くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ビブリア古書堂の事件手帖」「嘘はフィクサーのはじまり」

ビブリア古書堂の事件手帖

全体に落ち着いた良質の文芸映画的な空気感を持った映画でした。ただ、クライマックスのありきたりで適当なカーチェイスだけが手抜きにしか見えなかった。監督は三島有紀子

 

吊り橋の家をいく葬儀のシーンから映画が幕を開ける。主人公五浦大輔の祖母絹子が亡くなったのだ。大輔は幼い頃から絹子の蔵書を触っていて頬を殴られたことがあり、以来、活字の本が読めなくなっていた。

 

祖母の意品を整理していて、一冊の本が目につく。夏目漱石の「それから」。裏表紙には夏目漱石の文字と田中嘉雄の名前、そしてビブリア古書堂の栞と若き日の絹子の写真が入っていた。てっきり夏目漱石の筆跡だと、ビブリア古書堂へ持ち込んだ大輔だが、店主の栞子に、この本と祖母の経緯を見事に言い当てられ唖然として帰ってくる。

 

結局夏目漱石の筆跡は偽物だったが、気になった大輔は再び栞子に会いにいく。栞子はおそらく禁断の恋に落ちた絹子が恋人の田中嘉雄にもらったものだろうと推理する。大輔は足を怪我していた栞子を手伝って、書店のアルバイトをすることにし、代わりに活字の読めない大輔に「それから」を読んでもらうことを栞子に提案する。

 

実は栞子には最近、不審なメールが続いていた。栞子の蔵書の中に太宰治の「晩年」という本の初版本があり、太宰治のコレクターから執拗に譲ってほしいとメールが来ていた。それもやや異常なくらいに。

 

ある時、古書店同士の市場に大輔は栞子と出かけ、そこで栞子と同様本が大好きな稲垣という男と出会う。栞子はこの稲垣と気が合い、頻繁に大輔と三人で絡むことが増えてくる。

 

大輔の祖母絹子は若き日の田中嘉雄という小説家志望の男と恋に落ちる。すでに結婚していたが逢瀬を繰り返し、とうとう体を合わせてしまう。田中は絹子と逃げる計画を立て、切通坂で待ち合わせをするが、やってきた絹子は行くことができず、田中は「それから」を与え、自分の今の気持ちだと告げる。

 

実は栞子が足を怪我したのは、太宰治のコレクターらしい大庭葉蔵に突き落とされたことがわかり、大輔は謎の男大庭を捕まえるべく、「晩年」を囮にしておびき寄せようとする。しかし、三人が店を離れた隙に店頭に火をつけられ、フェイクで飾っていた本をボロボロにされてしまう。

 

ちなみに大庭は幼い頃祖父がやっていた古書店が火事で焼け、その時「晩年」を託されかけたが燃えてしまった過去があった。故に「晩年」に狂気的にこだわるのだが、その部分がいまひとつみえない。

 

大輔は本を自分があづかることにし、栞子を守ろうとし持ち帰るが、帰った途端何者かに襲われ奪われてしまう。この辺りからが実に手抜きの脚本になって行くのがなんとも残念。

 

しかし、持ち帰った本もフェイクだと栞子に言われ、自分を信じていないと思ったら大輔はバイトを辞める。しかしたまたま、かつて稲垣が自分の大事な漫画を貸し与えた盲目の男が普通に見えている現場を見つけ、問い詰めたら、稲垣に頼まれて、ビブリア古書堂に火をつけたのも自分だとわかる。

 

一方、大輔もいなくなった書店に稲垣がやってきて栞子に迫っていた。そして間一髪で大輔と脱出、追いかけてきた稲垣=大庭葉蔵と適当なカーチェイスのあと海に追い詰められた栞子は本を海に投げ捨てる。

 

戻った栞子に大輔は、あなたが私に必要な人ですと告げて映画が終わる。

 

中盤あたりまで、落ち着いた空気感の文芸映画的な味わいがあったのに、終盤、途端に雑な締めくくりに流れて行くのはどうしたものか。どこか不完全燃焼に終わった気がしてちょっと残念な映画だった。

 

「嘘はフィクサーのはじまり」

なんなのだ?という不思議な映画。面白いストーリー構成なのだが、どこか裏に隠れたメッセージが見え隠れし、素直なブラックユーモアとして楽しめなかった。監督はヨセフ・シダー。

 

何でもかんでもとっかかりを見つけて人脈を作ろうとする主人公ノーマンの姿から映画が始まるが、演じるリチャード・ギアがボケ老人にしか見えない。無理やり近づいた投資家にけんもほろろにされ、それでも次のターゲットを探すノーマン。

 

ある公演で見かけたカリスマ政治家のエシェルにさりげなく近づき、流れで彼に靴を送ることになる。そして3年、エシェルはイスラエルの首相になってしまう。覚えているのか不安だったノーマンだが、近づいてみるとちゃんと覚えていた。そこで、持ち前の嘘をちりばめながら人間関係を広げていくが、ここに来てエシェルに収賄の疑惑がかかる。

 

そのキーになる人物が謎の事業家ということで、探し始めますが、一向に見つからない。一方、ノーマンは一人の女検事と知り合いになっていて、そのつてで、相談を持ちかけようとするが、そこで告げられたのは、ノーマンがエシェルのために暗躍してきたことは、汚職に当たるということだった。そして、首相に罪を被せるかどうかの選択を迫られる。

 

一方のエシェルも、アメリカとの和平調印のためにはここで失脚できないので、ノーマン一人を犠牲にしても何万というユダヤ人を守りたい決断をする。そしてノーマンに電話し、友人であることを再確認する。ノーマンもここまでしてきたことが拗ねてほころびが出てきて窮地に立っていた。

 

エシェルの気持ちを察したノーマンは、冒頭で投資を持ちかけてけんもほろろに断られた人物に、エシェル首相のスキャンダルで儲けるすべを伝え、それで儲けた一部を、約束していた寄付に回す段取りをし、ナッツアレルギーであるノーマンはナッツを買い、死を覚悟して映画が終わる。

 

と、こういう話だと思うのですが、どこか描き切れていないのか私に理解力がないのか、裏に隠されたメッセージがあるのか、どこかスッキリしない展開で終わった気がします。超スローモーションなど映像テクニックを駆使した画面作りは個性的ですが、ちょっと煮え切らないままに終わった感じでした。