くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「かぞくのくに」「愛の残像」「灼熱の肌」

かぞくのくに

「かぞくのくに」
25年ぶりに北朝鮮から病気治療のために帰国したソンホ。その彼が日本での家族とのひとときの交流を北朝鮮と日本の政治問題にはほとんど触れず描くいわゆる家族ドラマである。

もちろん、その背景には未だ謎に包まれる北朝鮮の政治情勢や理不尽な施策がちらほらとかいま見られ、空港へ着いたときから監視員がついてくる。ことあるごとに監視員の目を気にするソンホの姿や裏の工作員になることを妹に勧めることを任務として持ってきた彼の立場が実に微妙に重苦しいが、そのあたりだけで外国人である日本人の我々はそのまま北朝鮮は悪い国だと偏見を持つことは間違いだと思う。

物語の中盤で工作員になることを兄に迫られ断ったソンホの妹が監視員に詰め寄るシーンで、監視員が「日本人は我々朝鮮を嫌っているかもしれないが私もソンホもそこで生きているのです」と答える。このせりふが実に双方の中立的な立場を考慮した監督の意志が見られて実にいいのである。

監視員は宿泊先のホテルでAVを見ていたりする人間的なショットの後、突然本国から全員帰国命令が下る。そして泣き崩れる家族を後にしようとしたとき母がなけなしのお金で監視員に新調のスーツを買い与えるシーンもまた実にいいのである。

ドキュメントタッチで捕らえていくほんのひとときの家族の物語がぎくしゃくする北朝鮮の国柄を背景にどこか暖かく描かれているのがこの作品の最大の長所である。この手の映画で気をつけなければいけないのは一方的な視点で北朝鮮をみないようにすることなのだ。スクリーンに映された時点でそれはフィクションだと自分に言い聞かせるのが一番大切である。だから、途中で妹に監視員が答えるせりふがいいのである。

25年前に夢を求め北朝鮮の帰国事業で本国へわたったソンホがたどったのは本当に不幸な人生だったかは最後の最後で判断できるのかもしれない。ラストで車の窓から日本の空を見るソンホの姿がどこか無表情に見えるのが実に胸に迫るのである。


「愛の残像」
細かいシーンとクローズアップの多様でフェードアウトしながら展開する映像演出が個性的で、重苦しいほどに登場人物達の視線が迫ってくる生々しいほどの愛の物語。

名カメラマンウィリアム・ルプシャンスキーの美しいモノクロ映像でつづられる物語は正直非常に重たいししんどい。それはめくるめくようなせりふとアップで繰り返されるフランソワとキャロルの運命的な絆の物語故でしょうか。

映画が始まり女優キャロルの元を訪れるカメラマンのフランソワ。数ショット撮影したかと思うと今日はもうやめてとキャロルに拒否されながらフェードアウトする暗転のシーンが細かく繰り返される。

やがて二人は愛し合うがキャロルには夫がいる。そしてふとしたことで破綻を迎えた二人だがその後キャロルは狂気にかられ精神病院に入院。そこでもフランソワはキャロルを愛し続けるも退院後フランソワが別の女性エヴァと愛し合うようになったことを知り、キャロルは自ら命を絶つ。

この後フランソワとエヴァの物語へ進むが、エヴァが妊娠、結婚をまもなくに控え始めた時期、フランソワの前にキャロルの幻影が見え始める。鏡の中に突然現れるキャロルはほとんどホラー映画のムードである。

そして心に愛していたのはキャロルと知ったフランソワはキャロルの導くままに窓から飛び降りて自殺エンディングになる。

フランソワとエヴァの愛し合うショットが何度もでてくるがほとんどエヴァはフランソワに背中を向けているのがわかる。しかも、ニューヨークへ行った期間に別の男性を愛したなどとフランソワに打ち明けるあたり、結局ふたりには溝があったのか。それを見透かしたように鏡からフランソワをにらむキャロルはかなり怖い。

打ち消そうにも打ち消せない愛の情念が常にフランソワを包み、行き場のなくなったフランソワは死を選ぶのだが、どうもそのあたりの憔悴感はそれほどせっぱ詰まったように見えなかった気がする。どうも苦手なテーマの作品だった。


「灼熱の肌」
一台の車に乗る青年フレデリック。走り出すとインサートしてベッドで横たわる全裸の女性。フレデリックは夜の町を疾走し自ら木に衝突。タイトル。

ショッキングに始まるこの作品は「愛の残像」同様フィリップ・ガレル監督作品である。

フレデリックの妻は女優のアンジェラ。フレデリックは画家で特に生活に不自由しない毎日を送っている。そこへ友人のポールが女優志望のエリザベートとやってきて二組みの夫婦の生活が始まる。

お互いにうらやむほどの夫婦仲であるように見えるのにどこかフレデリックとアンジェラの間にはそれぞれの性格故かちぐはぐな諍いが芽生え始め、お互いを傷つけあい始める。そんなフレデリックに追随するようにぎくしゃくし始めるポールたち。

この作品でもフィリップ・ガレルが求めるものは男と女の愛の情念である。

やがてアンジェラは助監督のロランと不倫関係になり、しだいにフレデリックとも溝が広がっていきとうとう分かれることに。そんなアンジェラの気持ちを女であるというだけで理解するエリザベートの描写はまさに監督の視点であろうか。

終盤、破綻しかけたポールたちの間に赤ちゃんが産まれすんでのところで絆をとりもどす。そしてパリへ帰ったポールたちにイタリアから出かけたフレデリックが再会。日を改めてゆっくりあおうと約束した夜、フレデリックは自動車で病院へ。

ここでもフレデリックは死を間近にしてかつてレジスタンス運動で死んだ祖父が枕元に現れて「死んでいくがよい」と悟す。どうもこのフィリップ・ガレルという人は死を受け入れることに躊躇がないようだ。不思議な感性に包まれた愛の物語が終焉を迎えるが、この作品でもロングショットはほとんどなく、常にバストショット以上の画面が徹底されている。これもこの監督の個性だろうか。

分かりやすい映像テクニックは駆使しないものの、短いシーンを丹念につないでいく演出にこの監督のスタイルがあるように思える。この作品もどちらかというと私好みでなかった気がします。