くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エンジェル、見えない恋人」「止められるか、俺たちを」

エンジェル、見えない恋人

ファンタジーなのはわかるのですが、ほとんど全編一人芝居という映像になるので、よほどの演技と演出が伴わないととしんどいなと思えるものがそのままの作品でした。監督ハリー・クレフェン

 

もやもやした混沌とした画面からタイトルが始まる。場面はマジックショーの舞台上。1組の男女がショーを行っている。男性が扉の後ろで消え、その姿を探す女性のカットで、画面はベッドに横たわる一人の女性。窓から見下ろすと大きな邸宅がある。

 

その女性ルイーズは妊娠していてやがて赤ん坊を生むが、なんと姿の見えない赤ん坊。その赤ちゃんを育てるシーンから、やがてその男の子は窓の外にいる一人の少女マドレーヌを見つける。

 

男の子は、ある時外に出てその少女のそばに行く。実はその少女マドレーヌは目が見えなくて、匂いと気配で少年エンジェルを見つける。

 

次第に二人は親しくなり、時が流れる。二人の間には友情以上のものが芽生え始める。そんなる時、マドレーヌは目の手術を受けにいくことになる。数ヶ月だけこの場を離れるはずが数年経ち、ルイーズもこの世を去る。そしてマドレーヌは帰ってくる。

 

恐る恐る近ずくエンジェル。そして、目を隠してマドレーヌはエンジェルと会うようになる。ある時、自分を見せるためベッドでシーツをかぶってマドレーヌの前に現れるエンジェル。そしてシーツを取ると、何も見えないエンジェルがいた。ショックで涙が止まらないマドレーヌ。翌朝、エンジェルは手紙を残してマドレーヌの元を去る。

 

慌てたマドレーヌは、かつて目隠しして連れて行ってもらった湖へ。そこで、入水自殺しようとするエンジェルを助けたマドレーヌは、永遠に一緒に暮らすことを約束。そしてマジックで身を立て、やがて二人の間に赤ん坊も生まれて映画が終わる。

 

もう一捻り工夫があれば、胸打つファンタジーになりそうなのですが、一人芝居のエロスがやたら目立つ作品で、そこに、プラトニックな恋が漂えば秀作になったように思えます。いい題材ですが昇華しきれなかった、そんな映画でした。

 

止められるか、俺たちを

これはかなり良かった。若松孝二監督のプロダクションの姿を、助監督志望で入った主人公めぐみの目を通して、1970年前後の世相を映し出しながら、映画づくりに情熱を注ぎ込む熱さが見事に描けていました。監督は白石和彌

 

女でもピンク映画の助監督ができますか?主人公めぐみが、喫茶店沖島に尋ねるところから映画が始まる。そしてめぐみは当時ピンク映画や革命映画を撮りまくる若松プロダクションにやってくる。

 

思いつくままに、時代を切り取って映画を作る若松プロのメンバーの中で、時に罵倒されながらも一つの方向にまっしぐらに突き進んでいく若松孝二率いる軍団の生き様の中で、自分が生きていると実感していくめぐみ。

 

いずれは脚本をいずれは監督をと、明日を夢見ながら、男臭さの中を走り回るめぐみ。時代は70年代安保闘争。この時代、高度経済成長の頂点で大阪万博も開かれているがそこには全く触れず、ひたすら映画を撮る若松プロのひたむきさはとにかく痛快である。

 

そして、脚本を任され、ちょっとした映画を任されるめぐみだが、思うように認められず次第に挫折、一方で、カメラスタッフの若者と逢瀬を繰り返すうちに妊娠してしまい、自分の行く先がわからなくなり、ある時、睡眠薬で自殺してしまう。

 

時に若松プロは真っ赤なバスで全国行脚の上映隊を組織して旅立つ。若松孝二はATG作品を取るべく脚本を目にして映画が終わる。

 

時代の流れを若松プロの活動の中に描きながら、それを見つめる主人公の視線と、心の変化を映し出していく様が切ないほどに純粋で熱い。今の映画産業にこの熱さが皆無とは言えないけれど、何かこの時代の気概が薄れているような気がします。

 

グイグイと前に進むストーリー展開とカメラワーク。その大筋の傍に配置された主人公の心の機微が絶妙のバランスで、観客を引き込んでくれます。こういう時代があったなというノスタルジーと主人公への感情移入で、しんみり感動させられる映画でした。