くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「女だけの都」「建築学概論」「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」

「女だけの都」

画面の構図の取り方といい、物語の軽妙な展開といい、これこそ名作と言わんばかりに見事な映画でした。たったひとときのアバンチュールを実に洒落たタッチで描いていくフランス映画の真骨頂という一本です。監督はジャック・フェデー。

 

フランドルの小都市ボームの街、時は17世紀初頭、男たちは日々怠惰で能天気な毎日を過ごしている。この日、街はお祭りなのだが、スペイン人が攻めてくるという噂が流れる。遊び半分の軍隊訓練をする男たちは這々の体で、隠れてしまうし、町長は、襲ってきたら向かうすべもないと死んだふりをして喪に服して隠れることにする。

 

そんな男たちに愛想をつかした女たちはやってくるスペイン人を真正面から迎える。ところがスペイン人の一行は公爵を先頭にした礼儀正しい紳士ばかりで女たちはみな、そんな男たちに惚れてしまう。

 

映画は、そんな女たちの姿を実に軽妙なコメディで描いていく。一方の街の男どもの不甲斐ない姿が対照的にコミカルである。

 

やがてひとときの喧騒とアバンチュールが終わりスペイン人たちは目的地に旅立っていく。それを見送る女たち。そして、スペイン公爵が認めた税の優遇を夫の手柄だと町長の妻が皆にふれ、夫を立てて映画が終わる。

本当に洒落たコメディで、さすがというほかない名作でした。

 

建築学概論」

ラブストーリーの名作だ名作だという声を以前から聞いていたが、韓国映画は基本見ないので、半信半疑で見た。物語が非常にだるい上に、リズム感のない演出で、正直中盤眠くなってしまった。さらに役者の演技が実に下手くそで、そこがさらに気になって、ラストシーンはジーンときたものの、肝心のところで入りきれずに終わりました。監督はイ・ヨンジュ。

 

建築会社に勤めるスンミンのところに一人の女性ソヨンが家の新築設計を依頼にくるところから物語が始まる。

 

大学時代、スンミンは同じ建築学概論の授業を受けにきたソヨンに恋心を抱いてしまう。最初は、ただ、友達程度だったがいつの間にかお互い惹かれるものがあり、プラトニックながら恋に落ちていた。

 

授業の最終日、打ち上げの後、スンミンは告白するためにソヨンの家の前で待っていたが、先輩に飲まされて先輩に送ってこられたソヨンを目撃する。その先輩とはソヨンがかつて憧れていた人物だったが、スンミンはその先輩が女たらしだと知っていた。

 

先輩はソヨンの部屋に入ってしまい、スンミンはやるせないままに翌日ソヨンに別れを告げ、以前借りたCDを返す。ソヨンは意味もわからずそのまま別れ今になった。

 

ソヨンは老齢の父を引き取るためと、自分の家をいつか作ってあげると言っていたスンミンの言葉をずっと信じ、彼のもとに現れたのだ。しかしスンミンにはすでに婚約者がいた。

 

スンミンは結婚しアメリカへ渡る。ソヨンは完成した家で土地と暮らす。そこへスンミンからの航空便。そこにはかつてソヨンがスンミンに貸し、スンミンが別れの日にソヨンに返したCDとCDプレーヤーが入っていた。家が完成した日、ソヨンはスンミンとの初恋を思い出したが、スンミンの人生を思い出し、そっと彼の実家にCDを置いて去っていたのだった。

 

窓の外を見て、時の流れを感じるソヨンのカットで映画は終わる。確かにラストはいい映画なのだが、やはり全体の演出力が弱いのと役者の力不足が目立つ作品なのが残念。

 

「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」

監督溝口健二の半生をドキュメントした作品で、2時間半あるが全く退屈しなかった。ドキュメンタリーとしても良くできていたのだろうが、やはり溝口健二という好きな監督にまつわる話が次々出てくるからだと思います。監督は新藤兼人

 

溝口健二にかかわった様々な人々へのインタビューが次々と映し出され、その監督デビューから、遺作、そして未完成の「大阪物語」から、臨終までを描いていきます。

そのどれもが興味津々で、面白くて仕方ない。本当に楽しみました。

 

映画感想「ベル・カント とらわれのアリア」「ブライトバーン 恐怖の拡散者」

ベル・カント とらわれのアリア」

こういうシチュエーションでは現実は「ホテル・ムンバイ」、フィクションが今回の作品なのだと思う。その意味では、全くリアリティのない甘い脚本なのかもしれないが、これを純粋な人間ドラマだと考えれば、なかなか良くできた作品なのだと思います。監督はポール・ワイツ

 

日本の実業家ホソカワが、これから工場建設しようとする、とある南米の国へ旅立つところから映画は始まる。この国はまだまだ政情が不安定で、ホソカワらは軍に護衛されて招待された邸宅に向かう。実は大のオペラファンのホソカワの目的は、アメリカの有名なオペラ歌手ロクサーヌ・コスの歌声を聴くことだけだった。

 

やがて、宴が催され、コスの歌声も披露されるがそこへ、テロリストたちがなだれ込み、来客を人質に立てこもる。長引く交渉の中やがてテロリストたちと人質の間に友情や師弟関係、恋愛などが生まれてくる。

 

ところが、門の外では、救出すべく作戦が進められ、テロリストたちが油断して、庭で和やかにサッカーをしているところへ軍隊が突入、テロリストを全員銃殺して人質を救出する。しかし、その途中、ホソカワは自分の通訳と恋に落ちたテロリストカルメンをかばって撃たれて死んでしまう。ホソカワもコスとの間に恋が生まれていた。

 

物語に展開がなかなか絶妙で、歌を歌うことに興味を持つテロリストのメンバーや、働き者で、人質の中で庭番などをしている男に気に入られたテロリストなど、人間的なドラマが丁寧に描かれているのはうまい。

 

一見、よくある薄っぺらい映画かと思って見ていたら、どんどん引き込まれ、ラストではなぜか胸が熱くなってしまった。ただ、だから政府側の対応が悪かったかというのは間違いだと思うし、門の外の人間としては正しいことをしたのである。

 

表と裏に立場をさりげなく盛り込んだ脚本もうまいし、何気ないエピソードの映画としてのドラマを描いたきめ細やかさも評価できると思います。予想外に良かったというべきでしょう。

 

「ブライトバーン  恐怖の拡散者」

典型的なB級SFホラーというテイストの一本。結局、あいつは何者?というエンディング。なんでもありでいい人はみんな殺される展開は、わかりやすくていい。そんな一本でした。監督はデビッド・ヤロベスキー。

 

仲のいい夫婦、どうやら子供ができないらしく、この日もベッドの上で仲良くしているが、突然大きな音がして真っ暗に。どうやら、子供を授かったのが間の音の正体なのか、赤ん坊のカットが挿入されて物語は10年後へ。

 

子供は大きくなり12歳、ブランドンという名前になっている。父カイルと母トーリに愛される毎日。ところが納屋の奥に何やら謎の鍵のかかったところがある。ブランドンは何やら夜中に声を聞き、その納屋の入り口に立っているのをトーリに見つかる。あの中にはブランドンが乗ってきた物体が隠されていた。

 

ある時、芝刈りを頼まれたブランドンは、機械の不調で癇癪を起こして機械を投げ飛ばした上に、刃に手を入れても歯の方が壊れる。

 

ブランドンは、自分は特別の存在だと自覚、自分が気に入らないことには極端な力を発揮し始める。そして、彼の邪魔になる人物を次々と殺していく。

 

ブランドンは、実は宇宙カプセルに乗って落ちてきた異星人で、カイルは、ブランドンを亡き者にするためにキャンプに連れ出すが逆に殺される。そして家に帰ったブランドンを待っていたのはトーリだったが、彼女もブランドンを殺そうとしてきたので、逆襲、助けに来た保安官も殺してしまう。

トーリが見つけた、ブランドンを倒す唯一の武器らしい宇宙船の金属の使い方もあっさりなのはもったいない。

 

ブライトバーンの街に次々と殺人や破壊事件が起こっているというニュースで映画は終わる。いわゆる、侵略もの映画であるが、いかにも舞台がせせこましくて小さいし、恐怖の見せ方も今ひとつ面白みはない。久しぶりに悲劇的なエンディングというのは目新しいものの、あれだけ宣伝していた割りには普通の映画でした。

映画感想「天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント」「国家が破産する日」

「天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント」

元来ドキュメンタリーは見ないのですが、題名に惹かれて見にきました。

次々と世界の有名人にインタビューしていく展開なので、どの言葉を心に止めるという暇もなくラストシーンまで行ってしまいます。

 

結局、クリエイティブになるためには創造力に垣根を設けないということか、既成概念を捨てることか、立ち止まって考えるという行為をしないということか、まあそんなことか。

 

「国家が破産する日」

映画の出来栄えはあまり良くなかったが、お話が面白そうなので見に行った。韓国で実際にあった金融危機をフィクションで膨らませた作品で、韓国の仕組みとか、登場人物の配置などが実に適当なので、正直リアリティが薄かったのが残念。面白く作れると思うのですがね。監督はチェ・グクヒ。

 

韓国銀行の通貨政策チームのハンは、あまりに急速に発展した韓国経済のもろさを自覚して、通貨危機のリスクを感じていた。そしてその破綻が約一週間後と予測する。政府は非公開の対策チームを発足させるが、その真意は、大企業を生かし、中小企業を一掃する韓国経済の構造改革であった。

 

ハンの反対を押し切り、政府の財政局長らはIMFによる支援を前向きに進める。そしてIMFの専務理事が乗り込んでくる。

 

そんな中、経済情勢の先行きを予測したユンは勤務先を退職し、投資家を募って、ドルを買い、ウォン安に乗じて不動産投資へと進めて大成功していく。

 

ここに下町の工場を営むガプスは急成長したデパートからの大量受注に嬉々として約束手形での売上金回収を了承してしまう。

 

やがてIMFの強硬な政策が提案され、韓国経済は急速な構造改革となり、大手デパートも倒産、ユンの思惑はみるみる成功し、ハンらの反対を押し切った財政局らによるIMFによる金融統制が確立されてしまう。

 

そして20年、一見安定した韓国経済に新たな不安が起こり始めていた。再び悲劇を生まないために、ハンらは再度チームを発足させようとして映画は終わる。

 

突貫工事で完成した韓国経済の危うさをリアルに描きたかったのでしょうが、どこか遠慮があるのか中途半端に終わっているのが勿体無い作品でした。

映画感想「ひとよ」「マイ・フーリッシュ・ハート」「アースクエイクバード」

「ひとよ」

これは良かった。もうクライマックスは号泣してしまいました。演技がちゃんとできる、しかも好きな役者が揃って、演技をつけることができる監督が揃うと最初から楽しくて仕方なかった。原作が舞台劇なので、若干映像としては無駄なエピソードがないわけではないけれど、それを差し置いて、本当に良かった。田中裕子の真骨頂を久しぶりに見た。監督は白石和彌

 

少年時代の雄二がボイスレコーダーに吹き込んでいる。大樹はパソコンを作っていて園子は人形の髪の毛を切っている。そこへびしょ濡れの母、こはるが入ってくる。そして、父を殺したからこれでみんな好きなように生きればいいと告げ、15年後に戻ってくると言い残して叔父の軽トラに乗り警察に向かう。こはるの夫は暴力を子供達に振るっていたのだ。

 

それから15年が経った。スナックで働く園子、エロ雑誌に記事を書いているが小説家になる夢を忘れていない雄二、小さな会社に勤め、結婚して娘もいるが夫婦仲がうまくいっていない大樹。そんな彼らのところに母こはるが帰ってくる。

 

こはるの夫が経営していたタクシー会社は叔父が引き継ぎ、少し名を変えて家族的な会社で運営されていた。一人の新人堂下が入社してくる。ここまでの役者を見ただけでワクワクする。

 

なんとか雄二も東京からここに帰ってくる。しかし、母が逮捕された後、自分らが受けたいじめや今も続く嫌がらせに、こはるを恨んでいる。そして、母のことを再度記事にして小説家への夢を叶えようとする。

 

そんな雄二を非難する園子。大樹の妻との諍いも進展はないが、その妻がこはると出会ったことで、何かが変わっていく。

 

堂下は久しぶりに別居している息子と会い、楽しいひと時を過ごす。堂下は元ヤクザで、かつての仲間から、苫小牧から東京まで運び屋を乗せてくれと頼まれている。

 

堂下とこはるの家族それぞれの親子の物語として展開するも、流石にこはるを演じた田中裕子の迫力が勝りすぎて、大樹たち三人とこはるの物語に偏っている。タクシー会社に勤める従業員の家族のエピソードなどを交えて物語は終盤へ差し掛かる。

 

堂下が乗せた運び屋が息子だったことで、堂下は絶っていた酒を飲んでタクシーを走らせ、こはるを無理やり乗せて夜の街を走り出す。それを追う雄二ら三人の息子の姿がクライマックスとなる。そして、なんとか堂下の車を止め、こはるを救い出し、翌朝、雄二が東京へ戻る場面で映画は終わる。東京へ発つ前雄二はパソコンに入れていたこはるの記事を全て削除する。

 

舞台劇らしい小ネタが所々に散りばめられているものの、全体の仕上がりは普通である。ただ、芸達者な役者と、しっかりした演出者によって一級品に仕上がった。色々穴はあるものの、なかなかの傑作である。涙が何度も溢れ出てきてしまいました。

 

「マイ・フーリッシュ・ハート」

トランペッター、チェット・ベイカーの心の闇が映像から滲み出てくるなかなかの秀作。実話とフィクションの絶妙のバランスが、作者のメッセージを見事に映し出していました。監督はロルフ・バン・アイク。

 

ジャズシーンを席巻してきたチェット・ベイカーの舞台、しかし彼は現れない。外では、チェットがホテルの窓から落下したという人だかりが出来ていた。そこへ駆けつけたのは刑事のルーカス。彼はホテルの窓を見上げ、人影を目撃、捜査を開始する。

 

物語はルーカスの捜査の過程で、チェットの死の直前の数日間を描いていく形になる。愛する恋人サラが去り、ドラッグに溺れて次第に壊れていく自分の姿を目の当たりにしていくチェット。時にさらに暴力を振るったりもする。

 

一方のルーカスも恋人に暴力を振るうという同じ設定が何度か出てくる。チェットが次第に壊れていく様と年齢による衰えを様々なシーンで描きながら、捜査を進めるルーカスと被らせていく。

 

最後に、チェットが飛び降りたホテルの窓から下を見下ろすと、そこに落ちたチェットがいて、見上げる自分を発見して映画は終わる。

 

チェットに自分を被らせるルーカスの姿を通じて、伝説のジャスシンガーの姿を、映し出していく。あくまでフィクションであるという冒頭のテロップにあるように、チェット・ベイカーが晩年こうだったかというものはないが、一人の天才の姿をイメージとして捉えるにはこれもまた表現ではなかったかと思います。映画はなかなかのクオリティでした。

 

「アースクエイクバード

下手なサスペンス劇場のような作品で、日本が舞台というのはわかるが、最後まで奇妙な違和感ばかりが目立つ作品でした。監督はウォッシュ・ウエストモアランド。

 

日本の会社で翻訳の仕事をしているルーシーの姿から映画が始まる。彼女の友達のリリーが行方不明になり、彼女と最後に会ったのがルーシーということで、警察はルーシーに事情聴取することになる。

映画は取調室のルーシーを捉えながら、彼女が回想する形式で物語が展開していく。

 

街で、ルーシーは写真を趣味にしている禎司と出会う。彼は蕎麦屋の職人で、ルーシーを写真に撮りたいという。ルーシーは彼の隠れ家のようなアトリエに行き写真を撮ってもらう。やがて二人は付き合い始めるが、一方で、ルーシーはリリーという日本にきたばかりの女性の世話を依頼される。

 

ルーシーはリリーに部屋を探してやり、やがて禎司も含めて三人で遊ぶようになる。ルーシーは子供の頃から死にとりつかれていて、彼女の周りでは次々と死人が出ていた。そのことがトラウマである一方、禎司に異様なほど嫉妬する。このルーシーのキャラクターがなんとも中途半端。

 

ルーシーは禎司と親しくなっていくリリーに嫉妬し、さらに禎司を取られたことでリリーと絶縁するが、直後行方不明となる。ルーシーはリリーを殺したのは自分だというが、見つかった死体がリリーではなかったため、ルーシーは釈放される。

 

ルーシーは禎司のアトリエに忍び込み、自分の写真と一緒にリリーの写真も発見、そこにはリリーの死体が写っていた。警察に行くも担当の刑事はいなくて、リリーの部屋に行くと禎司がいた。そして突然禎司に襲われるが、側の鈍器で禎司を殴り殺す。こうして映画は終わるが、なんともお粗末なストーリーだった。

映画感想「女のつり橋」「残された者 北の極地」

「女のつり橋」

こういう人間味のあるあったかい物語は完全になくなりました。傑作ではないのですが、見終わってとっても優しい気持ちになりました。監督は木村恵吾。

 

物語は、三本のオムニバスになります。

第1話は温泉の女マッサージ師たちの物語。売れっ子のマッサージ師は、仲介所の主人の息子に片思いをしている。彼が大学から戻ってくる日、そわそわして仕事にならず、慌てて戻ってきたら、息子は彼女を連れて来る。失恋した主人公は、嫌な客と分かりながらも金がある客の指名を受けて出かけていく。

 

第2話は、一つの部屋を女二人で借り、それぞれが愛人がいるが、一人で部屋を借りてる風に装い、小遣いを貯めている。しかし、ある時ばったり鉢合わせし、すべておじゃんになる。一人が彼氏を呼ぶのだがやってきた男はもう一人の女の彼氏でもあった。

 

第3話は、浅草のストリップ劇場、戦前からここで小間使いをしている老人がいる。ダンサーたちの悲喜劇を描きながら、同室の女が彼氏を連れこんだのでいたたまれなくなった主人公は小間使いの老人の部屋へ。そこで老人のこれまでを何気なく聞く。誰もこの男がいることに気を止めないという孤独な老人に女は、最後に手を振って別れをいう。

 

それぞれが下町に住む人たちの人生というほのぼのした暖かさが漂う作品で、かつて日本もこういう時代があったのかなと胸があったかくなってしまいました。

 

「残された者 北の極地」

こんなシンプルな話を一本の映画にした脚本力と演技、演出力に脱帽してしまいます。全然退屈しない極限の人間ドラマでした。監督はジョー・ペナ。

 

北の大雪原、一人の男オボァガードが淡々と魚を取り、なにやら作業を繰り返している。どうやら乗っていた飛行機が不時着し、彼一人生き残ってそれなりの時間が経っているようである。

 

ある時彼方にヘリコプターが見えたので叫ぶが、おりからの吹雪でヘリコプターは落下してしまう。操縦士は死んでしまい、一人の女性を発見する。

 

オボァガードは、彼女を手当てするも重傷で、意を決したオボァガードは、ヘリの中に詳しい地図があったこともあり、かなり離れた観測所まで行く決意をする。

 

こうして、オボァガードは女性をソリに乗せてひたすら歩き始める。物語はこの行程を様々な自然の脅威をしのぎながら進む姿を捉える。

 

そして、もう限界だと悟った時、彼方にヘリコプターを発見、必死で発煙筒を炊くも気がついてもらえず、オボァガードは、女性とその場に崩れ落ち、目を閉じる。瞬間、近くにヘリが着陸して映画は終わる。

 

主人公の孤独と自分との戦いの姿を延々と描く作品で、自然の脅威をこれでもかと映し出す映像も見事。名優マッツ・ミケルソン居てこその映画だった気がします。

映画感想「三億円をつかまえろ」「狭山の黒い雨」「ターミネーター ニュー・フェイト」

「三億円をつかまえろ」

まあ、一昔前の脳天気な犯罪コメディ。菊島隆三の脚本というのもあって、これはこれなりにしっかりできていたと思います。三億円事件時効成立直前という社会風刺も面白い一本でした。監督は前田陽一

 

刑務所を出てきたばかりの主人公が、昔の仲間をもう一度誘って、農協にある3億円を盗もうというコメディ。金庫破りの名人には幼い息子がいて、その子を連れて夜中の農協に忍び込むという荒唐無稽さも楽しい。

 

なんとか金庫も開き、金をそこで分配して、そのまま逃げようとしたところで、子供のおしっこで警報が鳴り、四人のうち三人が捕まるが、金庫破り名人は子供の乳母車を押していたこともあり捕まらず、三人がパトカーで連れて行かれるのを見送ってエンディング。

可もなく不可もない娯楽映画という感じで面白かったです。

 

「狭山の黒い雨」

大学時代にはいたるところで上映していた狭山事件の映像作品で、悪く言えば一方的なストーリー展開であるものの、強烈なメッセージ性を帯びた社会ドラマであることも事実です。監督は須藤久。

 

埼玉県狭山市で、女子高生殺人事件が起こる。物語はその犯人として逮捕された石川一雄被告が絞首台に向かう場面から映画は始まるが、映画が作られた段階では、第二審が結審していない。史実では1994年に仮出獄している。

 

映画は、彼が逮捕されるに至る経緯から、彼が無罪にもかかわらず警察の強引かつ狡猾な取り調べで、犯人にされていく過程が描かれる。

 

部落解放同盟のバックアップの元、部落出身者石川一雄の冤罪を扱うという流れなので、かなり偏った演出になっていますが、映像作りとしてはしっかりした画面を作っているので、重厚なドラマの一本としての評価はできると思います。

事件の真実は知らない自分としては、素直に映画として鑑賞したという感じです。

 

ターミネーターニュー・フェイト」

娯楽映画としては退屈もしないし面白い。でも、結局ターミネーターの第一作目を踏襲するしかない物語、オリジナルの焼き直しでしかないというには残念。斬新で奇抜な続編を期待したけれど、それは流石に満足行くものではなかったです。監督はティム・ミラー

 

サラ・コナーは息子ジョンとバカンスを楽しんでいるが、そこにターミネーターTー800が現れ、ジョンは殺される。そしてカットが変わる。

 

突然、一人に全裸の女性が球体の中から現れる。そして彼女は近づいてきた警官をあっという間に倒しいずこかへ。別の場所にも球体から男が現れる。そして、あっという間にいずこかへ去る。こうして「ターミネーター」第一作と同様に映画は幕を開ける。

 

仲のいいダニーと弟のディエゴが、職場に行く。そこへ突然、ダニーの父親の姿の何かが現れ、ダニーを襲ってくる。それは、REVー9という未来から来たターミネーターだった。

 

間一髪、グレースという女が現れ、ダニーを助ける。グレースはダニーを連れて逃げるも、途中で、ディエゴを死なせてしまう。それでも執拗に追ってくる不気味なターミネーターREVー9。

 

グレースは、強化された人間で、瞬発的な戦闘時間が限られていて、薬を打たないといけなかった。そこへ間一髪、サラが現れ、REVー9を迎撃し、ダニーたちを助ける。

 

一旦はサラからも離れたダニーたちだが程なくしてサラが追いつく。グレースは、未来でリージョンというAIが人類を支配していて、そこからダニーを亡き者にするためにターミネーターREVー9が送られたのだという。そしてダニーを守るためグレースが送り込まれた。

 

サラは、審判の日から人類を救ったものの、定期的なメールなどが来るようになり、今回もダニーたちのところにきたのだという。ダニーは未来で人類がリージョンと戦う時のリーダーだったのだ。

 

ダニーたちは、サラへのメールの送り主のところに行くが、なんとそこには、サラの息子ジョンを殺したターミネーターTー800が家族を作って暮らしていた。そして、人間の心に目覚めた彼はさらにメールを送り、ジョン亡き後にサラを支えてきたのだ。

 

やがて、REVー9が現れ、サラたちが立ち向かうのがクライマックスになる。そして、死闘の末、ダニーはグレースの体の中の装置でREVー9を倒し、Tー800もREVー9と一緒に破壊されてしまう。そしてサラとダニーは人類の未来を救うため車で旅立つ。

 

確かに面白いアクションの連続だが、過去作品からの模倣シーンばかりで目新しさもなく、結局、同じ展開の繰り返しでエンディングというのは流石に芸がないなと思う。エンタメ映画として楽しんだからいいとするか。

 

映画感想「永遠の門ゴッホの見た未来」「マチネの終わりに」「グレタGLETA」

「永遠の門 ゴッホの見た未来」

ゴッホの半生を描いた物語ですが、手持ちカメラを多用した画面作りと、ただの狂人として描くのではないゴッホの人間面への描写が素晴らしい作品でした。ゴッホが次第に異常になっていく視点に黄色のフィルターをかけたり、ゴッホの妄想か現実かわからない映像演出もうまい。監督はジュリアン・シュナーベル

 

カフェに飾られたゴッホの絵が、撤去を求められる場面から映画は始まる。彼を唯一応援する弟のテオに慰められ、帰り道、ゴーギャンと知り合う。

 

自然に魅入られ、極端に早い筆のタッチで次々と絵を描いていくゴッホだが、周囲の人々は彼の絵を認めないばかりが人間的にも受け入れず、ゴッホはどんどん孤独になっていく。

 

そして、自分でもわからないままに奇妙な行動を繰り返し、その度に病院へ入る。そんな彼をゴーギャンは認め、テオは支えていくが、ゴッホはさらに孤独の中に落ち込んでいき、精神が崩れていく。

 

そして、とうとう少年たちに銃で撃たれ、その怪我が元で死んでしまう。現実か幻覚かが徐々にエスカレートしていく展開が見事な上に、ウィレム・デフォーの演技も、仰々しくならず淡々と演じていくので、非常にリアリティのある人間ドラマに仕上がっています。前半の手持ちカメラの多用が少ししんどいですが、それも次第に画面に惹きつけられていくので、効果があったのでしょう。いい映画でした。

 

「マチネの終わりに」

安っぽいラブストーリーだろうとタカをくくって見ていたのですが、これがものすごく良かった。すれ違いドラマの大人の恋物語に涙が止まりませんでした。まず、脇役に入った桜井ユキの演技が抜群に映画を引き立てます。そして、オーソドックスながら丁寧に心理描写していく演出もうまいし、背後に流れるギターの名曲が映画にリズムを生み出していきます。原作は知りませんが、脚本の組み立ても絶妙のテンポで流れる。こんな映画に感動すると思わなかった。監督は西谷弘。

 

一人の女性小峰洋子が、ニューヨークを走り去るシーンから映画が始まり物語は6年前へ。パリでギター公演を終えた蒔野は、ジャーナリストの小峰洋子と知り合う。お互い惹かれるでもなく心が通うものの、洋子にはフィアンセの新道がいた。

 

それから6ヶ月たち、ニューヨークで蒔野は洋子に思いの丈を告白する。洋子も、新道との結婚に迷いがあり、蒔野への思いが募るものの、4ヶ月後の師である祖父江と一緒の蒔野のコンサートまで待って欲しいと答える。

 

ところがその日、洋子の同僚が取材で怪我をして、いくことができなかった。蒔野は、陽子たちの前でギターを弾き、同僚が寝静まった後、静かに口づけをする。そして洋子は、今度は自分が蒔野を訪ねて日本へ行くからと答える。

 

新道との結婚についての迷いを新道に告げる一方、洋子は日本へ向かう飛行機に乗る。一方、蒔野は、到着する洋子とバスターミナルで会う約束をする。ところが、突然、祖父江が倒れたという連絡が入り、蒔野は病院へ駆けつけるが、タクシーに携帯を忘れ、洋子に連絡がつけられなくなる。かねてよりずっとマネージャーとして蒔野についていた三谷早苗は、携帯を取りにタクシー会社へ向かう。万一に備え、蒔野は携帯のパスワードを早苗に教えた。実は、早苗はずっと蒔野を愛していたのだ。

 

なんの連絡もない洋子は、蒔野の携帯にメール、それをたまたま早苗が蒔野の携帯を持っていて、思わずパスワードで洋子とのこれまでのやり取りを見てしまう。そして、洋子に別れのメールを打ち込んでしまう。

 

戻った早苗は、蒔野の携帯は壊れたからと自分の社用携帯を渡し、そこに自分の私用の携帯番号を洋子の番号だと登録して渡す。そんなこととも知らない蒔野は洋子に電話してメッセージを残すが、それは早苗の携帯だった。ここの桜井ユキの演技がたまらなく素晴らしく、ここで、下手くそに演じられるとただの嫉妬女に見えるが、早苗の心の切なさが爆発する瞬間に涙してしまいます。

 

翌日、新しい携帯から洋子に連絡をするが、洋子は全く取り合わず、蒔野も訳がわからないままに別れてしまう。そして四年が経つ。

 

蒔野は早苗と結婚し、子供もできていた。一方、洋子も新道と結婚し子供ができていたが、一旦はこじれた婚約がうまくいくはずもなく、離婚することになっていた。そんな頃、祖父江の追悼アルバムを出すことになり、蒔野にも声がかかる。彼は四年間ギターを離れていたのだ。

 

蒔野は決心し、アルバムに参加、一方、早苗は、かつてのニューヨークの会場での蒔野の再起コンサートを計画していた。

 

ジャーナリストに復帰した洋子に、蒔野早苗になった早苗が会いに来る。そして四年前の自分の行為を告白、一方メールで蒔野にも真実を打ち明ける。

 

そしてコンサートの日、早苗は、「あなたの自由になさってください」と蒔野を送り出す。ここの桜井ユキの表情も最高に泣かせられます。洋子は自宅で整理していたが、早苗にもらった追悼アルバムを発見、蒔野のコンサートに向かう。

 

コンサートの後、セントラルパーク、二人は噴水を挟んんで再会、映画は二人の微笑みで暗転エンディング。もしかしたら大人としてすれ違うだけかもしれないという余韻がうまい。

 

とにかく、桜井ユキが抜群に素晴らしく、主役の二人のドラマを奥の深い大人のラブストーリーに見せていく。脚本の良さで、セリフの一つ一つが実に知的で美しい。本当に涙が繰り返し止まらない名編でした。

 

「グレタ GLETA」

なんともダラダラしたテレビドラマのような作品で、雑な脚本と使い古された演出に参ってしまった。名優イザベル・ユペールクロエ・グレース・モレッツを起用してこの程度では流石にファンはがっかりという映画だった。監督はニール・ジョーダン

 

フランシスは、一年前に母を亡くした寂しさからまだ抜け出せず、一緒に住んでいるエリカにも心配されていた。そんな彼女は地下鉄で誰かが忘れたハンドバッグを見つけ、家に持って帰る。エリカに咎められたものの、フランシスはそのカバンの持ち主グレタの家を訪ねる。

 

グレタに母の面影を見たフランシスは急速に親しくなる。しかし、ある時、食器棚の下で、同じようなバッグがたくさん並んでいるのを発見、全てグレタの計画だったと気がついて、その日は適当な理由でグレタの家を後にする。

 

ところが、グレタは執拗にフランシスに接触してくる。怖くなったフランシスは警察に連絡するも取り合ってもらえず、さらにグレタはフランシスのバイト先のレストランで騒ぎを起こし、逮捕されるもすぐに釈放されてしまう。

 

フランシスは、エリカの勧めで、グレタに遠くへ出かけるという適当な嘘をついて、なだめて別れることにする。ところが、巧みに部屋に忍び込んだグレタは麻酔薬をフランシスに飲ませ拉致監禁してしまう。

 

グレタはこれまでも少女を拉致監禁し、最後には殺していたらしいとわかる。フランシスの父が雇った探偵も殺され、フランシスは監禁拘束され絶望してしまう。

 

グレタは次のターゲットのためにまたバッグを忘れ、一人の女性が届けにやってくる。ところが、逆にグレタが薬を飲まされ倒れてしまう。なんと訪ねてきたのはエリカだった。こうして、フランシスを助け出し、グレタを、フランシスが監禁された箱に閉じ込めて映画は終わる。

 

じゃあ、お父さんはどうなったの?フランシスの前に捕まっていた少女は?ラストの箱のかんぬきが抜けかける雑なラストのオチは?さっさと逃げられるタイミングでもピンチな状況に無理やり飛び込む展開は?などなど、隙だらけの脚本が実に雑。しかも、今更ながらの話なのだが演出も平凡。せっかくの名女優二人を無駄遣いしたこれは一体という感じの映画でした。