くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エゴン・シーレ 死と乙女」「ショコラ 君がいて、僕がいる

kurawan2017-02-13

エゴン・シーレ 死と乙女」
28歳でこの世を去った画家エゴン・シーレの半生を描いた作品でした、これといって秀でた作品ではありませんが、丁寧に紡いでいく物語に一人の画家の心の葛藤はそれなりに描けていた気がします。監督はディーター・ベルナーです。

風邪で寝込んでしまったシーレのもとに一人の女がやってくる。そして高熱で倒れたシーレの看病を始め、フラッシュバックで彼の過去の物語が描かれていく。

とにかく、展開する物語が今ひとつリズム感に乏しく非常に長く感じられるのは残念。二人の女と絡んでいく人生を描くのが中心になり、画家としてのドラマは少し希薄になっています。

ただ、画家としてより一人の男としてのドラマでみれば、この作品は成功していたのかと思います。


「ショコラ 君がいて、僕がいる」
20世紀の始め、フランスに実在した伝説の道化師コンビ、フティットとショコラのその誕生から、ショコラの死までを描いた物語で、冒頭の広く捉える片田舎のサーカスの風景から、ラスト、ショコラが死んで、ゆっくりとカメラが引いて大きく夜の景色を映し出すまで、心が温まると主に一人の芸人の半生をしんみりと感じられる良品でした。監督はロシュディ・ゼムです。

田舎で人食い原住民の芸をしているラファエルだが、フティットという白人の芸人とコンビを組んで道化を始めて、白人のフティットと対する黒人のショコラとしてみるみる人気が出てくる。

やがてパリに進出、20世紀初頭のパリを舞台に二人の実在の芸人がみるみる脚光をあびる一方で、ギャンブル好きなショコラが次第に生活が荒れ、さらに女好きもマイナスになり、ゲイでもあるフティットとも溝ができ始める。

そして、道化をやめて演劇の舞台に立ちたいというショコラの思いはやがてかなうのだが、黒人への執拗な嘲笑が彼をおそり、一気に落ちぶれていく。

最後は結核で死の床にあるショコラをフティットが見舞うシーンでエンディング。

非常に真摯に作られ、カメラワークも美しいし、アングルも構図も、そしてドラマとしても良くできていると思います。。好感の持てる一本でした。エンドクレジットでリュミエール兄弟が彼らを撮影した実際のフィルムが流れるサービスも良かった。


たかが世界の終わり
グザヴィエ・ドラン監督らしい、みずみずしい映像と音楽感性で綴る家族の物語ですが、ほとんどが俳優のクローズアップで、舞台劇のような作りはちょっとしんどかったです。それでも、リズミカルにカットの切り返しを繰り返し、時折、テンポの良い曲を挿入するインサートカットの配分の的確さはやはりグザヴィエ・ドランらしいなあと楽しめました。

自分の死が間近であることを家族に告げるために12年ぶりにルイが家族の元に帰ってくる。いそいそと化粧をする妹や母親、しかし、ゲイであるルイを迎える兄のアントワーヌはどこかしら疎ましい空気を隠せない。

そこへ、ルイが帰ってくる。ひたすらアップを繰り返して会話劇が続き、ルイとアントワーヌの諍いを中心に、母親やアントワーヌの妻、妹との会話をするルイ。どのタイミングで話をしようかと戸惑いながらもなかなかその機会がおとづれないまま、ルイは再び家族の元を去ることにする。

出る直前、鳩時計から小鳥が飛び出し、床に落ちて、瀕死のアップの向こうに、ルイがドアを開けて出ていくシーンでエンディング。なるほどい、孤独な死をイメージしたかなというエンディングに、グザヴィエ・ドランらしいなあと繊細な表現が見えるあたりは魅力でした。