くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「俺はまだ本気出してないだけ」「二流小説家シリアリスト」

俺はまだ本気出してないだけ

「俺はまだ本気出してないだけ」
不思議な感覚で、いつの間にか作品の中に引き込まれて、何ともいえない充実感を感じながらエンディングを迎える映画だった。

好き勝手なことをしながら、出来もしない夢を求めて会社を辞め、それでもぐうたら生活しかせずに、自分は本気出すとすごいんだとうそぶくだけのくだらない主人公の映画かと思っていた。私がもっとも嫌いなタイプの主人公なのである。だから、最初はちょっと入りづらかったのですが、途中から山田孝之扮する市野沢なる金髪の青年がでてきてから、徐々に物語の雰囲気が変わり始める。

ただ、夢を追い求める主人公シズオ、サラリーマンをきまじめにつとめるしか脳のない幼なじみの宮田、でもそんな宮田もシズオも市野沢はかっこいいという。目的が見つからない若者、妙に大人ぶったキャバクラの店長、自由奔放なシズオをなぜか慕うファーストキッチンのバイト仲間の若者。何か不思議な構図なのである。

男女逆転のドラマがはやりであるが、この作品は中年と若者の逆転ドラマではないか、なんて思い始める。そう考えると、妙にシズオが熱く見えてくるし、平凡を大事にする宮田もたくましく見えてくるのだ。

時々挿入される些細なせりふのつっこみが石橋蓮司堤真一生瀬勝久の絶妙の間合いできらきらっと作品にリズムを生み出す。シンメトリーなショットの繰り返しもどこか非現実の世界を演出する。

シズオのマンガは佳作になり、次のデビューに向かっていると担当の坂本が退職、デビュー予定のマンガは没になり、落ち込んで歩道橋から転落するも石頭で無事に。やけで入ったファッションヘルスでバイトをしている娘の静子と出会う。最後に父親として「今のバイトはやめなさい」というせりふがいい。

この映画の良さは、一つ一つのせりふが大切にされていること。濱田岳がシズオの原稿をボツにするために毎回いろんな言葉でやんわりとシズオに答える下りも秀逸。普段物静かながら突然切れる市野沢の無言のせりふの緊迫感、シズオのバイト先の店員の一言等々が、作品にリズムを生み出している。

そんな展開が続いて、宮田はパン屋をすることにし、別居の妻も息子も帰ってくる。ちぐはぐで弱点だらけの映画ですが、不思議な感覚でエンディングを迎える。その意味は見てのお楽しみになる映画でした。


「二流小説家シリアリスト」
結構期待していたミステリーですが、まるでテレビのサスペンス劇場レベルの出来映えにがっかり。

全く人間が描かれていないために、物語に何の感情も生み出してこない。確かに二転三転する謎解きはよくできているのかもしれないが、そのエピソードの羅列でしかなく、何の発見も驚きもない展開には参った。

突然、弁護士の前田が襲ってきて、あっさりと事の真相が見えてくるし、さらに主人公赤羽一兵が二流小説家で苦労している切羽詰った感じが冒頭のシーンから見えないために、死刑囚呉井からの依頼に答えざるをえないという緊迫感と、これで有名になろうという野心が生み出されないのである。

結果として、その後に続く、自伝を書くことをやめるようにという遺族会の依頼もよけいに迫力がなくなってしまった。

シリアルキラー呉井が撮った写真がアップされ、タイトル。続いてエロ小説で食いつないでいる主人公赤羽一平。高校生の姪と生活をしているというちょっと粋な設定で物語は始まる。

そんな彼にシリアルキラーとして首なし死体を写真に収めていた写真家で死刑囚の呉井大悟から自分の本を書いてくれと依頼がくる。いってみれば、自分の生い立ちを語る代わりに、自分のファンであるという三人の女性との官能小説を書いて届けてほしいというのである。

赤羽が三人と接触、一人は銀行員、一人は主婦、一人は登校拒否の女子高生、ところが会って直後に彼女らは12年前の事件同様に首なし死体で発見される。

死刑囚呉井の弁護士前田は彼の無実を信じて戦っているのだが、今回の事件で最新の可能性がでてきたという。

ぽんぽんと話は核心に進むが、遺族会の中で一人、本を出すことに賛成する女性長谷川千夏が一見ミステリアスなのに、最後まで全く生きてこない。

赤羽は途中からピストルでねらわれてくるが、これもまた陳腐な展開に笑ってしまう。その上、自宅で姪が襲われ、なぜか間に合った赤羽はそこで犯人と格闘、あっけなく、それが前田弁護士とわかる。さらに彼女が呉井の母親で、さらに切り落とされた首の場所が、弁護士事務所の写真から赤羽が発見、その上、首の見つからなかった三島という女性を殺したのは遺族会の代表の三島忠志で、それもあっさりと捕まる。なんたる適当な展開か。

最後は厳かに呉井の死刑執行場面へと流れ、最後の手紙が赤羽に届き、赤羽は呉井の告白本を発表。姪はアメリカに去ってエンディング。

脚本がなってないのが最大の欠点。その結果、登場人物の生身の姿が全く見えない。呉井を演じた原田真治の迫真の演技はなかなかだが、上川隆也が今一つ良くない。呉井以外の人物がいかにも適当にしか描写されていない。

映画をここまで低レベルに作られるとどうしようもないなという典型的な作品でした。でも、原作はたぶん、しっかりと人物もトリックの展開も描けているのだと思う。脚本にする段階でめちゃくちゃになったという感じですね。その意味で、読んで見るのもいいかもしれないな。


「二十一歳の父」
噂通りの傑作。辛辣な物語を成島東一郎の、柔らかいオレンジを基調にしたライティングとカメラが実に見事なコラボレーションで作品を芸術にまで高めている。さらに、武満徹の音楽や効果音の効果が画面の中で踊るように組み合わされストーリーを紡いでいく。中村登のカメラワークも実にすばらしく、クライマックスで家族が会食するシーンで基次と市郎との会話の場面での、カットの切り替えしとワーキングのコラボレーションは絶品。

さらに、基次の自殺の後、学校で越秋穂と源一郎が会話する場面で、運動場のラグビーの練習のぶつかり合いのカットが何度も細かく挿入されくさくするシーンもすばらしい。

また山形勲が小料理屋の主人と旅館で食事をしているシーンで、雪深い旅館の庭に柔らかいオレンジの部屋の光や灯籠の光りが漏れる場面もまたすばらしい。

映画は朝焼けのオレンジに顔を照らされて、バイトを空けて大学の殺陣研究会親友の越秋穂と酒匂基次が着物姿ででてくるシーンに始まる。オレンジの光で照らされる二人の顔が実に美しい。

秋穂の父は大学の先生で、日本へ帰ってくるシーンが続く。基次の父は広告会社の重役で、兄市郎は銀行員、基次は家を飛び出し、パチンコ屋でバイトしながら一人の女性好子と同棲している。それを聞いた父が訪ねると、その好子は目が見えないことにとまどう。当時としてはまだ、しっかりとした家庭の人が盲目の女性と結婚というのは一般的ではなかった時代であることがうかがわれる。

しかし、理解のある父酒匂彰は彼らを家に招くことにする。家族で食事をしても、兄の市郎もまったく否定するわけでもない微妙な空気が、さすがに教養のある家族を見事に描写する。しかし、時に市郎の妻延子が感情的になる場面もしっかりと挿入されている。

こうして、基次と好子、秋穂と学校の同級生で妾ばらの恭子との当時の微妙なカップルの姿が交互に描かれ、それを複雑に見守る酒匂彰らの家族の対応が素晴らしいカメラで描かれていくのである。

やがて、基次と好子には子供ができるが、のちに好子は子供と交通事故に会い、死んでしまう。その三十五日の会食のあと基次は自殺する。それを知った秋穂が「自分はああいう風にはならないな」といいながらも、基次のロッカーの前で泣き崩れる。そして、都会の町並みに消えていってエンディングである。

内容は、時代性があるとはいえ、かなり辛辣な差別問題が取り扱われている。しかし、そんな社会性も成島東一郎の卓越した芸術的なカメラの技量が見事な映像作品として格調高い作品になっている。さらに武満徹の音楽も素晴らしい効果を生み出しているのだから、これはもう総合芸術としての映画のひとつの完成形と呼ばざるを得ませんね・本当にいい映画でした。