くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ツリー・オブ・ライフ」

ツリーオブライフ

観念的な映画である。そして、これだけの映像を撮り映画として一つの作品につなぎあわせ、それでいて、見事に映像のリズムを生み出したテレンス・マリック監督に拍手したい。そんな一本であった。

お世辞にも娯楽映画といえないし、この作品がなぜ一般的なシネコンで公開されたのか正直疑問である。まぁ、ブラッド・ピットショーン・ペンという大俳優が主演するという一言につきるのだろう。しかし、この一大映叙事詩、さすがに前半は覚悟はしていたもののしんどかった。特に地球の誕生から生命の誕生、恐竜たちのとうじょうやらのまさに「2001年宇宙の旅」のクライマックスのスターマインのシーンを思わせるシュールな自然描写の数々には息をのむとともに陶酔感さえ感じてしまいました。

映画が始まると天地創造を思わせる壮大な自然の風景の中、神と人間についての聖書からの引用がながれる。
そして、物語は一つの家族へ。
ある日オブライエン(ブラッド・ピット)の妻のところに一通の手紙。弟の死を報せるもので、その知らせがオブライエンの元に電話で告げられる。

こうしてこの壮大なテレンス・マリックの感性がもたらす映像が幕を開ける。
1950年代、同じく実業家で成功を収めた厳格な父オブライエン(ブラッド・ピット)、ことあるごとに長男であるジャックに執拗に厳しく接するが、それは父として、息子に強くあってほしいと望むが故の仕打ちであった。しかし、ただ、自分を嫌っているだけだと信じるジャックはことあるごとに父を喧嘩をし、二人の弟たちと毎日を過ごす。

ただ、そんな厳格な家族の中でひたすら子供への暖かい愛を注ぐのが優しい母であった。

こうしたストーリーの本編にはいる前に、天地創造のごときシュールな自然の映像がところ狭しと映し出される。惑星の誕生、天地の創造、命の誕生から、恐竜の姿まで、まさに「2001年宇宙の旅」のクライマックスのごとく。

そして、物語は再びオブライエンの家族の姿を追い始める。カメラは終始不安定に家族の姿をとらえ、決して固定された映像は移されていかない。強くなれとひたすら厳しく接する父の姿。しかし、子供たちの反抗は次第に表出し始める。時に原題のジャックの姿を交差させながら描かれる家族の物語はさらに心の描写を思わせるような自然の景色が挟み込まれると何ともいえない映像のリズムとなって観客に迫ってきます。

異常なほどに父親は厳格であるが、時代を考えれば日本もそうだった気がする。そして、それが無骨ながらも必死で家族を支える父の姿なのである。それに反発しながらも常に正しい道を進んでいく子供たちの姿が、父の行為の正当さを証明しているのではないでしょうか。

一方で優しすぎるほどに家族を包み込む母の存在。子供たちは時に多い被さるように母の愛に浸ってしまう。そう、これがふつうの家族なのである。
子供のためを思い、父は父で、母は母で必死で導いていこうとする。その姿はまさに神が世俗の人たちに求めた試練であるかにさえ見えてくる。これこそがテレンス・マリックが描いた神の姿と人間の姿の真の表現なのだろうと思う。

映像は実に観念の固まりのようで抽象的であり、時に自分の固定観念を捨て、常識的な映画の楽しみ方さえ捨てて、映し出されるままに感じようと努力しなければならない瞬間がある。にもかかわらず、本編に入ってからはひたすらこの壮大な映像のリズムにのめり込んでしまうのである。これが傑作だ、とか名作だとかいう俗っぽい表現のなせる一本ではないところにこの映画のすばらしさがある。

父がいて、家族があり、母がいて、弟がいた。そして、思い出すあの懐かしい少年時代。そして今自分もまた次の世代へと命をつないでいくための人生を生きているのである。ジャックが浅瀬の海辺で大勢の人たちの中に立ち、そこに父や母や弟たちの姿まで目にしながら伝わってくるイメージこそがまさにこの映画の真骨頂なのだろう。

シン・レッド・ライン」「ニューワールド」とみてきましたが、今回はかなりシュールです、いやぁ、さすがにものすごすぎます。