「家族を想うとき」
壮絶な家族のドラマで、結局、救われる未来がないラストがなんとも苦しい作品でした。監督はケン・ローチ。
父のリッキーが就職活動をしている場面から映画が始まる。そして自分で車を購入して宅配ドライバーをすることを決める。連日の過酷な配達をこなすリッキーだが、妻のアビーも介護職の仕事を献身的にこなしていく。
それぞれが家族のために必死になっているのだが、いつの間にか反抗期を迎えた息子のセブや娘のライザは寂しい思いをするようになっていく。そんな思いの中、セブは次々と問題を起こし、両親の気持ちを引こうとし始め、ライザはリッキーの車の鍵を隠せば家族の元に戻るのではとキーを隠したりする。それにふり回されるうちにリッキーもアビーも戸惑いと混乱が膨らんでいく。
そんな時、リッキーは配達の途中で強盗にあい、重傷を負った上に荷物を盗まれ、その罰金などでさらに借金が膨らむ。絶望的になったリッキーは家族に別れのメモを残し、一人車で家を出る。慌てて、息子やアビー、ライザも止めに入るが、リッキーは涙にくれながら、仕事に行かなければならないと叫びながら車を出す。そして映画は終わる。
果たしてリッキーはどうなるのか。家族のこれからがどうなるのかは、楽観的に見ればこれを機会にまとまるのかもしれず悲観的に見れば、リッキーは命を落とす結果になるのかもしれない。しかし、この社会性の強いメッセージをギリギリの視点で描いた力量はさすがであるし、一見、憎たらしいセブも、ここぞという時には家族のため、父のために近くに戻ってくるという設定も実にうまいと想う。ただ、こういう家族の物語は、やはりもうちょっとほのぼの見たいなというのが本心です。
「去年マリエンバードで」(4Kデジタルリマスター版)
公開のたびに見る映画の一本、10年ぶりくらいに再見。言うまでもなく監督はアラン・レネ。うーんこれまで何回見ているかと思うが、細かいシーン全てを覚えていない。だからこそこの映画には魅力があるのだろう。
物語もラブストーリーなのだが、空間と時間を縦横無尽に前後に組み合わせた編集演出は、さすがにクセになる面白さである。映像を楽しむ作品とはこう言うものを言うんだろうなと思う。
「娘はかく抗議する」
扱っているテーマは流石に古いのですが、メッセージを見せると言う手腕は流石にうまい。これが映画づくりの感性と言うのでしょうね。監督は川島雄三。
主人公の女子高生は、厳しい母親の元で素直に育っている。母親は18歳の時に男性に妊娠させられて捨てられた過去があり、異常なほどに娘に干渉してくる。時代は、思春期の男女の性教育に注目が集まる頃で、一方で女性の処女性には今なお偏見がくっきりとあった時代、そこで描かれる時代の流れと考え方の変化を描いた点ではおそらく当時はモダンな作品であったと思います。
主人公の少女が友人の兄で大学生の男性に憧れほのかな恋に発展する一方で、新しい考え方を取り入れようとする女先生と一方で古風なままのPTA会長の男など、一昔前の典型的なキャラクター配置がくっきりと物語を語っていくのでわかりやすい。
あるべくして展開していくストーリーの中に、伝えるべきメッセージが浮かび上がってくる。名作でも傑作でもないものの、物語を飽きずに見ることができました。