「アイアン・フィスト」
俳優のRZAがクエンティン・タランティーノのサポートによって制作したカンフーアクション。
というふれこみであるが、主演のブラックスミス、つまり鍛冶屋が両腕を切断されてアイアン・フィストとなって復讐に立ち上がるという下りがお話になっていない。つまりそこまでのいきさつのバランスと、クライマックスのバランスがちぐはぐで、とにかく支離滅裂な展開がこれでもかと続くのである。
いわゆる香港カンフーの世界で、冒頭のかつての香港映画を思わせる荒い画面のタイトルに始まって、ある村にやってくる金塊を積んだ政府の一団を守るために金獅子の武装集団に命令が下るが、いきなり金獅子という武装組織の頭目が殺されるという導入部が実に唐突。
金塊を積んだ一団の護衛が目的だというが、別にどうでもいいのではないかという前提が何とも荒っぽい。
要するに謎の美女マダム・ブロッサムが経営する女郎屋の存在、金獅子の息子のゼン・イーというのが復讐にやってくる下り、なぜかとってつけたようにラッセル・クロウ扮するジャックが、妙な武器を持って、まるで西部劇さながらに現れる下りがどれもこれもバラバラに存在する。前半はとにかく、この展開がしっかりと描かれていく。
確かに、脚本が悪いのが原因であるが、冒頭から意味もなく格闘シーンが連続し、全身金属の妙な悪者が暗躍し、無理矢理アイアン・フィストがでてくる展開に流れていくのもなんとも適当だが、何の意味もなく楽しいのだからいいとしよう。
手足がちぎれたり、首が飛んだりは、さすがにタランティーノ作品ほどどぎつく描写されていないのは、やはりタランティーノはタランティーノといわしめるものがありますね。
ちょっとした暇つぶしにはもってこいの香港映画もどきのアメリカ版B級カンフーアクションとして楽しみました。
「謎解きはディナーのあとで」劇場版
最低。これだけ陳腐な脚本で、これだけ貧相な演出をして、これだけなめた演技をされては失礼といわざるを得ない。映画であること、大スクリーンで見せるのであることを完全に無視しているようにしか思えない。特に前半部分はみるに耐えないのである。
とはいっても、これで製作しなさいといわれれば、商業映画なら仕方ない部分もあるだろうから、そう非難ばかりもできない。
これがテレビドラマならいいのである。おきまりのせりふとおきまりのギャグに、とってつけたようなゲストを登場させればいい。しかし、映画になって二時間あまりを一本のドラマとして描くのなら最低限必要なものがある。それは、スクリーンで起こる出来事へのわくわく感である。
所詮、この原作には映画になるほどのスケールはなかったということ。この監督土方政人には大画面で楽しませる才能がなかったのかとがっかりしてしまった。
ちなみに、私はテレビシリーズの大ファンである。今時のギャグの連発と、小生意気な執事影山と大金持ち令嬢宝生麗子との掛け合い漫才は最高なのだ。それに、軽いミステリーもおもしろいのだが、映画にするならそれなりの覚悟で作らないといけない。
まず、竹中直人らのこそ泥のキャラクターがぜんぜん作品を盛り上げていないこと。石川天明の存在も必要なの?と思ってしまう。六角精児らがなにやら画策している計画も本編をミステリアスに盛り上げていない。さらに桜庭ななみの歌のシーン、余りにひどい。
どこかでみたようなシーンを繰り返すのはいいとしよう。でも、それがパロディとして君臨しないと本筋のミステリードラマが引き立たないのである。
結局、リー財閥の令嬢を守るべく、そして再興すべく画策していた藤堂の犯罪ドラマだったというネタバレも、その後の宮沢りえのエピソードも胸に響かないのだ。全体のエピソードのバランスも悪い。
宝生麗子と影山の楽しいキャラクターをもっと全面に出して突っ走れば良かったのだ。映画だと気負ったせいか、よけいなものを挿入しすぎたのである。もっとシンプルに、もっとテレビシリーズのファンを楽しませることに単純に徹すれば楽しいひとときを過ごせたのだと思うのですがね。
気楽に楽しもうと劇場に行ったのに、気楽どころか失望の連続にストレスがたまってしまいました。