くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「Diner ダイナー」「さよなら、退屈なレオニー」「救いの接吻」

「Dinerダイナー」

監督は蜷川実花ですが、彼女には静止画の絵作りはできますが映画の絵作りはできない。これは今回も同じでした。個々のカットはサイケデリックで彼女の個性が出るのですが、カメラワークが加わると実に平凡なものになってしまう。しかも殺し屋が殺し屋に見えないし、玉城ティナのキャラクターが弱すぎて映画が勢いづいてこない。脚本の弱さで、登場人斑が全員一緒に見えてしまう。まあ普通の映画でした。

 

いかにもシュールな映像ですと言わんばかりに、毎日に悩み暮らす主人公オオバカナコの場面から映画は幕を開ける。夢のメキシコに行くために一攫千金三十万円のバイトを申し込んでなにやら殺されそうになる。そして、連れていかれたのがボンベロという男がシェフをする殺し屋専用のダイニング。

 

とまあ、映画センスのない蜷川監督の取ってつけたような演出と色彩表現がまず前面に押し出される。原作があるのでなんとも言えないが、どうやら殺し屋たちをまとめていたボスが殺され、その犯人探しとこのダイナーの摩訶不思議な空間のお話なのだが、どれも中途半端で、全然メリハリが見えてこない。

 

結局、真犯人は見つかったものの、ボンベロと殺し屋の対決になって、オオバカナコは脱出して夢のレストランを始めたところへ、瀕死の重傷から立ち直ったボンベロと犬の殺し屋菊千代が現れ御涙頂戴のエンディング。

 

スローモーションで花びらが舞ったり、カメラをふり回した演出を繰り返すものの、全体の流れに美しさもオリジナリティも見られず、さらにキャストの演技演出が明確にされていないので塊にしか見えない。

 

犬の菊千代も役不足に終わるし、出てくる殺し屋の個性がただのサイコにしか見えない。ボンベロ自身もそんなすごい殺し屋にも見えない。結局脚本の弱さ、アクション演出の弱さをおざなりにして、ただ自分好みのサイケな映像ばかりの映画になってしまった感じです。

 

「さよなら、退屈なレオニー」

映像のセンスがいいのか、たんたんと進む何気無い物語なのに、映画の中の引き込まれていきます。画面の構図もどこか清々しいほどに洗練されているし、登場人物それぞれが平凡なようでドラマチック。主人公レオニーの心の揺れ動きもテンポよく描かれています。監督はセバスチャン・ピロット。

 

レオニーが道に立っている。これから母の恋人でラジオのDJポールの誕生会に呼ばれていた。レオニーはとりあえず出席するが、手を洗うと言ってたち、そのまま店を後にする。そして通りかかったバスに飛び乗ってタイトル。このオープニングが素敵。

 

レオニーの実父は組合のリーダーだったが、組合活動で会社を追われ会社自体も無くなった。それを非難したのがポールだった。高校卒業まで1ヶ月のレオニーだが将来の目的もなくイラついている。

 

そんな時町のカフェでギター講師のスティーブと知り合う。とりあえずギターを習い始め、スティーブと過ごすうちに何か目的が見えないかと模索するが、見えてくるものはない。恋愛感情が生まれるわけでもなく、付き合いを続ける。

 

そんなレオニーは町外れに住む実父とのひと時が心の支えだった。物語はそんなレオニーが何気なく過ごす日常を捉えていくが、挿入される音楽のセンスがいいし、時に大きく画面を捉えた構図など映像のテンポも実にいい。

 

レオニーは夜のグラウンドの整備のアルバイトを始める。

ポールはレオニーと親しくなろうとするが、憎むだけのレオニーにはが立たず、実父がかつて母を殴ったことを教えてしまう。心底実父を慕っていたレオニーは実父に問い詰め、帰ってきてポールの車をバットでめちゃくちゃにする。

 

レオニーは行き場もなく、ギター教室もやめ、スティーブと知り合ったカフェに行く。そこへやってきたスティーブ。二言三言話してレオニーは店の外へ。そこに止まっていたバスに飛び乗っていずこかへ走り去って映画は終わる。

 

レオニーが管理しているグラウンドの灯りがつかず、真っ暗な中でキャッチボールをする場面、それに続く暗闇の中に見えてくる蛍の明かりなど素敵なカットもたくさんあり、映像センスの良さが伺える。レコードを流し、曲を挿入する選曲も物語にリズムを生み出してとってもいい。傑作というレベルではないですが、素敵な秀作という感じの一本でした。

 

「救いの接吻」

淡々と進む夫婦、家族、親子の物語。その根底にある愛の物語はひたすら心象風景として描かれていく。監督はフィリップ・ガレル

 

映画監督のマチューが妻で女優のジャンヌに、今回の作品の配役から外すという話をしそれに反発するジャンヌの姿から映画が始まる。

 

息子のルイへの愛情を交えながら、妻との関係にどこか隙間が生じている夫婦の愛の行方の物語。新たに配役された女優との関わり、マチューとジャンヌの夫婦の関係、そして三人の家族の物語。

 

時にカメラはそれぞれの表情に食い入るように迫り、時に延々と言葉を語る姿を追っていく。その合間に、息子ルイの愛くるしい姿を挿入し、絆がしっかりしているようでどこか脆い家族の姿を描写していきます。

 

結局、崩壊していったのでしょうか。駅で一人になるジャンヌの姿で映画は終わります。

どうもフィリップ・ガレル監督作品は苦手ですが、並の作品ではないことだけは理解できるかなという感じでした。