くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「蜘蛛女のキス」「醒めながら見る夢」

蜘蛛女のキス

「蜘蛛女のキス」
ウィリアム・ハートの演技がカンヌ映画祭アカデミー賞で賞を取った作品である。監督はヘクトール・バベンコ。

物語は、主人公モリーナが、自分が見た映画のストーリーを語り始めるシーンに始まる。頭にターバンのようにまく真っ赤な布のショットがまず目を引く。

場所は留置所で、一緒に入っているのはヴァレンティンという男である。このヴァレンティンは政治犯で、モリーナはホモセクシャルである。

要するに、留置所暮らしの暇つぶしにモリーナがヴァレンティンに映画の話を語り聞かせているようだ。語り聞かせる物語は、ナチスドイツ下で繰り広げられる、ドイツ将校と女のラブストーリーのようで、劇中劇の形で、本編の中に展開していく。

モリーナが語る映画のシーンと、留置所の二人が交互に繰り返されながら、徐々に、二人の立場が描かれていく。淡々と繰り返されるストーリーを牽引するのが、ウィリアム・ハートの抜群の演技力というところである。

後半、実はモリーナは所長らに頼まれて、ヴァレンティンらの組織の連絡先や仲間を聞き出す役目であることがわかってくる。

しかし、薬を混ぜた食事を与えられて苦しむヴァレンティンを介抱したりするうちに、モリーナは、次第にヴァレンティンを愛し始めていくのである。

ほとんどが留置所の中の場面であるが、繰り返される映画の場面で開放されながら、次第にストーリーが核心に迫ってくる作りが、なかなか、飽きさせないテンポを生み出す。

モリーナは、所長からの命令に応えるようにみせかけて、母親からの差し入れだというように食料を用意させ、ヴァレンティンの居心地をよくするようにつとめ始める。そして、自分が出所するといえば、聞き出せると話、保釈を許可させるのだ。

予想通り、ヴァレンティンはモリーナに、仲間への連絡方法と、電話番号を託すが、所長等は釈放したモリーナを尾行する。

終盤、所長とモリーナの会話のシーンが徐々に短く編集され、クライマックスへのスピード感を生み出す演出はみごとで、その後、出所したモリーナが電話連絡をし、ヴァレンティンの仲間の車に乗る寸前で、所長の部下たちに捕まる。しかし、ふりきって逃げるモリーナはヴァレンティンの仲間に撃ち殺される。

最後に電話番号を聞こうと、所長の部下らはモリーナを車に乗せるが、モリーナは最後まで答えず息を引き取る。そして、ゴミ捨て場に捨てられる。

一方のヴァレンティンは、拷問の末、診察室でモルヒネをうたれる。ヴァレンティンは夢の中で、マルタという女性と手に手を取りボートに乗って彼方へ消えていって暗転。

ヴァレンティンとモリーナはゲイの関係ではないが、微妙な親密関係の高まりを描く前半部分。ヴァレンティンからの情報を聞く役割のあるモリーナのサスペンス、そして終盤の悲劇から、幻想的なラストへと、一筋縄で語りきらない人間ドラマは、見応え十分な一本で、ウィリアム・ハートは、その演技力なくしては、凡作になったのかと思えるほどに、際だった存在感を見せている。

拍手して感動するほどの傑作とはいえないまでも、必見の秀作だったと思います。


「醒めながら見る夢」
辻仁成監督の完全な独りよがり映画だった。一つ一つのエピソードや物語が完結していないし、わざと未完にしたようでもない。おそらく、脚本家にとっては頭の中で完結しているのあろうが、映像の中で伝わってこないのである。監督も脚本もおなじであるから、結局、全体が未完成のままの映画になったのではないか。

薄暗い京都の路地にあるバーを左半分に、その奥へ続く路地を右半分にした画面から映画が始まる。バーでは一人の男、優児が酔いつぶれている。路地には真っ白な着物を着た亜紀が立っている。二人は河原へ行き、優児は積み石をしてタイトル。

いかにもシュールな始まりだが、ライティングが暗いのが気にかかる。

優児はアングラ劇団の演出家で、彼は亜紀と結婚したばかりで、二人で暮らしているシーンが薄暗い町屋の上がり口で描かれる。

一方、亜紀には妹の陽菜がいて、二十歳になったばかりだが、母親は祇園の芸者上がりで店を構え、陽菜に跡を継がせようと強引に店に出そうとする。

この二つの物語に、陽菜の父親が、縄で人を縛って心の解放をする寺のようなところの主人をしていて、そこへ陽菜が出かけるという物語が被さる。

物語が進むと、どうやら亜紀は二年前に死んでいて、罪の意識にさいなまれる優児が、幻影と暮らしているという物語だとわかる。

一方の陽菜は父と出会い、そこの弟子で、孤児の青年と親しくなるというストーリーも絡んでくるが、ちょっと中途半端に消えていく。陽菜はピストルを手に入れたいという台詞も頻繁にでてくるが、これも意味をなさずにフェードアウト。

結局、優児と亜紀が冒頭のシーン同様、河原で石を積んでいるシーンに暗転、エンディングになる。

時々、美しい京都の夜のシーンもとらえられるが、大した意味もなさず、陽菜と母親の確執もそれほど深刻さを増してこない。アングラ劇団の演出シーンも何度もでてくるが、物語にリズムを生み出す効果もなし。

どれもこれも、一本のストーリーにまとめあげる途中で終わってしまい、結局なんなのだ?というラストシーンで終わる。主人公は誰だったのか?なにを語りたいのか?監督の頭の中でのみ完結したであろう一本だった。