くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「間奏曲はパリで」「神々のたそがれ」

kurawan2015-04-06

「間奏曲はパリで」
とっても洒落たラブストーリー、フランス映画らしいさりげない大人の物語にほんのりと、あったかくなってしまう。なんといっても、主演のブリジットを演じたイザベル・ユペールの魅力と演技力が全編を引っ張ったいく映画でした。監督はマルク・フィトゥシ。

畜産家の夫を持つ陽気なブリジット、この夫婦が牛の品評会に出ているほほえましいシーンから映画が始まる。茶目っ気たっぷりの行動で、ほんのりさせるブリジット。

ある日、隣家のパーティでスタンという若者知り合ったブリジットは、いたずら半分の浮気心を出す。今一歩というところで思いとどまる彼女の行動がまどろっこしいが、そこはイザベル・ユペールの魅力でカバーする。

パリで仕事をしているスタンに会うために、夫にうそを言ってパリへ旅行に出かけるブリジットだが、スタンに適当につきあわれ、嫌気がさしてしまう。そして、今度は同じホテルにいた歯科医ジェスパーと出会う。

今一歩踏ん切らないブリジットの行動が、ストーリーの中心になるが、そこへ、妻を不審に思った夫グザヴィエがパリに行き、妻がジェスパーといるところを目撃してしまい、悩む。

一方のブリジットは、優しいジェスパーに心引かれるものの、やはり夫への思いはわすれられず、自宅に戻る。

グザヴィエが使用人に妻の浮気を相談し、大丈夫ですと励まされる下りから、戻ってきたブリジットとほほえましく肩を抱くグザヴィエのシーンへの流れがとっても素敵。さらに、ブリジットが胸の皮膚病を治すのに,死海にいくのがいいとジェスパーに勧められたのをさりげなくいって、夫グザヴィエが妻の希望を叶えるラストもまた素敵。

二人で死海に浮かんで暗転。こういう終わり方はヨーロッパ映画ならではの粋さですね。ちょっといい映画だったかなと思える一本でした。


「神々のたそがれ」
天才とバカは紙一重というけれど、ゲテモノ映画と映像芸術は紙一重、という類の一本でした。
ロシアの巨匠アレクセイ・ゲルマン監督の遺作として鳴り物入りで公開された作品。原作は「ストーカー」のストルガツキー兄弟なのだから、かなり覚悟して見に行ったが、物語の難解さより、映像のグロテスクさに圧倒されてしまった。モノクロだから見ていられるが、カラーだと目を背けるだろう。

とにかく、ツバは吐くは、飲んだものは吐き出すは、小便はするは、糞はするはのやりたい放題の薄汚さ。しかも、クライマックスはまさにスプラッターのごときで、内臓は垂れ下がるは、首は転がるは、さすがにまいった。

映画は水辺のほとりでいる人々を見下ろすカットから始まる。雪景色で、静かで美しい。そして舞台となる惑星の説明、ここに調査に来た地球人の一行が神と崇められていることが語られる。

長回しとクローズアップで対象人物に寄るカメラワークと、入れ替わり変化する場面の転換は、なるほど評価されるだけのことはあると圧倒される。しかも、その演出でグイグイと迫ってくる重苦しさは尋常ではないのだ。

ストーリーは映像で語られ、吐きまくるツバの薄汚さが物語を進めていく。地球から来た神と崇められる人々が、全く手に負えないこの星の状況に、最後は皆殺しにして去っていくラストはもう強烈の極みである。

全てが終わり去っていく人々の姿が、雪景色の中で煙のごとく画面からフレームアウトするエンディングの美しさで、この監督の才能を認めてしまいものの、やはり、あの映像は頂けない。これも芸術だ、これも映像の極みだと言うのなら、私はこの作品は受け入れたくないなと思う一本だった。