くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「タイピスト!」「野いちご」「処女の泉」

タイピスト!

タイピスト!」
ポップでカラフルなイラストのタイトルバックが終わると、フランスの田舎町、雑貨店においてある一台のタイプライターが画面中央に映し出される。そのタイプライターをこの店の娘ローズがおもむろに取り上げ、一本指でキーを打ち始める。

こうしてこの映画は幕を開ける。フランスの田舎町、都会にあこがれ、秘書になるべく待ちh出たローズは早速保険会社の面接に向かう。しかし、経営者ルイは彼女が田舎臭いので、一端は不採用に。ところが一本指でタイプライターを打ち自分を売り込むローズにどことなく引かれた彼はタイプライターの大会に出場を提案。しかし、初戦はあっけなく敗退。

そこでルイは、再挑戦させるべくローズを訓練し始める。元々様々なスポーツ選手だったルイは、その情熱的な特訓で彼女を訓練していく。軽快なテンポで進むべきこのあたりのシーンだが、どこか歯車がずれているように思えるのは何故だろうと思っていると、物語はフランス大会へとどんどん進んでいくのだ。

ルイの元恋人で今は親友ボブの妻であるマリーにピアノレッスンまで受けさせながら、ひそかに昔の想いに耽るルイの描写がちょっと中途半端。というか不必要な気がする。さらにローズの試合の勝ち負けをボブと賭ける下りももう少しテンポよくてもいいのではないか。

と思っていると、フランス大会で優勝したローズ。その前夜、初めてルイと体をあわせるのだが、このあたりの甘いムードの作り方がちょっと品がない。

雨の中、自転車でこけるローズのブラウスに下着が透けるショットもちょっと、良くないですね。

ところどころに、作品全体のムードとちぐはぐなシーンが挿入されるのが、ややこのレジス・ロワンサル監督のセンスのなさを垣間見せる。様々な名作へのオマージュをちりばめたと解説されているので、それらにこだわりすぎたかもしれない。

フランス大会優勝の後、大企業のバックアップをローズに与えるべく素っ気なく身を引くルイ。やがてスターになっていくローズ。このあたりの下りがやや野暮ったくなってくるのが本当に残念。導入部の軽いタッチで走りきったら良かったのではないかと思う。

そして、アメリカでの世界大会。決勝に駆けつけるルイ。そして優勝、ハッピーエンドだが、このクライマックスでルイが駆けつける下りの直前が妙に白々しい脚本になっている。不必要な感動シーンへの展開にこだわったのが失敗かもしれない。

とはいえ、全体のしゃれた色彩で統一した画面や、雪の中でヘッドライトが光る車にローズを拾うショットなど実に美しいシーンも数々あり、それはそれでとってもキュートな作品である。

オードリー・ヘップバーンの再来とのキャッチフレーズの主演のデボラ・フランソワだが、さすがにヘップバーンは言い過ぎでしょうね。でも楽しい映画でした。


「野いちご」
何年かに一度スクリーンで見たくなる映画史に残る傑作というのがある。その一本がこのベルイマンの「野いちご」。
何度見ても、やはりすばらしい。

一人の老医師イサクが名誉博士号を授与される一日を描いた物語で、その戴冠式の会場までの車での道のりの中で、若き日の自分の人生を省み、つらい思い出、淡い恋などが空間と時間を飛び越えて描かれていく様はすばらしい。

冒頭の夢のシーン、通りを歩いているイサク、針のない時計、すぎていく霊柩車の馬車が街灯にぶつかり、中から落ちた棺桶に自分が乗っている。このシーンで度肝を抜かれた後は、その人並みはずれた映像美の世界と、語り口の美しさにひたすら酔いしれていく。
映画芸術はすでに一つの頂点を迎えてしまったといわしめるのも納得がいく、いわゆる歴史的な傑作である。

人物をとらえるショットの一つ一つが、洗練された才能がもたらす美しさをこれでもかと見せつけるのだから、もうこれはここに文章などで語れるものではない。

戴冠式のシーンの一つとっても、とても並の人間では描けない品がある。オープニングで後ろ姿で座るイサクのショット、傍らに座る犬。この場面で、この映画がただものではないと知る。これが芸術である。

ラスト、息子夫婦がダンスにいき、ベッドの中で一人再び若き日を思い出す。イサクの両親が川向こうで手を振る。釣り竿が画面の斜めに横切っておかれている。暗転エンディング。

書ききれない完成度の高さ。何度見ても飽きない美しさ。これが名作である。


「処女の泉」
こちらも何年かに一度見たくなる作品である。
さすがに背筋が寒くなるほどの傑作である。何度目かの再見であるが、やはり新しい発見がある。

スヴェン・ニクヴェストの目の覚めるようなモノクロのカメラ映像にはうっとりさせられるが、冒頭の妊娠している使用人の女が釜戸の火をふーふーと吹くシーンに始まって、背後に聞こえる鶏の声、それに続く、カーリンが森の中へと出かけていくシーンまでが恐ろしいほどに美しさと神々しさ、人間の俗が入り交じっていることに気がつく。

森で殺されたカーリンの衣服をはぎ取り、まさか、両親の館とは知らずにやってくるならず者たち。そして、衣服を売りつけたために、真相がばれ、父に殺されていくまでの鬼気迫る緊張感が、見事なくらいに完成された構図の映像で描かれるあたりのすごさにもまた寒気がする。

カーリンの遺体を発見した父が、遺体があったところに教会を建て、復讐に対する懺悔の気持ちを表す絶叫する下りから、泉がわき出てくるシーン、そして、その泉の水を手に取る人々のショットからエンディングへ。まさに映像芸術の極みである。

見終わった後で、また見たくなる。いや、あそこはどうだっただろうかと、思い返したくなり、そしてあの美しい映像をもう一度見てみたくなる。これが芸術作品である。全くすばらしい。