くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ベニスに死す」「アス」

「ベニスに死す」

何回見たことだろう。ルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作にして大好きな映画の一本。何度見ても素晴らしかった。絵の美しさ、構図の見事さ、映像のリズム、老いていく主人公の心の叫び、若さへの憧れ、この歳にして新たな発見がたくさんありました。

 

こういう映画は、何年かに一度繰り返しみるべきものだと思います。でも、次回スクリーンで上映される頃にはもう見る気力も体力もなく、まるでこの映画の主人公グスタフのごとく身動き取れないまま、届かない手を伸ばして命果てていくのでしょうね。

 

素晴らしいの一言に尽きる名作中の名作、人生の最後にデジタルリマスター版で大きなスクリーンで見ることができてよかったです。

 

「アス」

ホラーの中に皮肉なユーモアをちりばめた展開は前作同様。今回は一見身の毛もよだつようでありながら、どこか恐怖を鼻で笑っている視点が見えてなんとも言えない魅力を感じる映画でした。監督はジョーダン・ピール

 

時は1986年に始まります。浜辺の遊園地で遊ぶ三人の家族づれ。三人とも黒人というちょっと意味ありげな設定。父親は遊びに夢中で、仕方なく付き合っているような母親と娘。母がトイレに行き、父はモグラ叩き、娘は一人浜辺に出ていき、そこで一軒の見世物小屋を見つけ中に入る。中は鏡になっておて突然電気が消え、一枚の鏡の前に立つと、そこに少女と同じ影が写り悲鳴とともに暗転、物語はタイトルから現代へ。

 

その時の少女アデレードは大人になり家族もでき、娘と息子の二人の子供もいた。この日家族で出かけることになり、のり気はなかったが夫ゲイブの申し出で海岸沿いの遊園地に行く。そこはかつてアデレードが恐怖を味わったところだった。そこでゲイブの友人の家族と合流して海岸で遊ぶが、様々な偶然がアデレードを不安にしていた。

 

夜、遊園地側のコンドミニアムにいたアデレードたちは娘ゾーラが庭に誰かいると言われ驚く。なんとその不審人物はアデレードたちと同じ姿で、真っ赤な服を着ていた。そして手にハサミを持ち襲いかかって来る。アデレードたちは必死で抵抗し、相手を殺す。

 

なんとか脱出して、ゲイブの友人のコンドミニアムに行ってみるが、なんとそこにはその友人に瓜二つの赤い服を着た不審者が友人たち家族を殺してしまう。アデレードたちはその不審者を退治し、そしてそこの車で脱出する。時に、人類みんなで手を繋いで西海岸から東海岸まで繋がろうというイベントが始まってるニュースが流れ、さらに謎の赤服の殺人者が住民を殺しているというニュースも流れる。

 

アデレードたちは、追いかけてくる自分たちの分身のような化け物と戦いながら、やがて彼らが何者かが明らかになっていく。彼らは人類が過去に作り出した複製人間の捨てられた姿で、地下に巨大に廃墟として残る空洞で、地上の人物の影としていきていた。ところが、幼いアデレード接触したことで地上とつながったのだという。

 

戦いの末、アデレードの家族の分心をやっつけたアデレードたちは晴れて車を走らせていた。アデレードは過去の記憶が蘇る。あの日、鏡に自分の瓜二つの少女が映り、その少女はアデレードを鏡の世界に引きづり込み、拉致した上で、入れ替わって地上に戻ったのだ。映画はここで終わる。空撮で、赤い服を着た複製人間たちが手を繋いで延々とパフォーマンスしているシーンを写し、ニヤリとわらわせておわる。

 

殺した人数を自慢げに話すアデレード親子のカットや、故障ばかりするボート、やたら子供じみた夫の姿、殺戮の躊躇がなくなって来るゾーラたちの描写など単純はホラーで終始しない面白さがある。さらに複製人編の子供の一人はまるでジャパンホラー呪怨の白塗り子供のような仕草をするあたりの遊びも満載。複製人間が元の人間の醜いところまで複写されているのも面白い。

 

主人公たちが黒人で友人の白人がやたら金持ちだったりという設定も嫌味満載。とにかくどこか毒のあるユーモア満載のホラーでした。