっている独特の脚本のスタイルが本当にオリジナリティあふれる。

 

懐かしい映画へのオマージュも散りばめられ、だからこんな話でしたとシンプルに説明できないのだけれども、複雑でもなく癖になるような映画の面白さを堪能させてもらいました。

 

何度も見直し、その度に新しい発見がありそうな魅力満載の一本ですね。

 

ナポリの隣人」

非常に静かに流れる人間ドラマの秀作。元弁護士ロレンツォの心の葛藤がスクリーンから滲み出てくるような渋さのある作品でした。監督はジャンニ・アメリオ

 

一人の女性が裁判所で弁護をしている。父ロレンツォ同様弁護士になった娘のエレナの姿である。父は妻を亡くして以来言葉を無くしたように無口になり、エレナとも疎遠な関係になっている。

 

一人暮らすロレンツォは、隣家の若い家族と親しくなる。その家族の妻ミケーラとは、特に親しくなるが、ある時、その家族の夫が家族を全員銃で撃ち、自ら命を絶つ。ところがミケーラは奇跡的に昏睡状態で病院へ搬送される。

 

ロレンツォはミケーラを献身的に見舞うようになるが、そんな父の姿に戸惑いを覚えるエレナだった。やがて、ミケーラは息を引き取り、ロレンツォは初めて娘エレナの弁護している裁判所へ傍聴にやってくる。

 

そして二人はようやく心を通わせ始めて映画が終わる。孤独に苛まれたロレンツォが、かすかな光で隣の家族を見守ることで気持ちを慰めるが、その家族の悲劇に立ち会い、さらにミケーラも死んでしまうことで、再び孤独の淵に落ちようとした時、エレナの存在にようやく気がつく。

 

ロレンツォのどうしようもない孤独感が映画全体を覆っていて、少々陰気な作品ですが、胸に迫ってくるものはなかなかのものがありました。

映画感想「女王陛下のお気に入り」「フォルトナの瞳」

女王陛下のお気に入り

これはなかなかの逸品でした。この監督の作品前二作は個人的には最低ランクの映画ですが、映像演出のクオリティは侮れないことは承知していました。今回の作品、超広角レンズを多用したリズムづくりと天井の高さを強調するような構図、流麗なカメラワークが素晴らしい。しかも、主要キャスト三人の演技も抜群で、ドロドロ劇ですが、素晴らしい映画でした。監督はヨルゴス・ランティモス

 

18世紀初頭、フランスとの戦闘下にあるイギリス、女王アンは病弱で、何事も幼馴染のサラに任せている。映画は、絶大な権力を握り、女王をも手中にしているサラの頼もしい姿から始まる。

 

ここに、従妹で、没落した貴族の娘アビゲイルが宮廷に招かれる。サラの働きかけもあり、侍女として女王に使えるようになるが、アビゲイルには再度華やかなレディとして返り咲くという野望があった。

 

戦争による政治的な駆け引きが渦巻く宮廷内で、アビゲイルは女王のお気に入りになるべく手段を選ばずに行動していく。

 

巧みにアンに取り入っていくアビゲイルの悪魔のような姿と、真摯に尽くしながらも、女王を支え、アビゲイルに嫉妬する一人の女として生きるんサラは、次第にアビゲイルを畏怖し始め、脅威を感じていく。しかし、アビゲイルはさらに一段上だった。

 

とうとう、アビゲイルはサラに毒入りの茶を飲ませ、サラは森の奥に逃走する。そして売春宿の女に助けられ、帰還するが、顔に醜い傷が残っていた。普通の物語ならサラの反撃という展開なのだろうが、アビゲイルの執拗な仕打ちは続き、一方アンも女王であることの権力を微かながら自覚、サラを閑職にしてしまう。

 

そして、周囲の人々に弄ばれることに嫌気もさしている彼女は、アビゲイルに言われるままにサラを追放したものの、自分が利用されていることにうんざりして、アビゲイルを呼びつけ、屈辱的な姿勢で足を揉ませる。アンの脳裏には、かつて死産などするたびに増やしてきたウサギとアビゲイルを重ね合わせていた。アビゲイルもまた、自分が、女王の所有物であると自覚する。

 

こうして映画が終わります。メインキャストを演じた三人の演技合戦でもあり、監督の映像演出の感性のすばらしさもあり、独特のオリジナリティを持った傑作に仕上がっていたと思います。素晴らしい仕上がりでした。

 

「フォルトナの瞳」

原作をすでに読んでいたし、原作自体大した出来栄えの本でもなかったので、あまり期待もしてませんでしたが、無難にお涙頂戴作品に仕上がっていました。泣く人もいるでしょう。三木孝浩監督らしい一本でした。

 

日航機墜落事故を思わせる旅客機の凄惨な現場から映画が始まる。一人の少年木山が立ちすくんでいる。そして現代、木山は車のコーティング工場で働いていた。あの事故で両親を亡くし、ここの夫婦に助けられたのである。

 

ある時、電車に乗っていて、手が透けた男性を見つける。彼は死を目前にした人間が透けて見えるという能力を持っていた。木山は、職場での喧嘩で携帯が壊れ、その修理に行った先で葵という女性と知り合う。しかも彼女も手が透けていた。

 

木山は無理やり彼女をお茶に誘う。結果、彼女は透けなくなる。木山は葵に意味ありげな言葉を残すが、気になった葵は木山の職場に会いにくる。そして二人は付き合い始める。原作でも描かれる、同僚の金山との出来事や、雇い主の社長の命を助ける下り、さらに病院の医師に、自分も同じ能力があり、人を助ければ自分の命が削れるなどのエピソードが軽く綴られていくが、原作にあるそのほかのエピソードはかなり削除されている。つまりエッセンスのみを中心に構成されているということです。

 

ところが、木山は電車に乗っていて大勢の人が透けているのに出くわし、砂場で遊んでおる幼稚園児も透けているのを目撃する。そして電車の事故が彼らの命を奪うと推理するが、なんと葵も透け始める。

 

木山は意を決して、葵を救うことを考え、彼女を急に旅行に誘うが、すんでのところで彼女が旅行を断ったため、木山は身を呈して列車を止める決心をし、自分の命と引き換えに列車を止める、自分はその場で死んでしまう。駆け寄る葵が抱きしめる。

 

エピローグ、葵もフォルトナの瞳を持っていて、木山の運命を見ていたこと。飛行機事故で木山に救われたことなどを回想し映画は終わる。複雑な展開を一切削ぎ落としてますが、展開は同様なので、映画にする時点で娯楽性を付加したのでしょう。

 

原作にある医師の死や同僚の女性従業員との絡みは完全にカット、骨格だけを膨らませた形に仕上げていますが、映画としては普通の仕上がりでした。でも、泣く人は泣きますね、この構成だと。とにかく有村架純に感情移入して胸が熱くなった一本でした。

 

 

映画感想「アクアマン」「小さな独裁者」

「アクアマン」

面白いという評判でかなり期待した作品でしたが、脚本が悪いためにジェームズ・ワン監督の真価が発揮できない仕上がりになっていたのが本当の残念。CGシーンを優先するあまり折角埋め込んであるミステリー部分がどうでもよくなかった上に、キャラクター同士のドラマ性もなおざりになってしまった。結局、この手の他のシリーズレベルの映画になってました。

 

ある嵐の夜、灯台守のトムは海岸に打ち上げられた一人の女性を助け上げる。なんと彼女はアトランティスの女王アトランナだった。二人は愛し合い、一子アーサーが生まれたが、アトランティスからの使者によりアトランナは海底に連れ去られてしまう。

 

やがて大きくなったアーサーはアトランティスの参謀バルコに鍛え上げられ戦士となっていた。この辺りの流れも完全に無視されている適当さはあまりに雑。

アーサーは、この日、潜水艦を襲った海賊を倒し、その首領を殺したことから息子から怨みを買うことになる。

 

アトランティスは地上の人類と戦いは避けられないと信じていて、王オームの元、七つの海底王国をまとめようとしていた。ある時、巨大な津波が襲い、アーサーはすんでのところでメラと言う女王に助けられる。

 

メラはオームの許嫁だったが、地上との戦いには反対だった。アーサーはメラやバルコの求めに応じ、伝説のトライデントを手にするべく、海底へ進んでいく。この辺りのキャラクターの背景は完全に無視されているのも削除しすぎという感じです。

 

ポセイドンの盾で作ったと言われる武器の隠し場所を発見するくだりが、謎の鍵などでミステリアスな設定になっているのに、あっさり発見できる上に、その目的地をやっと解読し、そこを目指しているのに、関係なく嵐に巻き込まれ海溝人間に襲われて、仕方なくたどり着いた海底王国で、死んだと思われていたアーサーの母アトランナと再会、しかも、アーサー王エクスカリバー伝説よろしく、トライデントを引き抜くのもあっさりと解決、そしてオームに戦いを挑むことになる。

 

とにかくアトランナを演じたニコール・キッドマンが、かなりおいしい役になっていて、彼女自身、自分を売りこんだのが見え見えの展開。派手なCGは今更ながらで、舞台が海中に移っただけというのもいまひとつ斬新さがないし、アクション演出の面白さも大したことはなく、終盤、さすがにあくびがでてしまった。しかも、オームを倒したアーサーはあっさりとアトランティスの王に収まり、あっさりと地上を攻めるという計画も立ち消えになり、アトランナがトムの元に戻るという浪花節的なエンディングがなんともお手軽。

 

ジェームズ・ワンなので、もうちょっと斬新な映像演出を期待したが、やはりCGに翻弄された感じでした。

 

「小さな独裁者」

二時間ほどの映画なのにものすごく長く感じたのは、展開が繰り返しているだけだからかもわからないが、物語はそれなりに面白かった。ただラストに向かうにつれて次第に陰惨な空気が漂い始め、しんどくなってくるのにプラスして、実話であったというテロップには参った。監督はロベルト・シュベンケ。

 

一人の男ヘロルトが、何かから逃げている。どうやら脱走兵らしく、背後からからかうように兵隊が銃で撃ってくる。必死で逃げ切ったものの、空腹で、農家に泥棒に入ったりする。

 

瀕死でさまよう彼の前に、木に衝突したジープを発見、中を見るとドイツ将校の軍服が残っていた。最初は寒さをしのぐために着たのだが、姿を映しているところへ一人の兵士がやってきて、逸れたので一緒に行動したいと言われる。どうやら自分を将校と勘違いしたと判断したヘロルトは、芝居を打つことにする。

 

こうしてヘロルトは、一人の兵隊を連れて、近くの村を周り、いかにも脱走兵のようなならず者の兵隊を仲間にして、小隊らしく行動を取り始める。そしてたまたま、野戦検問で知り合った男に犯罪者収容所へ連れて行ってもらい、そこで、自らの判断で即決裁判を始める。

 

ヘロルトが、偽物であるような疑念を持っている兵隊もいたものの、ついていけば偉そうにできるということでヘロルトに従っているような描写も出てくる。

 

ヘロルトの行動はどんどんエスカレートしていくが、突然爆撃機に攻撃され収容所は全滅。生き残った仲間と、ヘロルト即決裁判所とかいたジープで街を周り、反抗的な市民を抹殺し始める。しかし、とうとう彼は捕まり軍事裁判にかけられるが、混沌とした時代だから致し方ないと前線に転属する条件で放免する。ヘロルトは、こっそり抜け出し森の中に逃げて映画は終わる。

 

エンドクレジットで、現代のベルリンで軍服姿のヘロルトが、仲間と現代に即決裁判所を作り、町の人々を搾取する姿で暗転。なんか、後味の悪い作品でしたが、実話と考えれば、これは有りかもしれませんね。

 

 

映画感想「メリー・ポピンズ リターンズ」「MAKIマキ」「13回の新月のある年に」「第三世代」

メリー・ポピンズ リターンズ」

無難な仕上がりになっていて、それなりに楽しいのですが、ディズニーならではのラストのワクワクが今ひとつ物足りないです。導入部から前半は「メリー・ポピンズ」へのオマージュ的な絵作りで楽しめるけれど、後半がちょっと力不足に終わった。でもラストは、しんみり感動しましたけど。監督はロブ・マーシャル

 

メリー・ポピンズが帰ってから20年後、バンクス家の長男マイケルは、一年前に妻を亡くし寂しい日々を暮らしていた。ただ元気な三人の子供達と先代からいる家政婦に癒される毎日だったが、家のローンが払えず立ち退きを迫られていた。

 

しかし、祖父が残した銀行の株券があることがわかり、その株券を探そうと姉のジェーンと奔走し始める。そんな時、不思議な魔法使いメリー・ポピンズが、子供達が飛ばした凧を捕まえて、風に乗ってやってくる。

 

あとはミュージカル仕立てで、夢のようなシーンを次々と生み出すメリー・ポピンズと子供達、ランプをつけて回る男などが絡んでのファンタジーになる。

 

歌の数々はどれも素敵なのですが、これというキーになる曲が見当たらないのが残念だし、前半の懐かしい二次元アニメとの絡みは、ディズニーらしくて楽しいのですが、どこか無難な展開が続く。

 

後半に入り、メリー・ポピンズの魔法が影を潜めてしまうし、割れた陶器の行方は結局なおざりになったまま、凧に株券が貼り付けられているのを発見したマイケルらは期限の深夜12時、ビッグベンの鐘までに銀行へ行こうとするが、頭取はなんとか阻止してマイケルの家を手に入れようとしていた。

 

メリー・ポピンズやランプ点灯職人たちが協力して時計の針を五分送らせてごまかし、無事銀行へマイケルらはたどり着く。そして頭取の祖父も駆けつけて、ハッピーエンド。

 

全てうまく行ったことを確認してメリー・ポピンズは空に帰っていく。まぁ、無難な作りのファンタジーでしたが、それなりに楽しかったからいいとしましょう。

 

「MAKI マキ」

決して駄作ではないのですが、物語が暗くて、地味なので正直しんどい映画でした。監督はナグメ・シルハン。

 

ニューヨークで暮らすマキはミカという日本人女性のクラブで働いている。マキはクラブの男性トミーと恋人関係にあり、妊娠している。どう解決するか悩むが、どうやら全てミカが仕掛けたもので、子供の欲しい富裕者に養子に出すためにトミーに依頼して日本人女性をスカウト、妊娠させるように仕向けていたようだと終盤でわかる。

 

ミカの別荘で子供を産んだマキだが、どうしても手放せず、見張りの女性に睡眠薬を飲ませ、子供と一緒に脱出する。

 

子供と公園で遊ぶマキの姿で映画が終わるが、都会の暗部、母性の本質を描いたと言われればそうなのですが、今更というテーマでもある気がします。びっくりするほどクオリティが高いとも思えませんが、画面の構図などはしっかりしているし、作品としてはある程度のレベルに思いました。

 

「13回の新月のある年に」

一体ファスビンダーは気でも狂ってしまったのか?確かに語ろうとしている物語はあるが、物理的な空間が全く把握できない。と言ってシュールな塊でもないが、出てくる映像や台詞になにがしかの暗喩があるように思うのですが理解する間も無く終わってしまった。監督はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 

主人公エルヴィラが、河岸の男娼たちがいるところで男を買おうとして、自分が性転換している姿を見られ殴られるところから映画が始まる。

 

エルヴィラはゲイではないが、かつて愛した男性アントンの一言で性転換して女性の姿になっている。この日一緒に住んでいたパートナーから見放され一人になった彼は、現代のアントンを探す。

 

一方で、かつて妻だったイレーネを訪ね、娘マリアンとも再会する。そして、裏社会の組織らしいボスのアントンとも再会、自分の家に行って食事することになる。

 

とまぁ、展開はこんな感じですが、意気消沈したエルヴィラの目の前で男が首を吊ったり、アントンの部下が訳のわからない合言葉をエルヴィラに要求したり、オープニングに屠殺工場の場面が延々と映されてエルヴィラのこれまでがナレーションされたりと、複雑怪奇である。

 

しかも、アントンの居場所とイレーネたちの家、エルヴィラの家の配置と距離感がよくわからないから、舞台劇なのかとさえ思ってしまう。つまり空間を描写する映像が全くないのです。

 

最後は、自宅でエルヴィラは自殺、マリアンが発見して映画が終わる。時に1978年と出るのだが、この意味が把握できなかった。

 

凡人の感性の一歩上をなぞるような映画で、さすがによくわからないが、要するに孤独に苛まれたエルヴィラの最後の五日間ということなのだそうである。

 

「第三世代」

金も物質も充実し、目的を失い未来も定まらなくなった混沌とした現代社会の犯罪者たちの闇雲な行動を描いたという感じで、物語自体が筋が通っているわけでもないし、ラストも唐突に終わる。まぁ、映像を感じればこれでいいのかという映画でした。監督はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 

あるオフィス、一人の男ルーツが秘書らしい女に電話をするように言っているところから映画が始まる。当たり前のように写っているビデオや、眼下に都会を見下ろすオフィス。充足された現代社会の象徴の構図から始まり、六つの悲喜劇というテロップで、六つの話が展開し始める。

 

ヤク中の女、銀行強盗、犯罪の匂いが漂っているが、と言って彼らになんの目的も見えない。そんな展開が次々と続くので、人物名やストーリーを追っていると訳がわからなくなる。

 

ラスト、これまで出てきた胡散臭い男たちが冒頭のルーツという男を監禁拉致したとビデオを撮っているシーンでいきなり画面が切れて終わる。

 

メッセージはあるのだろうがほとんど伝わってこない。さすがに参りました。