くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「宇宙戦争」

スティーブン・スピルバーグ監督が久々に放つSF大作「宇宙戦争
原作はもちろんあのH・G・ウェルズ。しかも映画作品としてもジョージ・パルが1953年に製作したSF映画の古典的名作がある。
つまり、リメイクでもあり、久しぶりの映画化でもある。

さすがにスピルバーグというシーンが随所にでてくる映画であった。
冒頭シーン、さりげない日常を描いた後、世界中に磁気嵐が吹き荒れているというニューズがかいま見せられ、主人公レイ(トム・クルーズ)の自宅の頭上に表れる竜巻のような雲と稲妻、そして風。
次の瞬間、地面から表れるトライポッドと呼ばれる異星人が過去に埋めた破壊兵器が表れるあたりからスピルバーグ演出がさえる。

一瞬にして建物を破壊し、人々を灰にしてしまう兵器が表れ、教会がその前部を半分引き裂かれ、人々が主人公の周りで一瞬に粉々になっていく。
その惨状の中必死で逃げまどうレイ。このシーンがとにかく怖い。破壊シーンが続くだけなのだがあまりにも見に迫ってくるのである。

ようやく、自宅に帰り着き、取るものも取りあえずに娘と息子を連れて脱出するのであるが、遠景に映し出すトライポッドの軍団のシーン。海から現れるシーン、通り過ぎる電車が火の車になって走り抜けていくシーン。ダコタ・ファニングが川を見つめていると一体のしたいが流れる。やがて二つ、三つ、そして川いっぱいに死体が流れてくるシーンなど、スピルバーグならではの想像力の世界である。

こうしてみると、さすがスピルバーグ、といわざるを得ないし、ストーリーテリングのうまさも超一級品である。しかし、何か物足りない。
その原因は何かと考えた。時代が違うのである。いまや目に見えない恐怖は人々の中にほとんど存在しないのである。

原作が発表された頃は火星人さえもが存在するかも知れないと言う身近な恐怖があった。映画化された頃は第二次大戦が終わって十年ほどしかたっておらず、冷戦など世界がまだまだ戦争の不安におびえていたのである。
ところが、現代は二大大国も存在せず、局地的な戦争はあるものの世界中を巻き込むようなものが起こるかの性も低い。さらに、地球外生命体の存在は否定できないものの、火星などの身近な惑星には生命の存在は認められていない。
つまり、ちょっと、時代が変わりすぎたのである。

1953年版の作品はドキュメンタリータッチでぐいぐいと押してくる展開で、誰が主人公というわけでもなく、人類のあらゆる兵器がことごとく歯が立たず、人々が恐怖に飲まれていく様が端的に描かれていた。
しかし、今回の作品はスケールもさることながら、作品としては一級品であるものの、主人公レイの父としての存在感を中途半端に挿入しているのである。
トライポッドは確かに無敵であるが、その力に人類が全く歯が立たないと言う恐怖感が表現されていない。

1953年版にあった「いよいよ核使用に踏み切りました」というニュース場面やそれさえも歯が立たなかった結果からくる絶望感などがほとんど無視されている。
確かに、いま、核というのはさすがに非現実的になってきたのかも知れない。
かつては第二次大戦を終結させた最終兵器として存在していたものがいまやどこか悪としてしかイメージがないのである。

こうしてみると、やはりいくらスティーブン・スピルバーグが監督をし、卓抜とした演出力で描いたとしても無理が生じたのである。

ラストシーン、旧作同様とはいえ、果たしてこのラストシーンがいまに通用するかははなはだ疑問であった。
最後にダコタ・ファニングであるが「きゃーきゃー」と叫ぶシーンしかなかったのはちょっと残念でしたね

ちなみに、ユナイテッドシネマは振動シートが導入されていたので、コインを入れて振動させながら見たのであるが、この振動シートはほとんど迫力を倍加するものではないと思った