くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ジョジョ・ラビット」「ラストレター」

ジョジョ・ラビット」

これは面白かった。と手放しでハマりたいところなのですが、出だしの心地よいリズムが、中盤に続かなかったのが何とも惜しい。ファンタジーでありブラックコメディであり、ほんのり感動させ、さらに反戦メッセージを織り込んだ映画ならではの面白さは堪能できる映画でした。監督はタイカ・ワイティティ

 

10歳の主人公ジョジョは大のナチス信奉者で、いつも幻覚のヒトラーが現れ彼と会話をし、ナチス少年隊に入って、キャプテン・Kの元で訓練を受けている。いわゆる戦争ごっこに近いものの、子供ながらに嬉々とした毎日を送っていた。父は戦地に行っていると母に諭され、姉は亡くなっている。

 

ある訓練の時、ウサギを殺せと先輩に言われ殺せなかったジョジョジョジョ・ラビットのあだ名をつけられてしまう。しかし、汚名挽回のために訓練に飛び込んだ彼は投げた手榴弾が木に跳ね返って足元に落ち大怪我を負ってしまう。

 

顔に派手な傷を受けたジョジョを見て母のロージーは教官キャプテン・Kに掛け合い、ジョジョに宣伝の仕事をやらせるようにいう。ジョジョは一生懸命働くが、ある日母の留守に家に帰ってきたジョジョは壁の中に一人の少女を見つける。彼女はエルサと言いユダヤ人だった。ロージーが彼女をかくまっていたのだ。

 

ジョジョは今まで教えられてきたユダヤ人に対する奇妙な知識を色々とエルサと話して確かめ始める。ロージーは実はレジスタンス活動をしていて、父も外国でそういう活動をしているとエルサに言われる。またエルサにはフィアンセがいると聞かされたジョジョは嘘の手紙をエルサに読み聞かせるようになる。

 

そんな時、突然ゲシュタポジョジョの家にやってくる。そして、家捜しをし始める。そこに教官のキャプテン・Kもやってくる。彼はジョジョやロージーの味方だった。ジョジョゲシュタポに訓練所で配給されたナイフを持っていないことを聞かれ困っていると、エルサがナイフを持って現れる。エルサは、ジョジョと最初に会った時ジョジョのナイフを取っていた。

 

エルサは、自分はジョジョの姉だというがゲシュタポは身分証の提示を求める。引き出しから探した身分証を教官が取りエルサに生年月日を聞く。エルサはとっさに答える。それがきっかけで、ゲシュタポの疑いが晴れる。しかしみんなが帰った後エルサはジョジョに、生年月日を言い間違えたと答える。教官は彼女のことを知っていたのだ。

 

間も無くして、ジョジョが外で活動をしていて、気がつくと広場で処刑され吊るされた人たちの中に母の靴を履いた人物を見つける。母は処刑されていた。ジョジョは家に帰り、エルサに包丁を突き立てる。いつの間にかジョジョはエルサに恋をしていた。

 

間も無くして、連合軍が上陸、ジョジョの町のドイツ軍は必死で抵抗、ジョジョの親友のヨーキーも言われるままに戦うが、みるみるドイツ軍は破れ、戦争は終わる。ジョジョは、ドイツの服を着ていたのでアメリカ軍人に捕まるが、そこにキャプテン・Kがいて、ジョジョユダヤ人だと罵倒して、自らを犠牲に助ける。

 

ジョジョは自宅に戻り、エルサに、ドイツが勝ったと言い、恋人からの嘘の手紙で、ジョジョと脱出するようにと言ってきたと伝える。しかし、エルサのフィアンセは、一年前に死んでいたとエルサが言う。そして、二人は家の外に出る。エルサはそこで、アメリカ軍の姿を目撃、ジョジョの言葉が嘘と知りジョジョに平手打ちをするが、その後二人はダンスをし始め映画は終わる。

 

非常に映像的な素敵ない映画のはずなのだが、中盤の展開がやや弱いのと、ヨーキーや脇役の使い方がちょっと甘い気もする。さらに幻覚のヒトラーの最後のあたりももう一工夫あってもよかったかと思います。

でも、全体になかなかの佳作だし、必見の一本と言えるほどのオリジナリティある映画でした。

 

「ラストレター」

話を複雑にしすぎた感じで、肝心の語るべき、と言うか語りたい何かがぼやけてしまった気がします。部分的には涙ぐむところもあるのですが、全体に感動がまとまらなかった。あのシーンは必要?このシーンは必要?というものが散見された映画。でも人生ってこんな感じなのではないかと思い始めると自分に切々と胸がつまされることがあったことも確かでした。監督は岩井俊二

 

未咲の娘鮎美、その妹裕里の娘楓香、その弟が滝の下ではしゃいでいるところから映画は始まる。未咲が亡くなり、その葬儀に裕里らが実家に帰ってきていた。やがて葬儀は終わり、裕里らは帰ろうとするが、娘の楓香が夏休み中ここに残りたいと言って残る。裕里の帰り道、鮎美が、母未咲宛の同窓会の案内を持ってきたので、裕里はそれを預かり、同窓会へ出かける。

 

姉の死を報告するはずが姉と間違われ、何も言えず帰ってきたが、帰り、かつて姉を慕っていた乙坂鏡史郎と出会う。その場は別れたが、たまたま裕里を未咲と勘違いしたままの鏡史郎の裕里宛のメールを裕里の夫が見てしまい、携帯をお風呂に投げ込んでしまう。困った裕里は、鏡史郎に、その事情だけ手紙で知らせるが、自分の住所は書かなかった。

 

鏡史郎は、その返事に、未咲の実家に出せばなんとかなるかと手紙を送るが、それを受け取った鮎美は楓香と一緒に、母未咲に成り代わって鏡史郎に手紙を送ることにする。一方、裕里のところに、義母がやってきて、義母はこの地の同窓会に行ったらしいがその後、見知らぬ老人の家に行くところを裕里が目撃、直後ぎっくり腰で義母が病院へ搬送され、裕里はその老人と知り合いになってしまう。

 

義母の手紙をその老人に届けるようになった裕里は、老人の家の住所を使って鏡史郎に手紙を出すようになる。一方、鏡史郎は、未咲の実家に、かつての高校時代の未咲への思いを懐かしむ手紙を送り始める。鏡史郎は、未咲との大学時代の思い出を本にしてそれがきっかけで作家になっていた。

 

ある時、裕里が老人の家にいると、鏡史郎が突然たづねてくる。そして、裕里が未咲のフリしていたことは同窓会から知っていたことを告げる。さらに裕里から未咲の死を知らされ、高校時代の未咲と鏡史郎、裕里の物語が懐かしく挿入されていく。

 

未咲は、阿藤という男と結婚し、鮎美が生まれたが、阿藤がDVで、結局、ある時行方をくらまし、その後未咲は弱った末に自殺したことが語られていく。鏡史郎は、未咲が住んでいたアパートを尋ねると、そこには阿藤の今の妻がいた。そして鏡史郎は阿藤と酒を飲むが、実は阿藤は鏡史郎の先輩だった。阿藤を豊川悦二、阿藤の今の女房を中山美穂と、知る人ぞ知る「loveletter」のコンビを無理やり入れた感があるエピソードです。

 

鏡史郎は、間も無く取り壊されるかつての高校に行く。その帰り、たまたま犬を散歩させていた鮎美と楓香と出会う。そして、鏡史郎は、未咲の家に行き、線香をあげる。やがて鮎美と楓香に別れを告げ、帰りに、裕里の職場の図書館によって東京へ帰っていく。

 

エピローグに、楓香が好きな人ができたことを鮎美に告白し、鮎美は、母未咲の遺書を読む。それは、高校卒業の時、当時生徒会長だった未咲が鏡史郎に添削してもらった送辞の言葉の原稿だった。こうして映画は終わっていく。

 

高校時代に、鏡史郎が未咲に一目惚れし、妹の裕里に手紙を託していたが、鏡史郎に想いを寄せる裕里が、姉に手紙を渡していなかった切ない展開も物語に深みを与えようと設定されるが、ちょっとやりすぎ感がある。それより、裕里の義母のエピソードや阿藤のエピソードもくどすぎる。そこまで入り組んでしまわなくても切ないラブストーリーに仕上がったろうに、やはり岩井俊二も歳をとって、人生をたくさん経験してきたのを盛り込んだのかなと思ってしまった。

映画のできはそれほどではないけれど、個人的には好きな映画です。ついでに言うと手持ちカメラも妙に気になりました。

映画感想「リチャード・ジュエル」

「リチャード・ジュエル」

監督はクリント・イーストウッドなのだが、完全に上滑りになっていて、全然物語が掘り下げられていない。本当に実話をもとにしたのだろうかと思うエピソードがちらほらするのはどうなのだろうという出来栄えの作品でした。もちろん、それなりのクオリティはありますが、普通すぎる出来栄えはちょっと期待しすぎたかという感じでした。ただ、演じた役者がどの人を取っても見事でした。それでもったという感じですね。

 

弁護士事務所に勤める主人公リチャード・ジュエルの姿から映画は始まる。持ち前の心配りから、弁護士のワトソンと親しくなるが、間も無くしてリチャードは仕事を辞める。そして大学の警備員になるが、ここで、四角四面な正義感に学長の反感を買いクビになる。そして時は10年近くたちアトランタオリンピックアメリカ中が湧いている。リチャードはセントラルパークで警備の仕事についていた。母ボビと二人暮らしで親孝行なリチャードは、ボビを公園に誘ってやり大好きなアーティストの映像を見せてやっていた。

 

リチャードは、この日腹の具合が悪く、何度もトイレを往復していたが、ふとベンチの下に不審なリュックを発見。同僚にいうも取り合ってくれず、警官に告げて、念のため担当捜査官がやってくる。そんな時、警察に、公園に爆弾を仕掛けたという電話が入る。

 

捜査官が調べると、リュックの中は爆弾で、リチャードらは人々をリュックから遠ざけ始めるが間も無くして爆弾が爆発、大勢が負傷を負う。しかし翌日、爆弾を早期に発見したリチャードは英雄になっていた。

 

ここに地元ジャーナリストで、特ダネを探すキャシーがいた。彼女は色仕掛けでFBI捜査官のトムに近づき、容疑者の一人としてリチャードを挙げていることを聞き出し、スクープで報道する。一転して容疑者となったリチャードは、唯一知る弁護士ワトソンに連絡する。

 

ワトソンは、警察に爆弾犯からの電話の時間にリチャードはリュックのそばにいたことが目撃され、無罪であると確信する。こうしてワトソンとリチャードの物語が展開する。

 

FBIのトムらは、キャシーに情報を漏らしたこともあり、何とかリチャードを犯人にすべく、強硬な捜査を始めるが、ワトソンはリチャードを守るべく必死になる。メディアの攻撃も激しくなり、母のボビも精神的に参ってくる。

 

リチャードとボビは記者会見し、無実を訴える。そして、トムらの尋問に、堂々と答えたリチャードは、FBIを後にする。間も無くして、FBIはリチャードの無実を表明する。そして6年、警官になったリチャードの姿があり、ワトソンが訪ねてきて映画は終わる。

 

とにかく、電話のアリバイをFBIがわからないという稚拙さがおかしいし、キャシーが自分のミスを認めた後、後半完全に姿を消してしまう。リチャードの家に来る友人の存在が説明されていない。等々脚本が実に甘い。そのために肝心の人間ドラマが上滑りになってしまった、かなと思います。期待が大きいだけに落胆が大きかったという感じでした。

映画感想「ペット・セメタリー」(2019年版)「花影」

「ペット・セメタリー」(2019年度版)

ホラー映画をこういう感想していいものかと思うが、これは面白かった。旧作はただ怖いだけの印象で、物語もほぼ完全に覚えていても、今回の作品は楽しめました。原作の良さ、今回の脚本と物語の構成の良さでしょうか。怖かったし、切なかったし、面白かった。監督はケビン・コルシュ&デニス・ウィドマイヤー。

 

医師のルイス、妻のレイチェル、娘のエリー、息子の四人が都会の生活から離れ森の敷地までついている田舎の家に越してくるところから映画は始まる。家の前を一本の道が通り、猛スピードでトラックが行き来している。隣には気のいい老人ジャドが住んでいる。越してきた日、エリーは動物の仮面をかぶって動物の死骸を埋めている姿を見かける。森の入り口にペットセメタリーという動物の墓があるのだ。エリーとジャドはすぐに仲良くなる。

 

ある日、ルイスの勤める病院に車に轢かれた大学生ヴィクターが担ぎ込まれるが、間も無く死んでしまう。ルイスはヴィクターの亡霊を見るようになる。そんな時、ルイスの家の飼い猫チャーチが車に轢かれているのをジャドが発見しルイスに知らせる。そして、エリーが悲しむと思ったジャドはルイスにペットセメタリーの奥にある呪われた土地を教える。ルイスは半信半疑にチャーチを埋めて家に帰るが、エリーが、昨夜チャーチが部屋に来たという。そして、どこか凶暴になったチャーチがルイスに前に現れる。

 

怖くなっらルイスはチャーチを遠くに捨ててしまう。チャーチがいなくなり、沈んでいるエリーのために誕生パーティを企画し、レイチェルの実家の親なども呼んでパーティをする。レイチェルには、病気で寝たきりになった姉がいた。姉が怖かったレイチェルは、食事を運ばず、昇降機で届けたためその機械の事故で姉が死んだ。そのことがトラウマになっていた。

 

パーティの日、鬼ごっこをしていてエリーは車道に出る。そこには、帰ってきたチャーチがいた。弟も姉を追って出るが、慌ててルイスが弟を抱きとめる。そこへ走ってきたタンクローリーが運転を誤り、タンクがエリーを轢いてしまう。

 

エリーの葬儀が終わり、ルイスたちは引っ越すことを決め、レイチェルと息子は実家に先に行く。一人残ったルイスはジャドを眠らせ、夜中にエリーの死体を呪われた土地に埋める。間も無くしてエリーがルイスの前に現れる。

 

息子はヴィクターの亡霊にうなされ、嫌な予感がするレイチェルは、ルイスの元へ向かう。一方、蘇ったエリーは、ジャドを殺し、ルイスがジャドの家でジャドの死体を発見して事の次第を掴んだ頃、戻ってきたレイチェルも殺して、呪われた土地へ埋めにいく。

 

ルイスはエリーを追い、墓場でエリーの首を絞め、最後のとどめを刺そうとするが、蘇ったレイチェルに殺され、ルイスもまた呪われた土地へ。車の中で一人待つように言われていた息子のところに、蘇ったルイス、レイチェル、エリー、そしてチャーチがやってきて映画は終わる。怖い。切ない。まさにスティーブン・キングの世界だった。

 

「花影」

終盤の数分感だけがやたら力の入った作品で、そこまでのくだりが何とも主人公が安っぽく見えてしまって、ラストが浮いてしまった感じです。監督は川島雄三ですが、彼のシリアスものとしては普通の出来栄えという感じの作品でした。

 

銀座のバーで10年以上ママをしている主人公の葉子は、その美貌ゆえに、昔から名だたる名士に贔屓にされ、この店の看板になっていた。今日も一人の男と別れ話に発展し、アパートの鍵を返す結果になる。

 

彼女には、旧来から高島というかつては有名だった骨董鑑定の先生が付いていたが、彼は葉子に体の関係を迫りはしないものの程よい距離でお金の関係を持っていた。

 

物語は葉子に次々と言い寄ってくる男たちのドラマをエピソード風に描いていき、そんな男遍歴の末に、アパートで一人自殺していく葉子の姿で締めくくる。

 

終盤、桜のカットや日差しのカットが非常に作為的な演出になっているのが浮き上がってしまい、それまでのバーでの物語がもう少し味わいがあればラストの自殺で引き締まったのが、ちょっとうまく処理できていない感じで残念。面白い作品ながら、池内淳子の起用もちょっとミスキャストな気もする映画だった。

 

映画感想「アラビアのロレンス」(完全版)「縞の背広の親分衆」

アラビアのロレンス

何回見たことか、さすがにこれは映画史に残る至宝だなと思います。よくもまあこんな映画を作ろうとしたものだと改めて感動してしまう。監督はデビッド・リーン。

 

今更物語を語るものではないですが、砂漠の威容をスクリーン全体に描き出し、しかも美しい。おそらく、何度も何日もそのタイミングを待ったのでしょう。今やそんな贅沢ができることはないしする人もいない。だからこそ本物の映像が観れるのです。

 

アカバ攻略までの前半はとにかくダイナミックで砂漠の威容とスペクタクル場面が続き、後半ダマスカスでの国民会議を中心とした部分は、ロレンスが人間的な弱さで壊れていく様をまざまざと見せる。後半は明らかにスペクタクルシーンが減るにもかかわらず、前半同様、退屈しないし時間の長さを感じない。これこそ脚本の優れた部分、演出の卓越したゆえと言える。

全体に隙間なく物語も映像も映画になっている。これが本物。これが名作です。

 

「縞の背広の親分衆」

その場その場で脚本を書きながら進めたという軽いタッチのコメディで、悪く言えば茶番劇を見せられているような作品です。監督は川島雄三

 

南米から15年ぶりに守野というヤクザものが日本に戻ってくる。彼が厄介になっているのは大鳥組という昔ながらのヤクザ。時に高速道路が建設され大鳥組の守り神のような祠を巡って、新興ヤクザとの諍いが起こっている。

 

物語は、ヤクザ同士のドタバタ劇が、明らかに適当に付け加えていったかのエピソードを挟みながらノリだけで展開していく。芸達者が揃ってこその一本で、たわいもないと言えばたわいもないが、川島雄三ならではの都会的な感性が見え隠れするのも確か。まあ、これも川島作品という一本でした。

 

 

映画感想「ルル」「フォードVSフェラーリ」

「ルル」

なんとも退屈な映画でした。というより、フランス人の感覚なら普通なのでしょうか、受け入れられないほどの淡々とした物語で、何がどうなるんだという感じでした。駄作とは言いませんが、日本人には合わないのでしょうか。監督はモーリス・ピアラ

 

アンドレと妻ネリーは、時に喧嘩はするものの、夫婦としてそれなりの毎日だったが、あるダンスパーティで、不良的な男ルルと知り合う。その男臭い魅力に惹かれたネリーはどんどん引き込まれ、やがて体を合わすようになる。一方のアンドレはネリーを愛するあまり暴力的にネリーを取り戻そうとする。

 

物語は、アンドレ、ルル、ネリーの三人の付かず離れずを淡々と描き、時にルルの仲間とのエピソードを絡ませながら進んでいく。間も無くしてネリーは妊娠するが、ルルは定職に就く気もなく、産みたいものの中絶するネリー。そして、寂しさからアンドレに抱かれに行ったりする。ルルの家族に会いに行ったりもするが、どこかほのぼのしない。結局、変わる事なくルルとネリーが夜の街に歩いて映画は終わる。

 

アンドレもルルもそしてネリーも、いわゆる模範的な人物ではなく、その中でフラフラ揺れ動く人間模様という作品なのですが、日本人には受け入れられない感覚で進むので、捉えどころなく終わってしまいました。

 

「フォードVSフェラーリ

二時間を超える作品ですが、全然退屈しない。物語の構成が良くできている上に、レースシーンのスピード感が半端なくうまい。さらに余計なメッセージを排除して娯楽一筋で仕上げたシンプルさもこの作品を上質の仕上がりにした感じです。面白かった。ただ、映像作品としてどうかと言われれば普通なのかもしれない。監督はジェームズ・マンゴールド

 

1959年ル・マンレースゴール前、アメリカ人として初の優勝を果たすシェルビーがゴールに向かっている。カットが変わると医師の診断を受けるシェルビー。生きているのが不思議なほど心臓がやられているという。今は彼は車の販売をする会社を経営している。

 

あるレースで、一人の男マイルズの横柄な態度を目にする。車の整備にかけては誰にも引けを取らないが、ガンとした性格ゆえに貧乏暮らしをしていた。彼にはピーターという息子もいた。

 

そんな時、アメリカ最大の自動車メーカーフォードの工場では、ヘンリー・フォード二世の罵声が飛んでいた。何か一歩抜きん出るアイデアを求めていたのである。そして役員たちが集まる中、役員のアイアコッカは、四年間ル・マンで優勝を続けるフェラーリを負かそうと提案する。しかし、フェラーリは負債に追われていた。そこで、フォードは合併を提案しにいくが、エンツィオ・フェラーリはフォードをダシにしてフィアットとの合弁を果たす。

 

怒ったフォードの役員たちは、是が非でもル・マンフェラーリを倒すべく計画を開始する。そしてシェルビーをリーダーにし90日でル・マン出場しようとする。シェリビーはマイルズと組んで、妥当フェラーリを目指すが、いよいよル・マン出場となった時、見た目の悪いマイルズをドライバーとすることにフォード副社長らが反対。マイルズは、アメリカで事の行方を見ることになる。しかし、レースは惨憺たるものとなる。

 

一時は諦めかけたフォード陣営だが、シェルビーは社長らを説き伏せ再度チャレンジする。そして今度はマイルズをドライバーとしてル・マン参戦となる。

 

そして明らかにマイルズ優勝かと見えた時、フォードの役員はフォード車3台の同時優勝を目論み、マイルズに減速を迫る。シェルビーは、マイルズに任せるからという一言だけを伝える。

 

絶好調で飛ばしマイルズだが、最後の最後、他の二台を待って三台でゴールする。同時優勝のはずだったが、一台がマイルズより後から出走したとして、マイルズは二位になってしまう。

 

レースが終わり、皆がくつろぐ中、レース車がまだガソリンがあるからと軽く走らせ始めたマイルズだが、かねてからのこの車の欠点のブレーキが燃えて、そのまま爆発、死んでしまう。

 

そして半年、シェルビーはマイルズの家を訪ねる。そこでピーターに会い、かつてマイルズと出会った時投げつけられた工具をピーターに与えて別れる。こうして映画は終わる。

 

とにかく、レースシーンのスピード感と編集が見事で、ほとんどをなんらかのレースシーンで描き、ドラマ部分はほんのわずかに挿入するだけで物語を語っていったのはうまいというほかない。ここまで娯楽に徹した映画を久しぶりに見た気がします。面白かった。

 

映画感想「裁かるるジャンヌ」「ティーンスピリット」「マザーレス・ブルックリン」

裁かるるジャンヌ」(デジタル復元版)

四十年前に見たのですが、ほとんど覚えていない映画史上の傑作を再見。さすがに凄い映画だった。ほとんどがクローズアップで見せていく前半。斜めの構図や極端に偏った配置、さらに突如として天地がひっくり返るカメラなど、映像演出の妙味もさることながら、役者の表情が物語を語っていく展開の迫力、そしてクライマックス、火の中で燃えていくジャンヌの体の恐ろしいほどのリアリティと民衆の蜂起場面との対比も見事。まさにサイレント映画の到達点と呼べる。監督はカール・テオドア・ドライヤー。

 

審問委員の前で尋問されるジャンヌの姿から映画が始まる。執拗な尋問に頑として、自らは神に選ばれたものだと抵抗するジャンヌ。しかし、拷問具を目の前に出され、さらに続く尋問で精魂疲れ果てたジャンヌは思わず、異端者であるという書面にサインしてしまう。

 

一旦は終身刑となり死刑を免れたが、突如思い直したジャンヌは、再度審問委員を呼び、自分は神に選ばれたと告白、火刑が決定される。炎に包まれるジャンヌに市民たちは、聖女が火刑にされたと叫び暴動へ発展、軍隊が鎮圧する中、ジャンヌは炎とともに神に召されておって映画は終わる。

 

今や原版が存在しないが、1985年に可能な限り復元されたバージョンで、それにしても見事な編集と映像、そして演出だと唸ってしまいました。これこそ映画史に残る名作です。

 

ティーンスピリット」

ありきたりの物語とありきたりのカメラワーク、それと肝心の主人公ヴァイオレットとヴラッドとの心の交流の物語が描けていない。さらに、この手の映画で一番大切なステージシーンの演出が平凡すぎて盛り上がらずに終わってしまった。まあ映画としては普通の作品でしたが、エル・ファニングを見に行っただけなのでいいとしましょう。監督はマックス・ミンゲラ

 

野原でiPodで音楽を聴く主人公のヴァイオレットの姿から映画が始まる。テンポ良い曲のオープニングなのに何故か画面が乗ってこない。監督の感性が弱いのでしょうかという始まり。歌手を目指す主人公ヴァイオレットが、バイトでステージで一曲歌う。拍手したのは胡散臭いおっさん一人。

 

帰り道、バスもなくこのおっさんに車で送ってもらう。彼は元オペラ歌手でヴラッドと言った。ヴァイオレットはこのワイト島という小さな町で母と二人暮らしだった。この島に、歌手への登竜門の番組ティーンスピリットの予選がやってくる。ヴァイオレットも申し込むが、保護者がいるということで、母に頼めずヴラッドに頼み参加する。

 

そしてロンドンへの切符を手に入れられる決勝戦で、ヴァイオレットは二位になり敗退。しかし優勝者が失格になり、ヴァイオレットはロンドンの本番の番組への切符を手に入れる。

 

ヴァイオレットはヴラッドとともにロンドンへ。そこで決勝戦で見事優勝して映画は終わるが、プレッシャーから自暴自棄になるヴァイオレットや、決勝戦までに契約を迫る裏のありそうな音楽関係者との話や彼女に寄り添うヴラッドとの心の交流が終盤の見せ場だがそこが全然ダメ。一方のヴァイオレットと母との心の物語も描き切れていない。

 

全体に、リズムに乗り切れない映像が続き、ぶつ切りに見えてしまうのがなんとも残念だし、エル・ファニング演ずるヴァイオレットがやたら暗いばっかりで、ハツラツ感が最後まで見えないので、物語に緩急が生まれないのです。巨匠アンソニー・ミンゲラの息子らしいですが、才能はないなという感じでした。

 

「マザーレス・ブルックリン」

なかなか良質のアメリカンノワールで、ジャズの音楽がレトロな空気を醸し出し、一昔前のノスタルジーの中で繰り広げられるミステリアスなドラマに、懐かしい映画に引き込まれる魅力のある作品でした。ただ、キャラクターを見せるという演出の力不足か、なかなかストーリーの流れがつかみきれない前半部分がしんどかった。監督はエドワード・ノートン

 

探偵業を営むフランクの指示で、ライオネルとその相棒が動いているシーンから映画が始まる。ライオネルは時々思ったことを口走る病気を持っている。フランクが何の取り引きで誰に会おうとしているのかわからないままに、指示通り車で待っていたが、どうも危険な雰囲気になり、ライオネルが必死でフランクを追うが、フランクは銃で撃たれて倒れていた。病院へ連れていくも彼は死んでしまう。

 

ライオネルは、フランクが関わっていた取引を探り始め、ローラという一人の黒人女性にたどり着く。そして彼女の父ビリーが営むジャズバーに連れていかれ、そこで、彼女が地元の開発を請け負うモーゼスら政治家たちの活動をやめさせる運動をしていることを知る。調べるライオネルの周辺には怪しい男たちが現れ、ライオネルは何度か命を狙われるようになる。さらに、ポールという男の存在も見え隠れしてくる。

 

そしてとうとう、ライオネルはフランクの形見の帽子に隠された駅のロッカーの鍵を見つける。そのロッカーにはローラの父はモーゼスである等のスキャンダラスな資料が隠されていた。ライオネルはモーゼスにそのことを告げ、ローラに二度と近づかないことを約束させる。

 

やがて、ライオネルはその資料を新聞社に送り、フランクがライオネルに残した海辺の家に向かう。そこにはローラが待っていた。こうして映画は終わる。

 

ジャズの曲をバックにした絵作りが古き良きアメリカ映画を彷彿とさせいい空気が出ているが、モーゼスら悪人の描き方が少し弱いし、フランクやビリーらが殺される下りも少しインパクトが弱いので、事の真相になる隠された資料の重みが薄くなってしまった感じです。でも、なかなか今時にしてはしっかりできた展開は見応えありました。

 

映画感想「ある女の愛」「接吻泥棒」「夜の流れ」

「ある女の愛」

物語は流石に古さを感じるものの絵作りはしっかりしているし、見ていてそつのない出来栄えになっていると思います。まあ、普通の作品という感じです。監督はジャック・グレミヨン。

 

ある港町の老医師が種痘の予防接種をしている場面から映画が始まり、この老医師が引退して新たに若くて美しい女医のマリーがやってくる。地元で工事作業をしているアンドレと知り合い、お互い愛し合うが、いざ結婚となると、アンドレは女性には仕事を辞めて家庭に入ってほしいという。マリーは仕事は捨てられず、かと言ってアンドレを愛していて心が揺れるが、やはりアンドレをとろうと決心。

 

そんな時、海中に立つ灯台の職員が病気になり、嵐の中、船に乗り治療してきたマリーの姿に、アンドレは、彼女と一緒になれないと確信し、別れていく。一方マリーは、アンドレとの生活の決心はしているものの、結局アンドレが去って、そのままこの村に残ることになって映画は終わる。

 

序盤の肺炎の少女を助けるエピソードや、地元の女教師の突然の死で、新たに若い教師がやってくる終盤のエピソードにマリーの心に変化を映し出していく手法はなかなか面白いし、よくできていると思います。

今や、こういう話は作られることはありませんが、これもまた古き良き映画という感じですね。

 

「接吻泥棒」

軽いタッチの恋愛コメディで、テンポよくラストまで走るけれど、特にこれといった妙味があるわけではない。娯楽映画の典型的なノリの作品でした。監督は川島雄三

 

ボクシングのチャンピオン高田には、バーのマダム、ファッションデザイナー、ダンサーという三人の女がいる。ある日、車で移動中に事故に巻き込まれ相手の車の中で失神していた美恵子に水を飲ませるために接吻、それをジャーナリストに写真を撮られひと騒動が始まる。

 

あとは、付き合っている女三人と美恵子を交えての恋愛コメディが次々と展開していくドタバタ劇となる。やがて、タイトルマッチ。その前に三人の女と別れ話をし、本当に好きなのは美恵子と知った高田は、最後の最後で相手をノックダウンして、晴れて美恵子とラブラブになり映画は終わる。まあ、たわいのない映画ですね。

 

「夜の流れ」

料亭の女将綾とその娘美也子の物語を軸に、料亭に出入りする芸妓たちのエピソードの中に古き時代が過ぎ去り色街が変わり行く様を描いているなかなかクオリティの高い作品なのですが、キャラクターそれぞれが、いかにもうじうじして鬱陶しいので、ちょっと胸焼け気味になってしまいました。監督は川島雄三成瀬巳喜男

 

いい旦那が付いている料亭の女将綾には年頃の娘美也子がいる。実は綾と板前の五十嵐といい仲なのだが誰も知らない。そんなこととは知らず美也子は五十嵐に想いを寄せている。しかし、五十嵐が足の怪我で入院したときに、たまたま見舞いに行った美也子は病室で抱き合う綾と五十嵐に遭遇、綾と美也子に溝ができる。さらに、板前をやめるという五十嵐に、一緒に死んで欲しいと綾が包丁を振り回し、それがきっかけで、店を手放すことになる。

 

もともと興味のあった芸妓の道に美也子が進み、綾は神戸にいるという五十嵐を頼って旅立って映画は終わる。

 

現代的に男を求める調子者の三人の稽古のエピソードや、元夫から執拗に絡まれながらも、呉服屋の若者といい仲になるも最後に元夫に無理心中させられ死んでいく芸妓忍のエピソードなどをちりばめ、変わりゆく色街の姿を描いていく展開は見応えがありますが、どこか偏りが見え隠れするのは監督が二人になったためでしょうか。もう少し登場人物の色分けを多彩に変えればもっと素晴らしい映画になった気がしないでもない映画でした。