くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「スキップ・トレース」「エイリアン コヴェナント」「神様

kurawan2017-09-15

スキップ・トレース
レニー・ハーリン監督作品ということだけで見に行ったが、どちらかというとジャッキー・チェンの映画だった。とりとめもない展開の連続とどちらかといえば観光映画的な楽しみを見る作品という感じで、これというストーリーはないのかというほど適当だが、魔弾なく繰り返されるジャッキーアクションが楽しい一本でした。

香港のベテラン刑事ベニーは敵の罠にはまった相棒やんを助けようと塔をよじ登るが、体に巻きつけられたダイナマイトでヤンは死んでしまう。そして9年経ち物語が本編へ。

この後の展開は、何故そうなったかわからないというのが正直なところで、ロシアから香港までアメリカ人詐欺師コナーと犯罪王ウォンを追っていく展開となる。

いく先々で見せるモンゴルやロシアから、香港の名所、名物、景色などを盛り込んだ贅沢な作りになっているので、物語は適当なのに楽しめる。ここがジャッキー・チェン映画の魅力なのでしょうね。

結局、犯罪王ウォンの正体がヤンだったというラストの展開から、あとはなるべくしてなるハッピーエンドとなる。

たわいのない映画といえばそれまでですが、娯楽映画の基本といえば基本というエンターテインメントだったと思います。


「エイリアン コヴェナント」
「プロメテウス」の続編となる「エイリアン」の前日譚を描いた作品ですが、このシリーズ、ここまで哲学的にする必要があるあるのだろうかと思えるくらい作品の空気が高級になって来た気がします。まぁ、リドリー・スコット監督が指揮をしているのですから問題はないのですが、作品として高尚な仕上がりになって来た感じです。

真っ白で近代的な感じの部屋、外には山河が広がり、風景に大きく開いた広大な窓が設置されている。その部屋の中でアンドロイドのデヴィッドがその創造主である博士と会話をしているというシーンから映画が始まる。

カットが変わると、巨大な宇宙船、時は「プロメテウス」の出来事から10年後、人類の入植先を求めて約7年後の到着を目指し、船内には人口冬眠しているクルーと2000体近い胚芽が乗り込んでいる。管理しているのはアンドロイドのウォルター。太陽光線を受けるエネルギースクリーンを帆のように広がる美術デザインが美しい。

ところが突然できた宇宙フレアの影響で事故が発生、クルー達は目覚めるが、船長は機器の不具合で死んでしまう。

目覚めたクルー達は、船の修理の時に突然飛び込んで来た電波を解析し、近くに入植に適した星を発見、目的地を変更してその星に向かう。そして、ダニエルズらが小型船で星に降り立つが、異様な生物の攻撃を受ける。そして、危機一髪のところに現れたのが10年前プロメテウス号に乗っていたアンドロイドのデヴィッドだった。そして彼は同じアンドロイドのウォルターにことの次第を説明する。

彼はこの星で道の細菌が広まり、人類は死滅し、異様な生物を作り出していた。それは愛する人から生み出したというものだがそこには神として君臨しようとする邪念が混ざっていた。

次々と犠牲者が出て、最後の最後、ウォルターはデヴィッドに戦いを挑み、倒し、生き残ったクルーとともになんとか母船に戻る。ところがもう一体が脱出した乗組員の体にあり、それが飛び出して母船内で最後のバトルになるという展開は、第1作と同様。そして、宇宙に放り出しクルーで残った二人は本来の目的地を目指し冬眠施設に入る。ダニエルズが入り、機器の窓からゆっくり見下ろすウォルター、と思われたが、実はデヴィッドで、彼はクルー二人を機器に入れて殺してしまい、人類の胚芽保存容器に、自らの体に忍ばせて来た異生物の胚芽を納めて映画が終わる。

つまり人類の未来はなく、人類が作ったにもかかわらず、神という存在になったアンドロイドが支配していくという哲学的なラストシーンとなっている。

冒頭の美しい部屋のシーン、コヴェナント号のデザインといい、「エイリアン」の第一作に出て来たノストロモ号のようなぼてぼてした野暮ったさがない。前日譚にもかかわらず、過去の方が美しいという絵作りはちょっと違う気がするけれど、映画作品としてはしっかりと作られた佳作だと思います。

「神様がくれた赤ん坊」
荒井晴彦脚本、前田陽一監督作品。元来、桃井かおりが嫌いなので、最後まで今ひとつのめり込めなかった。軽いタッチで展開していくロードムービーなのですが、ところどころ引っかかってしまうのは、やはり時代色でしょうか。

同棲しているカップルのところに、昔関係を持った女の子供だからと男の子を置いていかれる。置き手紙にある、父親らしい五人の男に押し付けるべく、主人公二人が九州まで旅をする。

いく先々で、知らんふりをされ、養育費をもらったり、サインボールをもらったりと様々な人物に会う一方、女の方は、母親や自分の子供時代の面影を探す旅をする。

二人の物語が妙にちぐはぐだし、子供の存在があまり重視されずおざなりの描写になっているので、今ひとつリズムに乗り切らない気がします。

気楽に見れる軽いタッチの作品ですが、映画としては普通の作品の気がしました。