くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」「ギャングース」

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

ハリー・ポッターにはじまるこのシリーズは面白くないわけではないが、流石にもう魔法の世界も珍しくなくなったので新鮮味がない。しかも物語がシンプルなのに、関係が複雑になってくると、私の頭ではついていけなくなって、もうちょっと整理が欲しいなという感じの一本でした。監督はデビッド・イェーツ。

 

強大な魔法使いグリンデルバルドが逃げ出すところから物語が始まる。あそこまで拘束していたのに、あっさり逃げられるのは如何なものかと思うが、それほど強いということだが、最後までそのカリスマ性が弱いのがこの作品の最大の欠点かもしれない。

 

ダンブルドアから特命を受けたニュートは仲間の魔法動物達とグリンデルバルドの行方を追ってパリにやってくる。物語は彼らに関わった様々な人物の過去の因縁を横軸にして、クライマックス、グリンデルバルドに賛同する魔法使い達は、彼の仲間となり、対するニュート達はこれからの戦いを予想して映画が終わる。

 

今時珍しくもないCGによる魔法の造形の様々もそれほど目新しくもなく、キャラクターの系図の面白さは、こういう物好きのファンにはたまらない組み立てになっているかもしれないけれど、まぁ、平凡な一本という感じの娯楽映画でした。

 

ギャングース

小品ですがちょっとした映画でした、以前から監督の入江悠は、結構好きな監督なのですが、期待通りの出来栄えになっていたのは良かった。

 

少年院で仲良くなったサイケ、カズキ、タケオが田舎の組事務所を見張っているシーンから映画が始まる。事務所の当番がちょっと外出した隙にその事務所に押し入って金庫を持ち出す。この三人は、犯罪者の上がりの金を奪うタタキという仕事をしていた。

 

持ち帰った金庫を壊してみるが、ほとんど金がない。失敗した三人は次のターゲット、工事現場から工具を盗んでは売りさばいている倉庫を発見、まんまと品物を奪うが、そこで一人の少女ヒカリを拾ってしまい、その子の医療費などで上がりはほとんどなくなる。ヒカリの登場で三人の過去をさりげなく描写する展開は実にうまい。

 

ところがたまたま、最初に奪ったものの中にSDカードを見つけ、振り込め詐欺の組織を見つける。そしてまんまと金を手に入れる。そして味をしめた三人は次々と荒稼ぎし、3,000万貯めて身分証を作ろうと目標を持って動くが、たまたま寄ったカラオケ店で、かつて少年院で虐待されていたチンピラと再会してしまい、アジトを見つけられ金を奪われた挙句、毎月一人五十万の金を持ってくるよう言われる。

 

切れた三人は、彼らの上部組織をタタキのターゲットにしようと考えるが、そこは安達というトップが牛耳る日本でも有数の組織で、とてもチンピラ風情に太刀打ちできそうになかった。

 

しかしたまたま手に入った情報から、安達らが密輸した品物の取引を知り、途中で、安達の金をタタキする計画を練る。そして、まんまと手に入れたかに思ったが、実は安達の番頭の加藤が裏切り、金を自分のものにして海外に出るつもりだった。成田に向かった三人はそこで、加藤に追いついた上安達にも遭遇、あとをつけて、安達が加藤をリンチしている現場に行き、金を奪った上で安達を痛めつける。

 

三人に協力してきた川合が警察を呼ぶ一方で、三人が金を持ってまんまと逃げるが、なんとトランクに積んだ金はトランクが開いて舞い上がっていた。

 

ほとんどの金をなくした三人は牛丼屋で牛丼を食べているシーンからカメラはゆっくり街の外に出て映画が終わる。

 

失敗から始まって、タタキに成功し、さらに前に進んでいく展開が実にバイタリティ満点に展開していく作品で、二転三転するストーリー展開も鮮やか。三人のキャラクター描写も面白いし、さりげない伏線を丁寧になぞる脚本のうまさも評価できます。傑作とまでいかないけれど、心地良い佳作という感じの映画でした。

映画感想「ハード・コア」「イット・カムズ・アット・ナイト」

「ハード・コア」

原作がシュールなのだろう。なんとも言えないつかみ所のない仕上がりになっている作品でした。うまく作れば、抜きん出た映画になったかもしれませんが、いまひとつ昇華仕切れていない感じです。役者それぞれが掴み切れていないように見えますが、主演の山田孝之がプロデューサーも兼ねてるのでファンなのでしょう。監督は山下敦弘

 

主人公右近の後ろ姿から映画が始まる。とあるバーに入り、一人の大人の女と軽い会話を交わし、入ってきた若者と喧嘩をして酔いつぶれる。彼を迎えにきたのは弟で、商社マンの左近。

 

右近は牛山というほとんど喋らない男と一緒に右翼の金城という男の元で埋蔵金を掘る仕事をしている。牛山は化学工場の廃工場に住んでいるが、そこで一体のブサイクなロボットを見つける。そのロボットをロボ夫と名付ける。ロボ夫は、命令のままに穴掘りを始める。

 

ある時右近のところにきた左近はそのロボットを見て、最先端の近未来レベルのロボットだと説明する。そして、このロボットで、埋蔵金を発見してしまう。

 

一方、金城の側近の水沼が、右近に、会長が人殺しをしたからその死体を廃工場に隠すように指示する。また、左近の提案で埋蔵金を現金に換えるべく、チャイナマフィアの元に左近一人で出かけるが、消息が分からなくなり、右近はてっきり死んだと思ってしまう。

 

水沼から手榴弾などの火器を預かった右近だが、突然機動隊に囲まれる。金城は水沼に殺されていて、その罪を右近らに着せたのだ。そこでロボ夫は二人を抱きかかえ空に飛び去り、爆発したようなカットで一旦完。

 

しかし、左近は生きていて金を持って戻ってくるが、廃工場に誰もいない。シーンが変わり、どこかの島で、女性の出産に立ち会う右近と牛山のシーン。二人が海岸で座っている傍にガラクタになったロボ夫が横たわり映画が終わる。ウーン、シュールだ。しかし、何かうまく噛み合っていない感じで、どう感じていいのかわからない映画だった。

 

ロボットが最先端である説明はあるが、結局その活躍も詳細もなく、牛山のことを調べに来る探偵も出てくるが、さらっと流す。全体にキャラクターの描き方が適当なのは原作通りなのか原作が奥が深すぎて描ききれなかったか、どうにも掴めない映画でした。

 

イット・カムズ・アット・ナイト

なんだこれはというホラー映画でした。結局どれもこれも説明もないまま、といっても、何かの伏線も見えないまま、どうしようもなくなってとりあえず終わった。あっけにとられてしまいました。監督はトレイ・エドワード・シュルツ。

 

一人の老人のカット。なにやら病気のようで体に兆候が見られる。義理の息子のポールと妻サラ、息子のトラヴィスが老人を包んで、家の外に運び、殺して焼いてしまう。どうやら何かのウイルスが蔓延してるらしく、マスクをしている。家には絶対夜開けてはいけない赤い扉がある。

 

ある夜、物音がするとトラヴィスが両親を起こし、一階に行くと、一人の男ウィルがいた。まず、拘束して家の外に一晩おいたのち、詳細を聞くと、家族が離れたところにいるという。食料を持参するので一緒に住みたいと言い、ポール達も賛成、絶対赤い扉を開けない等の取り決めを守ることを条件に生活を始める。

 

ところがある晩、赤い扉が開いているとトラヴィスが言い、二つの家族は別の部屋に分かれる。しかも、ウィルらの息子が病気らしいとトラヴィスが両親に言ったこと、さらにウィルらが出て行くらしいということで、ポールは家族を守るためにウィルらを銃で脅す。そして結局、ウィルらを殺してしまうが、トラヴィスに病気の兆候が表れていた。ポールとサラが向かい合いテーブルのカットで映画は終わる。

 

つまりどういうこと?というエンディング。つまり、あの赤い扉の意味も、ウィルスなのか、ほかの何かなのかわからずじまい。つまり疑心暗鬼を生み出す病原体ということなのだろうか。怖がらせ方も特に普通だし、アイデアの斬新さも見られなかった。全然物足りない作品でした。

映画感想「母さんがどんなに僕を嫌いでも」「鈴木家の嘘」

「母さんがどんなに僕を嫌いでも」

思っていたより良かった。単純な虐待映画かと思っていたのに、冒頭からどんどんはぐらかされて、どんどんお話に味が加わってきて、最後はほんのりと感動してしまいました。監督は御法川修

 

主人公タイジが母の料理を真似て混ぜご飯を作っているシーンから映画が始まる。物語はそのまま彼の少年時代へ。

 

小学校の頃タイジはポッチャリとした男の子だった。学校ではいじめられたが、優しくて綺麗な母が大好きだった。こうして彼の少年時代が語られ始めるが、実は彼の母は、外ではいい顔だが家に入ると、子供達には必要以上に厳しく、また父親もそんな母に愛想をつかしたかのように遊びまわっていた。とどん物語はその本筋へ流れて行く。

 

そんなタイジが慕うのは、父の工場で昔から働いている婆ちゃんと呼ぶ女の人だった。と、物語はこのお婆ちゃんと少年時代のタイジの話へ。

 

一方、現在のタイジはふと立ち寄った劇団の稽古場で、いかにもいけ好かないキミツと知り合う。このキミツのキャラクターが実にいいのだ。さらに会社の同僚のカナとその彼氏大将とも親しくなり、何かにつけ一緒につるむようになる。この展開も素敵。

 

少年時代、母に疎まれ、施設に放り込まれたり、殴られたりするタイジ。そんな彼を思う婆ちゃん。そして17歳で家出をして物語は現代が中心になる。

 

タイジに久しぶりに母から電話が入り、再婚した夫がなくなったのできて欲しいという。仕方なく出かけたタイジを、適当にあしらうが、一方婆ちゃんも亡くなり、その弟から、タイジはお母さんが好きなんだからと諭される。

 

タイジの母は夫の借金を背負っていて、自己破産を進めるタイジにも反発してくる。しかし、母を変えるには自分が変わらないといけないと言われたタイジは、献身的に母に接して、とうとう母の心を開く。

 

高血圧で倒れ、回復した母は自己破産を受け入れ、タイジの進める小料理店開店に意欲を見せ、二人で歩いていく。

冒頭のシーンになる。母は亡くなり、キミツ達と混ぜご飯パーティをすりシーンでエンディング。

 

タイジとキミツらとの友情ドラマも物語に膨らみをもたらすし、単純な虐待ドラマではなく、さりげないところに張り巡らされた小さなエピソードの積み重ねがとってもいい。いつの間にかラストまで目が話せないほどに入り込んでしまいました。いい映画でした。

 

「鈴木家の嘘」

なんともゆるい映画だった。脇のキャラクターもいまひとつ弱いし、ドラマの配分もやたらくどい。前半のコミカルな展開がやたら陰気に変わるかと思いきや、しつこく訴えかける終盤まで長い。もっとコンパクトに仕上げる物語だと思います。監督は野尻克己

 

一人の引きこもりの若者が部屋を片付け、首を吊るシーンから映画が始まる。一階では彼の母親が料理を作っていて、二階へ呼びに上がり息子の死体を見つける。しばらくして、妹が帰ってきて、警察が来てと物語は幕を開ける。

 

母の悠子は、気を失っており、病院へ担ぎ込まれるが意識が戻らない。そんな中、死んだ浩一の四十九日が明ける頃、目を醒ます。ところが、浩一が死んだことの記憶がないことがわかり、とりあえず、父幸夫の弟博の会社に入りアルゼンチンに行っていると嘘をつく。

 

このままコミカルに進むのかと思っていたら、それは一瞬だけで、次の展開へ。浩一は保険に入っていて、イブというソープの風俗嬢が受取人になっていて、幸夫が足しげく通うが、慣れないことで、コミカルに演出されているのだが、テンポが悪くグダグダ。

 

一方、妹の富美は、肉親を失った遺族の会などに出席するくだりもあるが、いまひとつ、なんのためのエピソード?というレベルの描写で終わる。

 

そして、博は突然結婚することになりそのパーティで、どさくさの中悠子の記憶が戻り、さらに陰気な展開へ。

 

悠子が引きこもりになる展開から、やがて家族が立ち直り、引っ越して行って映画が終わる。なんとも言えないまとまりのない映画である。

映画感想「アウト&アウト」「私は貝になりたい」(1959年版)

「アウト&アウト」

なんでもありのVシネテイストの映画ですが、軽いノリの連続で結構楽しめました。監督は原作者でもある木内一裕。

 

一人の若者池上が拳銃を手に入れるためにやくざ者らしい男達と会うシーンから映画が始まる。やくざ者達は、金だけとって逃げようとするが、池上は得意の武術で相手を倒し拳銃を手に入れる。冒頭の彼の強さがこの後ほとんど出てこないのは、ちょっと残念。

 

かつてヤクザの幹部で今は堅気の探偵社をしている矢能の事務所。先代の探偵の娘栞を世話しながら、犯罪一歩手前の仕事をしている。この栞を演じてる女の子がとにかくかわいいので、それだけでこの映画が好きになる。

 

そこに、一本の仕事の依頼の電話が入る。矢能が現地に行くと依頼人は殺されていて、池上がそばにいて、矢能に罪を着せてその場を去る。ところが矢能は、死体保管屋に連絡し、的確にその場を乗り切り、自分に罪を着せにかかった池上らの背後を探り始める。

 

そんな時、依頼人の恋人と名乗る女性が現れ、関係のある鶴丸議員を地獄に落として欲しいと頼む。どうやら鶴丸議員はカンボジアでバス事故に遭い、その時の英雄的な行動で今の地位についたらしいが、実は秘書の巧みな演出があった。

 

ここにいかにも素人役者的な刑事が絡んで、さらに矢能に情報屋や工藤なるいかがわしい男の関係の事件も絡んであれよあれよと二転三転して行く。

 

馬鹿馬鹿しいノリで苦笑いするシーンを繰り返して、ラストは鶴丸議員をまんまと逮捕させて終わります。

 

全編、軽いタッチの素人テイストの作品ですが、バカバカしさを娯楽に変えた脚本や演出の面白さだけでも評価したい一本です。

 

私は貝になりたい」(1959年版)

傑作テレビドラマの映画版で、原作者本人は脚本、監督をした名作。物語の配分が実にいいですが、単純なドラマティックさを考えるとリメイク版の方が素直に感動します。監督は橋本忍

 

高知で理髪店を営み豊松の陽気なシーンから映画が始まる。近所の若者が徴兵されると聞いて見送りに行くが、間も無くして自分の出兵となる。そして、上官の命令で捕虜のアメリカ人を突き殺す命令を受ける。

 

間も無くして戦争も終わり帰ってきた豊松だが、突然MPが現れ、戦犯として逮捕され巣鴨に送られる。訳も分からないままに裁判を受け、絞首刑が言い渡される。

 

物語は、房での日々を中心に人間ドラマが展開する。そして、講和条約も近づき、残った全員は無罪釈放らしいという噂が流れる中、誰もの顔に希望が見え始めた頃、豊松の刑が執行される。

 

最後に手紙の中で、生まれ変わるなら、こんな人間は嫌だ、貝になりたいと綴る。反戦メッセージを前面に出した作品で、橋本忍らしいストーリー展開は見事。

映画感想「生きとし生けるもの」「南の風と波」「コタンの口笛」

「生きとし生けるもの」

とっかかりの話がどんどん膨らんで収拾がつかなくなって、ラストは笠智衆の演説で全て終わらせる。言いたいことはわかるが、全体がまとまらない。そんな映画でした。監督は西河克己

 

ある会社の賞与の日に映画が幕を開ける。それぞれに配られた賞与だが、一人が一万円足りないという。一方、伊佐早という男の賞与が一万円多いことが家に帰って気づき、慌てて会社に戻るが誰もいない。

 

彼には弟がいて、苦学をしている。月謝が払われていないのを知って、余分な賞与で支払うようにする。しかし罪悪感の消えない伊佐早は経理のあき子に事情を話そうと呼び出すが、告白と勘違いし、そのまま二人は付き合うようになる。

 

そんな一方会社の社長の息子夏樹は、父の計画である会社の社長として赴任することになり、あき子を秘書にする。そしてあき子に結婚を申し込む。

 

話がどんどん膨らむところへ、北海道の鉱山でストが起こり、そこへ駆けつけ、物語はクライマックスへ。

 

なぜか、いにしえから周作らの幼き日を知る笠智衆が延々と貧富の問題を語って、伊佐早はあき子に、一万円のことについてちゃんと自分の気が済んで一人前になったら、もう一度あなたの前に現れると行って映画が終わる。まぁ、無理やりラストシーンというエンディングでした。

 

南の風と波

ある漁村に住む人々の生活を描写する前半、そして、一隻の船が遭難し、村の若者たちが一瞬で死んだことからくるそれぞれに関わる人たちの人間模様が描かれて行く。橋本忍のタッチというより中島丈博の色が出た脚本で、なかなかしっかりした一本でした。監督は橋本忍

 

物語は、ある漁村、一隻の船が帰ってくるところから映画が始まる。その船の所有者栄吉とその妻富子は仲が良く、なんのこともなくその日が過ぎ、間も無くしてまた出航して行く。

 

鉄くずを売りさばくと金儲けになるらしいと大阪に向けて出て行くが、そのまま帰らなくなる。その船にいつも乗り込む若者や、初めて船に乗る少年、彼らが一瞬でいなくなり、残された家族たちの苦しむ姿から、やがて、明日に向かって行く姿で映画が終わる。

 

一つ一つのドラマがしっかりしているために、全体が非常にまとまった作品で、女の自立する姿を捉えた時代色も見事。作品としては良質の一本でした。

 

「コタンの口笛」

北海道のとある村を舞台に、アイヌ民族への差別物語を延々と描く。監督は成瀬巳喜男ですが、異質な一本でした。

 

アイヌ人のマサとユタカが中学校へ行く場面から映画が始まるが、いきなり同級生からの差別的な態度を取られる。

 

何かにつけて、悪者扱いされるマサ達だが、父親達はそういう境遇に耐え忍び受け入れるようになってきている。

 

物語は、マサとユタカの日常の中で描かれるアイヌ人への差別を繰り返し繰り返し、さまざまなエピソードで描いて行く流れになる。

 

正直くどいほどに繰り返されるワンパターンに近い物語と、出てくるキャラクターがエピソードの後消えてしまうままの作劇が少々おかしいように思いますが、最後の最後はマサ達の父親も死んでしまい、村を出ることになって映画が終わるという悲惨な結末である。

 

成瀬巳喜男作品とは思えない空気感の映画で、レアな作品であることはわかりますし、今、再三公開することは躊躇される映画だと思う一本でした。

映画感想「銃」「ア・ゴースト・ストーリー」

「銃」

なんとも病んでる映画。何を意図してるかわからないモノクロ映像と何を意図してるかわからない主人公の学生設定、などなど、まとまらない映画だった。監督は武正晴

 

大学生のトオルは、ある時、殺人現場に遭遇し、拳銃を拾う。雨の降るカットから映画が幕を開ける。時に、独り言のような言葉が行き交いながら交錯する映像が独特で面白いのだが、今ひとつ、何かに向かっていかない。

 

トオルの友人は女とすることばかり考えている。トオルの前に一人のユウコという女性が現れる。トオルは拳銃を持っていることで、何か自分に変化が起きたような気もするが、その実感が湧くようで湧き切らない。

 

刑事が訪ねてきて、拳銃所持を疑われるが、適当にはぐらかすと、そのあとラストまで登場せず。公園で猫を拳銃で撃つが、そんな無謀なこといくら学生でも今時やらない。

 

拳銃を捨て、その帰り、電車の中で居眠りして見た夢は、マナーの悪い乗客を拳銃で撃ち殺す夢?いやどちらが現実?そのシーンのみカラーになって、なるほどそうしたかったのねとは思うものの、こちらに訴えかけてくる何かも面白さも何もない。という映画だった。

 

「ア・ゴースト・ストーリー」

全編ファンタジー。リアルな物語はなく、すべて心象風景で、音楽に乗せて映像が展開する様は美しいが、さすがにしんどい。映像に美がないからかもしれない。監督はデビッド・ロウリー。

 

とある夫婦。特になんの変哲もなく、ある夜、室内で物音がするので、侵入者でもあるのかと夫婦は室内を調べるも何もなく、そのままベッドへ。この場面は終盤、物音の原因がゴーストであるというカットがかぶる。

 

そしてカメラはゆっくりと夫婦の家を捉え回転すると、車の事故のカット。車の中には夫が乗っていて、病院の死体安置室。妻がシーツをかけてそに部屋を出るが、突然シーツを被ったまま、夫が起き上がり病院を出る。

 

自宅に現れ、妻のその後を見守るゴースト。ふと隣を見ると同じようにシーツを被ったゴーストがいて、話しかけると、誰かを待っているが、誰を待っているかわからないという。

 

夫の死で失意の妻。やがて支える男性が現れ、嫉妬で思わずほんを落としたりするゴースト。時が流れ、家が取り壊される。時が戻り、二人の過去の夫婦生活がゴーストの前に蘇る。そして、一人になった妻は、がらんとなった家を出ようとする。柱の隙間に何かのメモをはさんであり、それをゴーストが読んだ途端シーツが崩れて夫の霊は旅立ってエンディング。

 

流麗なカメラと音楽の奏でる詩編のようなファンタジーで、どこか切ない物語ですが、最後まで惹きつけるほどの魅力はなかったように思います。悪い映画ではないのですが、個人的にはしんどかった。

 

映画感想「人魚の眠る家」「ボーダーライン ソルジャーズ・デイ」

人魚の眠る家

原作を先に読んでいたのですが、映画としては真面目にいい作品に仕上がっていたと思います。長回しのスローなテンポとクライマックスの畳み掛けはうまくまとまっていた感じですが、もうちょっと冒険してもよかったのではないかなという物足りなさはありました。監督は堤幸彦

 

少年たちがボールで遊んでいて、ある家に飛び込む。一人の少年が庭に入って行くと、一人の少女が車椅子に眠ったように座っている。原作と全く同じオープニング。

 

そして、播磨家ののどかな日常が、延々と長回しで室内に入っていくカメラワークで描かれて映画が始まります。主人の播磨和昌はは介護器具の最先端の技術を開発する会社の2代目社長で、娘と息子、妻がいる普通の家庭である。ただ、ふとした浮気から離婚の危機に陥っていた。

 

この日、子供たちは妻薫子の妹親子と母親と一緒にプールに出かけた。和昌は薫子に言われ、娘のお受験の面接練習に駆けつけていた。ところがその練習の最中に和昌に電話が入る。娘の瑞穂がプールで事故にあい、意識が戻らないという。駆けつけた和昌たちに医師が告げたのは、瑞穂は脳死状態だということだった。

 

一時は臓器提供を承諾した薫子と和昌だが、一瞬瑞穂が動いたことから、提供を拒否、自宅で介護するようになる。

 

一方、和昌は、会社の介護でたまたま人工呼吸器をつけずに、電気センサーで横隔膜を動かす技術をしり、高額な費用をかけ、瑞穂に装着、さらに、脳の信号を人工的に作り出すことで人間の筋肉を動かす研究をしている星野を自宅に迎え、瑞穂でその研究を進めるようにする。

 

眠っているだけでなく、機械操作ながらも動けるようになった瑞穂を薫子は献身的に介護し始める。時は流れ季節が過ぎ、弟の小学校入学の時期になる。原作ではこの辺りに、瑞穂を教えに来る教師のエピソードと、その教師の名前を騙って心臓移植の募金活動をする薫子にエピソードが入るが、流石に映像ではこの部分は不可能ゆえ、和昌が募金活動に興味を持つという展開に変わっている。ところが、原作ではこの部分がやや間延びするのですが、ここだけ他の場面とテンポが違う。つまり東野圭吾はここにメッセージを入れたのだと思われる。

 

最初から、疑問を抱き続けた薫子の苦悩として、一本のストーリーに仕上げたのを、映像では和昌を介入させ横道に反らせたため、薫子が異常者に見えてしまった。小説と映画の差ゆえ難しいところですが、もう一工夫欲しかったです。

 

一方、弟の生人は学校で、いじめられないように瑞穂は死んでいるとみんなに話し、誕生日に友達を呼ぶように薫子に言われていたが誘わなかったため、薫子に叱責される。そして、和昌や薫子の妹たちの行動に怒りをぶつけ警察を呼び、瑞穂に包丁を振り上げて、この子を殺すのは殺人か否かと問いかける。ここは流石に東野圭吾の素晴らしい創造が生んだ場面だと思う。

 

薫子の妹美晴の娘若葉が、瑞穂が溺れた原因は私にあると告白、それをきっかけに、その場は一段落し、時が経つ。ある夜、薫子の傍に瑞穂が立ち、「お母さん、ありがとう」という。もちろん幻でその直後容態は急変、瑞穂は死んでしまう。

 

和昌たちは今度は臓器提供に同意、エピローグとして、冒頭の少年が心臓移植で生き延び、瑞穂の家を訪ねるがすでに空き地になっている。そして映画は終わる。

 

原作に忠実な展開で、薫子の中盤のエピソードを除いてほとんどそのまま展開していく。映像として昇華しきれなかった感じの出来栄えでちょっと物足りなかったです。

 

「ボーダーライン ソルジャーズ・デイ」

前作がものすごく面白かったので、かなり期待しましたが、どちらかというと普通のアクション映画という出来栄えでした。脚本は変わってないのですが監督が変わったのが大きかったでしょうか。監督はステファノ・ソッリマ

 

テキサスとメキシコの国境地帯、夜間、大勢の密入国者が走る。それを追うヘリのシーンから映画が始まる。一人の男が集団を離れ自爆して死ぬ。一方、あるスーパーで自爆テロが起こりアメリカ政府は、メキシコからの密入国者が犯人と推理し、国境付近で縄張り争いを擦り麻薬カルテルグループ同士の抗争を作り出そうとする。指揮するのはマット。彼は暗殺者アレハンドロと組んで、麻薬組織のボス、レイエスの娘イザベルを誘拐し、敵対する組織の仕業に見せようとする。

 

しかし、娘をメキシコからアメリカに連れて行く途中、メキシコ側からの攻撃にあう。なんとかアレハンドロ一人でイザベラをアメリカに連れ帰ろうとする。しかし、途中で麻薬組織の人間にバレてしまい捕まる。

 

一方アメリカ政府は自爆テロの犯人がアメリカ市民だと判明、メキシコを敵に回すわけにいかないと、作戦の中止を指示してくる。そして、メキシコ警察などと銃撃戦をしたアレハンドロらを抹殺するようにマットに命令する。

 

ところが、アレハンドロとイザベラは捕まった時に、アレハンドロは殺されてしまう。マットらはなんとかイザベラを救出。命令を無視して証人保護で連れ帰る。ところが、アレハンドロは、致命傷ではなくて助かっていた。

 

一年後、かつてアレハンドロを見破った少年の前にアレハンドロが現れ、暗殺者になるかと問いかけていがが終わる。なんとも言えない、適当さも見え隠れする今回の作品。あの前作のワクワクはどこに行ったのかという映画になってました。