くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「第七の封印」「野いちご」

第七の封印

本日見たイングマール・ベルイマン監督特集は、あまりにも有名なベルイマンの代表作品。
死神とチェスをするという何ともシュールな世界を見せるベルイマンならではの「第七の封印」。初めて見たのは18年ほど前である。

まぁ、ほかの作品よりは見たのが新しいこともあってか、覚えているシーンは所々ありましたが、やはり、当時もしんどかったようで、完全には記憶は甦りませんでした。

冒頭、天を写したカメラ、かすかに雲の切れ間から漏れる光、そしてバックに「第七の封印を解いた・・・」旨のナレーションがかぶって映画は始まります。
浜辺で寝ころんで疲れをいやしている十字軍兵士。一人はマックス・フォン・シドー扮するアントニウス。その傍らに一人の真っ黒なマントに包まれた死神が立ちます。死をもたらせにきたのですが、アントニウスは死神にチェスの対戦をし、その間は猶予をくれ、そして万一死神に勝ったら解放してくれと持ちかけます。なんと、それを承諾する死神。「デスノート」でもそうですが、死神はお遊びが好きらしい。

こうして、10年の十字軍の遠征から疲れて帰る二人に死神がチェスでつきまとうことになります。
途中、芸人の夫婦や妻を寝取られた木こりなどが加わり、奇妙な旅を描いていくのですが、もちろん、死神の姿はアントニウス以外には見えない。
とはいえ、途中で芸人の妻に見えるのですが。

ベルイマン独特のシーンが随所に見られるのですが、見たあとで細かく思い出すにはあまりにも難解すぎるために、書き切れませ。
ラストシーンはなかなか感動的な、まるで「ベン・ハー」のラストを思わせるようなシーンで終わります。
嵐のあと、その嵐が去って明るい太陽が見え、山肌に死に神に引っ立てられて進んでいく、アントニウス、その妻、もう一人の騎士、木こり・・・それらを見上げている芸人の夫婦と子供。

これこそベルイマン、と言うほど満足のいく映画、ベルイマンはやはりこうでなくてはね。

さて、二本目は初めて見る名作「野いちご」
ベルイマンの映画には珍しく、タイトルより前に数シーンが入ります。

一人の医師が書斎の机でなにやら書き物をしている、自分の歳、そして今日、大学の名誉博士号を受けることになったと語り、部屋を出るところでタイトル。カメラはこれもベルイマンには珍しく、床の高さから机を見上げています。

極めた落ち着いた導入部分ですが、このあと続くこの医師の夢のシーンは何とも不気味です。
街頭を歩く医師、通りにかかっている時計には針がない。向こうから馬車がきて街灯にひっかかる。それでも馬車は必死で引っ張り、積み荷を落として走り去る。積荷は棺桶で、中から手が出て、医師の手を握る、その死体は医師そのものである。というもの。
まるで、ヒッチコックが描いたサルバトール・ダリデザインの夢のシーンのようでもある。

そんな夢のあと、主人公の医師イサクが自動車でルドン市を目指すことになる。一緒に息子の妻マリアンヌも同乗することになって、二人の旅が始まる。
途中、出会った若者たち三人を乗せ、いわゆるロードムービー調に物語りは進むが、ときおり、イサクが夢の中に入って若き日の出来事を回想してみたりして、夢と現実、過去と現代が交錯を繰り返して、老境に到達した医師イサクの今の複雑な心境を描いていきます。

途中で乗せた若者たちは、これから夢にあふれているという感じで、とにかく明るくはつらつとしている。死を待つのみとなったイサクにはまぶしいほどに見え、それがいっそう、懐かしい時代を回想します。

また、マリアンヌとその夫でイサクの息子エヴァルドとの不仲をマリアンヌから告白され、自分も妻との諍いが耐えなかったことなども思い出します。

死への不安と、過去へのあこがれ、若さへの羨望、このあたりを見てくるとルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」を思い出さざるを得ませんが、この「野いちご」はあそこまで悲壮感が漂うわけではありません。

クライマックス、みんなに祝福されて名誉博士号を受け、ホテルについて、若者たちに祝福され、マリアンヌたちも縒りが戻り、そして、自分も40年世話してきてくれた家政婦アグラに親しく声をかけてみたりもする。

どこか希望がかいま見えるようなシーンをのこして、この主人公はベッドで眠りについて終わります。

こうしてみると、この「野いちご」はベルイマンの映像芸術が、いわゆる一つの完成の域に達し、こなれた状態でふつうの作品を撮ったという感応ですね。イングマール・ベルイマンというと神の不在、愛の不在などと言いますが、この作品はそんなところを超越した作品になり、独特の毒のあるクローズアップや鏡の多用、長回しによる緊張感の創出などはこなれた形でさりげなく登場し、ベルイマンであって、ベルイマンではないのではと思わせる映画になっています。

この「野いちご」を見ると本当にイングマール・ベルイマンという人はその作る時々で精神状態がバラバラなのではないかと思えるほど個性がまちまちに出ているように見えます。もちろん、独特のシーンは必ず登場するもののどこか違うのですよね。ちょっと怖いですね。

とりあえず、今回のベルイマン特集はこのあたりで切り上げようと思います。まだ、上映予定は残っていますが、疲れました。できのいいサスペンス映画が見たくなりました。