くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ひとよ」「マイ・フーリッシュ・ハート」「アースクエイクバード」

「ひとよ」

これは良かった。もうクライマックスは号泣してしまいました。演技がちゃんとできる、しかも好きな役者が揃って、演技をつけることができる監督が揃うと最初から楽しくて仕方なかった。原作が舞台劇なので、若干映像としては無駄なエピソードがないわけではないけれど、それを差し置いて、本当に良かった。田中裕子の真骨頂を久しぶりに見た。監督は白石和彌

 

少年時代の雄二がボイスレコーダーに吹き込んでいる。大樹はパソコンを作っていて園子は人形の髪の毛を切っている。そこへびしょ濡れの母、こはるが入ってくる。そして、父を殺したからこれでみんな好きなように生きればいいと告げ、15年後に戻ってくると言い残して叔父の軽トラに乗り警察に向かう。こはるの夫は暴力を子供達に振るっていたのだ。

 

それから15年が経った。スナックで働く園子、エロ雑誌に記事を書いているが小説家になる夢を忘れていない雄二、小さな会社に勤め、結婚して娘もいるが夫婦仲がうまくいっていない大樹。そんな彼らのところに母こはるが帰ってくる。

 

こはるの夫が経営していたタクシー会社は叔父が引き継ぎ、少し名を変えて家族的な会社で運営されていた。一人の新人堂下が入社してくる。ここまでの役者を見ただけでワクワクする。

 

なんとか雄二も東京からここに帰ってくる。しかし、母が逮捕された後、自分らが受けたいじめや今も続く嫌がらせに、こはるを恨んでいる。そして、母のことを再度記事にして小説家への夢を叶えようとする。

 

そんな雄二を非難する園子。大樹の妻との諍いも進展はないが、その妻がこはると出会ったことで、何かが変わっていく。

 

堂下は久しぶりに別居している息子と会い、楽しいひと時を過ごす。堂下は元ヤクザで、かつての仲間から、苫小牧から東京まで運び屋を乗せてくれと頼まれている。

 

堂下とこはるの家族それぞれの親子の物語として展開するも、流石にこはるを演じた田中裕子の迫力が勝りすぎて、大樹たち三人とこはるの物語に偏っている。タクシー会社に勤める従業員の家族のエピソードなどを交えて物語は終盤へ差し掛かる。

 

堂下が乗せた運び屋が息子だったことで、堂下は絶っていた酒を飲んでタクシーを走らせ、こはるを無理やり乗せて夜の街を走り出す。それを追う雄二ら三人の息子の姿がクライマックスとなる。そして、なんとか堂下の車を止め、こはるを救い出し、翌朝、雄二が東京へ戻る場面で映画は終わる。東京へ発つ前雄二はパソコンに入れていたこはるの記事を全て削除する。

 

舞台劇らしい小ネタが所々に散りばめられているものの、全体の仕上がりは普通である。ただ、芸達者な役者と、しっかりした演出者によって一級品に仕上がった。色々穴はあるものの、なかなかの傑作である。涙が何度も溢れ出てきてしまいました。

 

「マイ・フーリッシュ・ハート」

トランペッター、チェット・ベイカーの心の闇が映像から滲み出てくるなかなかの秀作。実話とフィクションの絶妙のバランスが、作者のメッセージを見事に映し出していました。監督はロルフ・バン・アイク。

 

ジャズシーンを席巻してきたチェット・ベイカーの舞台、しかし彼は現れない。外では、チェットがホテルの窓から落下したという人だかりが出来ていた。そこへ駆けつけたのは刑事のルーカス。彼はホテルの窓を見上げ、人影を目撃、捜査を開始する。

 

物語はルーカスの捜査の過程で、チェットの死の直前の数日間を描いていく形になる。愛する恋人サラが去り、ドラッグに溺れて次第に壊れていく自分の姿を目の当たりにしていくチェット。時にさらに暴力を振るったりもする。

 

一方のルーカスも恋人に暴力を振るうという同じ設定が何度か出てくる。チェットが次第に壊れていく様と年齢による衰えを様々なシーンで描きながら、捜査を進めるルーカスと被らせていく。

 

最後に、チェットが飛び降りたホテルの窓から下を見下ろすと、そこに落ちたチェットがいて、見上げる自分を発見して映画は終わる。

 

チェットに自分を被らせるルーカスの姿を通じて、伝説のジャスシンガーの姿を、映し出していく。あくまでフィクションであるという冒頭のテロップにあるように、チェット・ベイカーが晩年こうだったかというものはないが、一人の天才の姿をイメージとして捉えるにはこれもまた表現ではなかったかと思います。映画はなかなかのクオリティでした。

 

「アースクエイクバード

下手なサスペンス劇場のような作品で、日本が舞台というのはわかるが、最後まで奇妙な違和感ばかりが目立つ作品でした。監督はウォッシュ・ウエストモアランド。

 

日本の会社で翻訳の仕事をしているルーシーの姿から映画が始まる。彼女の友達のリリーが行方不明になり、彼女と最後に会ったのがルーシーということで、警察はルーシーに事情聴取することになる。

映画は取調室のルーシーを捉えながら、彼女が回想する形式で物語が展開していく。

 

街で、ルーシーは写真を趣味にしている禎司と出会う。彼は蕎麦屋の職人で、ルーシーを写真に撮りたいという。ルーシーは彼の隠れ家のようなアトリエに行き写真を撮ってもらう。やがて二人は付き合い始めるが、一方で、ルーシーはリリーという日本にきたばかりの女性の世話を依頼される。

 

ルーシーはリリーに部屋を探してやり、やがて禎司も含めて三人で遊ぶようになる。ルーシーは子供の頃から死にとりつかれていて、彼女の周りでは次々と死人が出ていた。そのことがトラウマである一方、禎司に異様なほど嫉妬する。このルーシーのキャラクターがなんとも中途半端。

 

ルーシーは禎司と親しくなっていくリリーに嫉妬し、さらに禎司を取られたことでリリーと絶縁するが、直後行方不明となる。ルーシーはリリーを殺したのは自分だというが、見つかった死体がリリーではなかったため、ルーシーは釈放される。

 

ルーシーは禎司のアトリエに忍び込み、自分の写真と一緒にリリーの写真も発見、そこにはリリーの死体が写っていた。警察に行くも担当の刑事はいなくて、リリーの部屋に行くと禎司がいた。そして突然禎司に襲われるが、側の鈍器で禎司を殴り殺す。こうして映画は終わるが、なんともお粗末なストーリーだった。