「欲動」
杉野希妃監督作品なので、平坦な物語にどこか危険なムードが漂う。
不治の病で余命幾ばくもない主人公千紘は妻ユリとともに、インドネシアのバリ島にすむ妹九美夫婦の元を訪ねる。妹はまもなく出産で、揺れ動き不安定になる千紘は、ユリや妹の夫に当たり散らしたり、時に平静になったりを繰り返す。
そんな千紘から距離を置いたユリは、知り合った外国人の男性と関係を持つが、翌朝、戻ってみると九美の出産、誕生に出会う。その後、ユリは千紘に体を求め、激しいSEXをするが、千紘は倒れる。
しかし、悲しいながらも満足感に浸るユリ。浜辺で、二人、声を掛け合うシーンでエンディング。
杉野監督得意の長回しで、延々ととらえるカットや、さりげなく日常をとらえる現地の様子が、どうしようもない夫婦の未来をごく平坦に描くという手法。これというおもしろさとか、メッセージもくっきり見えないが、どこか、これが生き物としての人間の運命の一つと考えると、妙に、感じいる何かがある。
娯楽映画とはいえないかもしれないが、これも映画である。
「禁忌」
杉野希妃がプロデュースした作品で、監督が違うとはいえ、空気は杉野希妃の色である。
主人公で高校教師のサラが廊下をまっすぐにこちらに歩いてくるシーンから映画が始まる。保健室にはいると一人の女子高生がいて、保健の先生が部屋を出ると、サラと女子高生は怪しい雰囲気になる。
一方、頭を殴られ、けがをして、病院にいる大学教授の男充。刑事の問いかけで、20年あっていない娘がいるという。その娘こそサラである。
サラが大学教授の元を訪れ、着替えを取りに彼の家に行くと、なんと地下室に少年望人が監禁されていた。充は小児愛好者であったのだ。しかも、刑事が家宅捜索するというのを聞いたさらは、その少年と、証拠品を持ち出し、かつて母が住んでいた家に拉致する。そして、そこで、無理矢理少年と関係を持つ。
一方、サラにはつきあっている男もいる。
不可思議な怪しいサラの存在が、作品を全編にわたって、異様な空気に包んでいくのである。
やがて、サラは充に望人を返すと告げる。そして、、つれていくが、望人は、サラといっしょに暮らしたいと逃げ出す。そして、浜辺で自ら自殺を図る。
搬送先へ駆けつけたサラに看護婦が「どういう関係?」と聞くと、血だらけの手で自分の顔を真っ赤にして、その関係を見せつける。
監督は和島香太郎という人の初監督作品。
危険で、不可思議な、それでいて、情念が漂うムードが全編にあふれている作品で、全くの凡作とは呼べない不思議な魅力があり、最後までしっかり見ることができた。
前述したが、杉野希妃の色は拭えていないものの、ちょっと楽しめる映画だった気がします。
「自由が丘で」
ホン・サンス監督作品で、例によってピアノ曲で軽やかに展開する、あか抜けた映像がとってもすてきである。しかも、今回は、時間を前後させながら、まるで迷路に迷い込んだような陶酔感が、見ている人を魅了してしまうのだからいい。
映画は、一人の女性クォンが一通の手紙を受け取るシーンから始まる。階段の途中でその手紙を落としてしまい、バラバラになったまま拾い集め、カフェで読み始める。彼女はこの作品の主人公モリのかつての恋人で、モリが彼女に当てた手紙なのだ。
画面が変わる。主人公モリが、大切な彼女を追いかけて一人韓国にやってくる。そして、ゲストハウスに泊まり、アメリカ帰りの気のいい韓国人と話たり、迷子の犬を見つけたことで、カフェのオーナーと急接近したり、時間が前後しながらの物語が展開する。
しかも、愛読書は「時間」という題名の文庫本。クォンの住んでいるらしいアパートに、毎日手紙のメモを届けるがあえない。そして、カフェのヨンソンとベッドインしたりするのだが、それも手紙の中に書かれていたりと、いったい時間が前後してるのか、夢の中の物語なのか。
モリはゲストハウスでやたら寝坊したり、外で寝入ってしまったりと、夢の中に浸るのである。
めくるめくような展開が続き、庭先で寝ていたモリが起こされ、自分の部屋へ入って二度寝してエンディング。果たして、モリはクォンに出会えるのか?いやすべては夢の中なのか?ちょっとしゃれたラブストーリーだった気がします。いい映画でした。