くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ヘルプ 心がつなぐストーリー」

ヘルプ 心がつなぐストーリー

これは本当に良かった。今年見た新作映画の中でいまのところベストワンと言える映画に出会いました。胸を打つ感動、しっかりと伝わるメッセージ、さわやかなほどの爽快感、散りばめられるユーモア、そして素敵な俳優さんたちの演技、笑い、どれもがとっても見事にバランスを取って一本の物語になって完成されています。名作とか傑作とか言う仰々しい言葉で評価したくない素直な映画、すばらしい一本、それがこの作品です。

ノートにペンでつづられる「The HELP」の文字、そして語られる言葉が文章になっていく。この映画はこうしてさりげなく始まります。時は1950年代から1960年代、ミシシッピー州ジャクソン、まさにアメリカがアメリカとして世界の夢の象徴であったような時代、人々はアメリカ国民であることを謳歌しているかのような画面が映し出される。しかし、それは白人だけの世界だった。

主人公エイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)は自分の子供を預けて白人の家のメイドとして子守をしている。育てた子供の数は限りなく多い。そんなナレーションで物語が幕を開ける。一見、何の変哲もない。しかし、どこかひずみを感じる。場面が変わる。広い台地の真ん中に立つ一軒の家から車が疾走して来る。彼女の名前はスキーター(エマ・ストーン)、いまだに独身で、男性との交際経験もないというようなナレーションが流れる。そして軽やかなディキシーランド・ジャズの音楽に載せてついたのは地方の出版社。就職するために編集長に会い、先に応募した出版社で断られた経緯とどこかで修行するように言われたのでここへやってきたとつげる。この導入部で彼女の性格を見事に表現する。

そして任されたのがとあるコラムの代筆。彼女は友人のエリザベスのところのメイドエイビリーンにインタビューをしてもらおうとするが、幼馴染でもあるヒリーを中心とする地元の慈善パーティでの席で、黒人メイドへの信じられないような差別意識に疑問を抱き、その記事を執筆しようとする。
慈善パーティの席でヒリーたちが交わす会話を扉の外で聞くエイビリーンのショットで一気にこの地域の現状とこの映画の背景となる問題点を画面に映し出す。そして物語はどんどんこのメッセージへと突き進むのであるが、ひたすら重々しく展開していかない軽快さがこの映画の優れている部分である。

一方スキーターの幼いころにいたコンスタンティンという年老いたメイドが母シャーロットに首にされたというのを聞いて一気にスキーターとシャーロットの関係に溝ができてしまう。

白人たちの執拗な黒人差別のシーンの合間に広い台地にたつ家を大きく俯瞰で捉え、観客の気分をいったん開放するという編集のリズムが実にうまい。
エイビリーンの雇われている家に三歳くらいの娘がいて、母親のエリザベスは子育てに興味がない。その子供はひたすらエイビリーンになついているというシーンも冒頭に映し出され、愛らしい子供のしぐさにひと時、黒人差別のテーマなんか吹っ飛んでしまう。このバランスが実にうまいのである。

ここにもう一人キーマンになるメイドの物語が展開する。黒人差別の扇動者のよな存在で露骨な差別発言と行動をするヒリーのところで働く料理上手なミニーである。このミニーは前半で嵐の日に外の自分のトイレが使えず、ヒリーの母の許しで自宅の白人用のトイレを使ったためにヒリーに追い出されてしまうのだが、この後、彼女はヒリーたちに嫌われているちょっと能天気なシーリアのところでメイドとして働くという物語が展開する。ヒリーの横暴には母親のミセス・ウォルターズも手を焼いていて、娘にことあるごとに逆らうというユーモアあふれる人物であるが、なんと演じているのがシシー・スペイセクで、最後まで気がつかなかった。

ところで、このシーリアは空気が読めないというか、マイペースで、この地域の黒人差別などまったく意に介していなくて、ヒリーの意地悪でどこでも働けなくなったミニーを平気で雇ってしまう。しかも料理がへたくそで、料理上手なミニーと気があってしまうのである。この人物設定の面白さとそれぞれのキャラクターのかみ合いがとってもユーモラスで、このユーモアの中にしのばせる黒人差別のメッセージも実に巧妙である。しかも、このミニーはヒリーに仕返しをするべく首になった後日チョコレートケーキを持ってヒリー宅を訪れ、ヒリーはミニーのおいしいチョコレートケーキを食べるのだが、なんとそのケーキにはミニーの排泄物が混ぜられていたというエピソードが終盤で告白される。ケーキを届けるショットだけが前半に映されるという細やかなお遊びもさりげないサスペンスとして楽しめるのである。そんなヒリーを笑った母は娘に老人ホームへ入れられてしまう

さて、本筋のスキーターがエイビリーンからさまざまな差別的な扱いや待遇を聞き取っていくが、そこにミニーも加わってきてどんどん物語の娯楽性としての面白さも幅を広げていくという物語構成のうまさも実に秀逸なのです。端々にスキーターが彼氏と出会ったり、スキーターの母親シャーロットがことあるごとにスキーターに平凡な女性になってほしいと活動を制限しようとするシーンなども織り込まれ、登場人物のそれぞれの生活観が描かれるという丁寧な演出にもこの映画のすばらしさがにじみ出るようです。

実は終盤に明かされますがスキーターの母シャーロットは末期がんで、コンスタンティンを首にしたいきさつは地元の有力者の団体のメンバーになったときのいきさつでやむなく首にしたことを明かす。そしてそのことが常に心に引っ掛かりを生み、ラストでスキーターに文句を言いにきたヒリーを見事に追い返すくだりが本当に爽快で、それまで保守的な態度だったシャーロットがスキーターの本の成功を応援するくだりへと続いていくという心地よい展開もあるのです

こうしてとんとんと軽快に、それでいてしっかりとしたテーマを盛り込んで物語が進んでいきますが、中盤を越えて、公民権運動が活発になり、ケネディ大統領の暗殺事件など、時代は非常な勢いで社会的な問題意識の広がりへと進んでいく。そして地元でも黒人がKKK団に殺されるなどの事件が起こって一気に緊迫感を帯び、ここを境にそのままクライマックスへとストーリーの転換をしていきます。一見、軽いタッチでユーモアも交えてつづられてきたスキーターとエイビリーン、ミニーの物語がこの事件のシーンで終盤へと切り替えていくタッチのうまさはまさに絶品の脚本構成といえます。

スキーターがいつも行く黒人営むカフェで「すぐにエイビリーンのところへ行け」といわれ言ってみると大勢の黒人メイドたちが待っている。
そして一気に原稿が完成、出版、そしてベストセラーになるが、仮名とはいえ明らかにジャクソンの人々の物語である。ヒリーも自分のチョコレートパイ事件まで乗せられていて絶叫するくだりや、その部分を読んで爆笑するミセスウォルターズもまた痛快といえますね。

国中で話題になった本はやがて地元ではエイビリーンたちは黒人メイドたちのヒーローになって行く。そして、本名を明かせないエイビリーンたちに代わって全員が本にサインをしたものをエイビリーンに渡す。
なんとか仕返しをしようとヒリーはたくらむが、いまや友人たちにも離れられ、嫌っていたシーリアにもぎゃふんといわされ、最後に友人のエリザベスの家でエイビリーンに盗人の濡れ衣をきせようとする。そのままエリザベスのところを出て行くことになるエイビリーン。窓ガラスをたたいて「行かないで」と叫ぶエリザベスの幼い子供の声、はるかかなたへ歩いていくエイビリーンのショット「殺された息子がいずれ黒人の作家が生まれるといっていたけど、私かもしれない」というせりふがかぶりエンドタイトルになります。

それぞれのエピソードは信じられないくらいの差別意識の描写と息苦しいような忍耐のシーンもありますが、そんな中での登場人物の多彩なキャラクターとユーモラスなショットと実にさまざまなエピソードが散りばめられています。決して、主義主張に凝り固まらず、映画という娯楽媒体であることをしっかりと意識した作品作りが結果として胸をうつ感動をラストシーンで私たちに呼び起こしてくれる。まさに見事なバランスで作り上げられたとってもすばらしい一本の物語というイメージの映画でした。