くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ひき逃げ」「永遠の人」「妻として女として」

ひき逃げ

「ひき逃げ」
成瀬巳喜男監督作品としてはかなり実験てきな異質の作品に見える。もちろん一定のレベルの作品であるが、他の名作と評価されている作品から比べると少し質が落ちるといえなくもない。それでも一級品ですけどね。

主人公の感情が高ぶったシーンで豪快なくらいにカメラを大胆に扱って、構図も大きく斜めにとるというダイナミックな演出を試みているのが、ほかの作品と少し違う。
もちろん、得意の女の情念を徹底的に描いていることに変わりはなが、すべての画面からひしひしと伝わる迫力には少し欠けるように思えました。

物語は女手一つで子供を育ててきた主人公国子(高峰秀子)の一人息子を、不倫相手小笠原と車で帰宅途中の車会社の重役久七郎の妻絹子(司葉子)がひき殺してしまう。小笠原と一緒だったためにそのまま逃げ、久七郎は世間体のために自宅の運転手菅井を身代わりにたてる。

たまたまその車を目撃していた女(浦辺粂子)の証言から不審に思った国子が復讐のために絹子の家に家政婦としてはいり復讐の機会をうかがうが、なかなか進まない。そこで、家庭を壊すべく絹子のフリンを久七郎に告げ口する。やがて意を決した国子はある晩、絹子の寝室へ忍び込み子供もろとも殺害しようとして、忍び込むが、絹子は小笠原との不倫が久七郎にばれたことで悲観し、子供を道連れに自殺したのを目撃してしまう。一時は犯人と疑われるも夫が妻からの遺言状を明らかにして無罪となる。しかし、罪悪感から精神的に異常を来した主人公は狂ったように横断歩道を子供を足らせているというエンディングである。

子供を思う女の情念、恋に揺れながら子供のことを忘れられない絹子と二人の女の物語を描かんとしているが、今一つ絹子の演出に弱さが見られ、二人の女の情念のぶつかり合いがちょっと弱い。
クライマックスに進むにつれ一気にクローズアップを多用する成瀬の演出がラストの鬼気迫る主人公の描写に見事な効果を呼んでいる。レベルは高いものの傑作をたくさん作った成瀬監督作品としては中の出来映えだった気がします。

「永遠の人」
1961年木下恵介監督作品である。この作品はまさに傑作であった。
男と女の情念の物語ながら非常にさめた視線で淡々と描いていく木下恵介の演出眼がすばらしい。

ゆっくりとズームアウトしてはズームイン、さらにゆっくりとパンするカメラワークも絶品。もちろん背景をとらえる雄大阿蘇の景色や、豪壮な地主の家のショットを横長の画面を最大限に利用した構図もすばらしい。さらに、悲劇の人生を歩む主人公さだ子の淡々とした気丈な姿を演じた高峯秀子もすばらしい。そして、これまたびっこの役柄の地主の息子平兵衛(仲代達矢)のいけ好かない、それでいて素直に自分の感情を出せない演技も絶品としかいいようがない。これぞ傑作と呼べる一本でした。

映画が始まると朝靄にひとりたたずむ主人公さだ子の姿。汽車のショットに変わり手に手を取って乗っている恋人たちらしい二人。
タイトルの後時代は昭和7年になります。
背後にラテンギターの調べとカスタネット、さらに即興のような歌が時折流れるという何ともモダンな演出も秀逸でうならせてくれます。

戦地にでている恋人隆(佐田啓二)をひたすら待つ小作の娘さだ子。足をけがし跛担ったため一足早く帰ってきた地主の息子平兵衛はさだ子に惚れ、隆という恋人がいるのを知りながら無理矢理手込めにして妻にしてしまう。時代が時代ゆえにどうしようもなく娘を嫁がせる父。そこへ隆が帰ってくる。
嫁入りを数日後に控えた時になって、隆はさだ子を連れて逃げようとするも寸前でさだ子を残し一人村をでていく。

そして昭和19年。手込めにされたときの息子栄一、次男守人、三女直子をもうけたさだ子たち。時に隆も結婚し妻を連れて帰ってくる。そんな中、ひたすら平兵衛への冷たい態度を続けるさだ子替えが枯れると共に、平兵衛の父が死ぬ。。やがて戦後昭和24年をむかえ、長男はとうとう自分の出生の秘密を知り、阿蘇山へ身を投げてしまう。そして次男も次第にさだ子たちと溝ができていく。

そしてさらに10年がたち昭和35年。冒頭のさだ子がたたずむ場面、汽車が走り去る場面、汽車の中の恋人たちは実は次男守人と隆の娘である。二人を駆け落ちのように結婚させ送り出すさだ子。そして、そのことを夫に話すあたりから物語はクライマックスへ。

一年がたち昭和36年。二人が子供をもうけて帰ってくるが隆は肺病で今にも死の床である。このあたりからの演出はまさに絶品で、一つ一つ言葉にできないほどにすばらしい。さだ子が隆から、平兵衛に謝ってほしいと死の床で訴え、またさだ子も今まで冷たかった態度を夫平兵衛に謝り、是非隆にも謝ってほしいと懇願。一時は拒否する平兵衛であるが、妻の後を追って隆の元へ急ぐシーンで映画が終わる。このあたりの画面の切り返し、初めてカメラが真上から平兵衛をとらえ、さだ子を見下ろすカットによる心理描写、そして、あきらめて隆のもとへ走り出すさだ子のあとを平兵衛が追ってくるラストまでのカットつなぎはすばらしく、その見事なエンディングにうなってしまいました。
全く、木下恵介監督は天才ですね。すばらしい作品でした。

「妻として女として」
成瀬巳喜男監督作品定番のお妾さんになっている主人公三保(高峰秀子)とその愛人圭次郎(森雅之)の妻綾子(淡島千景)との葛藤を描いていくカラー作品。さすがにフィルムが色あせているのが残念でした。

今の生活に疑問を持ち始めている三保は、十数年続いた圭次郎との関係を絶とうと考えている。一方の綾子は自分が子供ができない体のため、三保と圭次郎にできた子供二人を自分の子として引き取って暖かい家庭を築いている。しかし、常に三保に対する対抗心を決して捨てなかった気丈な妻であった。

三保の別れ話から慰謝料の話へ進んでいく中で三保と綾子の対立が徐々に表に。そんな諍いのなかで常にしどろもどろで頼りないのが成瀬作品に登場する男どもである。この映画でも、何かにつけ曖昧な結論を持ち出したり、時間をおこうと逃げたりと何ともふがいないのが大学教授でもある綾子の夫圭次郎なのだ。

結局子供たちに真相を話した三保。そのために両親とのあいだに溝ができた子供たち。姉は家を出て、息子も早く大学になってでていきたいと考えて映画が終わる。
結局、バカみたいに争っているのは大人たちだけというユーモア満点のエンディングがちょっとしゃれている作品でした。

主人公の母親のおばあちゃんを演じた飯田蝶子が実に暖かみがあって素敵で、今となってはこういう演技のできるおばあちゃん役の女優さんもいなくなったものだなぁとつくづく感じる一本でした。