くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ギターはもう聞こえない」「アマンダと僕」「Girlガール」

「ギターはもう聞こえない」

恋多き男のめくるめく物語で、これという大きなうねりもなく淡々と進む。しかも時間の流れをすっ飛ばしていくので、時に混乱してしまうが、ラストを迎えると、なぜか人生の感慨にふけってしまう秀作。監督はフィリップ・ガレル

 

ジェラールとマリアンヌ、マルタンとローラの二組の恋人の描写から物語は始まるが、主人公はジェラールである。ふとした言い争いでマリアンヌが家を出てしまい、ジェラールはある人妻と付き合うが間も無くしてマリアンヌが帰ってくる。

 

しばらく一緒に過ごすが、再び彼女は去り、ジェラールは一人の女性と結婚し子供もできる。そんな時、またもマリアンヌが帰ってくる。ジェラールは、今もマリアンヌを愛しているのだ。

 

そして、マリアンヌはいずこかへ去るが程なくして死んだという知らせが届く。ジェラールは、そのことを妻に告げ、その後六ヶ月の息子と生活を始めようとするが、妻は去っていく。

 

マリアンヌに永遠に忘れることがないといったジェラール。永遠の恋を捨てることなく、現実に愛も受け入れるという主人公の姿は、ちょっとわかりづらいのですが、時の流れから何気なく伝わってくる何かがあります。

 

次々と恋を交わす主人公の物語ですが、本当に愛するのはマリアンヌだけ。その一途さと、人生の機微を不思議な感覚で描いた作品という感じでした。

 

「アマンダと僕」

これは良かった。瑞々しいほどの感性で描いていく一人の少女の立ち直りの物語。テニスの試合を見事に使ったラストシーンが素晴らしかった。監督はミカエル・アース。

 

アパートを斡旋する仕事を副業でしているダヴィッドが、やっと顧客を案内して、姉サンドリーヌの娘アマンダを迎えに学校へ走るところから映画が始まる。

 

アマンダはダヴィッドになついていていつも一緒にいる。ダヴィッドはアパートに一人の女性レナを案内するが、彼女に次第に心を惹かれ、間も無くして恋人関係になる。そして、ある時、ダヴィッドはサンドリーヌ、レナらとピクニックに行くことにする。ところが、ダヴィッドの顧客が列車の遅延で大幅に遅れ、慌てて自転車で目的の公園に向かう。

 

ところが、現地についてみると大勢の人が血だらけで倒れていた。銃を持った男たちが無差別に乱射したのだ。そして、サンドリーヌは死に、レナも重傷を負ってしまう。悲嘆にくれるダヴィッドだが、彼にはアマンダに母の死を知らせる仕事があった。

 

ダヴィッドはアマンダに事の次第を話すものの、アマンダにはすぐに実感として伝わって行かない。しかしアマンダの養育の問題が目の前に迫ってくる。ダヴィッドにもその権利はあるのだが、独身な上に、自分も仲の良い姉の突然の死をまだ受け入れられていなかった。

 

一方レナも、事件のショックから立ち直れず、田舎に帰ると言ってダヴィッドの元を離れていく。それでもダヴィッドは必死でアマンダと過ごし、サンドリーヌが事件の直前に手に入れたウインブルドンのチケットを持って会場へ向かうことにする。

 

そこで、長い間あっていなかったダヴィッドの母アクセルにも会う。そしてアマンダとダヴィッドはセンターコートの会場へ。客席で試合を見つめるアマンダだが、一方の選手が劣勢で追い詰められていくと、思わず、もうダメだからと、かつて母に教えてもらったプレスリーの舞台のエピソードを重ねて泣きじゃくり始める。それは母の思い出でもあり、もう二度と会えない事の諦めと絶望を思い出してのことだった。しかし、劣勢だった選手は巻き返し、逆転していく。それをみたアマンダに笑顔が戻る。そして、母の死を受け入れる決意をしたかに見えた。こうして映画は終わる。

 

物語後半が、平静なアマンダと、絶望で涙ぐむダヴィッドの姿が中心なのに、クライマックスのテニスシーンで一気にアマンダの心の姿に焦点が集まる脚本が素晴らしい。スポーツシーンをこういう使い方をしたのを始めてみた気がします。必見の秀作でした。

 

「G irl ガール」

これは見事な人間ドラマでした。主人公の心の葛藤、追い詰められた焦り、その全てがストイックに自分を追い詰めて練習するバレエシーンに凝縮された演出が素晴らしい。観ている私たちもどんどん胸が苦しくなってくる。LGBTを描いた作品は、これまで一歩引いてみてしまっていましたが、これは食い入ってしまいました。傑作です。監督はルーカス・ドン。

 

主人公ララがベッドで目覚めるところから映画が始まります。有名なバレエ学校へ入学するために幼い弟と父と引っ越してきた。ララは心が女性で肉体が男性という障害のある女性だった。そして、女性バレリーナとして学校へ入学するが生徒のほとんどが12歳くらいから訓練を受けている生徒たちで、ララは、まず追いつくことから始めなければいけなかった。

 

ララは持ち前の生真面目さで人一倍練習して、正式に入学を許されるが、一方で、転換手術にそなえホルモン療法が始まる。テーピングで無理やり股間を目立たなくして、トイレに行かないように水分を取らず練習するララは、みるみる体力を落としていく。さらに、みんなについていくために人一倍練習をし、心も体も追い詰めていく。

 

そんなララの姿に父親はなんとか助けになろうとするが心を閉ざしていくララ。バレエの練習シーンでカメラがララを執拗に追いかけていき、彼女の心の葛藤を描写していく演出がとにかくすごい。

 

しかし、本番も近づき、思うようにホルモン療法の効果も出ず、練習も進まない中追い詰めて追い詰めてとうとう倒れてしまう。そして医師からはしばらくバレエをやめるように言われ、舞台は客席から見ることになる。

 

しかし、体力も回復し、落ち着いてきたララの姿をみて、安心した父は、倒れてからはララが出かけないようにドアに鍵をかけていたが、その朝は鍵をかけず、普通に弟を学校へ送るのと仕事に出かける。一人残ったララは救急車を呼ぶ。そして氷を持って自室に入ると、股間を冷やし、ハサミで自らのペニスを切る。

 

かけつてた父と病院へ行き、そして、治療は終わる。カットが変わり、一人歩くララの姿で映画は終わる。壮絶なクライマックスですが、そこまで追い詰められ苦しむ彼女の心の物語が、ここまでの厳しいバレエ練習に打ち込む姿で見事に描かれています。たしかに彼女は病気なのですが、その苦悩をここまで描いた映画はこれまでなかったと思います。傑作でした。