くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「修道士は沈黙する」「バーフバリ 伝説の誕生」

kurawan2018-04-05

修道士は沈黙する
面白いのですが、思わせぶりが多すぎて、ラストも分かったようなわからないようなエンディングでした。監督はロベルト・アンド。

ドイツのリゾート地で財務首脳会議が行われようとしている場面から映画が始まる。そこに一人の修道士サルスが招待される。国際通貨基金の専務理事ロシェは自分の誕生祝いに絵本作家やロックスターなども招いて食事会を行う。

会食の後、ロシェからサルスが呼ばれ懺悔を受ける。その翌朝、ロシェは自室で死んでしまう。自殺か他殺かわからない中、サルスに疑いが向けられるが、懺悔の内容を決して口にしないサルスに、周りは戸惑ってしまう。

サルスが本も出しているということからカナダから呼ばれた絵本作家がサルスに近づき、なにがしかの話しかけをするとサルスはわずかながら語る。え?それでいいのという感じである。

さらに、何やらロシェが話した内容は経済に打撃を与えるもののようで、みんなが集まった席上で、サルスは一つの数式を見せる。サルスはかつて数学者であったらしく、ロシェがサルスに託けたのである。何かのアルゴリズムらしく、ロシェがこの数式で操作すれば巨額の資金が動くのだという説明がなされるが、ほとんどピンとこない。

そして、ロシェの葬儀の式で、皆の前でサルスがお祈りを捧げ、一羽の鳥が飛んできてみんながその鳥に目を奪われ視線を戻すとサルスが消えている。

やがて会議も終わり、カットが変わるとサルスが一人で歩いていて、1匹の犬が彼に近づき付いて行ってエンディング。その犬は会議におとづれた一人の男が連れてきたものだが、会議の終盤、何やら急に凶暴になるが、サルスの前でおとなしくなってしまった犬だった。

一体あの数式は何を意味するのか?犬に象徴されたものは何なのか?思わせぶりが余韻まで残して映画が終わるので、まるで狐につままれた感じです。面白い作品ですが、やや、シュールすぎました。


「バーフバリ 伝説の誕生」
先日観た作品のパートワンの部分です。なるほどこちらはどちらかというと物語がしっかりしていて、一本の映画として仕上げた感じです。パートツーと二本で一本という感じの仕上げになっています。

国母ジバガミがバーフバリの息子を助けて巨大な滝の麓に逃げてくるところから映画が始まる。追っ手をやり過ごすもすでに命が少なく、川に入り赤ん坊を捧げて、助け、滝の下で暮らす民族に育てられる。この赤ん坊ジブドゥが、なぜか滝の上に登りチャレンジを繰り返し時間が進んでいく。そして青年になったジブドゥは滝の上で美しい戦士アバンティカと出会う。

彼女はクンタラ王国の戦士で、25年間マヒシュマティ王国で拉致されているデーバセーナ王妃を助け出す任務があった。実はデーバセーナこそジブドゥの実の母だった。

そうとは知らずアバンティカの任務を引き継いだジブドゥはマヒシュマティ王国へ侵入、王妃を助け出すが、ジブドゥを見たマヒシュマティの人々は伝説の王バーフバリと知る。

そして、あとを追ってきた奴隷カッタッパから、ジブドゥの父アマレンドラ・バーフバリの物語をか語られるのが本編。この経緯や蛮族との戦いはパートツーでも描かれるが、この第1部では、アマレンドラ・バーフバリが王位につくが、その後、陰謀で死んでしまい、彼を殺したのがカッタッパであるというところで終わる。

いわゆる前後編という作り方になっていて、当然先日観たパートツーは派手な戦闘シーンを中心に、見せ場の連続になっている。とはいえ、この前半部分も、ファンタジックなCG映像や有り得ない戦闘シーンの連続で十分に面白い。ハリウッドももう一度映画の作り方を見直すべきだと思います。