くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「閉鎖病棟 それぞれの朝」「桜の代紋」

閉鎖病棟それぞれの朝」

ドラマ演出はしっかり描かれているのに、どこかスカスカの空間が見えるのはなんだろう。舞台になる病院のリアリティが全くない。何故があまりにも多すぎるので、そこで起こる人間ドラマが薄っぺらくなってしまった感じです。監督は平山秀幸

 

一人の男がこれから絞首台に向かおうとしている。そして、死刑が執行されたが息を吹き返す。彼の名前は梶木秀丸、一家惨殺事件を起こし死刑囚となったのである。しかし、死刑執行後蘇生した彼は、世間から隠すために精神病院に収容されることになる。ただ、刑執行の時に脊髄を痛めたらしく車椅子生活になる。

 

長野県の山あいにある精神病院、幻聴が聞こえ、任意入院しているチュウさん、ここに収容され陶芸をしている秀丸がいた。そこへ一人の女性由紀がやってくる。彼女は義父にレイプされ妊娠していたが、母は見て見ぬ振りをしている。由紀は来る早々半狂乱になり、秀丸にぶつかってそのまま屋上から飛び降りる。しかし奇跡的に軽傷で済んだ由紀は秀丸やチュウさんと仲良くなる。

 

この病院には暴力的な重宗という患者もいた。弟夫婦がチュウさんを訪ねてきて、認知症の母を入院させ家を売りたいと言ってくる。由紀の父親は無理やり由紀を退院させていく。秀丸の過去が重宗に暴かれる。そんな毎日の中、由紀は自ら家を出て病院に帰ってくる。

 

そんなある時、たまたま秀丸の用で陶芸工房へ花瓶を取りに行った由紀は後をつけてきた重宗にレイプされる。その様子を写真を撮って回る昭八が目撃、カメラに収める。由紀が行方不明になり、チュウさんは昭八から写真を見せられ、秀丸に相談するが、秀丸は自分に任せろと写真のデータを消させる。

 

翌日、重宗のところに秀丸がやってきて彼を刺し殺す。当然、そのまま逮捕される。チュウさんは、前に進む決心をし病院を退院、母の元に帰ってくる。やがて秀丸の公判の日が来る。チュウさんが裁判所へ行くとそこへ由紀が現れ、自分が襲われたことを証言する。

 

刑務所、秀丸は昼の散歩で広場にいる。そしておもむろに車椅子から立ち上がろうとして暗転エンディング。

 

ドラマはしっかりしているはずなのに、病院の存在が全く見えない。病院内で殺人事件が起こっているのに、また患者由紀が失踪しているのに、全く病院は蚊帳の外のままなのだ。そんなことはあり得るだろうか。さらに、暴力的な重宗は、ほとんど放置状態、これもおかしい。原作があるので、原作はしっかり描写されているのかもしれないが、あまりに雑な表現になっている。この根本的な部分が描けていないので映画が厚みがないのです。しかも、鶴瓶の素人演技が全く生きておらず、ただ素人の芝居だけ目立っている。どうにもこうにもできない作品でした。ただ主題歌は抜群に良いし、小松菜奈が可愛いので許せるかなという映画でした。

 

「桜の代紋」

まあ、壮絶な映画でした。感動とかそんなもにはどこ吹く風で、暴力団と刑事の死闘という感じで、部下は死ぬし、弟分には裏切られるし、妻は殺されるし、結局暴力団の親分らを皆殺しにしてエンディングとはなんとも荒っぽい映画でした。監督は三隅研次

 

主人公の刑事奥村はヤクザも恐れる刑事。弟分と、メキメキ力をつけてきた巨大暴力団壊滅の手段を模索している。そんな時、米軍から拳銃を仕入れた杉山が、職務質問された警官を撃ち殺して逃亡。奥村はこれを機会に巨大組織壊滅のため手段を選ばず動き始める。

 

ところが、警察内部の情報が漏れていることを知り、それが弟分の滝本刑事だと知り、さらにエスカレートしていく。そして滝本も殺され、部下の加藤刑事も殺される。しかも、妻まで拉致され、最後に妻も死んでしまうに及んで、組事務所に殴りこんだ奥村は、会長以下幹部全員皆殺しにする。

 

そして、裁判で無期懲役と判決、連行されるシーンで映画は終わる。まあ、雑多な作品ですが、バイタリティ満載の映画でした。

 

映画感想「テルマ&ルイーズ」「最初の晩餐」

テルマ&ルイーズ」

見逃していた一本、午前十時の映画祭は本当にありがたい。これからも続けて欲しかった。本当にこの映画はめちゃくちゃに良かった。映像も素晴らしいし、音楽センスも抜群。主人公二人の心の変化していく様が見事に演じられているし、ラストシーンの切なさが、かえって爽快に見える。こういう名作はやはりたくさんの人に見て欲しいですね。監督はリドリー・スコット

 

18歳で結婚し、横暴な旦那ダリルに辟易しているテルマは友人のルイーズとバカンスの計画を立てていた。ルイーズにはジミーという彼氏もいるが、このままうまくいくが不安を持っている。

 

二人は、お互いの男に何も言わずに、友人の別荘を目指して車をスタートさせる。テルマは夫が護身用に持たせていた拳銃を持ってきたが、そんなものは触ったこともなかった。

 

二人は途中のドライブインで一息つくが、そこでテルマはハーランという女好きな男と仲良くなる。先を急ぐルイーズが、テルマを誘うが、テルマはハーランにことば巧みに誘い出され、レイプされかかる。そこへ拳銃を持ったルイーズが現れ、一旦引き離すがハーランの言葉に逆上して撃ち殺してしまう。

 

ルイーズは、どうせ信じてくれないからとその場を逃げ出す。途中、気のいい学生崩れの若者JDを乗せる。一方ルイーズはメキシコに行くためジミーに大金を用立ててもらう。ところが送金で済ますつもりがジミーは直接金を届けに来て、婚約指輪を渡す。一方テルマはJDと仲良くなり、夫以外の男として満足なSEXを経験するが、なんとJDはコソ泥で、まんまと金を奪われてしまう。

 

落胆するルイーズを励ましながらも車をスタートさせるが、テルマは途中のドラッグストアで強盗して金を工面する。こうして、次第にテルマもルイーズも気持ちがほぐされていき、自由の快感に浸り始める。

 

そんな彼女らをハルという刑事が追い始める。彼は彼女らが犯罪者ではなく、成り行きで犯罪をおかしていくのがわかって、なんとか助けたいと思っていた。

 

そんな時、一台のパトカーにスピード違反で止められたルイーズを助けるために、テルマは警官を脅した上、トランクに閉じ込めてしまう。そして途中で何度も出会うトラック運転手に悪態をついた上、そのタンクローリーも爆破してしまうのだ。

 

雪だるま式に犯罪を繰り返していくテルマとルイーズだが、すでに逆探知で居場所を突き止められ沢山のパトカーが迫っていた。逃げるテルマたちの車はグランドキャニオンの崖際で立ち往生する。そこに迫るパトカー、ヘリで追ってきたハル。

 

テルマとルイーズは叫ぶ。捕まりたくない。このまま死んでしまおう。こうして二人は崖に向かって車を走らせる。それを追うハル。車は崖を飛び出して映画が終わる。

 

ラストは悲劇だが、決して湿っぽくなく、二人の晴れやかな笑顔だけが心に残る。背後に流れる音楽も素敵だし、西部の広大な大地の景色の映像も実に美しい。なんといっても、二人を演じたスーザン・サランドンジーナ・デイビスの演技が抜群で、冒頭の心境がみるみる変わっていく様が素晴らしい。

本当にいい映画でした。これが名作ですね。

 

「最初の晩餐」

これは、想像していた以上に数段良かった。どんどん胸に迫ってくる。たわいのない家族の話なのに、微に入り細に入るきめ細かな脚本が素晴らしい。物語がサスペンスになっていて、どうなるんだろうとストーリーを追いながら、あったかくなる人間の物語に引き込まれてしまいました。監督は常盤司郎

 

病院の食堂、麟太郎と美也子がラーメンを食べるシーンから映画は始まる。日登志という二人の父親が末期がんで亡くなり、その通夜の日に物語は始まる。東京での仕事もうまくいかず、恋人とも疎遠になっている麟太郎。結婚し子供もできて順風満帆のはずがどこかギクシャクしている美也子。普通に始まる通夜の夜のはずだったが、頼んでいた料理が突然、母アキコによって断られ、代わりにアキコが出したのはかつて、日登志が初めて作った目玉焼きだった。それは、かつてアキコが盲腸炎で入院した日に作ったものだった。

 

お話はここで、麟太郎らがまだ小学生の頃に戻る。アキコが連れ子の高校生シュンを連れて日登志らのところにやってくる。日登志とその妻は別居していて、アキコと日登志は結婚することになった。二つの家族は最初は溶け込めないが、子供達が次第にそれぞれを受け入れ一つになっていく。

 

日登志は登山が趣味だったが、家族のためにスッパリやめて、日々の生活に邁進するが、やがて、シュンが大きくなるに連れ一緒に近くの山に登るようになる。映画は、かつての家族と、通夜の夜を交互に描きながら展開していく。

 

何度か山登りをする日登志とシュンだったが、いつも日登志はきのこ入りのピザを作った。ある時、山小屋で日登志はシュンにあることを打ち明ける。そして、帰ってきたシュンは間も無く家を出ていく。シュンは大学生に、美也子は中学生になっていた。

 

通夜が進むにつれ出てくる料理はかつて日登志が作ったピザであり、好きだった焼き魚だった。深夜に及んで来た時、家を出ていたシュンが子供を連れてやってくる。そして、すき焼きを振る舞うが、それは、日登志が家で食べた最後の料理だった。日登志が自宅で療養していた時訪ねてきたシュンに、何か食べたいと言い、シュンが作ったものだった。何度箸でつまんでも落としながら、美味しい美味しいという日登志のシーンが素晴らしい演出。

 

そしてアキコは、麟太郎と美也子にある告白をする。アキコが日登志と知り合ったのはシュンが中学生の頃で、お互いに結婚し、子供がいる身だった。しかし、お互いの気持ちがどうしても途切れることはなく、二人は一緒になることになった。しかもアキコの元夫は、自ら身を引くべく自殺未遂を起こし五年間眠ったままだった。

 

最初は受け入れられない美也子だったが、果たして家族ってなんだろうと悩んでいた麟太郎に詰め寄られ、自らの家族も見直すことになる。

 

夜が明けて、葬儀も滞りなく終わり、遺骨を持って帰る帰り道、日登志の同僚だった男が言う。とにかく日登志は好き嫌いが多く、飲みにいくと必ず嫌いなキノコや、しいたけ、焼き魚を避けるのだと言う。それを聞いて、アキコや麟太郎たちが唖然とする。あんなに美味しそうに食べていた日登志に騙されていたのだと苦笑いしてしまう。

 

帰り道、一人の女性が立っている。麟太郎の恋人理恵だった。こうして家に戻り、みんなで写真を撮るが、理恵は、家から作ってきたおはぎを広げる。それを見た日登志の同僚は、日登志が大好物だったのはこれだと言う。

 

思わず吹き出す麟太郎のシーンで映画は終わっていく。家族ってなんだろうと考え、それが説明できないのが家族だとアキコはいう。でも家族だからって知らないことがあっても当然だと描き、家族は面倒なこともあるが、なぜかみんな家族を持つ。とにかく、自分たちが普通に持っている疑問がさりげなく心に訴えかけてくる物語として描かれている姿がとにかく素晴らしいのです。こう言ういい映画に出会えるから映画ファンはやめられないですね。

 

 

 

ある時、アキコに電話がかかり、元夫が亡くなったという。号泣するアキコは、一週間家をあける。

映画感想「不実な女と官能詩人」「CLIMAX クライマックス」

「不実な女と官能詩人」

フランスの象徴主義の詩人、ピエール・ルイスと彼に関わった女性マリーの物語なのだが、誰をポイントにしているのかがわかりにくい上に、テンポが悪く、しかも品がない映像なので、かなり退屈してしまいました。監督はルー・ジュネ。

 

女性の写真を撮ることを趣味にしているピエールは、一人の女性マリーと知り合う。ところが、ピエールの友人アンリが、マリーを手に入れるために強引な手段を使い結婚を決めてしまう。しかし、巧みな連絡で、ピエールはマリーを呼び寄せ、痴態を写真におさめるようになり、一方のマリーもそんな関係を楽しむようになる。

 

しかし、ピエールは友人ジャンの勧めもありアルジェリアに旅立つことを決める。一人残されたマリーはピエールの愛人の女と自堕落な生活を始めアンリとの結婚生活も荒んでいくが、マリーは妊娠していた。相手はピエールだったが、アンリはそれを知ってか知らずか、子供との三人の生活が始まる。

 

アンリはマリーとピエールの関係を知るも、マリーを尊重して容認、間も無くして、マリーの妹はピエールと結婚することになる。マリーはこれまでの生活を小説にして男名で出版、大人気となって映画は終わる。

 

どうにも焦点の見えない作品で、と言って映像が官能的でも美しくもない、本当になんとも言えない映画でした。

 

「CLIMAXクライマックス」

これも映像表現です。好む方は酔いしれるだろうし、好みでない方は最後まで入り込めないかもしれない。ある意味グロテスクであり、恐ろしいほどリズミカルであり、信じられないほど感動的、そんな独特の世界を体験しました。監督はギャスパー・ノエ

 

大勢のダンサーたちのインタビューシーンに続いて、一人の人物が吹雪の中を歩いている場面から映画が始まる。

 

人里離れた場所に、有名な振付師が集めたトップクラスのダンサーたちの見事なダンスシーンにまずうっとり。そして、最後のリハーサルが終わって、みんなはパーティに入り、酒が振舞われる。手作りのサングリアを飲んだ数人がまず異常な行動になっていく。どうやら、サングリアの中に誰かがLSDを入れたようで、このあと、幻覚に狂って阿鼻叫喚の世界が展開する様がワンカットの延々長回しで捉えていく。

 

移動カメラとすれ違うシーンの数々が流石に見事な演出に仕上がっていて、どんどん画面に引き込まれるが、次々と起こる出来事はかなりグロテスクというか、壮絶な状態になっていく様は流石にちょっと目を背けてきます。

 

そして、誰もが狂い切ってしまって夜が明けて、外から警備隊らしいチームが入ってくる。死んでしまったもの、とにかく目覚めたもの、狂ったままのものなど様々な姿が発見されてエンディング。

圧倒される映像世界ですが、個人的には好みの映画とは言えないです。

映画感想「散歩する霊柩車」「港祭りに来た男」「囁きのジョー」

「散歩する霊柩車」

演出のキレがないので、せっかくの面白い話が、だらけてしまったのは残念ですが、カルトムービーのような色合いで楽しませてもらいました。監督は佐藤肇


タクシー運転の主人公が、妻の浮気を追い求めているシーンから映画が始まる。そして、その証拠を掴んだかれは妻に迫るが、シラを切られ、逆上して、妻を絞め殺す。


カットが変わると霊柩車が走っている。中には妻の死体。主人公は、妻の浮気相手を回って、妻が自殺したと吹聴して回る。


家に帰り、棺を部屋に置いて、霊柩車の運転手が帰ると、何と妻は目を覚ます。主人公と妻は、かつての男に金をふんだくる計画だった。まんまと代議士の男が現れ500万置いて帰る。ところがその帰り、たまたま忘れ物を取りに戻った妻と遭遇し、驚いて階段から落ちて死んでしまう。


再び、妻はバーの仕事に出るが、実は浮気相手に会うためだった。たまたま見かけた若い浮気相手が主人公に知らせてやり、主人公は妻の浮気現場のホテルへ。そこで、浮気相手に殺されそうになる妻を助け、反対にその浮気相手の医者を殺す。そして、死体安置所へ運ぶ。


帰ったものの、実は妻は主人公を眠らせ、まんまと金を持って若い浮気相手のところへ。ところが金の包みと思ったら案内状で、慌てて戻ったが、主人公に絞め殺される。


夜が明けて、霊柩車の男が棺を運びにくるが、棺の女は昨日は生きていたと主人公を脅す。しかし返り討ちに遭う。主人公は二つの死体を積んで霊柩車で走るが、妻の亡霊が現れ、とうとう事故を起こし死んでしまう。こうしてエンディング。


面白い話なのに、演出が弱いために、テンポが悪いのとキレがないのが残念な一本ですが、カルトとして楽しめました。


「港祭りに来た男」

映画全盛期の人情時代劇で、作品としては普通なのですが、やはりこの時代の映画は豪華です。見終わって、映画を見たと言う満足感に浸ることができるし、やはり、映画の作り方を心得た人が作ると本当に楽しい。監督はマキノ雅弘


ある漁村に、居合の達人大五郎を擁した一座がやってくる。実はこの男、彦一という漁師で、かつて、恋人夕を殿様の側室にとられたことから、武士になって取り返そうとやってきたのだ。


この2人の恋物語を中心に、村の若者らの人情悲喜劇を織り交ぜて展開していきます。男と女が一夜限りの契りを結べる祭りをクライマックスに、これでもかと言うエキストラを動員した演出はさすがにマキノ雅弘、見事。


一時は漁師に戻り、夕と一緒になるはずが、殿様の策略で、武士に戻り、大立ち回りの末、夕共々鉄砲に撃たれて死んでしまう。


そのあと何事もなく村人は彼らの非業の死を受け入れてエンディングはやはり古き良き時代劇。


とにかく豪華絢爛で、映画全盛期の一本を堪能することができました。


「囁きのジョー」

映像の面白さと、ジャズを使った音楽センスの面白さ、即興演出のような展開、なかなか見ていて楽しい作品でした。監督は斉藤耕一


女好きの主人公ジョーは何かにつけて、いつかブラジルにいきたいと呟いている。恋人の加奈子、財閥の御曹司といつもつるんでいるが、先行きの見えない荒んだ毎日を送っている。


そんな時、バーで一人の女と知り合い体を合わせる。その女に、自分は殺し屋で、囁きのジョーと呼ばれていると話す。そんなジョーに女は自分の夫を殺してくれと拳銃を渡す。


夫を呼び出したが、女は冗談だったと叫ぶ。しかし、ジョーは夫を撃ち殺し逃げる。途中、ホームレスの男と行動を共にする。


二人は浜辺で、筏を作る。ジョーはそれでブラジルに行くと言い、加奈子に電話をかけるが、加奈子は警察と一緒にやってきた。加奈子が通報したわけではないが、ホームレスの男は、警察の銃弾を浴び、ジョーは加奈子を撃ってしまう。

重症の加奈子を筏に乗せて、ジョーは海に出ていって映画は終わる。


画面の構図の撮り方や、見せ方が実に面白いし、音楽センスの良さで、洒落た作品に仕上がっています。なかなかの秀作でした。



映画感想「IT イット THE END“それ”が見えたら、終わり。」

「IT イット THE END“それ”が見えたら、終わり。」

ホラーもここまでくるとスペクタクルです。次から次に出てくる様々なクリーチャーが楽しいし、正直しまいには笑ってしまいました。しかも、普通に刺されたら死んでしまうというのがまた笑えます。でもラストの締めくくりはやはりスティーブン・キングです。切ない青春ドラマで締めくくったのは良かった。前作第1部が今一つだったけど、完全に挽回しました。三時間近くあったけど面白かった。監督はアンディ・ムスキエティ

 

デリーの街、ゲイのカップルが若者たちに袋だたきにあい、一人が川に投げ込まれる。なんとか泳ぎ着いたところで待っていたのはピエロの化け物IT。そして、かつてこの街でITの恐怖を味わったマイクは、橋の下に書かれた「戻っておいで」というメッセージを目の当たりにし、かつてのルーザーズ・クラブのメンバーを集めることにする。あれから27年の時が経っていた。

 

様々なところで活躍するメンバーたちは続々とデリーの街に集まってくる。一人スタンリーだけ、27年前の恐怖に耐えられず、浴槽で手首を切って自殺してしまう。

 

集まった六人は、誰もが子供時代の何かを忘れていた。映画は彼らが子供時代に体験した恐怖を一人ずつ再現していく展開になっているが、次々と様々な化け物になって彼らの前に現れる恐怖が実に面白い。

 

そして、全てを思い出した六人はマイクのリードの元、この街に何百年か前にいた民族の、恐怖の呪いを解くジュードの儀式を行うこととする。全員下水道の中に入り、その中心にある洞窟から中に飛び込み、ピエロの化け物を封じ込めるために儀式を始めるが、なんと、成功したかに思われたが失敗していた。

 

恐怖の化け物として巨大化した蜘蛛のような足になったピエロはマイクたちに迫ってくる。そして、戦いの中でエディが殺される。しかし、古の民族の教えを復習する中、自分たちの恐怖がITを巨大化しているとわかり、力を合わせて、ITを小さくし、最後にその心臓を取り出し退治してしまう。

 

全てが終わり、それぞれの生活に戻る彼らに、マイクが手に入れていたスタンリーの手紙が届く。このラストの処理が切ないですね。子供の頃に誰もが経験する何かの恐怖がホラーの題材として具現化する物語の流が原作の背景にあるものだと思います。これこそスティーブン・キングです。ホラーとしても面白かったし、楽しめる映画でした。

映画感想「田舎司祭の日記」

田舎司祭の日記

映画としては、非常にクオリティの高い作品だと思いますが、終始主人公の日記の一人セリフで展開するので、地味で、しんどいというのも確かです。しかし、スタンダード画面にしっかりはめ込まれた構図や、階段での光と影の演出なども含め見事な仕上がりです。監督はロベール・ブレッソン

 

一人の若い司祭がある田舎の村に赴任してくる。彼は体調が良くなく、常に腹部に違和感を持っている。生真面目な性格の彼は、人々に常に神の存在を正しく解こうとする。

 

そんな彼の姿勢に村人たちは反感を持ち、何かにつけ彼は孤立していく。土地の有力者の妻は息子を亡くし、そこから立ち直れないままだった。そんな彼女に、司祭は神の存在をまっすぐに伝えるが、かえって周りの誤解を生んで、さらに孤独になる。

 

そんな彼に、その家の娘が優しく接し、それもまた周りの人々の誤解を生んでいく。司祭の体は日に日に弱り、街の医師のところへ向かうことにする。途中バイクを乗る若者に乗せてもらい、若さを実感する姿が物語の転換点になる。

 

そして病院で、彼は胃がんだと宣告され絶望し、神学校時代の友人の元へ。やがて彼はみるみる体が弱り、とうとう、死んでしまう。彼は友人に手紙を託し、それを読む師の姿で映画は終わる。

 

一人の若い司祭の、揺れ動く悩む姿が、聖職者ゆえの禁欲と、若さゆえの俗な存在との微妙な物語が美しい画面で綴られる様はさすがに見事です。初期の代表作という解説に納得する一本でした。

 

 

映画感想「15ミニッツ・ウォー」「Tー34 レジェンド・オブ・ウォー」

「15ミニッツ・ウォー」

典型的なB級戦闘アクションですが、物語の配分が上手いのと、余計なセリフをカットしたスピーディな展開でクライマックスまで一気に進む感じは面白かった。実話を基にしているフィクションではありけれど、作りすぎていないのがいいです。監督はフレッド・グリビオス。

 

1976年、フランス植民地のジブチ。一台のスクールバスが生徒たちを乗せながら進んでいる。学校では女教師のジェーンが生徒たちを待っている。突然バスに四人の男たちが乗り込み、そのままソマリア国境へ迎えとバスジャックする。

 

追ってきた憲兵から逃げながら走るが、封鎖線でパンクをしてそのままバスは止まる。犯人たちは立てこもり、ソマリアからの援軍を待つ形となる。

 

事態を聞いたパリ本部は、ジェルヴァル中尉率いる狙撃専門の特殊部隊5名を派遣することにする。現地に到着するも、バスは野原のど真ん中で、狙撃する場所がない。なんとかその場所を確保し、ジェルヴァルが現地の将軍に提案したのは、犯人を一斉に狙撃して反撃させる隙を与えず救出することだった。

 

しかしパリ本部は、なかなか決断を出さず、ジェルヴァルらは、狙撃場所で待機することになる。ところがソマリア国境に続々と援軍らしき兵隊が到着、犯人の焦りもあり、脱出の期限が迫ってくる。

 

ジェーン先生が生徒をなだめるために自ら乗り込むが犯人たちの疲弊もあり一触即発になっている。ジェルヴァルは本部への狙撃命令許可を催促するも、許可が降りず、バスに物資を持っていった憲兵が殺されるなど、どんどん状況は悪化。

 

ソマリアへの逃亡の期限が近づく中、ジェルヴァルは、自らの判断で一斉狙撃をすることを決意する。そして作戦実行するが、犯人たちは狙撃できたが、ソマリアからの銃撃にさらされ、バスもピンチに陥る。

 

ジェルヴァルたちは決死の覚悟でバスを守り、ソマリアからの兵士を一人また一人と狙撃、なんとか子供達を守りきる。しかし、一人の少女が犠牲になってしまった。

 

本部へ戻ったジェルヴァルたちを憲兵たちは祝福して迎えるが、犠牲者が出たこと、敵側の兵士が大量に死んだことへの後悔を胸にトラックで去っていって映画は終わる。

 

クライマックスの銃撃戦は確かに見事な緊迫感であり、そこに至るまでの物語もしっかり描けているので、画面に見入ってしまいます。実話という前提があるので、複雑ですが、アクションとしてはよくできていたと思います。

 

「Tー34 レジェンド・オブ・ウォー」

ロシア製の戦車アクションで友人に勧められて見にいった。懐かしい戦争アクションで、なんのメッセージも見えないストレートな娯楽映画を楽しめました。戦車を使ったバトル戦という工夫がなかなか見ごたえありです。監督はアレクセイ・シドロフ。

 

時は第二次大戦初期、ソ連に侵攻してきたドイツ戦車中隊をソ連の戦車一台が迎え撃つことになる。率いるのはイヴシュキン中尉。天性の感と知識で見事に敵戦車を巻いて前線基地にやってきただけあって、なかなかのツワモノである。

 

迫ってくる戦車中隊を奇襲と迎撃作戦で次々と破壊していく。ドイツ戦車を率いるのはイェーガー大佐。最後の最後一騎討ちになり、相打ちのようになる。そして時は1944年へ。

 

ドイツの捕虜収容所、イェーガー大佐はここに就任してきた。たまたま、ソ連の戦車Tー34を捕獲してきたので、それを実践演習に使うことを考え、捕虜の中から適当な人物を物色する。ところが、かつてのライバルイヴシュキンがいることを知り、彼を選び、彼の部下だった兵士を集めて、実戦訓練のためにTー34の修理をさせる。ところが、戦車の中には実弾六発が残っているのを発見する。

 

イヴシュキンは、この機会に戦車で脱走を考える。そして通訳のアーニャの協力もあり、いよいよ訓練の日が来る。

 

煙幕で巧みに訓練場を隠し、そのまま正面ゲートを脱走。イェーガー大佐は、イヴシュキンを追うことになる。巨大で一見動きづらい図体の戦車を巧みに操って追っ手を迎撃するクライマックスはなかなか見ごたえ十分。

 

そして、最後の最後、再びイェーガー大佐と一騎討ちになるイヴシュキンは、橋の上で最後の銃弾で戦い、橋の上からイェーガーの戦車を突き落とす。

 

こうして、脱走に成功。イヴシュキンは恋心が芽生えていたアーニャとの待ち合わせ場所で再会して映画は終わる。

 

とにかく、面白い。バトルシーンの攻防戦がまるでゲームをしているかのような様相で、テンポよく展開する。気軽に楽しむには一級品だった映画でした。