くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「偉大なるマルグリット」「ディバイナー戦禍に光を求めて」

kurawan2016-03-16

「偉大なるマルグリット」
実在のソプラノ歌手フォローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルにした物語というのとストーリー展開がなんとも微妙なニュアンスで絡み合って、何をどう見て良いのか迷ってしまう不思議な映画でした。これを感動したと見るのか、考えさせられたと見るのか、これも映画の描き方なのでしょう。監督はグザヴィエ・ジャノリです。

1920年フランス、新聞記者のボーモンは、郊外の貴族の館で催されるサロン音楽会に出かける。売り出し中の若手歌手を始め蒼々たるメンバーが集い、歌う。そして最後、このサロンのオーナーで大富豪のマルグリット夫人の番になる。

ところがその歌声は、突拍子もなく音痴、しかも観客の皆が知っているようで、覚悟の上で、ただ喝采を送るのだ。夫のジュルジュは車の故障を口実にやってこないという有様。その上本人は自分の音痴に気がつかない。

有名なくオペラの本物の衣装や楽譜などを金に惜しみもせず集め、著名人からのメッセージも館の中にふんだんに取り込んでいる。一人の眼光の鋭い黒人の執事がマグリットをサポートするように裏で手を回しながら夫人を支えている。

なんとも不思議な映画である。いくら音痴でも、自分で気がつかないことがあろうかと思うが、周りが賞賛し、賛同すれば、音痴も美声となるのかもしれない。そしてその幻影の中にどんどん深みにはまるマルグリットの姿なのかもしれない。しかも、ただひたすら歌に執着するのは夫を自分に向けたいが故の一途さというのもどこか切ない。

やがて彼女は自身のリサイタルのために、有名なオペラ歌手を先生に迎える。占い師や、胡散臭い若者たちを交えてのレッスンの後、ついに、その日がやってくる。

大ホールで歌い始める彼女だがすぐに声を枯らし倒れてしまう。病院に担ぎ込まれ、医師は彼女の歌声を録音し、本人に聞かせることで現実に引き戻せないかと計画、そして、その歌声を聞かせる日がやってくる。

やめさせようと夫ジュルジュが駆けつけるが時遅く、自分の歌声を聴いたマグリットはその場で息を引き取る。最後の姿を写真に収める執事のカットでエンディング。

実在の、音痴ながら人気を集めた歌手の物語をもとにしたというこの映画、果たして、本当の舞台とはなんなのかと問いかけてくる。観客がいてこそ舞台が成り立つ。だから、舞台上の演技がどうよりも、まず観客ありきなのだ。それを極端な描き方で描写したのではないか。

歌の先生になる落ちぶれた有名なオペラ歌手、彼にはすでについてくる観客がいない。その時点で舞台はないのである。微妙な存在ながら、この歌手の存在とマルグリットの存在を対象にして理解できないかと思えるのです。

演出はどこかシュールな空気も漂いながら、見方によれば、現実の物語ではないかのごとくも捉えられる。しかし、メッセージはそういうことなのではないかと思うと、不思議な熱い感動が胸にしみ始めるのです。不思議といい映画だった気がする一本でした。


「ディバイナー 戦禍に光を求めて」
ラッセル・クロウが監督に挑戦し、第一次大戦中のトルコ・ガリポリの戦いで亡くした息子を探しに行ったオーストラリア人の男の物語の実話を描いた作品である。

まぁ、好みの映画ではないし、これという面白さとか、優れた人間ドラマとか特筆するまでもない映画でしたが、クオリティはそこそこでしたので、決して素人映画とは呼べないものだったとは思います。

オーストラリアでディバイナーとして井戸を探り当てる仕事をしている主人公ジョシュアのシーンから映画が始まる。戦地に送り出した3人の息子は戦死したらしいというままで、妻は息子のことでやや気が触れている。ある夜、妻が自殺をしたことを機にジョシュアはトルコへ息子を探しに行く。

現地で、息子のことを知るトルコ人などに出会いながら、二人の戦死の確認と生きていた兄と再会するまでを描いていく。

実話なので、それほど劇的な物語はないし、ホテルで出会った未亡人との淡い恋はフィクションなのかどうかはともかく、まぁ、最後まで飽きることなく見ていられる映画ではありました。


「火の山のマリア」
グアテマラ映画で、ベルリン映画祭銀熊賞受賞とアカデミー賞外国映画賞応募作品となった作品。監督はハイロ・ブスタマンテという人です。

ドキュメンタリータッチのカメラアングルを多用し、素朴な情景の中にグアテマラの社会問題などをさりげなく挿入していくとともに、生活する姿をストレートに語っていく。確かに、飾り気のない映像は、こなれた先進国の作品とは違って新しさを感じるが、それが映画賞の選考基準にするのかどうかは疑問と言えなくもない。

映画は、火山の裾野で暮らすマリアたち家族の物語。借地に農作物を作ろうとするのだが、毒ヘビがいたり、土も肥えていないので、うまくいかない。このままでは追い出されるのでマリアを地主の青年イグナシオに嫁がせようとするが、マリアは農園のぺぺに惹かれていて、彼の子供を妊娠してしまう。

母は、言い伝えで、妊婦が近ずくと毒ヘビが逃げるとマリアに教え、マリアはそれを実行。しかし毒ヘビに咬まれ、病院で一命を取り留めたものの赤ん坊は死んだと知らされる。

ところが、マリアが墓を掘り起こすとそこに墓を赤ん坊の遺体がない。病院で言葉が通じず、言われるままにサインしたために赤ん坊をどこかに売られてしまったのである。

と言って、警察に行っても言葉の壁からうまく捜査に踏み切ってもらえず、結局、追い出されないためにイグナシオのところに嫁ぐ支度をするマリアのカットでエンディングとなる。

素朴ない映像で描かれるグアテマラの問題が、しっかりと画面から伝わる作品で、なかなかのクオリティを感じさせる。画面の構図の取り方、カメラワーキングもなかなかのもので、作品としても評価できる一本でした。