くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「花咲く港」「太陽とバラ」

花咲く港

「花咲く港」
戦時中に作られた、木下恵介監督のデビュー作である。
後に木下監督の名作に登場する抒情的なカットが随所に見られ、しっかりとしたカメラワークと、実験的な映像がふんだんに取り入れられたなかなかの秀作でした。

制作されたのが戦時中であり、非常に戦時色もうかがえる
部分もあって、複雑な中に見所が満載の作品だった。

花火があがるシーンにタイトルバックで映画が始まる。浜辺で一人の女性とその父、警官が会話をしている。九州の片田舎の小さな島が舞台。時は昭和16年、太平洋戦争直前である。

この島で15年前に造船事業を興そうとして失敗した渡瀬という人物の息子と名乗る男二人がやってくる所から物語が始まる。実はこの二人知り合い同士の詐欺師で、造船を引き継ぐという話で金を集めて逃げるつもりだったが、あまりに島の人々が純粋で大金が集まり後込みしてしまう。そして逃げようとした夜に真珠湾攻撃が始まり人々は戦意高揚の渦中へ。

そんな中、最初は船など造るつもりもなかったが、いつのまにかどんどん船の建造は進むし、戦争の成果も上がって意気揚々とする中、船が完成する。その浸水式の花火のショットで最初のタイトルシーンとかぶる。いつの間にかすっかり改心した二人は警察へ自首し長崎へ護送されていく。村人は最後まで知らされることはなくだまされたままであったが、船の完成を喜び戦争に勝つために意気揚々とするというもの。

旅館かもめ館から海をとらえるショットや自転車で走る女性のシーン、見下ろした浜辺のシーンなど後の傑作の数々に見られるシーンが至る所に見受けられる。

さらに冒頭でおかのさんが昔を回想するシーン、馬車の背景が過去の場面に変化したりという実験的なシーンも見られ、とにかく木下恵介の才能をかいつまんで紹介する結果になる作品だった気がします。

物語の構成がしっかりとしていて、場面の切り替えしが実にスムーズ。抒情的な中にコミカルなシーン、サスペンスフルなシーンがちりばめられ、クライマックスの嵐のシーンなどのスペクタクルなショットも取り入れられた劇的な展開が見事。

デビュー作として申し分のない作品でした。


「太陽とバラ」
ゴールデングローブ賞外国語映画賞に輝く名作。という解説通り、これは傑作だった。当時流行した太陽族に警告を発する意味で木下恵介が望んだと呼ばれる作品で、全くこの手の社会ドラマを描かせると情け容赦ない描写が徹底される。これが木下恵介の巨匠たるゆえんかもしれません。

主人公の清は当時流行の太陽族とは正反対の貧乏家庭の長男で、仕事に就くわけでもなくだらだらと不良仲間とつるんでは悪さをして警察に捕まったりする毎日。そんな清を不憫に思う母はことあるごとに必死で更正させようとする。

そんな清に近づいてきたのが裕福な家庭のどら息子正比呂。口利きで自分の父の工場に清を世話したりするが目的は自分の子分に使いたいだけ。しかも清の妹の薫にも色目を使ったりする。

清は母に反抗するものの、子供がつかまえたトンボを逃がしてやったり、母が作った弁当を大事にもっていたりと根は優しい描写もちらほら伺わせる。母との会話のシーンは常に横を電車が走り、ドキドキするような映像演出が施されている。

自暴自棄で掘った入れ積は母への想いを漂わせるようなバラの花。そして、正比呂が別荘で遊んでいるところへやってきた清は勢いで正比呂を殴り殺しそのまま逃亡、母に最後の声をかける。このワンシーンが見事で、その後、母が作った造花のバラをもって電車に飛び込む。カメラはこの終盤、警察に追われる清をとらえずにその後を追う母をとらえる。死んでしまえといっていたにも関わらず母の愛を見事に描くすばらしいカメラ演出で、思わず胸が熱くなってきて涙があふれた。

このラストのみでなく、この作品には細かい所に見事な演出が施されている。

清が母に小遣いをねだりにいったところで母と会話をする。言葉を始めるか始めないかで電車の影がごーっと入って言葉をかき消す。

さらに終盤に正比呂の姉敬子が楔のような存在感で清と正比呂に絡んでくる。
圧巻は清が正比呂を殴るシーンである。むせ返るような狭い室内のショットで緊張感を極限まで高め、清が花瓶をふりおろすシーンで一気に音が消えてしまう。そして階段を転げ落ちるショット、飛び出すショット、母の元に駆けつけるショット、警察が追いかけてくるショットへと続く。よく考えると空間が非常に省略されている。正比呂のたむろしている別荘と清の家はそんなに隣り合わせではない。しかし、一瞬で清はその空間を飛び越すのである。これが木下恵介の偉大さである。

さらに、清が友人のたばこ代で宝くじを買って母親にわたす。反抗しながらも行き着くところは母の愛を求め甘えたいと思う清の切ないほどの気持ちが見事に描写され、そのあと、正比呂の姉にその過去を打ち明けられて密かにこの姉を慕い、母を重ね、この姉を不幸にした正比呂に憎しみを抱くのである。特に正比呂の姉と出会ってからラストまでが非常に短いことがわかる。一気に最高潮へ畳み込んでいく演出である。

そのほかにも部屋を出ていこうとする敬子の足を引っかけておどける正比呂の行動や正比呂と清がバーで飲むシーンの流れるようなワンシーンワンカット、手前に清の妹薫を配置し奥に清をとらえるパンフォーカスのシーンなどおよそ、どこまで演出に対する感性が柔軟なのかとため息がでるほど見事なシーンが至る所にあるのである。

一回みただけではこの映画のすばらしさは記憶できなかったかもしれない。まったくこんな傑作があったものだと思います。当時、太陽族映画が乱発され田中で正反対の若者を辛辣に描き、さらに母の愛情の美しさも埋め込んだこの映画のすばらしさは絶賛に値すると思う。

結局、清は母の象徴である本物のバラを手にすることなく入れ墨と造花を抱いて死んでいったのである。