「否定と肯定」
事実に基づいた作品とはいえ、かなり作り込まれたなかなかの力作。しかも主人公リップシュタットを演じたレイチェル・ワイズの見事な演技力に圧倒される一方対するアーヴィングを演じたティモシー・スポールも上手いし、脇を固めたトム・ウィルキンソンらも絶妙。素晴らしい仕上がりの一本でした。監督はミック・ジャクソンです。
1994年、大学の講義でホロコーストについての講義をするリップシュタットの姿から映画が始まる。機関銃のようにまくし立てる彼女の姿は、明らかにアメリカ女で、どちらかというと非常にこ生意気に見えてくる。
そんな彼女に名誉を傷つけられたとホロコースト否定論者のアーヴィングが訴えを起こす。しかも被告側に立証責任があるイギリスの法廷に持ち出したのだ。
リップシュタットは弁護団を組織しイギリス司法に乗り込んでいく。とにかく自分が自分がと押してくるリップシュタットの姿は、かなり鼻に尽くし、嫌な女に見える。しかし最初の法廷でアーヴィングにダメージを与えた弁護団の姿に、一気に彼らに信頼を寄せるように変化する。
物語は要するに法廷劇であり、歴史的にも事実であるホロコーストの存在を争うという理不尽な戦いはどこか奇妙だが、なぜかこれが歴史に対する見方の正しい方法なのではと思えてくる。
もちろんアーヴィングの主張は次々と覆されて行くのだが、果たして、史実の実証において人間的な心情が入らないはずはないのだとも思える。そのことを極端な存在としてアーヴィングを通じて描いただけで、彼も悪者に見えない演出が素晴らしい。
歴史の検証とはこういうことなのである。最後の最後の判事の問い詰めが、ここではうまく書けないがそのことの的を射たのではないかと思うのです。
リップシュタット側の勝利で映画は終わるのですが、それが事実であるとはいえ、何か自分たちが考えなければいけない物があるのではないかという余韻のあるメッセージが伝わってきて、どっしりと胸に残る作品になりました。素晴らしい一本といってもいいかもしれません。
「DESTINY 鎌倉ものがたり」
映画の出来栄えは普通なのですが、こういう話を見るタイミングというのがあって、それがまさに今というタイミングで、すっかりクライマックスははまってしまいました。気がつくと涙ぐんでいる自分がいた。監督は山崎貴である。
作家の一色正和と結婚することになった亜紀子は新居となる鎌倉にやってくるところから映画が始まる。ここから、この鎌倉がさまざまな魔物が住む町であること、編集者の突然の死による死神とのやりとりの前提など、後半の本筋に流れるための説明のエピソードがややくどいのが残念だが、山崎監督得意のCGによるファンタジックな映像を楽しむことができる。
ちょっとした事故で魂が抜けてしまった亜紀子は、肉体がたまたま偶然他の魂に借りられたために、魂が肉体に戻れず黄泉の国に旅立つことになる。そこで、たまたま見つけていた幻想作家の遺稿を元に黄泉の国へ行き、亜紀子を取り戻す旅に正和が旅立つのが本筋なのだが、この本筋とそれまでのエピソードのバランスが悪いのが本当に残念。
そして黄泉の国に着き、亜紀子を捉えている天頭鬼と対決、すんでのところで、かつて取り憑かれた貧乏神に優しくしたためにもらった神器の茶碗に助けられ、無事戻ってくる。
本来の物語とその周辺の物語の構成の組み立てが良くないために、妙に前半がだれてしまうのですが、最後まで見終われば、それなりに感動してしまう。ただ、CGのファンタジックシーンの効果が今ひとつで、作品に色付けていないのももったいない。決してつまらなくはなかったし、死神をした安藤サクラも最高の名演技だったのだが、映像作品としては普通の映画だった気がします。