くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「御誂次郎吉格子」

御誂次郎吉格子

伊藤大輔監督の現存するフィルムのうちで最古の作品をみてきました。現存するバージョンも60分、79分、等何種類かあるようで、オリジナルである100分版はすでに存在しないということがものの本に書いてあります。

今回みたのは79分版でほぼ現存するものでは最長のものらしいですが、これが確かにすばらしい傑作でした。伊藤大輔監督の演出の才能をまざまざと見せられる見事な一本だった。

画面が本当に躍動感あふれるし、ほんのわずかなシーンでさえも子供が縄跳びをしていたりと常に動きのある画面づくりを徹底されている。さらに冒頭の役人が館船に踏み込んでくる場面での狭い空間での格闘シーンが駒落としなどを多用しているのかめまぐるしいほどにスピード感がある。

さらに、オーバーラップのリズムも絶妙で、ハイテンポでストーリーが展開していく様が小気味よく、サイレントにも関わらず画面の中に釘付けになってしまう。字幕の挿入するタイミングや長短が本当に工夫されていて、これこそが職人芸とうならせるのです。

題名は「オアツラエジロキチコウシ」と読むらしい。吉川英治の原作は「治郎吉格子」で、何度かリメイクされた映画も時に次郎吉であり、時に治郎吉である。字幕の漢字や古い言い回しなどに所々読み切れないところもあるのですが物語は単純なのですんなりと頭に入ってきます。

江戸で数々の盗みを働いてきた鼠小僧次郎吉は役人に目を付けられ、そのほとぼりを冷ますために上方へやってくる、というテロップから映画が始まります。

途中でお仙という商売女と懇ろになり上方に身をっくしていますが、このお仙の兄で、妹を芸者に出すようなどうしようもないおとこのところへ様子見に出かけたときに一人の女お喜乃のことを知る。かつて江戸で公金を盗んだときに、その管理を任されていたお喜乃の父親が責任をとらされ、その借金のために上方へやってきたものの商売もうまくいかず、娘のお喜乃が芸子に売られようとしているのだ。

義族として貧しいものの見方になってきたつもりの次郎吉はこの娘を助けるべく、そしてその純真な娘へのささやかな恋心もあって力になろうとする。

一方でお仙は、身を持ち崩しているとはいえ次郎吉への思いは半端ではなく、お喜乃に心が揺れている次郎吉が恨めしくてたまらない。さらにお仙の兄は十手を手にできたために手柄をあげていきたいという野心に燃えている。

クライマックスは伊藤大輔監督おきまりの提灯乱舞のシーンであるが、太鼓が打ちならされるシーンがオーバーラップし、次第に次郎吉のところに迫る御用提灯、父を殺されたお喜乃を安全なところまで駕籠屋に頼んで送り出した後お仙のところへやってきた次郎吉はお仙の兄が盗んだ次郎吉の金を取り戻し、御用提灯の中へ。しかし、一途なお仙は自分を忘れさせないという一心で川に飛び込み、あたかも次郎吉が川に逃げたかのカモフラージュを自らの命で作り出して次郎吉を逃がしてやる。

屋根の上で月を見て、自分を助けてくれた女たちに思いを寄せる次郎吉のショットでエンディングである。その後、次郎吉はこのときの女の因果か捕まって処刑されたとテロップが出る。

クローズアップや得意の移動撮影、オーバーラップ、駒落としなど当時のカメラでできる限りのテクニックを駆使したスピーディでテンポのよい画面づくりと、おきまりの人情ドラマをその最大限の効果で娯楽性満載に描き出す伊藤大輔の見事な演出に堪能してしまう傑作でした。

オリジナル版には次郎吉が山本礼三郎演じる与力を殺すシーンなどもあるそうですが、すでに紛失されたフィルムであり、見ることはかないません。確かに、今回見たかぎりなら「あの与力はどうなったの?」という疑問があったのですが、それは資料で補填するしかなさそうです。