くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「LBJ ケネディの意志を継いだ男」「プロヴァンス物語 マルセルのお城」

「LBJ ケネディの意志を継いだ男」

物語のほとんどがケネディ大統領の存命時代なので、ジョンソン大統領の話なのかケネディ大統領の偉業の話なのかよくまとまらないのですが、ケネディ暗殺事件は何度も映画になっていますが、その直後のジョンソン大統領については触れられることが少ないので貴重な物語を知ることができました。映画としては丁寧に作られた一本だったと思います。監督はロブ・ライナー

 

南北戦争が終わり奴隷解放になって百年経つのに今だに黒人差別が公に起こっている。それに対して、公民権法案を提唱して、混乱と半ば苦境に立つジョン・F・ケネディの今から映画が始まる。副大統領についているのは議会については知りすぎるほど熟知したリンドン・ジョンソン

 

巧みな人物関係と見事な懐柔策でケネディを支えているジョンソンの姿を丁寧に描きながら、やがて運命のダラスで、ケネディが車でパレードするシーンがかぶる。時にこれまでの二人の姿、何かにつけ、いがみ合うケネディの弟ロバートとジョンソンの姿を描く。

 

さらに、南部出身のジョンソンに歩み寄る南部の有力議員ラッセルの姿なども交え、当時のアメリカの複雑な状況を描写していく演出はなかなかのものである。

 

そして、運命の時間が刻々と迫り、銃声が響き、間も無くしてケネディが亡くなり、憲法通りジョンソンが次期大統領に昇格。誰もが公民権法案の頓挫を想像したが、ジョンソンは確固たる意志でケネディの願いを受け継ぎ、所信演説ののち見事に公民権法案を成立させるのがクライマックスとなる。

 

細かいシーンの繰り返しと時間を交錯させた展開で、緊張感が高まる様子を見事に描写し、ラストシーンで一気にアメリカの未来の希望を見せる一方で、泥沼化するベトナム戦争の危機をさりげなくテロップして映画が終わる。

 

流石にそれなりのクオリティの作品ですが、なんで今更という思いも起こらないわけではない作品でした。

 

プロヴァンス物語 マルセルのお城」

前作に引き続きのどかな物語が展開。原作が三部作らしいが、映画は二部作で終わるので、ラストはかなり端折ってしまうが、たわいのない人生の一コマが美しい自然の景色をバックに描かれる名編でした。監督はイブ・ロベール。

 

前作で夏休みが終わり街に戻ったマルセル達だが、再び訪れた休暇でマルセルの丘に戻る。そこでマルセルは一人の少女と仲良くなり、ほろ苦いながらも初恋を経験する。

 

やがて一家は母の計らいで毎週末をラ・トレーユ村の丘で過ごすようになるが、駅から非常に遠く、たまたま出会った父の教え子の計らいで、大きな屋敷の敷地内を無断で潜れるようになり助かる。

 

しかし、最後の最後、屋敷の管理人に見つかり、役人に報告するからと脅され追い返される。てっきり教師を免職になると嘆いた父だが、教え子の計らいで難を逃れ、やがて教育功労賞を受ける。

 

やがて時が経ち、マルセルの親友リリも銃弾に倒れ、母も亡くなり、マルセルは映画会社を起こして大成功する。そしてプロヴァンスの丘に映画村を作ろうと土地を物色、そして手に入れたのは、かつて、こそこそと通った大きな屋敷だった。

 

幼い日々がマルセルに蘇り、人生の機微を噛み締めながら、時の流れを実感して映画が終わる。

 

たわいのない話ですが、さりげない出来事に一喜一憂する微笑ましい家族の物語は、どこか人間の本当の姿を思い出すような感動を呼び起こしてくれます。名編というのはこういう映画を言うのでしょうね。

映画感想「赤毛のアン 初恋」「きらきら眼鏡」「ブレイン・ゲーム」

赤毛のアン 初恋」

何の変哲も無い作品なのですが、なんかとっても素敵で癒されます。美しい風景と差し障りのない、でもみんな魅力的な登場人物たち、そして次々と失敗を繰り返す主人公のアンの無邪気ながら天真爛漫な姿。原作が語り継がれるのも最もという感じのキュートな映画でした。監督はジョン・ケイト・ハリソン。

 

主人公アンが養父マシューの家で過ごしている場面から映画が始まる。素朴でのどかな景色と端正な舞台、そして今やおじいさんになって白髪のマーティン・シーンのマシューの姿も素敵。

 

大雨で傷んだ屋根を治すため、年甲斐もなく屋根に登り、降りれなくなったマシューをアンが助けるオープニング。学校ではクラスメートのギルバートと成績の競争をしたり、親友のダイアナとの楽しい日々を過ごす。

 

実はギルバートのことが好きなアンなのだが、それが恋なのか友情なのかわからない13歳という年齢。いつも女友達数人できゃっきゃ言いながら美しい草原の道をかけるシーンが繰り返され、一方マシューが次第に弱ってくる姿をさりげなく見せる。

 

クライマックスの野外演劇の場面でいかだに乗ったアンが流されるのをギルバートが助ける。でもこれは恋ではなく友達にもなれないとギルバートに告げるアン。そんなアンに、マシューは「ロマンを忘れてはいけないよ」と話してエンディング。

 

次々とアンが起こす失敗がほのぼのと周りの人を明るくする様がとってもいいし、素朴なのにチャーミングなアンのキャラクターも素晴らしい。原作を読みたくなってしまう。

 

アンが青空を見上げるカットや森に中を歩くシーン、何気無く捉えるシーンのそれぞれになぜか引き込まれてしまいます。決して傑作とかいうものではないのですが心に残る作品でした。

 

きらきら眼鏡

普通の映画なんですが、ちょっと心に残ります。ちょっと人生に希望が生まれます。そんな映画です。大好きな池脇千鶴さんが出ているので見にいきましたが、改めて彼女の演技力の素晴らしさに感動した感じです。監督は犬童一利

 

駅員をしている主人公の明海は、毎日の日常に何処か嫌気がさしている。というのも三年前に恋人を海で亡くした後悔をひきづっていた。そんなある時、古本屋で見つけた自己啓発本の中に一枚の名刺を見つける。

 

何気なくその名刺のあかねという女性に連絡を取り、本を返してさりげない付き合いが始まるのが本編。

 

あかねは、どんなものも美しく感じるという心を持っていて、きらきら眼鏡をかけてみると輝いて見えるのだと言って青空を見上げる。彼女には末期癌の恋人裕二がいた。

 

恋人同士でもなく友達のような関係で食事したり、飲みに行ったりするが、明海は何かにつけ失った恋人を思っていた。そんな明海に入り込んでくるあかねは疎ましくもありどこか惹かれるものを感じている。

 

やがて、裕二も亡くなり、あかねと付き合ううちに、何か人生の区切りがつき始めた明海は二人で公園を歩き、笑いあって別れる。今までの景色がどこか違って見えるようになった明海の姿があった。

 

という何気ない映画です。池脇千鶴の、心に訴えかけてくるような演技が牽引しているドラマで、主人公の薄さが逆にいい空気感を生み出している。普通の作品なのに、今の自分を見つめ直せる勇気が生まれてくる不思議な作品でした。

 

ブレイン・ゲーム

アンソニー・ホプキンスが予知能力のある医学博士の役で異常犯罪捜査に臨むという「羊たちの沈黙」の亜流のような映画。今時の監督らしくこれ見よがしなデジタル映像を多用して、いかにも才能があるのだと言わんばかりの絵作りはやや鼻につきますが、B級サスペンスのレベルではそれなりに楽しめたからいいとしましょう。監督はアルフォンソ・ポヤード。

 

頸椎を刺されて殺される事件が多発、FBIのジョーとキャサリンが捜査をしている場面から映画が始まる。ジョーはかつてFBIの捜査に協力して成果をあげてくれた予知能力の持ち主ジョンを訪ねる。

 

最初は渋ったが、ジョーとキャサリンの近未来を見るにつけ、捜査に参加。しかし、間も無くして犯人はジョンよりも強い予知能力があり、自分たちを誘導しているらしいことを知る。

 

犯人は、何かの病でいずれ苦しむであろう人物を見つけては殺していたのだ。やがて、ジョーも撃たれるが実は彼はステージ4の末期癌であることを犯人が知っていて誘導したのだ。

 

やがて犯人の名前がチャールズと判明、ジョンとの対決が迫る。列車の中に逃げたチャールズを追ってジョンが乗る。追ってくるであろうキャサリンが撃たれるという未来が見えている。その未来に、ジョンがチャールズを撃つという流れのはずなのだ。ジョンには難病で苦しんだ末に、安楽死させた娘がいて、その罪悪感からキャサリンを娘のように思っていた。

 

結局、ジョンが奇をてらって、巧みにチャールズを撃ち、キャサリンも守ってエンディング。

 

細かいデジタル映像の挿入がいかにもな形で入るので、今ひとつ洗い演出に見えなくもなく、ジョーが末期癌で死んでの葬儀のシーンなど脚本の組み立てにもやや難はあるものの、まぁ、普通に退屈せずに終わりました。

映画感想「フィフティ・シェイズ・フリード」「イコライザー2」

フィフティ・シェイズ・フリード

三部作の最終章ということで、惰性で見た感じです。第1作からダラダラした作品ですが、まだソフトSMという異質なオリジナリティを匂わせていたので見れましたが、ここにきて普通の映画になって終わりました。監督はジェームズ・フォーリー

 

アナとクリスチャンの結婚式の場面から始まる。クリスチャンはアナや家族にも護衛をつけたのだが、彼らの周りには不気味な影が見え隠れする。新婚旅行の最中にクリスチャンの会社が放火されてしまう。どうやら犯人はアナの元上司で恨みを持つジャックの仕業だとわかる。

 

一方、仕事を辞めることなく続けるアナは、どことなくクリスチャンと溝が空き始める。そんな時、避妊の注射を忘れて、アナは妊娠、まだそのつもりのなかったクリスチャンはアナに素っ気なく接したため完全に溝ができる。

 

そこへ、保釈されたジャックがアナの妹ミアを誘拐、アナに金を要求してくる。アナは一人で対処し、受け渡し場所へ。それを追うクリスチャン達。そしてあっけなく救出されて、クリスチャンもアナの妊娠を受け入れ、カットが変わると子供と戯れるクリスチャン達のシーンでエンディング。ジャックが執拗にクリスチャンを恨む真相が終盤にさらっと説明されるサスペンスの盛り上がりもない。

 

このクリスチャン、これほどの事業を起こしながら、妻の妊娠だけで、自信がないからとうろたえるのはあまりにもキャラクターとして弱いし、これが原作通りならあまりにもスケールの小さい男である。この辺りの矛盾が最大の欠点かもしれない。

 

しかも、売りのSM色は適当に無理やり挿入している感で、クリスチャンがアナを支配しているという迫力は無くなるし、一方のアナは強いというよりわがままでクソ生意気な女にしか見えなくなってくるし、本当に魅力のない映画で終わりました。

 

イコライザー2」

このシリーズのいいところは脇のエピソードもしっかり描けていることですね。流石にアクションだけで終わらせないためには芸達者なデンゼル・ワシントンが必要なのでしょう。今回は前作ほどのキレの良さはありませんでしたがなかなか面白かったし、エピローグの脇の物語に胸が熱くなりました。監督はアントワン・フークワ。

 

列車が夜の線路を疾走している場面から映画が始まる。どうやらトルコ?のあたりでしょうか。一人のアラブ人らしき男が食堂車に行き、そこにいた男達と絡んで、タイトルになる。この男こそ主人公マッコール。元CIA特殊工作員で、今回は、DVの夫に連れ去られた娘を救出するためにやってきたのだ。

 

普段はタクシーを流しながら、法が裁けない悪人をやっつけている。

 

ここにある家族がこれからディナーを食べようとするところ。仕事を終えて夫が帰ってくると、妻が何者かに羽交い締めされ、そのまま撃ち殺される。そして夫もその場で殺される。

 

カットが変わるとマッコールが家に帰ってくると、人の気配がする。勝手に入っていたのはかつての上司スーザンだった。食事をして、近況を話す。かつてスーザンの元で集まったチームの話などする。

 

ところが、まもなくしてスーザンは何者かに襲われ殺されてしまう。そばにいたデイブに事の詳細を聞き、調べ始めるマッコール。

 

ある時、タクシーに乗った男がマッコールを襲ってくる。すんでのところで相手を倒し、相手の携帯を奪取して分析したところ、その通話記録にデイブがいた。マッコールが詰め寄ると、かつてのチームは今はバラバラになり、上の指示によって良し悪しを問わず人殺しをしているのだという。先日の事件も同様で、上の人物が、自分たちの障害になる人物を命令で処分させていたのだ。そして、マッコールもターゲットの一人だと答える。

 

マッコールはその場を巧みに逃れ、戦いを挑むことになる。そして、かつての家に彼らを誘い込み最後の戦いへ。台風が迫り風雨がはげしくなるなかでの銃撃戦。当然マッコールが勝利する。

 

物語の本筋はこうだが、いつもタクシーに乗せる施設に入っている老人の記憶の底に残る女性をさりげなく調査させ、エピローグで引き合わせたり、マッコールの住んでいるアパートの住人の若者が悪の道に進むのを助けたり、そしてその若者がラスト銃撃戦の中で、スパイスになって登場したり、圃場に深みのあるアクション映画に仕上がっている。アントワン・フークワの絵作りも秀逸で、シャープな夜の景色を色鮮やかに取り入れた画面も美しい。

 

前作ほどではなかったが、こういう良質のアクションはシリーズ化してほしいものだと思います。見応えある作品でした。

映画感想「パパはわるものチャンピオン」「運命は踊る」

パパはわるものチャンピオン

全く飾りっ気のない素直な映画というのは見終わっても清々しくていいです。単純な物語ですが、単純だからこそ心にまっすぐに感動が伝わってくる。いつの間にか胸が熱くなっているのだから不思議。映像作品としては普通ですが、テレビではなく映画になってるのがいいですね。監督は藤村亮平。

 

大村家の一人息子翔太の今日は参観日。例によって父親は仕事で遅れそうらしい。駆けつけてきた父大村孝志は、かつては無敗を誇るヒーロープロレスラーだったが、怪我をしてリタイア、今は悪役レスラーとして活躍していたが、息子には黙っている。

 

学校で父親の職業を友達に詰められた翔太はこっそり父の車に潜り込み、父の仕事場へ。そして父が嫌われ者のゴキブリマスクであることを知る。そしてそこで、ヒーローレスラードラゴンジョージのファンのクラスメートの少女に会う。当然、翔太は父がゴキブリマスクであることを言えず、とうとうドラゴンジョージの子供だと嘘を言ってしまう。

 

翔太は父にプロレスをやめてくれとまで言い、たまたま、プロレスのトーナメントに出場することになったゴキブリマスクは順当に勝ち進みながらも、準決勝でマスクを脱ぐ。その素顔が大村孝志だと知りファンは大喜びするが、その試合は負け、しかもマスクを脱いだことで、プロレスをやめることになる。

 

ところが優勝したドラゴンジョージはかつて憧れた大村孝志との試合を望んだことから、大村孝志は息子のために再度挑戦を決意、翔太も父が悪役であることを誇りに思うようになる。

 

そして試合の日、大村孝志は素顔ではなくゴキブリマスクとして登場、ドラゴンジョージと熱戦を繰り広げるが最後の最後で負けてしまう。しかし、翔太を始め旧友たちもそんな翔太の父はかっこいいと賞賛。翔太も将来の夢はパパのような悪役になると日記に書く。昼寝をしているパパの枕元には翔太が作ったチャンピオンベルトがあった。

 

本当に素直な作品なので、なんの嫌味も、余計なメッセージもないのでまっすぐに見れます。こういう作品がもっと量産されて、みんな見たらいいと思います。

 

運命は踊る

これはかなりクオリティの高い作品でした。画面の絵作りといい、カメラワークといいストーリー構成の配分といい一級品の秀作でした、監督はサミュエル・マオス。

 

地平線まで続く一本道のカットから変わると、一人称カメラの映像。ドアを開けたのは女性、どうやら軍人がたづねてきたようで、詳細を聞く前に女性は気を失う。慌てて軍人が抱え上げ、気付の注射らしいものを打つ。カメラが部屋の中に進むと男がいる。どうやら息子の戦死を知らせにきたようである。

 

男はミハエル、倒れたのは妻のダフナ。倒れた背後の壁にはモダンアートのような額がかけられている。戦死したのは息子のヨナタンである。知らせを持ってきた軍人は、1時間ごとに水を飲むようにミハエルに言い、間も無くやってくる担当者に葬儀の段取りを聞くように言ってさる。ゆっくりとカメラが天井まで上がるとミハエルの部屋の床には幾何学模様が描かれている。ミハエルは平静を保とうとするが、熱湯を手にかけて気を紛らそうとしてりする。

 

ところが数時間して再びやってきた軍人は、人違いでヨナタンは死んでいず、国境の警備に当たっていると告げる。怒ったミハエルは息子を今すぐ喚び戻せと迫る。

対処に困る軍人を尻目に、軍の司令官に知り合いのいる知人に連絡するミハエル。

 

カットが変わると、とある国境。若い軍人四人が任務についている。のどかな風景で、時折ラクダが通るのを見ている程度。この中にヨナタンもいた。食事は近くに置いてあるコンテナで食べるが、どうやら沼地らしく沈みかけている。ヨナタンはダンスをしてみたり、漫画を描いていたりして過ごしている。

 

一台の車がやってきて中年の男女が乗っていたが、問題なく通す。次にきた若者四人も問題ないかに思われたが、たまたまドアを開けたときに空き缶のようなものが転がり、手榴弾だという兵士の絶叫に思わず機関銃を乱射、車の中の若者は全員死んでしまう。

 

本部に報告したら、上官がやってきて、ブルドーザーで車を運び穴に埋めてしまう。そこへ連絡が入り、なぜかヨナタンは自宅に帰すことに。トラックにヨナタンは乗って走り去る。

 

カットが変わるとミハエルがヨナタンの部屋を見ている。そこへダフナがやってきて、もうここにはこないほうがいいとミハエルに言っている。ケーキを作ろうとしているが、必要以上に手をこすって血が滲む。

 

二人で会話をするが、どうやらヨナタンは死んだようである。もしミハエルが呼び戻さなければというセリフが入るが妙な後悔のセリフはない。それより、ダフナは産まなければ良かった、最初の戦死の連絡の時はあれでいいと思ったと語る。何か背後の物語があるようですが多くは語らない。

 

一方、ミハエルは、かつて軍にいた時、なぜか自分の前に車を譲ったが、その直後車は地雷を踏んだのだという。その直前、ダフナの妊娠を知ったという内容のセリフを語る。

 

もしも、譲らなかったら、もしも呼び戻さなかったら、そんなことは台詞の中に出ない。ミハエルは、ヨナタンもしていたダンスのステップをする。ヨナタンが書いた、ブルドーザーで車を運んでいる漫画が壁に貼ってある。そして二人でマリファナを吸う。そこへ妹のアルマがやってくる。今から友達と会うらしい。ダフナの作ったケーキを食べて出て行く。

 

カットが変わると冒頭の一本道、トラックが走っている。乗っているにはヨナタン。カーブを過ぎたところで突然目の前にラクダがいてハンドルを切り損なった車は道の下へ落ちて横転してしまう。そして映画が終わる。

 

余分な描写や台詞を極力カットし、映像のみで語る演出が素晴らしい一本で、クオリティの高さを感じる作品でした。

 

映画感想「クレイジー・リッチ!」「かごの中の瞳」

クレイジー・リッチ!

豪華絢爛、何も考えずに一昔前のシンデレラストーリーに酔いしれる作品。やはりこういうのはアメリカが舞台ではとても描けない東洋的な世界ですね。楽しかったです。監督はジョン・M・チュウ。東洋人のみを使ったハリウッド映画である。

 

時は1985年、ある会員制のホテルの東洋人らしい家族がやってくる。予約をしていたはずがフロントで、すげなく断られ、その家族を率いていた年配の女性はあるところに電話をして戻ってくると、このホテルのオーナーの老人が彼女たちを迎え、彼女はこれからこのホテルのオーナーになる人物だと従業員に告げる。彼女の名はエレノア・ヤン、かつて祖父らがシンガポールをジャングルから現代の観光大国にした立役者の一族である。こうして映画が始まる。

 

時は現代、ニューヨークの大学で経済学を教える教授、彼女の名はレイチェル。彼女はここで知り合った東洋人の青年ニックにシンガポールの親友の結婚式に呼ばれたので一緒に行って家族にあってほしいと誘う。その場にいた一人の女性がその現場を携帯で写真に撮りSNSへ投稿。なんとこのニックこそ、ヤン一族の御曹司であった。

 

そんなこととは知らないレイチェルは、軽い旅行のつもりでニックと飛行機に乗ろうとするが、案内されたのはファーストクラス。しかもレイチェルは現地に着いて、友達から、ニックはシンガポールの不動産王の一族の息子だと知らされる。

 

当然ながら、レイチェルは、ニックの母エレノアを含め、周りの人々から蔑んだ視線を浴びることになる。度肝を抜くパーティの連続に圧倒されていくレイチェル。彼女への嫌がらせも行われ、次第に気持ちは荒んでくるが、唯一、祖母が彼女を気に入ってくれる。

 

しかし親友の結婚式の後のパーティで、エレノアがレイチェルを調べた結果を突きつけられ、レイチェルも知らなかった父の真実を知るに及んで、ニックの祖母の信頼さえもなくす。

 

意気消沈するレイチェルにニックはプロポーズするが、レイチェルは断る。そしてエレノアを麻雀の場に呼んだレイチェルは、自分のしっかりとした決意を告げて別れる。

 

そして、レイチェルは迎えにきた母と一緒にニューヨークに帰る飛行機に乗る。ところが彼女を追いかけてきたニックは飛行機の中で再度プロポーズ。指輪も、最初のものとは違うものだった。今度は承諾したレイチェル。ハッピーエンドのラストシーン。

 

ほんとうにシンプルでオーソドックスな物語ですが、展開される場面が破格のセレブ世界。当たり前のように豪華絢爛たる演出の数々に魅入ってしまいます。まさに夢物語ですが、こういう吹っ切れたエンターテインメントは見ていて気持ちはいいですね。楽しい映画でした。

 

「かごの中の瞳」

心理サスペンスなので、たんたんと物語が進むのはわかるのですが、前半の前置きがちょっと長い。前半をもう少しコンパクトにまとめて中盤から後半の見せ場をもっと工夫する時間を持てたら一級品に仕上がったように思います。正直前半は退屈だった。監督はマーク・フォースター

 

仲の良いジェームズとジーナの夫婦の愛の営みから映画が始まる。ジーナは子供の頃の事故で目が見えなくなっていた。そんな妻を献身的に愛するジェームズ。二人の関係はベストだったが、ジェームズはそろそろ子供が欲しいと思っていた。

 

ある時、眼科で検診を受けたジーナに、医師は、右目は角膜など移植すれば見えるようになると診断する。なんでいまになってということは別として、微かな希望を持つ夫婦。そして間も無くして角膜移植ができるチャンスが来る。そして手術。術後ジーナの右目の視力は回復、与えられた点眼薬を欠かさないようにという指示のもと生活に戻る。

 

ところが、視力が回復すると、ジーナは今までと打って変わって積極的な行動をとるようになる。髪の毛を金髪に染め、服装も派手になり、行動的になる。目の見えない頃から通っていたプールで声を掛け合うダニエルという男性に興味を覚えるジーナ。

 

ジェームズがいかにも真面目で普通すぎることに何処と無く不満を持ち始めるジーナ。そんな姿の妻に嫉妬を覚え始めるジェームズ。一方、子供を望むジェームズは密かに精子の検査を受け、医師から、子供を授かることは難しいと告げられていた。

 

ジーナは、新しい家に引っ越したいと言いだし、勝手に家を見に行ったりする。そんなジーナにますます不安を感じたジェームズ。ある時、ジーナの目薬をじっと見たりするカットが入り、ジェームズが何か細工したのではないかと思う。そして、ジーナの目にも異常が出始め、目薬を検査に出し、サンプルとして別の目薬を与えられる。

 

ある時、公園で犬を散歩しているダニエルと出会う。そして、ほどなくして、ジーナが飼っていた犬が公園で具合が悪くなり、ダニエルの家で休ませてもらう。その帰り、ダニエルはジーナにキスをする。

 

検査していた目薬は異常があったと医師に告げられ、一方でジーナは妊娠。そんなおり、アパートに泥棒が入り、そのドタバタの中飼い犬が行方不明に。そして犬を探している中で、ジェームズは公園でダニエルに会う。そして、ジェームズは完全にジーナを信じられなくなってしまう。

 

ジーナは近所の少女とギターの練習をしていて、発表会が迫っていた。その発表の日、一通の手紙をジーナは見つける。そこには、犬の写真と今あえて知らせてなかったことが書かれていた。

 

発表会に行く前にその手紙を拾ったジェームズは、ジーナの自分への愛が失われたと失意の中会場へ。しかしジーナの歌の歌詞は、いつも思っているにはあなただけというものだった。

 

自分の不甲斐なさに自暴自棄になり飛び出したジェームズは車を猛スピードで走らせ事故を起こす。おそらく死んだのだろう。次のカットでジーナが子供を出産して映画が終わる。

 

果たして、ジェームズは点眼薬を細工したのか?果たしてジーナはダニエルとSEXしたのか?ジーナの産んだ子供はダニエルとの子供なのか?ジェームズとの子供でもありえる。そのどれも明確な描写がない。ただ、映画の原題が「ALL I SEE IS YOU」である。私が見ていた全てはあなたということなのです。

 

ジェームズは、自分を愛してくれていたジーナに疑心暗鬼になった自分が辛くて自殺的なことをしたのではないかと思うのです。ラストの手紙の内容がはっきり理解できなかったのですが、こういうことかと。

 

もう一つの解釈は、ジーナは目が見えるようになって、ジェームズが思いの外つまらない男だったので、ダニエルとの子供を授かり、したたかに抱き上げる悪女として終わる。という理解ですが、これはさすがにいただけませんね。

 

前者の解釈でいいと思うのですが、もし違っていたら是非コメントください。

 

作品自体は普通の仕上がりだったように思いますが、ある意味、しっかり作ろうという姿勢が見える好感な映画だったと思います。

映画感想「散り椿」「1987、ある闘いの真実」

散り椿

監督は木村大作なのだが、これだけのビックネームになれば、日本映画を牽引してくれるほどの傑作を期待するのですが、これで3本目ながらびっくりするような出来栄えの映画は見られなかった。たしかにクオリティは並もレベルを超えているが、引き込まれるほどではない。おそらく周りのスタッフも口を出せないのか、やや甘い演出になっている場面が所々に見られる。それに、映画全体にリズムが作り出せていないし、登場人物に心の変化が見られない。だから胸に訴えかけてこないのです。たしかに絵は美しいが、構図は平凡だし、唯一岡田准一の殺陣だけが目立ちすぎるほど目立っっている。

 

藩の不正を訴え、藩を追われた瓜生新兵衛が戻ってくるところから映画が始まる。最愛の妻篠の死ぬ直前の望みで、かつて四天王と言われ、一人藩の不正をたださんと残っている盟友榊原采女を守るためである。ところが、帰り道、刺客に狙われる。

 

やがて、采女の元を訪ね、かつての盟友平山の子息十五郎の道場に身を寄せた新兵衛は、間も無く戻ってくる政家とともに藩を立て直すべく、未だ正されていない石田玄蕃と商人田中屋惣兵衛との癒着を糾弾するため動き始める。

 

当然ながら石田からの圧力がかかり、追い詰められて行く采女と新兵衛だが、惣兵衛のもつ石田ら重臣が私服を肥やすきっかけになった証文を手に入れ、それを政家に届けて最後の決戦に臨む。

 

しかし、采女はあっけなく弓矢の倒れ、新兵衛は最後に石田を討って、政家の元、藩政立て直しの糸口を作る。そして、妻篠の弔いのため一人旅立って映画終わる。

 

淡々とストーリーが進むが、淡々というより平坦に流れているようにしか見えない。しかも、意を決してきた新兵衛の心の機微も采女と新兵衛と篠のプラトニックな純愛の艶やかさも見えない。篠の妹里美の切なさも言葉の上だけにとどまっているようで物足りない。

 

最初にも言いましたが、ソコソコのクオリティなのですがもっとハイレベルなものが見たいのです。数々の名匠に支えてきた木村大作なのだからという期待に応えて欲しかった。

 

1987、ある闘いの真実

実話を基にしたフィクションとはいえ、かなり見応えのある作品でした。第一に物語の構成が実によくできています。主になる人物を絶妙に変遷させながらストーリーを先に進めて行く展開が見事。監督はチャン・ジュナン

 

全斗煥大統領の元、韓国軍事独裁政権時代、北分子を徹底的に排除しようとする南営洞警察ではパク所長の元厳しい捜査が続いていた。そんなある時、一人の容疑者として捕まえたソウル大学生が拷問の末死んでしまう。慌てた刑事たちが医者を呼び、パク所長に連絡するところから映画が始まる。

 

医師がやってきたが時すでに遅く、隠蔽のため火葬するようにという指示が出る。刑事たちはチェ検事のもとに火葬許可の印をもらいに行くが、不審に思ったチェ検事は拒否。そこで様々な上層部から圧力がかかり始める。とうとうチェ検事は印を押すが、遺体保護命令の一文を追加、翌朝、解剖することになる。

 

このオープニングから錯綜し始める上層部、大統領府の右往左往がまず面白い。そして軽く処理するはずが、様々なところからほころびが出て事態はどんどん大きくなる。

 

新聞記者に情報が流れ、手を下した下っ端刑事に罪を着せて収束させようとしたら、刑務所内にも情報を集めるメンバーがいて外部に漏れ、さらに学生たちにも広がり、最後は大規模なデモになってしまう。

 

その中心の展開の脇に、関わった人たちのドラマを埋め込み、サスペンスを盛り上げる一方で人間ドラマとしてもしっかり描いて行く構成が実にうまい。そして、必死で圧力をかけ、暴力で押さえつけようとするパク所長ら上層部も、次第に収拾がつかなくなり、とうとう、大統領命令で逮捕収監されてしまうクライマックスはもう、圧倒されてしまう。

 

そして、登場した人物のその後が描かれ、犠牲になった人たちの追悼式の場面で映画が終わる。映画としても、娯楽性を盛り込んだ作りが、非常によくできているので、人物関係などよくわからなくなっても、絵で見せてくるから、その辺りの完成度も素晴らしい。韓国映画独特の暗さはあるのですが見応えのある一本でした。

 

映画感想「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」「太陽の塔」

マイライフ・アズ・ア・ドッグ

まるで童話のようなファンタジックなヒューマンストーリーという感じの一本。午前10時の映画祭で見ることができました。監督はラッセ・ハルストレム

 

主人公イングラムが浜辺で母親と戯れていて、そのままタイトル。母と兄と暮らす主人公イングラムは、どこか失敗ばかりで周りを困らせる。母親は病気がちのようで、ベッドに臥せっている。子供達がトラブルばかり起こすので、母の精神状態に良くないからと田舎の叔父の家でしばらく暮らすことになる。

 

叔父の田舎では、屋根ばかり直している男や、綱渡りする男、ガラス職人の工場、女の子なのに男の子のふりをする少女フランク、子供達だけのボクシング場、宇宙船に見立てた壊れたケーブルカーとか不思議なものがいっぱい。その中で暮らすイングラムは時々、残して来た愛犬のことが気にかかり、時折星空を眺めては宇宙船の実験に乗せられ死んでしまった実験犬のことを呟いている。

 

そして、また家に帰るが、母親は間も無くして危篤に、そして冬の田舎にまたやってくると、少女はすっかり女の子になっていて、イングラムに好意を持っていたので、部屋に誘う。ラジオからボクシングの世界選手権のニュースが流れてくる。試合はイングラムとフランクという選手の戦いが流れてくる。

 

これまでのことが現実なのか夢物語なのか、まるで全てが寓話であったかのようなラストの処理が素晴らしい。

 

昔々あるところにで始まってもおかしくないような不思議な空気感のある作品でした。

 

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」

もっと爽快な映画かと思っていたが、意外に暗い陰湿さが漂う作品でした。タイというお国柄でしょうか、宣伝とうって変わった物語にちょっと嫌な感じになってしまいました。監督はナタウット・プーンピリヤ

 

主人公リンが何やら尋問を受けている場面から映画が始まる。どうやらカンニング疑惑が起こったらしく、リンを含め何人かへの質問シーンが続く。リンが、私の成績を見れば、人の回答を見る必要などないことがわかると大見得を切って、彼女の中学時代の成績へ。

 

天才的な頭脳を持ち、有名高校から、ぜひ来て欲しいと父と二人呼び出される。しかも、最初は授業料もいるかに説明されたが、リンに費用のことを追及され、全て無料に、昼食代まで持つということで転校することになる。そこで、金持ちのグレースという同級生と出会う。

 

リンの家庭は父がしがない教師でどちらかというと貧乏。ある時、グレースから、試験の回答をカンニングさせて欲しいと言われ、お金を提示されるがリンは一旦は拒否するものの、消しゴムに回答を書いて靴に入れて後ろの席のグレースに送ってやる。

 

それに味を占めたグレースは、リンを友達パットに紹介。パットも金持ちで、自分を含め数人のテストを助けて欲しいと依頼、法外な報酬を提示する。リンは、最初は乗り気でなかったが、授業料以外に諸々の費用が必要だと知り、請け負う。

 

ピアノの運指を使ってマークシートの記号を伝えるというアイデアで次々とお金を得て行くが、ここに、自宅がクリーニング店で母と二人暮らしの貧乏なバンクという同級生が登場。彼もまたリンと同じく天才的な頭脳を持っていた。そしてリンたちがしていることを知り、先生に告げ口、そのせいでリンの奨学金や海外留学の資格が取り消されてしまう。

 

ここに来て、グレースたちは、アメリカの大学を受ける資格を得る試験に挑戦せざるを得なくなり、そのことをリンに相談。リンは、一旦断るも、その試験が世界同時実施ということから時差を使えば可能と判断、その法外な報酬もあり、請け負う。ただし、そのためには回答を覚えるのにもう一人必要だからとバンクを選ぼうとする。

 

バンクは留学資格の試験があるからと断るが、なぜか仕事の途中で、チンピラにいちゃモンをつけられ、試験に行けなくなる。そこで、報酬を提示した上でリンの計画に参加する。実はこのチンピラはパットが雇ったものだったことが後でわかる。

 

バンクとリンがシドニーの試験場へ向かい、そこで実際に試験を受け、回答を覚え、休み時間にトイレに隠した携帯からグレースに送る。グレースはそれをバーコードに変えて鉛筆に印刷し、お客となった学生に届けるというもの。

 

バンクとリンが会場で順調に行くかと思いきや、当然トラブルが出始め、とうとうバンクは捕まり、リンも疑われ、機転で体調を崩したふりをして会場を脱出。覚えた回答を打ちながら逃げる。

 

グレースの側にもいくつかのトラブルが出るも、なんとか届けて、無事試験はパス。帰って来たリンを歓迎会に誘うがバンクが捕まったのにそんな気になれないと断る。

 

そして、バンクに呼び出され、バンクの店に行くと、バンクはどうせ貧乏なのだから荒稼ぎしようと別の国際試験のカンニングプランを提案。リンは拒否して、全てを打ち明けることを決意し、父と、その機関へやってきて映画が終わる。

 

もっと割り切って様々なカンニング手法で見せるエンターテインメントかと思っていたが、金持ちと貧乏人の対比、やたらお金が絡むストーリー展開、そして、リンが中途半端に正義感がある上に、バンクもまた同様にどこか割り切れないキャラクターというのがどうもいけない。

 

さらに、やたらスローモーションを多用した絵作りがいかにも陳腐で、だらけてしまうのも残念。アイデアはなかなかのものだし、作りようによっては、伝えたいメッセージもしっかり描写できて面白い映画になった気がします。もう一息という一本でした。

 

太陽の塔

本来ドキュメントは見ませんが、さすがにこの題材は私のような年代には、思い入れも強く、見に行きました。

 

まぁ、映画としては普通でしょうか。岡本太郎が作った太陽の塔について様々な知識人や芸術家が意見を述べる様をひたすら描いていく。しかし、そこに、自己主張をはっきり出せない弱さがあるのは、やはり岡本太郎というビッグネームに対する畏怖でしょうか。

 

さらに、福島原発の部分に触れるという平凡な展開も陳腐。途中何度も眠くなってしまいました。

 

もっと、太陽の塔についての具体的な考察を絵を交えて描いて欲しかったです。