くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ダウントン・アビー」「人も歩けば」

ダウントン・アビー

人間関係や、名前などの説明が入るけれど、覚えきれなかった。にもかかわらず、ものすごく面白かった。演出が抜群に優れているのでしょう。いろんなエピソードがオーバーラップして展開する様をはっきりと追いかけることができる。それほど深い中身はないのにこの面白さはなんだという出来栄えでした。監督はマイケル・エングラー。

 

クローリー家が住まいするダウントン・アビーに国王夫妻が見えられるという知らせが入るところから映画は始まる。この家の相続問題や、王妃メアリー夫婦の問題、さらに王室からやってくる横柄な執事たちとダウントン・アビーの使用人たちとの丁々発止の諍いなど、これでもかというエピソードが群像劇として展開する。

 

流麗なカメラが次々とそのエピソードのど真ん中に入っては抜けていくという演出で、顔と名前は一致しなくても話の流れははっきりと見えてくるから不思議。

 

ラストは、無事、国王夫妻を出迎えて送り出し、次の舞踏会のシーンでこれまでの展開をまとめていくということになる。一本の作品として仕上がっているし、見ていて退屈しないし、上質のドラマを堪能したという感じでした。良かったです。

 

「人も歩けば」

テンポの良い軽快なコメディという言葉がピッタシのドタバタ劇、川島雄三監督らしいやりたい放題の演出が、不思議な個性になっている一本でした。

 

とある質屋、主人は大の将棋好きで、そこにたまたまやってきたバンドマンの砂川桂馬も将棋好き。そして気が合って、頻繁に将棋の相手をするようになり、質屋の娘と桂馬は結婚することになる。しかし、間も無くして主人の義平は死んでしまい、婿養子の肩身の狭さと商才の無さで、家族からは疎まれ、居場所がなくなり、とうとう飛び出すことに。

 

ところが、桂馬に九千万円の遺産が入ることになり、義平の妻キンや女房らが桂馬を必死になって探し始めるのが物語の本編。訳のわからない探偵やら、八卦に凝った風呂屋の主人やら色っぽい飲み屋の女主人、さらには質屋の優しい次女の恋物語が絡んでのすったもんだのドタバタ劇が展開。

 

そしてなんとか遺産を手に入ったかというハッピーエンドで、将棋盤の上で目を覚ますと桂馬。全ては夢幻というオチで映画は終わる。全く、やりたい放題を笑い飛ばす。傑作と凡作は紙一重と言わんばかりの一品でした。

映画感想「カイジ ファイナルゲーム」「パラサイト 半地下の家族」「フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて」

カイジ ファイナルゲーム」

よくもまあ、こんな薄っぺらい物語を仰々しく作ったものだと思う。脇役の選定が甘いためにストーリーに膨らみが全然出てこないし、根本的に脚本がひどい。監督は佐藤東弥

 

今更ながら、貧乏暮らしをしているカイジが、とある大金持ちから、間も無く政府が究極の政策としての預金封鎖をするのを解除させるべき作戦に参加するように要請される。

 

あとは、ギャンブルゲームで丁々発止のサスペンスが展開しないといけないのだが、物語のメインである、人間天秤がなんともしょぼい上につまらない。しかも、なんのドキドキもないままに、カイジが勝つものの、その後の展開も実につまらない。才能のない人が書いたストーリーという出来の悪さがどんどん増長されていくので、見て入れイライラしてくる。

 

最後のどんでん返しもあまりにありきたりで、子どもじみているし、どうしようもない大作だった。

 

「パラサイト 半地下の家族」

非常に面白いお話なのですが、後半少し失速気味になったのと、もう一捻りラストに欲しかった気がします。前半の、ミステリアスでブラックユーモア的なものが、終盤にストレートなホラーになってしまったので、エピローグのユーモアが生きてこなかったのは残念ですが、それでも、カンヌ映画祭パルムドールというのも頷ける佳作だったと思います。監督はポン・ジュノ

 

半地下の部屋で貧乏暮らしをするキムの家族は、この日も不正アクセスWIFIを探しながらふてぶてしく生きている。そんな時、息子ギウの友人ミニョクが石の置物を携えてやってきて、留学するから、今教えているIT企業社長パクの娘ダヘの家庭教師になってほしいと言ってくる。ギウは、偽装の大学卒業証明でパクの家庭に入り込み家庭教師となる。さらに、息子のダソンの家庭教師に妹のギジョンを紹介し、運転手や家政婦を巧みに追い出して、父ギテク、母チョンスもパクの家庭に就職させる。ここまではとにかく面白い。

 

そんなある時、パクの家族は自分達だけでキャンプに出かけた。キムたちは誰もいない家で好き放題に飲食していたが、そこへ追い出したはずの家政婦がやってくる。地下に忘れ物をしたというのでついて行ってみると、家の地下に大きな部屋があり、そこに家政婦の夫が住んでいたのだ。家政婦はキムたちが家族でこの家を食い物にしているのを知り動画を撮って脅す。

 

ところが、突然パクたちが帰ってきたため、キムたちは家政婦の夫婦を地下に閉じ込め、自分たちはなんとか脱出。しかし、激しい雨が降り始める。キムの半地下の家も埋没し、避難所暮らしに。ギウは、ミニョクにもらった石で地下の家政婦夫婦を殺そうとするが返り討ちにされてしまう。

 

一方、パクの妻の提案で、ダソンのサプライズパーティをする計画を手伝うように言われる。地下に閉じ込めた家政婦たちだが、家政婦は階段から突き落とされ瀕死の状態だった。

 

やがてパーティの日、地下にいた家政婦の夫が、ロープをほどき、地上へ出る機会を探っていた。そしてたまたま開けたタイミングで地上に出てくる。サプライズの道化でパク社長とギテクが庭に控える。ギジョンが家政婦の夫に刺され、パクの妻が刺される。兼ねてから自分を見下げているとおもっていたギテクがパク社長を刺し殺す。

 

エピローグ、ギジョンは死んでしまうが、ギウとチョンスは正当防衛とされる。やがて、家は売られるが、ギウはいつも家を見にきていた。ギテクが行方不明なのだ。そして、家の明かりのモールス信号を見つける。それは兼ねて家政婦の夫が住んでいた時から、モールス信号に使っていたものだった。ギテクは一人地下に暮らしていた。こうして映画は終わる。

 

ちょっと物語のエピソードが前後したかもしれないがこういうお話だった。確かに面白い。ここまで描ききれば見事だと思うのですが、ギテクが時々感じるパクたち上流階級の人々からの目線などメッセージ性も忍ばされている点では、終盤にもう一工夫欲しかった気がします。でも、なかなかの映画でした。

 

「フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて」

イギリスの漁師バンドの実話を基にした作品なので、いいお話なのですが脚本が良くなくて、どうにも乗り切れない出来栄えになっていたのは残念です。監督はクリス・フォギン。

 

ロンドンの音楽事務所のメンバーがポート・アイザックという田舎の漁師町にバカンスでやってくる。そこで漁師たちが慰みに歌っていた歌を冗談半分に売り出そうというのをマネージャーのダニーが本気にして契約を進めてしまう。

 

しかし、ダニーの上司にその気がない。しかし、漁師たちとの触れ合いの中で裏切ることができないと思い、自ら彼らを売り出すことに奔走していく。

 

成功談の話なので、漁師バンド、フィッシャーマンズ・フレンズは、音楽ファンに受け入れられ、大ヒットして映画は終わる。ありきたりの現地の女性とダニーとの恋なども埋め込まれているのですが、全体にエピソードの組み立てが実に悪いので、一本の線にまとまっていない。まあ、実話を知ったというレベルの鑑賞でよかったかなという感じです。

 

映画感想「幸福の設計」「ルパン三世 THE FIRST」

「幸福の設計」

とにかくテンポが抜群にいいし、それほど長くないのに凝縮されたストーリーの組み立てで、最初から最後までとにかく楽しめる。ゴーモン映画社特集、監督はジャック・ベッケル

 

製本会社に勤めるアントワーヌと写真館に勤めるアントワネットは夫婦である。生活は貧しく、アントワーヌはサイドカー付きのバイクを買うにのが夢。夢の実現に向けて宝くじを買ったアントワネットだが、今回もハズレで、ハズレ券を宝くじ屋のおばさんにあげる。おばさんはいつもアントワネットから本を借りていて、ハズレ券をその本に挟む。

 

この日も、仕事を終えたアントワーヌはアントワネットの元に帰ってくる。アントワネットは、また宝くじを買ったがどうせハズレだからと食事作りに勤しんでいる。アントワーヌは暇つぶしにその宝くじを新聞の当選番号と照らし合わせて驚く。なんと、80万フランの当選くじだった。二人はそのお金でどうしようという夢を描きベッドに入る。

 

夜中に目覚めたアントワーヌは、机の上に置いたクジが気になり、棚の本に挟んでおく。なんとその本は宝くじ屋のおばさんからアントワネットが返してもらった本だった。

 

翌朝、アントワーヌは、挟んでおいたクジを財布に入れて換金所へむかう。駅で乗車券を買うときにもたつき、思わず財布を置き忘れたまま換金所に行ってしまう。慌てて駅に戻るも財布はない。実は財布は通りかかった一人の男が拾っていた。

 

アントワーヌ夫婦の向かいには、アントワネットに想いを寄せるおっさんのロマンがいて、何かにつけアントワネットに言い寄ってくる。また、アントワーヌが行きつけのバーのマスターの娘が近々結婚の予定になっている。

 

せっかくの当たりくじをなくしたショックで家に帰れず困っているアントワーヌは、いきつけのバーへ。そこでは娘の結婚式が奥で行われている。一方夫がこないので心配なアントワネットはバーで落ち込んでいるアントワーヌに出会う。ところが、結婚式でバーのマスターの娘の夫となる男は、実は、生真面目で駅で財布を拾った男だった。そして、財布の名前からたまたまバーにいたアントワーヌが持ち主だと知り、財布を返すが、中のくじはハズレ券だった。

 

家に先に帰ったアントワネットのところにロマンが押しかけてきて迫ってくる。そこへ、アントワーヌが帰ってきて大げんかの末にロマンを階段から突き落とす。殴り合いの中で気を失ったアントワーヌが、次第に意識が戻り始め、本の中に当たりくじがあることに気がつく。そこへ、本を借りていた女が本を返しに来る。開いてみれば当たりくじが入っていた。

 

サイドカーにアントワネットを乗せたアントワーヌが颯爽と走って行って映画は終わる。とにかく展開のテンポの良さ、脇役を含めたキャラクターの面白さ、ストーリー展開の妙味を楽しめる一本で、階段や筋向いの店など空間の配置も見事でわかりやすい。名編と言える一本でした。

 

ルパン三世THE FIRST」

山崎貴監督作品なのでと見に行ったが、なんとも間延びした展開には参った。セリフの掛け合いにほんのわずかな間延びが繰り返されるためにだらけてしまった。ルパン三世のテイストはしっかり守られていると思うが、明らかに脚本と演出の弱さという仕上がりでした。

 

第二次大戦中、ブレッソンダイアリーという日記が厳重な格納ケースに入れられるところから映画は始まる。この日記帳には人類を支配できるお宝の説明がなされているという。ルパン三世の祖父も盗み損ねた品物で、物語は戦後へ。

 

ブレッソンダイアリーが格納されたケースが展示されている舞台へ。ルパンがまんまと盗むが二転三転されていく。あとはいつものルパンストーリーで、このお宝を手にしてナチス再興を目論むランベールら悪人が登場。ブレッソン博士の孫娘レティシアというヒロインも登場。

 

そして、手に入れたブレッソンダイアリーを開くとそこには最終兵器、ミニブラックホールを作り出す装置があり、それで世界征服せんとする。そしてすったもんだの末、装置は破壊され、例によってレティシアの元を去っていくルパン三世たちのショットでエンディング。まあ、目新しさも何もないし、テンポが悪いのでだらけるし、ストーリーに面白さもないので、ありきたりすぎていただけない。面白くなるところが3DCGアニメになったためのもたつき感が出た感じでした。

 

映画感想「ショーシャンクの空に」

ショーシャンクの空に

午前十時の映画祭で30年ぶりくらいの再見。やはりいい映画です。大人の映画ですね。刑務所の中に社会の縮図というか人生の縮図というものが凝縮され、そこで人々が未来への希望に向かい始める人間ドラマになっている。名作です。監督はフランク・ダラポン。

 

主人公アンディが大きな邸宅の前に車を停めている。邸宅の中では妻とプロゴルファーの愛人は逢引をしている。アンディの手には拳銃が握られている。間も無くしてアンディが法廷に立っている。妻とその愛人を撃ち殺した罪で、無期懲役の判決が出る。そして彼はショーシャンク刑務所へ送られる。しかし彼は無実だった。

 

刑務所では、新入りいじめや、ホモたちに狙われるが、レッドという黒人の男はアンディに注目していた。レッドも無期懲役で、すでに20年ここにいる。調達屋と呼ばれ、いろんなものを手に入れる役割だった。

 

アンディは自分を見失わず、時に希望のない刑務所に希望を作り出し、図書館を拡張したり、勝手に音楽を流したりして、次第にレッドたちに気に入られる。さらに、銀行員だったという知識と持ち前の機転で刑務所の所長たちからも気に入られ、やがて、所長の不正帳簿の経理の仕事をするようになる。

 

そんな時、トニーという若者が入ってくる。アンディは彼に高校の資格を取らせようとする。そんなある時、トニーは以前いた刑務所で

エルモという強盗が、ある家でプロゴルファーと人妻らしい女を撃ち殺したと言っていたとアンディに話す。アンディは再審を求めるべく所長に掛け合うも、自分の不正の片棒を担いでいるアンディを離そうとせず、懲罰房に入れた上、トニーを殺してしまう。

 

ようやく一般棟へ戻ったアンディは、レッドに、もしも将来仮釈放されたら、あるところにあるものを掘り出してほしいと告げる。意味もわからず返事したレッドだが、その翌朝、アンディは姿をくらます。なんと、自分の部屋の壁に貼ったポスターの後ろに脱獄の穴を掘っていたのだ。しかも、所長の片棒を担ぎながら、金を巧みに手に入れられるように計画していた。アンディが収監されて二十年が経っていた。

 

やがて、年老いたレッドは仮釈放になり、一時はシャバで暮らし始めるも居場所がない虚しさを感じ始めていた。かつて仮釈放されて自殺した年老いた囚人と同じ思いに駆られていたが、ふとアンディの言葉が蘇り、指示された森の木の根元を掘ってみると、アンディの手紙と旅費が入っていた。レッドは、アンディが行きたいと言っていたメキシコ国境の太平洋に面した街へやってくる。その浜辺でボートを磨くアンディの姿があった。

 

と、思い出しても見事な映画です。生きること、生きがい、希望、人生、それぞれが凝縮され、ラストシーンでなんとも言えない感動を生み出してくれます。見直してよかった。アカデミー賞では7部門ノミネートですが、「フォレスト・ガンプ」にさらわれていますが、甲乙つけがたい作品だと思います。

映画感想「私たちは一緒に年をとることはない」「ヒックとドラゴン 聖地への冒険」

「私たちは一緒に年をとることはない」

同じ展開を何度も繰り返すので、しまいにはええ加減にせえとなってしんどくなってしまった。シンプルな物語を映像にするという典型的な一本でした。ゴーモン映画社特集、監督はモーリス・ピアラ

 

主人公ジャンは映画の撮影をしているが、カトリーヌという女性と不倫関係にある。時に喧嘩をし時に愛し合うを繰り返し、すでに6年になる。そんな関係に嫌気がさすようでも離れられないカトリーヌだが、とうとう別れる決心をする。

 

行方をくらましたカトリーヌにようやく会ったジャンだが、カトリーヌは結婚していた。久し振りに再開した二人だが、車を降りたカトリーヌは、今までのように戻ることはなく去っていく。ジャンは、かつて彼女と海に行った日を思い出し、映画は終わる。

 

とにかく、同じ展開をこれでもかと繰り返す作品で、フランス映画の一つの形なのだろう。

 

ヒックとドラゴン聖地への冒険」

素直に面白かった。第一作は大感動の一本でしたが、第二部が公開されていないということもあり見てなかった。それで二の足を踏んでいましたが、見に行って良かったです。前作同様飛行シーンが抜群だし、切ないような恋のドラマからクライマックスの別れのシーンのファンタジー性までよくできているという感じです。見てよかったな。監督はディーン・デュボア。

 

父の死後、バイキングのリーダーとなりドラゴンと共存しながら暮らすヒックたち。しかし、ドラゴンの数も増え、バーク島は飽和状態になっていた。そんな時、ナイト・フューリーのトゥースを殺そうと、最強のドラゴンハンターが迫る。

 

父が探していた伝説の地の果てのドラゴンの理想郷を見つけるべく、ヒックは一か八かの冒険に出発。一方ドラゴンハンターたちは、ライト・フューリーの白いドラゴンをトゥースに近づけ、それを餌に、トゥースを捕らえようと迫ってくる。

 

ヒックたちは偶然、地の果ての海の底に隠された王国を発見するが、そこはドラゴンだけが住む理想郷だった。ヒックたちはドラゴンとの別れを予感する。そんな彼らにドラゴンハンターが襲いかかる。

 

クライマックスは、ヒックたちとドラゴンハンターの空中戦となる。前作同様に見事な飛行バトル。とにかく、めくるめくような空間演出が素晴らしい。そして、ヒックたちの勝利の後、ドラゴンとの別れが待っていた。

 

隠れた王国の描写の美しいことは息を飲むが、一方のバトルシーンのスピード感との対比も面白く、ヒックとアスティ、トゥースと白いドラゴンの恋の成就で締めくくるラストも切ない。ファンタジーの常道として、人間世界からおとぎの世界が消えるラストはなんとも言えない感動です。いいアニメでした。

映画感想「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」「グラマ島の誘惑」

「ロング・ショット僕と彼女のありえない恋」

テンポもいいし、面白い展開で、よくある話ながら退屈せずに楽しめたのですが、いかんせん脚本に芸がないというかセンスがないというか、この手の話を面白くするにはSEXとドラッグしかないという工夫のない物語の核が残念。しかも、クライマックスの切り口が下ネタというのも、あまりに素人くさいのがなんとも言えなかった。監督はジョナサン・レビン。

 

うだつの上がらないジャーナリストのフレッドは、この日、ネオナチの集まりのようなところへ潜入していた。そこで、なんとか特ダネ映像をゲットするも、ジャーナリストとバレてしまい、這々の体で脱出。勤めている出版社へ戻るが、なんと大手の会社に吸収されると聞き、そのまま失職してしまう。相談しに親友のところへ行き、そこで、人気のバンドのパーティ会場へ誘われ出かける。

 

一方、美貌と聡明さで人気の女性国務長官シャーロットは、大統領に今期のみで引退予定だと告白され、自身が次期大統領選出馬を決め動き始める。その中で、たまたま出かけたパーティで、少女時代ベビーシッターをしたフレッドと再会する。たまたま、大統領選出馬の時のスピーチ原稿を書く担当を探していたシャーロットは、フレッドを起用することにする。

 

いきなり国務長官付きとなったフレッドだが、シャーロットと仕事を進めるうちに幼い頃の恋心が蘇り、一方、ストレスで自由を奪われていたシャーロットもフレッドが気になり始める。そして、ある日、二人はSEXをする。急激に接近する二人だが、シャーロットには大統領になるという夢が控えていた。

 

現大統領の全面支持を得るために奔走するシャーロットの前に、フレッドの会社を吸収し、自分の利益だけを考える出版社の大社長の利害が絡んでくる。フレッドが作成した原稿の中の一部を削除することを要求するが、難を示すシャーロットに元大統領と大社長は、フレッドのオナニー映像をハッキングし、ネット撹拌しないことと引き換えに元大統領の意向通りの原稿にすることを要求。シャーロットはフレッドを守るためと自身の出馬を有利にするために取引に応じる。そんなシャーロットに嫌気がさしたフレッドはシャーロットの元を去る。

 

そして出馬表明のスピーチ、シャーロットは突然原稿を覆し、元大統領らを罵倒した上、何もかも告白し、フレッドの元へ。世論はそんな彼女を受け入れ、彼女は女性大統領となる。映画は、シャーロットの夫として座るフレッドのシーンで映画は終わる。

 

途中、ドラッグを体験したシャーロットが、第三国に拉致された軍人を救うエピソードや、フレッドの映像のちょっと品のなさ、シャーロットのSPの使い方の弱さ、出だしのリアリティが次第に平凡なラブストーリーに変わっていく様など、弱点だらけの普通の映画でしたが、この辺りをもう少し煉りこんだらもっと楽しいものになったかもしれません。

 

「グラマ島の誘惑」

奇才川島雄三監督のカルト作品の一本。とにかく珍妙な映画でした。何をどう考えてどうしようと思ったのかという作品で、どう見るかという常識がふっとっんでしまいました。

 

東京の市電の街並みのカットから、ある書店に並ぶ「グラマ島の悲劇」という本のカット、そして、戦時中下、グラマ島に漂流した皇族の軍人二人とその部下が目を覚ますところから物語は始まります。とまあ、ここから珍妙。

 

一緒に漂流したのは従軍慰安婦の女たち、画家、ジャーナリストらしい女、そしてこの島の元住民で夫が戦死した美しい後家。彼らをなんとか助けた船もアメリカに爆撃され、彼らはこの島で孤立する。島には原住民らしい妙な南国の土人風の男もいる。

 

映画の前半は、この島での暮らしから、皇族の軍人の一人が慰安婦の一人とカヌーで脱出、部下の軍人は心臓麻痺で死亡、仕方なく残る人々は民主主義により平等な生活を始める。折しも、海の彼方にキノコ雲が現れ、しばらくしてアメリカ軍がやってきて彼らは助けられる。島の未亡人は現地人と一緒になり島に残る。

 

次第に復興する日本で、引き上げた人々はそれぞれの暮らしをするが、死んだと思われていた、カヌーで逃げた皇族の軍人も生きていて、また、妙なスープで商売を始めるその軍人の弟やら、グラマ島での出来事を書いた本がベストセラーになったりと、てんこ盛りの物語が続く。

 

やがて、グラマ島で水爆実験が行われるというニュースが入り、あの未亡人夫婦はどうしたのかという危惧の中、水爆のキノコ雲が画面に広がって映画は終わる。

 

クローズアップを多用したカットやら、ふざけたようなストップモーションを使ったり、なんとも言えない映画です。ふざけているのか、いろいろ試しているのか、なんとも奇才らしい映画でした。よくまあ、こんなもの作ったなという感じです。

映画感想「顔のない眼」「ある女優の不在」「エクストリーム・ジョブ」

「顔のない眼」

ゴーモン映画社特集。いわゆるカルトムービーである。皮膚を剥がす場面がかなりリアルで、ややグロいが、それでも全体に漂う悲壮感がホラーに一味加えている感じの作品でした。監督はジョルジュ・フランジュ

 

一人の女性が車を運転している。そして後ろには何やら顔を隠した人物。そして海辺について、その女性は後ろの人物、つまり死体を海に捨てる。彼女はある教授の秘書である。その教授の講演の場面、皮膚移植についての講演を終え、帰宅。彼には交通事故で亡くした娘がいたらしく、警察でその死体を見聞して娘だと証言して帰る。しかし、教授は娘の崩れた顔を修復するため、女性を拉致しては移植実験を繰り返していたのだ。

 

この日も秘書は一人の女性を拉致し、手術室へ。そこで教授が手術をし、顔の皮膚を剥がし、娘に移植。ところが剥がされた女性は、自殺してしまう。しかし、成功したかに見えた移植は間も無くして腐敗し。再び娘は仮面をかぶることになる。

 

そんな時、娘の恋人が不審に思い、警察に相談。たまたま万引きで捕まった少女を囮にして、真相を探ろうとするがまんまと拉致されてしまう。ところが、あわや手術というところで、娘がこんな繰り返しに嫌気がさし、秘書を殺し、囮の女性を逃し、実験台の犬を解き放つ。教授は犬たちに噛み殺され、解放された娘は夜の闇に消えて映画は終わる。

 

警察はどうしたん?というラストで、かなり適当感があるし、終盤の病院でのあれやこれやのシーンの意味が今ひとつ分からない。要するに、中盤あたりの娘の苦悩などの場面が映画のメインメッセージのように見える作品ですが、カルト作品として見ておくべき一本という感じでした。

 

「ある女優の不在」

非常にクオリティの高い作品ながら、物語の背景に対する知識が皆無な上に、チラチラと語られる説明もなかなかリアルに受け止めきれず、正直しんどく感じてしまった。ただ、ポツンポツンと家々の明かりが灯る画面作りや、真っ暗闇の中で人々が出入りする映像演出は相当秀でたものであり、その手腕を堪能できるだけでも見た値打ちを感じました。監督はジャファル・パナヒ。

 

携帯の動画から映画が始まる。一人の少女マルズィエは芸術大学に合格したものの、家族や村人から反対されたので今の気持ちをこの映像に込めると言って自ら首をくくって自殺する。映像はそこで終わる。その映像を贈られた女優のジャファリは友人のパナヒと一緒に少女の村にやってくる。ところがこの村ではマルズィエは疎まれていた。

 

もっと役に立つ仕事を見つけるべきなのに芸人を目指したということで、家族も村人から白い目で見られ、長男も許せないと激昂するばかりだった。実際、数日前からマルズィエは家に帰っていなかった。ジャファリたちはマルズィエの友達にも話を聞くも分からず、途方にくれるが、間も無くして、マルズィエが無事であることを知り、ジャファリは激怒する。しかし、話の真相に迫っていくに連れて、ジャファリたちは、何か気づいていなかったものが見えてくる。

 

イラン革命後、悲劇的に演じることを禁じられた女優シャールザードの物語を知り、ジャファリたちはこの国に潜む現代を目の当たりにする。そして旧態然としているこの村の姿に、この国の矛盾を見ることになる。変化することを拒む村にマルズィエはできる限りの抵抗を試みるも全く歯が立たないことを語る。

 

やがて夜が明け、ジャファリたちはマルズィエを乗せてテヘランに戻ることにする。一本道で、クラクションで通行の合図をするジャファリたちの前を雌牛を乗せたトラックが通り過ぎる。この村に必要なのは牛の繁殖なのだと言わんばかりである。ジャファリは歩いて先に進むといい、マルズィエも後に続いて映画は終わる。

 

進歩を止められたようなイランの国へのささやかな抵抗のメッセージがそのラストにようやく見えてくる。流石に表現は素晴らしいものの、それなりの知識があればもっと胸に迫るものがあったろうと思います。でもいい映画でした。

 

「エクストリーム・ジョブ」

いつものような韓国コメディなのですが、テンポが良くてツボにはまるので、最後まで楽しめるし、クライマックスの爽快感の配分が絶妙な上にマカロニウエスタンのような曲に乗せるリズムが絶妙。楽しかった。監督はイ・ビョンホン

 

班長の元に組織された麻薬捜査官メンバーが、間の抜けた突入で苦笑いされるところから物語は始まる。たまたま、後輩の捜査官からの情報で、麻薬の売人のボス、イ・ムベの組織の尻尾を掴むために、事務所の向かいのチキン店を買い取り張りこむことに。ところがチームのマ刑事の料理の才能で店は大繁盛。張り込みどころではなくなる。

 

そんなチキン店の名声に目をつけたイ・ムベの部下が、チキン店をフランチャイズ化し、麻薬の販売に利用することを思いく。そんなこととは知らないコらは、有頂天でその事業に参加するが、どこかおかしいと気がついたコらは密かに調査し、麻薬販売に利用されたことを知り、イ・ムベが大口取引をするつもりのテッド・チャンとの取引の現場に遭遇することになる。

 

終盤、実はコのチームは柔道チャンピオンやムエタイチャンピオン、特殊部隊出身者であることが明らかになり、大立ち回りの末、イ・ムベらの組織全員を逮捕、コのチームは全員特別昇進して映画は終わる。

 

大立ち回りシーンのマカロニウエスタン調の音楽と、テンポ良い展開がなかなか爽快で、目を背けるような韓国コメディのすべりもほとんどなく、ツボで笑わせてくれる。軽い映画ですが娯楽映画として十分楽しめました。