くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「少年時代」

「少年時代」

さすがに秀作。妙なヒューマニズムにならない脚本が抜群にいいし、カメラも美しい。戦時中の素朴な一風景を少年たちの姿を通して描くドラマ作りが素晴らしい映画でした。監督は篠田正浩

 

第二次大戦も敗戦の色が濃くなった頃、東京に住む小学五年生の信二は富山へ一人疎開することになる。物語は富山の小学校で、ガキ大将の大原との交流を軸にして、少年たちの葛藤を温かみのある展開で描いて行く。

 

ガキ大将同士の喧嘩や、ささやかな争いごと、さらに都会育ちの信二と大原の友情など、何気ない展開で胸に染み渡るような物語が語られる様は見事です。

 

田舎の景色の美しい構図や色彩演出も美しく、叙情溢れる作品として仕上がっています。ラストシーン、汽車で東京へ戻る信二を大原が手を振る場面は胸が熱くなります。いい映画でした。

映画感想「化石の森」

「化石の森」

どこを取っても力が入りすぎた感じの作品で、何をどう描きたいのかポイントが全体にぼやけた感じです。原作があるので、根本的な話は変えられないのでしょうが、脚本段階で思い切った改編があったほうがよかったと思います。監督は篠田正浩

 

医局に勤める治夫が、学生時代のクラスメート英子と出会うところから物語が始まる。英子の勤め先の社長が酷い男ということで、治夫の研究室で開発中の毒薬を使って殺すことにする。

 

一方、治夫と同居を望む母多津子が執拗に治夫に近づいてくる。そこに医局で患者をもののように扱う教授の行為に反感を持つ治夫は、教授が執刀した子供のことを世話するようになり、子供の母親とも懇ろになってくる。

 

そんな様々な事件が絡みながらどの部分も力の入った演出と演技力のある役者の演技でグイグイと迫ってくるので、結局どれもが共倒れになった。

 

治夫の存在だけが素朴な映画的で、後は芝居がかったインパクトの強い展開が繰り返され、結局ラスト、多津子は願いをかなえて治夫と同居となるし、英子は殺されるしと終わる。

なんとも言えない作品で、これ以上感想にならない感じです。

映画感想「世界の涯ての鼓動」「存在のない子供たち」「ブレス あの波の向こうへ」

「世界の涯ての鼓動」

正直、退屈な映画だった。全体に緩急ができていないのだと思う。出会いで盛り上がる二人の感情が見えないし、その後の死に直面する物語も普通、さらにラストに至っての再度の盛り上がりが甘い。それなりに静かな展開を意識した演出なのだろうが、その中にも波は必要だと思います。監督はヴィム・ヴェンダース

 

物語は、どこかに監禁されているジェームズのカットから始まり、時間は遡る。海辺のホテルでダニーとジェームズは出会う。二人は意気投合し、すぐに愛し合うようになる。ジェームズはMI6の諜報員で間も無くソマリアへ行く予定だった。一方のダニーは生物数学者で、近々深海艇に乗る予定である。

 

それぞれが一歩間違うと死に直面することを覚悟している緊張感もあり、孤独を感じていた。やがて二人はそれぞれの地へと別れていく。

 

しかし間も無くしてダニーはジェームズと連絡がつかなくなる。ジェームズはソマリアに着いた途端監禁され生死をさまよっていた。ダニーはこれから臨む深海艇への恐怖心から孤独感に囚われていく。

 

やがて、ジェームズは組織のリーダーから生かされることを選ばれ、外に出される。そして、ある海岸に連れていかれた時、メンバーたちの会話から近くに米軍がいることを知り、GPSを起動させる。

ダニーは深海艇に乗り、調査を進めるが突然電源が落ちるトラブルが起こる。

 

やがて米軍のヘリはやってきてジェームズは助かり、ダニーの深海艇も再起動できて浮上を始めて映画は終わる。

 

美しい景色を随所に織り込んだ映像が、物語の緊張感と対照的になっているのですが、展開に緩急が弱く、心理ドラマとしても盛り上がらないのが何ともしんどかった。

 

「存在のない子供たち」

映画としてはめちゃくちゃに良かった。ただ、手放しで褒め上げていいものだろうかと考えてしまいます。あまりに悲しくて、あまりに壮絶で、あまりに切なく残酷。これが現実なのだと思うと、いたたまれなくなって涙が止まらなくなってしまうのです。だから、何かしないと、何か動かないとと思うけれど、どうしようもない自分を見た時に、手放しで作品として褒められなくなる。監督はナディーン・ラバキー。

 

中東の裁判所の法廷で物語は始まる。幼い少年ゼインは両親を訴えたのだ。罪状は無責任にも自分を産んだこと。物語はここから遡ることになる。

 

大勢の兄弟とその日暮らしをする家族の元で、学校へもいかせてもらえず仕事をするゼイン。仲の良い妹サハルの面倒を見ながら、持ち前の才覚で兄弟をまとめていたが、ある時サハルは無理やり結婚させられ連れ去られる。

 

サハルと一緒に家を出るつもりだったゼインは、なけなしの荷物をゴミ袋に詰めて家を出てバスに乗る。そして途中、遊園地のあるところで降り、しばらくそこで暮らすが、食べ物もそこをつく。そんな時、ラヒルという移民の女と知り合い、彼女の子供ヨナスの面倒を見ることで一緒に暮らすようになる。

 

ところが、ラヒルは市場へ行ったきり帰ってこなくなる。ゼインは必死でヨナスの面倒を見るが、ついに堪り兼ねて、置き去りにしようとする。しかし、気を取り直し、かねてより、赤ん坊を欲しい人に斡旋している男にやむなくヨナスを預け、その男の手はずで海外に行くべく自宅に身分証を取りに戻る。

 

ところがそこでサハルが死んだことを知る。逆上したゼインは包丁を持って、サハルが嫁がされた男の元へ走る。そして包丁で刺す。

 

逮捕されたゼインは、刑務所からテレビ局に電話し、両親を訴えたいと告げる。

一方ラヒルは市場で不法移民として逮捕され刑務所にいた。ゼインの姿を見かけたラヒルはゼインに息子の行方を聞く。そして、斡旋された先を探してもらうべく依頼する。

 

法廷ではゼインの裁判が続く。ラヒルの息子は発見され母の元に戻される。ゼインは晴れて身分証を手に入れることになり、その写真を撮るときに笑顔をするカットでエンディング。

 

手持ちカメラを多用したドキュメントタッチのカメラワークもさることながら、無我夢中でヨナスを育てるゼインのシーン、そして思い詰まって置き去りしようとする姿に涙が止まらない。こんな現実があることの切なさに胸が熱くなってたまりませんでした。映画を傑作と褒めるよりもこの現実をまず心に留め置きたいと思います。素晴らしい作品でした。

 

「ブレスあの波の向こうへ」

原作があるので概ねは変えられないのだが、脚本が悪いので、前半と後半が分断されてしまって、ラストで何とかまとめようとしたものの描ききれなかった感じの仕上がりでした。面白くもなくワクワクもなく、切なさもないのはちょっと残念です。監督はサイモン・ベイカー

 

親友同士のパイクレットとルーニーが川で戯れている場面から映画は始まる。やがてサーフィンに興味を持った二人はなけなしの金でぼろぼろのボードを購入。スウェットスーツも着ずにサーフィンを始める。

 

そんな二人の前にサンドーというサーファーが現れ、二人を様々な入江に連れて行く。彼は伝説のサーファーとして有名だった人物で、テクニックを教えながらより危険なチャレンジを二人に与えていく。

 

この辺りのドラマ部分がまず弱く、サーフィンシーンはなかなかのものですが、どうも良くない。というのもこの後ルーニーとサンドーが海外に行き、パイクレットは取り残されるが、サンドーの妻イーヴァと関係を持って行くという青春ドラマに流れて行くからである。

 

やがて、サンドーたちが帰ってくるが、パイクレットは彼らと行動をともにしないことにして映画は終わる。

 

パイクレットの成長の物語であるはずが、サーフィンシーンに力が入りすぎ、さらにイーヴァとのシーンにも力が入りすぎて、結局ポイントがうやむやになったように思います。真面目ないい映画なのですがもうちょっと描くべきものを絞ったら良かったと思います。

映画感想「美しさと哀しみと」「心中天網島」「無頼漢」

「美しさと哀しみと」

川端康成の原作が持つ妖しい妖艶さが、篠田正浩監督の独特のカット割りで見事に表現されています。どこか艶めかしくも純粋な男と女の物語が描かれた秀作という感じです。

 

除夜の鐘を聞くために東京から京都に大木はやってくる。かつての恋人音子と会い、小悪魔のごとき弟子のけい子と出会う。

 

やがて大木はけい子に誘惑されるように惹かれ、体を重ねる。一方、大木の息子もまたけい子に惹かれ、とうとう体を重ねる。しかし、けい子は音子とも愛情を重ねていた。

 

不可思議なほどに艶めかしく絡み合っていく物語は、やがて大木の息子の死によって悲劇の結末を迎える。

 

ストップモーションに加え、スポットライトで浮かび上がらせる人物表現など美しい映像演出が際立つ一本で、カメラのアングルを巧みに組み合わせていくカット割りも見事。美しくも妖しい男女の物語という感じの映画、とっても良かった。

 

心中天網島

何度も繰り返し見ている篠田正浩監督の最高傑作。陶酔感を味わうほどに映像美の極致のように美しい。セットの見事さ、黒子を使った斬新な演出の凄さ、役者の迫力、どれを取っても素晴らしい映画です。

 

原作が近松門左衛門なので、「曽根崎心中」とかぶるシーンがたくさんあるものの、モノクロームの光と影を最大限に生かした絵作りには頭が下がります。

 

何度見てもその素晴らしさを堪能できる一本でしょうね。

 

「無頼漢」

徹底した様式美は美しいのですが、いかんせんストーリーの組み立てが乱立状態で、何がそうなのかまとまらない。これが狙いだと言われればそうかもしれないが、行き当たりばったりのようにしか見えないある意味、珍品の傑作という感じだった。監督は篠田正浩

 

江戸の町に直次郎という遊び人がフレームインしてくるオープニングから幕を開ける。水野忠邦の質素倹約の政策で、贅沢や娯楽を禁じられた庶民の不満が爆発寸前になっている。

 

そんな市中で、好き放題に生きる直次郎は三千歳という花魁にご執心だった。一方芝居小屋の役者たちは、江戸に派手な花火を上げてやろうと画策しているし、女好きな領主に娘を囚われた父親が河内山宗俊に助けを求めるし、あれやこれやの雑多な話が乱立。

 

結局、何が何かわからないままのラストだが、いたるところに巨大な絵やサイケな色彩演出が施され、賑やか極まる映像が楽しい。もう少しまとまれば大傑作になりそうな痛快時代劇でした。

映画感想「あかね雲」「暗殺」「処刑の島」

「あかね雲」

篠田正浩監督全盛期の一本という感じです。素晴らしい映画でした。構図といいカット割りと言い、物語の展開といい、一級品の迫力がありました。

 

二人の兵隊が脱走する場面から映画が始まります。一人はなんとか逃げ果せ、いずこかへ去る。舞台は輪島の街に移ります。旅館で女中をするまつのは田舎に病気の父を残し、必死で働いている。しかし、なかなか稼ぐこともできず悩んでいるところ、たまたま缶詰の行商をしている小杉と知り合う。

 

いかにも誠実で、他の温泉客と違う小杉に純真なまつのはどんどん惹かれていく。姉のように慕う同僚の女性に誘われ山代温泉へやってきたまつのは小杉に言われるままに仲居の仕事にありつく。しかし、芸妓とほとんど変わらない仕事だった。

 

ある時、小杉に頼まれて小杉の客の男の相手をすることになり、まつのは初めて男を知る。明らかに小杉に利用されているにもかかわらず、小杉を信じ、いい人だと繰り返すまつのに次第に小杉の罪悪感が大きくなっていく。実は小杉は脱走兵で、やがて憲兵の手が迫ってくる。

 

憲兵は国の威信をかけ小杉たちを追っていた。そしてまつのの存在をきっかけに小杉の居所を突き止め、とうとう逮捕されていく。映画はここで終わるが、何があっても小杉を信じるまつのの幼気なさがなんとも切ない。そして次第に自らを恥じていく小杉の心の変化も見事。

 

美しい温泉町の街並みのカットの捉え方も見事な一本で、これぞ篠田正浩の映像世界と言わんばかりの映画でした。良かった。

 

「暗殺」

これはまた見事な傑作だった。ストップモーションや一人称カメラなどテクニックを駆使して描く主人公の数奇な人生の一瞬。時代劇の様式美のようで、型にはまったものはなく、自由奔放のアイデアの限りを注ぎ込んだ演出が素晴らしい。監督は篠田正浩

 

幕末、ペリー来航の時期に物語が始まる。巷で噂の一人の謎の浪人清河八郎。ずば抜けて剣の達人の彼を倒す算段をする上層部の面々。一方で彼を利用して尊王攘夷を果さんとする倒幕派の面々。

 

巧みにかわしながら、自らの才覚で大勢の浪人の頂点に立つも、その目的が果たされたと知るや、ある夜、暗殺されてしまう。

 

とにかくカメラ演出が昔ながらの時代劇の構図を取りながらもモダンで斬新。まさに篠田正浩らしい映像世界が展開する傑作でした。

 

「処刑の島」

これもまた斬新で、気迫溢れる見事な映画でした。絶海の孤島の壮大なカメラアングルと壮絶な主人公の生き様、さらに離れ島の隔絶された世界観が見事に絡み合った物語の空気感は絶品でした。監督は篠田正浩

 

裸の男女のカット、男の方が何かを思い出す。崖の上から大男が少年を抱え上げて投げ捨てる。このオープニングからまず引き込まれます。

 

主人公の青年はある離れ小島にやってくる。船の中で親しげに話しかけてくる男。謎を秘めたこの青年をいろいろ詮索する男。そして自分の妹の旅館に連れていくと、そこに先客でこの島の隣の孤島の学校の校長をしているという男がいる。

 

校長もこの青年をどこかで見たように思う。こうして、この青年の謎を詮索する展開の前半。そして、かつて感化院の少年たちがこの島で一人の憲兵上がりの男大嶽にこき使われていた過去が写される。

 

どうやらこの青年は三郎という名で、冒頭で崖から投げられた少年らしく、奇跡的に生き延びて大嶽に会いにきたようだとわかるが、それだけではないものが見えてくる。

 

てっきり殺しにきたのかと思われたが、実は大嶽は三郎が幼い頃両親を斬り殺した憲兵であり、その人物と同一人物か確認しにきたのだ。

 

そして、指紋を照合し、指をつめさせてその場を去って映画は終わる。とにかく雄大な景色のカットが見事で、隔絶された不気味さが物語に色をつけていく。とにかく全体に勢いのある映画で、最後まで釘付けになりました。

映画感想「巴里祭」(4Kデジタルリマスター版)「よこがお」「風をつかまえた少年」

巴里祭」(4Kデジタルリマスター版)

ルネ・クレール監督の代表作の一本をほぼ40年ぶりに見直しました。たしかにフランス映画らしいコミカルな展開は独特の世界で洒落ていますが、さすがに物語だけ見れば、ちょっと古き良き時代という感じです。ただ、画面の構図の活かし方や、ほのぼのした楽曲の使い方などはさすがです。

 

花売り娘のアンナとタクシー運転手のジャン、時は巴里祭前夜、二人はさりげなく惹かれ翌日のダンスの約束をする。ところがその夜、ジャンのタチの悪い元カノが戻ってくる。さらにアンナの母親の容態が悪くなる。

 

アンナがダンスを断るためにジャンの部屋に行き、そこに元カノを発見、そのまま二人に溝ができてしまう。やがてジャンは元カノとそのアパートを出、時が経つ。

 

ジャンはタチの悪い連中と付き合い始め、強盗をするためにアンナが勤めるカフェにやってくる。そこで二人は再会するが、ふとしたことでまた別れ別れに。

 

アンナはカフェをクビになり、もう一度花売りになろうとやってくる。そこに冒頭で登場するアンナにご執心の酔っ払いの金持ちの老人と再会。大金を貰い、その金で花売り車を買い商売を始める。そこに車がツッコミ、その運転手がジャンで、二人はキスをして映画は終わる。

 

冒頭に出てくる酔っ払いの老人がチャップリンを思わせる演出が施されている。何度か登場するジュークボックスが物語にスパイスになったり、小道具などを巧みに使ったユーモアはさすがに光っています。名作という言葉が当てはまりますが、ちょっと時代を感じさせる映画でした。

 

「よこがお」

なんとも鬱陶しい映画だった。どこかシュールでオブラートに包むような描写を織り交ぜながら行間を描いていく演出はなかなかのものですが話が暗いです。監督は深田晃司

 

市子が美容院で髪を染めてもらっている。指名して出てきた美容師米田とやがて親しくなる。市子は訪問介護師で、この日も訪問先で介護をしている。その家の長女基子も介護士になるということでその妹のサキと一緒に勉強を見てやっていた。

 

いつものように喫茶店で勉強を見ている市子の前にいとこの辰男がやってきて、借りている本を返し旅行へ出かける。その場に基子もサキもいた。ところが、サキがその日から行方不明になる。数日後、帰ってきたが、犯人は辰男だった。

 

市子は、犯人の親戚ということで、基子の母らに話そうとするが、基子はやめるようにいう。基子はいつのまにか市子に親しみ以上の感情を持っていた。一方市子は婚約者がいた。

 

やがて何者かの通報で市子が犯人の親戚であることがマスコミにバレ、訪問先も出入り禁止になり間も無くして職も失う。情報を流したのは基子で、市子が結婚することへの嫉妬と復讐のようであった。

 

次第に追い詰められる市子は、米田と体を交え、その写真を米田の恋人に送る。その恋人こそ基子だった。市子は復讐のつもりだったが、すでに米田と基子の関係は終わっていたのを知る。

 

市子は何もかも失い、出所してきた辰男を迎え、引き取る。基子らは引っ越してしまい行方は分からなくなるが、ある時、交差点で看護師姿の基子を見かける。

 

そのまま市子は車で走り去り映画は終わるが、なんとも心理劇的な部分も垣間見られ、とにかく暗い展開に終始する。市子自体もどこか妙な空気を持っているところもあり、一概にマスコミの被害者とも見えない。映画のクオリティは低くないが、なんともやるせない映画だった。

 

「風をつかまえた少年」

それほど期待していなかったが、思いの外良かった。まずカメラがいい。アフリカの風景を大きく捉え、自然に左右されている様を叙述に描いていく。それと物語の展開も適度にドラマティックで、細かいエピソードをしっかり捉えていくので、主人公の家族やその村が追い詰められていく様が見事に描かれている。監督はキウェテル・イジョフォー

 

アフリカのマウアイの村、今年は干ばつで作物が育たず、止むを得ず木々を売却したりしているが、それがさらに土地を枯れたものにしていた。雨を降らすにも昔からの祈り任せの日々。主人公ウィリアムは中学に進学したものの、後期の授業料が払えず退学の危機に陥る。

 

政府からの視察も選挙目当てで、政策を非難した村の族長は政府関係者に袋叩きにされる始末。そんな状況で、みるみる作物が減っていき、次々と人が死んだり離村していく。たまたま担任教師の自転車の発電機を目にしたウィリアムは、書物から風力発電を思いつく。そして電気のポンプで水を組み上げれば年中作物が育てられると考えた。

 

そして、先生の発電機を手に入れ、父親の自転車をなんとか手に入れたウィリアムは家族の手伝いもありとうとう風車による発電機を完成させる。

 

実話を基にしているが、物語の展開も映画的で面白いし、風景を捉えるカメラも美しい。次第に飢餓が迫ってくる緊張感もうまく描写されているし、最後まで飽きずに見ることができた。食べ物の大切さもひしひしと感じる映画でした。

 

映画感想「涙を、獅子のたて髪に」「乾いた花」

「涙を、獅子のたて髪に」

時代色が強い物語ですが、和製ロミオとジュリエット的なストーリー構成と丁寧なカメラワークがなかなか面白い作品でした。監督は篠田正浩

 

港の沖仲仕たちがストをしているシーンから映画は始まる。彼らを監視しているチンピラまがいのサブたちがハッパをかけているところへ、サブの兄貴分の木谷がやってくる。そしてストの首謀者らしい男を連れ去るが間も無くしてその男は死体で見つかる。

 

ある時、サブは近くのカフェで働くユキという女性と知り合いやがて恋仲になる。そんな時、組合結成の動きを封じるため、木谷はサブにその首謀者らしい男を痛めつけるよう命令。ところが痛めつけるだけが誤って殺してしまう。しかも、殺した男はユキの父親だった。

 

苦悩するサブ、彼に絡む会社の社長の妖艶な妻、さらには木谷らの悪行が絡んでくる。そして、ユキも真相を知り、サブは、狂ったように木谷を殴り殺してしまい、警察に逮捕され映画は終わる。

 

これという優れた映画ではないけれど、しっかり演出されたストーリーはなかなかの物でした。

 

「乾いた花」

これはなかなか見事な映画でした。画面の絵作りといい、物語の語りの巧みさといい、篠田正浩監督らしい個性が随所に出ていました。

 

賭場を真上から捉える構図のカットから映画が始まります。そこに刑務所を出てきたばかりの村木がやってくる。賭場には美しい冴子という女が座っているが、素人らしく、また素性も見えない謎めいた女だった。冴子を演じているのが加賀まりこですが、さすがにデビュー間もない頃の彼女は本当に可愛らしいし、背後に独特の貫禄がある。

 

なぜかお互いに惹かれ始めた冴子と村木。村木は冴子の求めに応じて、より大きな賭場を紹介し、何度か一緒に出かけるようになる。オープンカーを走らせ、自由奔放に振る舞う冴子。金の出所も不明の謎めいた彼女に引かれる村木。

 

そんな彼女はある時からぷっつりと姿を見なくなる。そんな時、ヤクザの縄張り争いで、村木が再び殺しをすることになる。そして、刑務所に入る前にもう一度冴子に会おうと探し回り、最後の最後に彼女を見つけ、殺しの現場を見せる。

 

刑務所で、知り合いが村木に近づく。冴子は殺されたらしいと告げ、素性は、というところで村木は刑務官に呼ばれる。こうして映画は終わる。冴子は何者だったのか。

 

なんといっても可愛いだけではない加賀まりこの存在感が素晴らしい。賭場のシーンを丁寧に描写した緊張感も映画を引き締めることになった。絵作り、テンポ共に非常に良くできた作品でした。