くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「安珍と清姫」(島耕二監督版)「サイの季節」「チャップリ

kurawan2015-07-22

安珍清姫
いうまでもない、有名な娘道成寺の物語であるが、西岡義信の美術の美しさと島耕二監督の丁寧な演出、市川雷蔵若尾文子主演で、
絵のように美しい立派な大人の恋物語として完成されている。

物語は今更であるが、清姫が馬で駆けているシーンに始まる。狐を射るはずが、誤って修行僧の安珍を射てしまい、それが縁で清姫安珍に惚れてしまう。一方の安珍は、女の煩悩と必死に遠ざけるが、やがて、あがなう術なく体を交わす。

随所にみられるセット撮影の美しさが際だつ一本で、あくまで、美学を追求したような画面づくりと真摯な姿勢がすばらしい映画でした。


「サイの季節」
映像がとにかく美しい。色彩の配置、画面の構図、人物の配置、カメラアングル、どれをとっても詩的と呼べるほどため息がでる。


そんな見事な映像表現で描かれる、ある意味、現実とも幻想とも呼べる世界は、作品が一つの詩編のごとき味わいになって、目の前に映し出される。監督はイラン人のバフマン・ゴラディである。

映画は一人の男、主人公である詩人のサヘルが監獄から釈放される場面に始まる。一人の男のたくらみで逮捕された彼は30年の換金の後解放された。

しかし、彼は政府の嘘によって死んだことになっていて、生き別れとなった最愛の妻ミナの周辺に一人の男アクバルの存在が見えてくる。しかもアクバルはサヘルを監獄域にした原因を作った男であり、密かにミナを愛していて、そのよこしまな愛ゆえの行動だった。

サヘルは釈放後、二人の売春婦と行動をともにし始める。一方、別れたミナを探してもらう。

過去と現代が交錯し、混沌とした30年間の話が入り乱れ、時にリアルに、時に夢のごとく描かれる展開は、さすがに芸術的だが、ややテクニックに走りすぎている感もないとはいえない。

デジタル処理したのではないかと思える映像であるが、実に美しいのはこの映画の最大の特徴であり、実話を元にしたストーリー展開は、かなりの残酷な現実を突きつけてくる。

結局、サヘルはアクバルと共に、車で海に飛び込み自殺する。いや、その前に、サヘルが行動を共にした二人の女は実はミナの娘であり、入れ墨士であるミナはサヘルに入れ墨をする場面もある。

めくるめく展開で、冒頭に、眠気を感じてしまったため、勘違いしたストーリーで理解しているかもしれないが、芸術作品としてはなかなかの秀作だったと思う。


チャップリンからの贈り物」
実話を元にした面白い題材の映画なのに、どうも、全体にテンポが悪い。特に、前半部分がもたついていて、何を軸にストーリーを運びたいのか見えてこない。中盤になり、チャップリンの棺を誘拐する話へ進むが、それほどの切羽詰まり感が弱い。確かに、娘の夢を叶えられないとか、妻の入院費が払えないとか、切実な金の話は出て来るが、でも何とかなってるように見えているのだ。さらに、犯行後のコミカルな展開も、今ひとつ、組み立ての面白さが見えない。そしてそのままラストシーン。エディはピエロに、オスマンは妻も退院して普通の生活に。で、それだけ?という感じなのだ。監督はグザヴィエ・ボーヴォワ

映画は、エディが出所してくるシーンから始まる。友人のオスマンが彼を迎え、隣近所に住み始める。しかし、オスマンは貧乏暮らしで、様々な弊害が見えてくるのをエディは見るに見かね、ある犯罪を思いつく。って、どうも無理があるのですが、たまたま亡くなったチャップリンの遺体を掘り起こし、身代金を取ろうとするのだ。

しかし、脅迫電話をするも、たどたどしいし、更に、似たような電話がかかり、チャップリン夫人も本気にしないのだ。更に秘書が写真を要求したので、ポラロイド写真を送るが、金の受け渡しが、計画性もない。

実話なので、ある程度の縛りは仕方ないのですが、もっと面白おかしく、ハートフルに出来そうなところがいっぱいあったのが残念。