「ブリグズビー・ベア」
ちょっと風変わりな映画ですが、面白い作りになっている不思議と魅力のある映画でした。一見陰惨な話がなんともファンタジーに生まれ変わる瞬間がいいです。監督はデイブ・マッカリー。
不思議なシェルターの中で暮らす主人公ジェームスの姿から映画が始まる。外に出るのはガスマスクをつけ家の中ではブリグズビー・ベアというヒーローもの?の子供向け番組を見ている。ジェームスはその番組は隅々まで研究し尽くし、そして大ファンであった。ところがある時警察が彼らのところにやってくる。実はジェームスは幼い頃にテッドとエイプリルという夫婦にさらわれ、25年間世間から隔離され暮らしていたのだ。
突然、現実の世界に放り込まれたジェームスだが、不器用ながらも、新しい家族や妹のオーブリーと関わり始める。そしてオーブリーの高校の友達スペイシーのパーティに出かけたことからジェームスの人生が動き始める。
スペイシーは大のSFマニアで、ブリグズビー・ベアのことを熱く語るジェームスに共感、やがて2人で映画を撮ることになる。実はブリグズビー・ベアはテッドが65キロも離れた倉庫で自演で撮影していたテレビ番組だった。ジェームスはその続きを映画として作ることを決意し、やがてオーブリーなども巻き込みどんどん撮影が進み始める。
ジェームスを逮捕した刑事も彼の姿にほだされ、証拠品で保管していたブリグズビー・ベアの着ぐるみなども持ち出し、自らもかつてお芝居をしていた記憶を思い出し出演する。
ところがジェームスが爆薬を作ってしまったことから、逮捕され病院に入れられる。しかし、彼の本当の気持ちを理解した今の両親が彼に協力、映画は完成、上映されて大反響になる。
一見、子供の頃に拉致された子供が普通の生活に戻る陰惨な話のような骨格なのに、なぜか犯人のテッド夫婦にも共感するラストになっている。巧みに使ったブリグズビー・ベアの存在が映画に独特の色合いをつけたという感じで、まさにアイデアの勝利という映画でした。
「猫は抱くもの」
映画が作りたくなるような作品、決してクオリティは抜群のものではなかったけれど全体にとっても映画を作る面白さが散りばめられた珠玉の一本でした。監督は犬童一心。
河原で餌を漁るたくさんの野良猫、夜になりと猫たちは人間の姿になって会話をする。
舞台セットのようなスーパーの倉庫で、猫だが自分を人間と信じて、自分を可愛がってくれる沙織を恋人と思っている良男という野良猫と沙織の会話で映画が始まる。舞台セットの中で、時にリアル世界を写し出しながら交互に舞台劇が繰り返されるという演出スタイルである。
かつてアイドルで、いまだに華やかな世界を夢見る沙織は、自分のこれからが見えないままにスーパーのレジで働き暮らしている。倉庫に一匹の良男という猫を飼っていて、愚痴を言ったり毎日の出来事を話していた。
レジの成績がトップになった沙織は地域マネージャーから食事に誘われ、さらにハイキングの帰りにホテルに誘われて、その仲が深まって行くが、ある時、それは遊びであることがわかり落ち込んでしまう。そんな彼女を見つめる良男。
ある時、1人の女子高生が万引きをし、その引き取りにゴッホという愛称の叔父が迎えに来る。沙織はその男が実は黄色の絵しか描けず、キイロといい猫を飼っているんじゃないかと良男と想像する。
マネージャーとハイキングに行った日にたまたま森の中でその男を見かけ、想像通りだと驚く。
ある日、沙織が属していたサニーズというアイドルグループのメンバーが一夜の再結成バラエティに出演することになるが、完全なネタ番組で、再び落ち込んでしまう。一方良男は、倉庫にガラスが割れたところから外に飛び出し、たまたま捨てられたキイロと知り合う。
野良猫の集まりで自分を人間だと主張、これまでの経緯を語る良男だが、その姿を暖かくみる野良猫たち。
一方、戻った沙織はいなくなった良男を探す。またゴッホもキイロを探す。
バラエティで落ち込んで戻った沙織は雨の中ゴッホのアトリエを訪ね、そこで、スナックで歌った帰り、突然、ゴッホは沙織をモデルに狂ったように絵を描き始める。その姿に思わず衣服を脱ぐ沙織。その様子を、戻って来たキイロと良男が見つめる。
夜が明けて、沙織は新たな出発を試みる。良男と一緒に住む部屋も見つけ、かつてのアイドルグループ友達とバイトでパーティなどで歌を披露するようになる。家に帰れば良男が沙織を待っていた。
全体がファンタジーのような空気感で繰り返され、背後の物語は沙織の成長のドラマだが、舞台セットを駆使した縦横無尽な映像演出が実に楽しい。猫の擬人化シーンなどちょっと無理がかかっている気がしないでもないものの、映画を作る楽しさが詰め込まれた仕上がりがとっても好感でした。
「地上」
安定した演出で見せる文芸映画の名編という一本でした。監督は吉村公三郎、流石に名演出です。
中学校に通う主人公大河平一郎が担任の先生に授業料について言われている場面から映画が始まる。金沢の名家の出身だが時代の流れの中で没落、さらに父の死で母と浸り暮らしになってその日暮らしである。
物語は大正中期の金沢を舞台に主人公の恋や友情などを交えた青春ドラマとして展開する。原作の第一部の映画化ということで、東京に旅立つまでが描かれて行く。
小学校の同級生で地元の陶器工場の社長の娘和歌子との淡い恋に、輪島から稽古として売られて来た冬子が、到着の日に平一郎に出会い一目惚れして、東京へお妾として旅立つまでの片思いの物語などが展開。地元の工場のストライキや、身分の違い、貧富の差の悲劇など時代を反映したストーリーが次々と描かれて行く。
しっかりと配置された画面の構図も然りですが、安定した構成で見せる物語は流石に吉村公三郎らしい。やや、流れを焦ったような展開もあるものの、しっかりしたクオリティの作品だったと思います。