くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ゆずり葉の頃」「きみはいい子」

kurawan2015-06-30

「ゆずり葉の頃」
亡き岡本喜八監督の奥さん中みね子さんの初監督作品、といってもすでに76歳である。

もちろん、プロデューサーもされていたし、若い頃は脚本も書いていたので全くの素人ではない。とはいえ、あまり期待していなかったが、友人の薦めもあり見に行った。

これが、なかなかいい映画。手持ちカメラが、ゆっくりと流れる小川のせせらぎのようで、シンプルな物語なのに、周りのディテールがしっかり描かれているので、すごくリアリティと胸に迫るものがある。ちょっとした佳作でした。

映画は子供たちがかくれんぼをしている声に始まる。声がテロップになり、画面が変わると主人公の息子進が、海外から一時帰国する場面になる。

電話にもでない母に会うために家に戻るが、母市子は軽井沢に旅行に出かけたという。実は市子は幼い頃、軽井沢の疎開先で一人の少年に出会った初恋の思い出がある。その少年は今では世界的な画家になっていて軽井沢で個展を開いているのである。

幼い頃の恋を求めて、軽井沢にやってきた市子。しかし目当ての絵が飾られていない。連日展覧会に足を運ぶ中、喫茶店のマスターと知り合い、すてきなペンションを紹介されたりと、地元の人々の心にふれる。そして、とうとう画伯から家に誘われる。

市子が訪ねてみると、今や目が見えない宮画伯。まさか、幼い頃に出会った少女と知らずに歓談する画伯。やがて帰り際、画伯の妻に託したのは、幼い頃、宮少年に市子がもらったあめ玉と同じあめ玉。市子が帰った後、そのあめ玉を手に宮画伯は、少年時代の思いがよみがえる。そして、画伯の家でみた「原風景」という絵こそ、市子が見たかった絵であり、そこにかかれた少女の姿こそ、幼い日の市子だった。

前半で、フラッシュバック映像で、市子と宮の出会いを挿入したり、CGを使わずに描いた映像の美しさ、さらに宮画伯の家にあるオルゴールで踊る市子と宮の場面、背後に流れる山下洋輔の音楽の美しさ。映画センスの良さを伺わせる作品であり、何十年も前の恋物語を題材にしたストーリーの純粋さに心を打たれます。

そして、宮と市子が出会った池の畔で追いかけてきた息子進と出会った市子は、二人でゆっくりと会話をしてバスを待つ。エンディング。

奇抜な映画ではないのですが、淡々と流れるような詩的がリズム感に最後まで引き込まれる一本でした。


「きみはいい子」
これはいい映画だった。後半、涙が止まらないほどに胸が熱くなり続けた。子供って、これほどに純粋なのだけれど、これほどまでに残酷な存在でもある。まるで綱渡りのようなきわどい状態の子育て、そして子供と接することのきわどさ、でも根底にある、人と人との心のつながり、愛することのあまりにも単純なものにいつの間にか渇望している人間の弱さが、見事に描かれている。監督は呉美保である。

映画は一人の老人あきこの姿から始まる。一人住まいの彼女は、老いによる認知症におびえている。玄関のベルが鳴り現れたのは、近くの小学校の教師岡野。生徒がピンポンダッシュをしたらしく、その謝罪に回っているという。

あきこが玄関先を箒で掃いていると、知恵遅れの少年が、おはようございます、さようならという。

ここに、まもなく幼稚園を控える子供を持つ母親たちの、公園での集まりのシーンがある。中に一人雅美は、子供の頃虐待を受けていて、自分もそうなるのではないかとおびえている。

カメラがゆっくりと対象に近づき、また離れていく。このカメラワークで映像が物語を語る効果を生む。この演出が絶妙のタイミングとスピードで繰り返されるのは見事である。

雅美に近づいてきたのが、二人の子供を育てる陽気な陽子。このキャラクターが、見事に物語が沈み込むのを防ぐ。演じるのは池脇千鶴である。しかし終盤、彼女もまた子供時代虐待を受けていたと雅美に打ち明けるのだ。陽子が雅美を抱きしめるシーンは、もう涙が止まらない。

教室があれる中、悩んだ岡野は、ふと甥に抱きしめられたのがきっかけで、生徒たちに、家の人に抱きしめられてくるという宿題を出す。こうして、少し成長した岡野。子供たちの何ともいえない顔に安心し、隣の知恵遅れの子供たちの教室に、あきこたちの姿も見る。

あきこは、かつてスーパーで誤って万引きしてしまい、店員にとがめられる。後に、あきこの家の前で鍵をなくしたとパニックになっていたいつもの少年を家に入れてやると、迎えにきたのが、あのスーパーの店員。

彼女もまた、障害のある子供を育てることに苦しんでいたが、あきこにいわれ自分の子供の純粋な姿を知る。

岡野は、一人の少年が気になっていた。義父に虐待を受けていたようで、いつも放課後、校庭で一人時間をつぶしていた。かつて、その少年と家に行き、父親にすごまれたこともある。

しかし、抱きしめてもらうという宿題に、元気よく帰ったのだが、顔が見えない。岡野は、必死で走ってその少年のアパートに行く。何度も呼び鈴をならすが、誰もでてこない。暗転エンディング。あの少年はどうなったのか?ポストにたまった新聞、音沙汰のない部屋。悲劇か?という疑問を残して映画が終わるのだ。

非常に優れた映像表現で、ヒューマンドラマとしての愛を訴えかける。この演出がとにかくすばらしいほどに見事で、これはもう呉美保監督の感性の鋭さと呼ばざるを得ないと思う。傑作でした。