「荒野にて」
甘ったれた少年の逃げ回る映画という感じで、成長するわけでもなく、何かを求めるわけでもなく、ただうじうじとする姿を見せられる一本。監督はアンドリュー・ヘイ。
主人公チャーリーは、父と暮らしている。近くで競走馬を育てているデルのところでリーンオンピートという馬を任せられ調教を始める。最初は好成績で優勝していたが、デルが酷使するので、どんどん成績が落ちていく。
そんな時、チャーリーの父が、恋人リンの夫に襲われ重傷を負ってしまう。そして、とうとう病院で亡くなる。一方馬のピートも成績が振るわずデルは売ってしまうことを決意する。
チャーリーは馬を連れて車で逃げ、ワイオミングの叔母の家を目指すことのする。じゃあ、お父さんの遺体や葬儀はどうするのかということだが、それは置いといて、荒野をさまようチャーリーとピートだが、金もなくどん底になっていく。そして、バイクに怯えたピートは暴れて車に引かれ死んでしまう。
チャーリーはピートの遺骸をおいてまたまた逃げ出す。そしてホームレスのようになりながら、叔母の家を目指す。
そしてとうとう叔母に出会い、一緒に暮らすことになってエンディング。これって、最初からすんなり叔母の元へ行けばよかったんじゃないかという展開である。とまあそんな映画だった。
「私の20世紀」(4Kレストア版)
デビュー作ということで、ちょっと前衛的な映像演出が見られるけれど、まるで一昔前のサイレント映画のごとき絵作りが、レトロな雰囲気の中にファンタジックな色合いを見せていて楽しい映画でした。モノクロームの美しい影絵の世界も素敵な一本。 監督はイルディコー・エニェデイ。
時は20世紀が開けようとする年。エジソンの電気の発明に人々が歓喜の声を上げて映画は幕を開ける。ここに一人の母がリリとドーラという双子の娘を産み落とす。そしてなぜか二人は孤児となり、寒い冬に公園でマッチを売っている。まるで童話のような物語のスタート。二人はそれぞれ別々の男に連れ去られ、別れ別れになる。
台詞があるようでないサイレント映画のようなやりとりと、星空を捉えるファンタジーのようなカットが挿入され、場面はオリエント急行の中へ。美しい娘となったドーラは、いかにも裏社会にいるような狡猾な笑みを浮かべながら男たちと談笑している。もう一人の娘リリは、どこか芯の強い娘となって、しかし、清楚な雰囲気を漂わせている。
二人はブタベストで降りるが、ここに一人の男Zが二人を同じ人物だと勘違いし、恋をしてしまう。いたるところに20世紀に入っての変化の出来事が挿入され、男女の性意識や婦人参政権、映画の発明などの場面がおとぎ話のように描かれて、その中でリリとドーラの物語が繰り返される。
やがて、エジソンは無線を発明し、その実験の場へ物語は進んでいく。世界が無線で結ばれて時間も空間も飛躍的に小さくなっていく。それまでの通信手段だった伝書鳩が恨めしそうに窓に止まる。
そして映像はどんどん遡って、リリとドーラが生まれた瞬間に戻って映画が終わる。ミラーを使った双子とZという男のくだりや、大胆なSEXシーンなども交え、まるで未来SFのようなハイテクな映像なども飛び出す自由奔放な画面作りで、非常に面白い作品に仕上がっていると思います。
モノクロームの美しい光と影がオリジナリティあふれる作品として仕上げられた一本でした。