くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「サード・パーソン」「GF*BF」

サードパーソン

「サード・パーソン」
ポール・ハギス監督得意の錯綜ストーリー炸裂の映画だったが、今回は、まず、一つ一つがくどすぎる。さらに、ストーリーテリングを無視した演出は、正直かなり長く感じさせるとともに、見終わったあとの爽快感が薄れてしまったのは失敗ではないかと思える一本でした。

物語は、一人の男、パリのホテルにこもって最新作を執筆するマイケルの姿に始まる。その背後で「私を見て」というささやきが聞こえる。彼には、愛人であるアンナとお不倫関係にある。そして、アンナにも秘密の恋人がいるのが終盤でわかるが、それはまだあかされない。

カットが変わると、ローマでアメリカ人ビジネスマンスコットは、新しい服のデザインの情報を手に入れ、そのあと一人でバーに行く。そこでエキゾチックな女性モニカと知り合う。ところが、彼女がでていったあと、鞄を忘れていて、それを店の客に預けたのだが、金が入っていたという。その金は、娘を出国させるとき、こちらで引き取るための金で、それをスコットが捕った、と言いがかりをつける。

カットが変わると、ニューヨークで、息子の親権を争うジュリアの物語がある。女性の弁護士の助言で、精神鑑定を受け、自分が息子を虐待しなかったことを証明しようとする。高級ホテルのメイドをしながら、息子と会うことを画策している。その息子ジェシーの父親は画家で、愛人らしい女と暮らしている。

この三つの導入部から映画は始まるが、途中、マイケルの部屋のルームメイキングをしにきたのがジュリアであり、どこか物理的な地理感がおかしいことに気がつき始める。

さらに、スコットは、かつて、娘がプールで遊んでいたのに目を離し、死なせてしまったために、妻と疎遠になっているという会話が絡んでくるが、それもまた、どこかマイケルの境遇に似ているように思える。

それぞれのストーリーが独立して交互に展開していくが、キーになるのが、マイケルが今の執筆に行き詰まり、編集者から、昔のようなすばらしい作品がほしいといわれるワンシーンである。

やがてマイケルと、愛人アンナの物語は、アンナの恋人が実は父親であるという終盤の展開で、一つずつこの作品の真相が見えてくる。

マイケルは、そのことを本にすることで編集者の目を再び自分に向けるが、それはスキャンダルだと進言される。実は、すべてがマイケルの物語で、プールで娘を死なせたこと、妻が父親と愛人関係だったことをアンナがマイケルの日記を読んで知るエピソードなど、なにもかも絡めてくる。

スコットとモニカが走り去る車が道の彼方で消えてしまい、マイケルが残りの物語を書いていると、アンナがすべてを知って去っていく。それを追いかけるマイケル。白を基調にしていたアンナの姿は、モニカの後ろ姿になり、ジュリアの姿になる。つまりマイケルの小説の世界なのであったという落ちである。

とはいえ、ジュリアの物語がやや、浮いている。たしかに、マイケルと妻の生活の中の一ページだったのだと判断すれば、それでいいかもしれないが、ここまで錯綜、交錯される尾、やはり、もう少し、ラストにストーリーの整理が必要であるし、そこが物語を語る上での演出の手腕であるかと思えるのだ。

おもしろい作品だが、やや、やりすぎた、そんな感想になりました。


「GF*BF」
予定していなかったのだが、周りの評判が高いので急遽、見に行った台湾映画です。

なるほど、それなりの評価を理解できる一本徹底的に省略された脚本と、リズムに乗せてハイペースで展開するドラマが実にテンポがいい。もう少し、説明的なシーンがあっても無駄ではないのではないかと思えるほどに、些細なキーワードやシーンだけで、ストーリーの裏の部分を映し出すオリジナリティが、すばらしい。

確かに、秀作とか傑作とかではない。粗いところも多々あるのだが、極限まで切り詰めたエッセンスの固まりになっているのが実に個性的なのである。

映画は、2012年に始まる。高校生の少女たちが、短パンをはかせろ!という抗議運動を始め、スカートを脱いで短パンだけで踊り出す。その首謀者の双子の学生の保護者として、めがねをかけた男チョンリャンが呼び出されるところから始まる。

そして、時は1985年。物語の主要人物、チョンリャン、友人のシンレン、メイバオのい三人の青春ストーリーが始まるのだ。

小気味良い音楽に乗せて、たわいない学生生活を描き、さらに時は1990年、自由を求める学生運動に身を投じる彼らの姿、一方で、メイバオとシンレン、チョンリャンとの恋物語が描かれる。

さりげないせりふの所々に、これから起こる物語のキーワード、ファーストシーンにつながるカットが挿入される演出が本当に見事である。

やがて、シンレンとメイバオが恋人同士になるが、実はメイバオはチョンリャンからの言葉を待っていたのである。さらに、本当はチョンリャンはホモセクシャルであるという描写も挿入され、一方、シンレンも、別の女性との恋に揺れ、時は1997年へ。

シンレンは結婚したらしいが、その相手の父は実業家で、一方でメイバオとの仲も続いていて、メイバオは双子を身ごもってしまう。しかも、腫瘍も見つかるというシーンがさりげなく挿入。

シンレンは、現在の結婚に苦痛を感じ、メイバオと台湾をでようとするが、すんでのところで、思いとどまる。

メイバオは一時は出産をあきらめるが、ぎりぎりのところで、出産を決意。チョンリャンとの友情も戻り、シンレンは元の家庭へ。

場面はファーストシーン、チョンリャンが双子の高校生としゃべっている。おそらく、メイバオは、子供を産んで死んでしまったのだろう。

若き日、三人がふざけてバイクで失踪しているシーンで暗転、エンディング。

まさに、駆け抜ける青春ストーリーをそのまま映像にしたという感じの作品だった。
挿入される曲が日本の演歌が台湾の言葉で若者の歌になっていたり、至る所に、外来語としての日本語がでてくるという、台湾文化の独自性も知ることができました。なかなかの一本です。