くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「LETO レト」「追龍」

「LETO レト」

実話に基づいたロシアのロックバンド「キノ」のボーカルの物語ですが、視点がまとまらないで物語が掴みきれなかった。落書きのように街中や人がアニメで書き込まれたり、ミュージカル風に主人公の周りの人々が歌ったりと楽しい映像ととにかく楽曲がいいので退屈しない。監督はキリル・セレブレニコフ。

 

1980年代、まだまだ西側文化が禁じられていたソ連レニングラード、人気ロック歌手マイクをリーダーにしたバンドのステージが今にも行われようとしている。客席には妻のナターシャが座り満席の中コンサートは終わる。そんなマイクの元に将来のロック歌手を目指すヴィクトルが訪ねてくる。

 

ヴィクトルの才能を見出したマイクは積極的にヴィクトルを応援していく。時に列車の中や街頭、バスの中などで音楽が聞こえてきて、乗客などが歌い出し、落書きのような効果が映像に挿入されていく。ほとんどがモノクロだが時としてカラーになったり、スタンダードの映像の両脇に歌詞が描かれていったりとテクニカルなシーンが続く。

 

ヴィクトルとナターシャとの間にほのかな恋が芽生え、ナターシャは素直にマイクにその気持ちを話す。マイクはナターシャにヴィクトルとのキスを許すものの複雑な気持ちを隠せなかった。

 

ヴィクトルの人気は上昇し始め、将来に伴侶となる女性とも出会う。この辺りからかなり雑にラストシーンへ雪崩れ込み、人気が出てマイクの次の世代を担うかのようなアナウンスでステージに立つヴィクトルの姿と彼を客席で見つめるナターシャ、そして袖で見守るマイクのカットで映画は終わる。

 

映像が面白いのですが、その映像と音楽に肝心の人間ドラマが隠されてしまった感じで、少し演出力の弱さが見える作品。ただ、全編に流れる曲が素敵なので、飽きることなく身終えました。

 

「追龍」

典型的な香港ノワールで、荒っぽい作劇とクオリティより娯楽を優先する演出で二時間を超えるドラマも全然退屈しない。これが香港映画の魅力です。監督はバリー・ウォン、ジェイソン・クワン。

 

香港へ仕事を求めて中国潮州からやってきたホーは、この日も仲間と喧嘩の人数合わせに参加するアルバイトに出かける準備をしていた。ところが、いざ喧嘩が始まりと予想外に混戦した上に英国人警察が介入し、派手な暴力沙汰になってしまう。そこへ駆けつけたのが地元香港警察の署長ロックが率いる警察部隊だった。

 

英国人警察が暴力を振るう中、ホーらを逮捕したロックは本部へ引き渡さずに地元の留置所へ放り込んで彼らを守る。やってきたハンター率いる英国警察を巧みにかわして、ホーらを守ったロックにはある野望があった。ホーの腕っ節の強さを買ったロックはホーを味方にし、地元で当たり前の汚職を系統立てて管理し、莫大な利益を上げていくが、ロックら香港地元警察を快く思わないハンターら英国警察が、英国を傘に来て圧力をかけてくる。

 

物語は実在した香港マフィアのドン、ホーの物語であるが、ホーとロックはお互いに助け助けられながら、ホーは黒社会でのし上がり、ロックもみるみる財力を蓄えていく。しかし、出世したホーは田舎から妻を呼び寄せるも途中で死んでしまい、さらに麻薬組織の権力争いに巻き込まれていく中で、次々と仲間を失っていく。

 

形勢が不利になった英国警察は徹底的な汚職の撲滅を図らんと、特捜部隊を作りロックらを追い詰め始める。危険を感じたロックは海外逃亡を計画するが、弟をハンターらに殺されたホーはロックの制止も聞かずにハンターらに戦いを挑んでいく。そして、ロックが旅立つ直前、ホーはハンターを追い詰めるが、そこへロックも応援にやってくる。そしてハンターは殺されるが、ロックの機転で逮捕されるだけで止まる。

 

30年経ち、ホーは肝臓癌のため釈放、ロックはカナダで生活をしている。二人は電話で話し映画は終わっていく。全く荒っぽい上に、雑な脚本ですが、あれよあれよとストーリーが展開して終わる。決してクオリティの高い映画ではないけどこれが香港映画の魅力ですね。面白かった。

映画感想「土」(最長版)

「土」

四十年ほど前に見たのだがほとんど覚えていない。オリジナルネガは焼失し、ロシアで発見された最長版しかないのを見る。内田吐夢監督の傑作の一本。ラスト部分のフィルムは無いのですが、これは傑作でした。カメラアングルの使い方、畳み掛けるストーリー展開の妙味、人物描写の見事さ、底辺で這いつくばるように生活する貧農家族の必死に生きる生き様が見事に描かれていました。

 

妻を亡くし、娘とまだ幼い息子、そして年老いた父と暮らすかんじ。借金でその日やっと生きるだけの毎日を送っている。爪に火をともすように倹約をし、娘や老父にも倹約を徹底して、いわゆるケチンボな男を演じている。

 

そんなかんじの生き方に村人は悪態をつき、老父や子供たちを不憫に思っていた。老父は孫のために何かにつけて、自分が内職のような仕事で稼いで小遣いをやったりしている。娘のおつぎも弟に父に内緒で卵をやったりしていた。

 

物語は、村での婚礼や、様々な行事を描きながら、必死で仕事をこなすかんじを中心に健気な家族の姿を描いていくのですが、カメラアングルが素晴らしく、時に天井から真下を写してみたり、美しい構図で一瞬の景色や田畑の情景を描写したりと見事なのです。

 

ある時、孫が集めてきた栗を焼いてやろうと老父が火をつけるが、それが飛び火して、家が火事になり丸焼けになってしまう。必死で生きてきたもの全てが無になり絶望するかんじ。火傷を負った老父は近くの祠で寝泊りし村人に助けられていた。しかし、村人がうわさする一言一言に責任を感じる老父は、冬空の中行方をくらます。

 

村人たちが探し回るが、何事も絶望したままのかんじは探そうとしない。なんとか外に出たものの村人たちと行動を共にできない。ところが、おつぎが家にいると外で物音がし、出てみると、老父が外で首をくくろうとして枝が折れてその場で気を失ったところを見つける。

 

おつぎは老父を家に入れ、弟に父を呼びにいかせる。慌ててかんじが戻る。まだかすかに息がある老父を抱いて必死で看病する。フィルムはここまでしか無い。字幕によって、この後家族はなんとか立ち直って生活を始めると締めくくっている。

 

とにかく見事な作品で、二時間以上あるのに全くだれることはない。庄屋との温かみのあるやりとり、リアルな家内のセットや描写、カメラワークの素晴らしさ、エピソードの構成のうまさ、それらを背景にした主人公の家族が必死で生活する姿が圧倒的な人間ドラマとして伝わってきます。いい映画でした、これこそ名作です。

映画感想「限りなき前進」「はちどり」

「限りなき前進」

戦前の映画で、肝心のテーマになる部分のフィルムがなくなっているためにそこを字幕で補完しての上映なのですが、なくなった部分の映像をこれほどみたく思ったのは初めてでした。おそらく完全なものはすごい傑作なのではないかと思います。サラリーマンの現実を斜めにスパッと斬ったような語り口が想像できる作品でした。監督は内田吐夢

 

道端で子供二人と、仕事もなくフラフラしている北青年とがキャッチボールをしている場面から映画は始まる。少年の父親、野々宮は二十年以上勤勉実直に勤めてきて、今新居を新築中で、年頃の娘もいる。しかし、物価が高騰してきて大工の棟梁から追加で費用が欲しいと言われ、65歳まで働くとしたらなどと算段をしないといけなくなっていた。

 

そんな頃、会社では定年制度の導入が噂され、程なく株主総会で決定される。そして55歳定年に近い野々宮は退職するであろうとこが現実になってくる。この後、フィルムがなく、野々宮は建築中の家に行き大雨が降り、家に帰って夢を見る。夢の場面のフィルムがあり、そこでは野々宮は庶務部長に昇進し、娘の結婚も決まり新居も完成順風満帆な生活になっている。

 

そして娘の嫁入りの日、満面の喜びを見せる野々宮の場面で夢が覚め、ここからまたフィルムがない。この後会社へ行った野々宮は重役になったつもりで振る舞い、周りが野々宮が気が触れたことを知る。そして野々宮は部下を連れて料亭へ行く。ここからフィルムがあり、料亭で延々と自論を語る野々宮、そしてまたフィルムがない。北青年と娘が父野々宮を迎えにきて川岸を歩くシルエットで映画は終わると字幕が出る。

本当に惜しい。おそらく圧倒される傑作だったと思う。

 

「はちどり」

淡々と進む物語ですが、二時間を超えるのに最後まで見せてくれます。高度成長に飲まれていくような韓国1990年代、一人の女子中学生を通じて、家族の素朴な姿、周りの人たちの考え方の変化、さらに危うい年代の繊細な心の物語を紡いでいく。クオリティの高いいい映画でした。ー監督はキム・ボラ。

 

中学生のウニが自宅のベルを鳴らしているが開けてくれない。次のカットで部屋を間違えていたのか?というような単純なオープニングだったのか疑問になるこの最初のカット、大きな団地の姿がシンメトリーな画面で捉えられる。これがこの映画を凝縮しているのかもしれません。

 

ウニは母に頼まれて買い物に出て帰ってきたようである。ウニの家は近くの商店街で餅屋をしていて、なかなか繁盛しているようで家族中で作業をしているシーンが続く。ウニには男子学生と遊びまわる姉スヒがいて、ある時は父に見つからないようにクローゼットに隠れていたりする。兄は父の期待を一身に背負っているようにソウル大学を目指している高校生だが、父がいない時はウニを召使のように使い、逆らうと殴ったりしていた。

 

ウニには違う学校に通う友達がいて、漢文塾の帰りいつも遊んだりしている。ウニには彼氏もいるが、まだ恋人同士というより恋人ごっこのレベルである。また、ウニの後輩からウニは慕われていたりしている。

 

ある時、漢文塾にヨンジという女子大生が講師としてやってくる。何か自分たちに気持ちが近い気がしたウニはヨンジを慕うようになる。ウニは友達と万引きをして捕まったりするが、友達はその店の主人に責められてウニの父親の店を教えたので、二人の仲は疎遠になる。

 

ウニは耳の下にしこりがあることに気がつき、病院で検査するが大病院での検査の結果、手術しなければならなくなる。やがて入院し、手術も無事終わるが、疎遠だった友達とも仲直りする。入院する前、ウニはヨンジに本を貸す。

 

やがて退院したが、ウニの彼氏との間もついたり離れたりし、さらに後輩もウニを慕ったのは二学期までの話だと素っ気なく話す。そんな時、ソウルの巨大な橋が崩落、大事故が起こる。姉がいつも通学で乗っていたと思ったウニは父に連絡するが、運良くスヒは遅れたバスに乗ったので無事だった。しんみりした食卓で、兄は号泣してしまう。

 

退院後漢文塾に行ったウニはヨンジが辞めたことを知る。もう一度会いたいと、荷物を取りに来る時間に待つが教えてもらった時間が違っていて会えず、悪態をついたウニは漢文塾を追い出されてしまう。ヒステリックに言い合いをする家族にウニが切れ、それに逆上した兄がウニを殴ってウニの鼓膜が破れてしまう。

 

まもなくして、ウニに小包が届く。ヨンジから借りていた本とスケッチブック、そして手紙が添えられていた。ウニがその住所からヨンジの実家に行くが、なんとヨンジはあの橋の事故に巻き込まれて死んでいた。

 

ウニはヨンジからの手紙を読み直し、次第に日常が戻ってくる中、普段の生活に戻り始める。学校で元彼に声をかけられるウニだが、最初から好きじゃなかったと素っ気なく答える。映画はこうして終わる。

 

不思議なくらい最後まで飽きずにみてしまう作品で、ウニのさりげない仕草に見せる描写が実に繊細で引き込まれます。何気なく起こる小さなエピソードの数々が映画に不思議なリズムを作り出しているのでしょう。いい作品だったと思います。

 

映画感想「血槍富士」「虚栄は地獄」「漕艇王」「少年美談 清き心」「劇場」

「血槍富士」

これは傑作でした。コミカルなドラマから映画は始まるのですが、いつの間にか人情味あふれる展開、そしてクライマックスは派手な立ち回りの後、風刺の効いたラストシーンで締めくくる脚本構成が素晴らしい。監督は内田吐夢

 

槍持ちの主人公権八は、江戸に大事な品物を届けにいくためのお供として荷物持ちの男と、酒癖は悪いが実に人情味あふれる主人と街道を進んでいる場面から映画は始まる。絵に描いたような富士山を背景に、街道の大泥棒やら、十手を預かる岡っ引、さらに何やら大金を持っておどおどしながら進む男、槍持ちに憧れる少年、娘と旅する大道芸人の母娘などが絡んで、ほのぼのした展開で進むんでいく。

 

途中、風流にも道端で菓子を食べて休む侍たちや、参勤交代でやってくる一行の衝突など、侍を馬鹿にしたコミカルなエピソードを絡めて、権八たちはとある旅籠へ。そこで、娘を身請けしようとする男が奉公先に行くと娘は死んでいて、必死で貯めた金が無駄になるかという時、たまたま娘を奉公させざるを得ない父娘と出会い、彼らを助ける。また、街道の大泥棒がその旅籠で権八たちの手柄で捕まる。などなどのエピソードが人情味あふれる展開で進む。

 

そして旅立ちの日、権八らの主人は、武士のあまりにもバカバカしい社会に嫌気がさして、酒を飲みに寄ったところへ、寄った侍たちに絡まれ殺されてしまう。慌てて駆けつけた権八が侍たちを槍で殺すが、結局、主人の仇討ちとして処理され、お咎めなしとなり、旅立っていく。槍持ちになりたいとついて来た少年に、そんなものになるなと諭して彼方へ去っていく。少年が号泣して映画は終わる。

 

武家社会のばかばかしさをコミカルかつ娯楽色豊かに描き、一方で庶民の何気ない生き方を称賛する視点が素晴らしい一本。こういう傑作もまだまだあるのだなあと感動してしまいました。

 

「虚栄は地獄」

小気味良いテンポで描かれていく感じが心地よいサイレント映画でした。監督は内田吐夢

 

妻に隠して靴磨きをしている夫、社長秘書だと言って実は運転手の車掌をしている妻、お互いに職業を隠していたが、ふとしたことでバレてしまい溝ができる。しかし、借金取りに妻が自分のボーナスを出したことで、夫も快く思い、仕事に貴賎はないと反省して幸せに暮らしてエンディング。

短い映画ですが内田吐夢の劇映画第一号で、貴重な作品でした。

 

「漕艇王

大学の漕艇部を舞台にしたたわいのない映画です。監督は内田吐夢

 

高校の漕艇部で実力を発揮している望月は、友人の林と一緒に大学に入学。ところが望月を陥れてやろうという連中が望月がクラブの練習をさぼって女性とボートに乗っていたと校長らに告げ口し、証拠写真を渡す。怒った校長や漕艇部のコーチが望月を退部処分にする。

 

ところが、たまたまコーチの姪が、悪者たちが捨てた写真を拾い、自分が望月とボートで遊びに行った写真と判明、おりしもライバル校との試合の直前、望月の疑いが晴れ、林は望月を探しにいく。そして望月は試合会場へ駆けつけて無事試合に勝って終わる。

 

林が望月を見つけるのに徒歩でいくのに、望月は馬に乗ったりボートに引っ張ってもらったりと距離感がバラバラ。でもコミカルに見せていく面白さが楽しい映画でした。

 

「少年美談 清き心」

どちらかというと教育映画的な作品。監督は内田吐夢

 

学校の先生が一人の優等生清水が道端で何か拾うのを見つける。たまたま、一人の女生徒が母の薬のお金を道で落としてしまい困っているのをみて女生徒に銀貨をやる。しかし、先生は清水がお金を拾ったものだと疑い、自分から名乗り出るようにと昔の逸話を語る。

 

そして清水を呼び出すのだがそこへ女生徒が、落としたお金は牛乳配達の若者が届けてくれたと先生のところにやってくる。先生は清水が何を拾っていたのかを問い詰めると、釘やガラスが道に落ちていると人が困ると思って時々ガラクタを片付けていたのだと答える。先生は少しでも生徒を疑ったことを恥じて映画は終わる。という映画でした。

 

「劇場」

いい映画でした。行定勲監督らしい一本で、一人台詞で延々と引っ張る前半から終盤一気に不器用な男女の心のドラマに昇華していく流れが胸に迫る。ただ、もうちょっと、いやもっともっとよくなっていた気もする。全盛期の行定勲ならもっとバイタリティがあったように思うのです。

 

主人公永田のアップ。後どれくらいもつのだろうと呟いている。学生時代の仲間の野原と劇団を立ち上げて舞台を作るが周囲の評価は酷いもので、それでも演劇を続けている。金もなく、どん底に落ちていく自分を見ながら、ふと目に止まった画廊、一人の女性がショーウィンドウの絵を見ている。永田もその絵を見る。女性が立ち去るが永田は後を追う。追いついて、「同じスニーカーですね」と声をかける。彼女の名前は沙希、二人はこうして出会う。

 

不器用な永田は野原に相談して、沙希をデートに誘う。何かにつけてケラケラ笑う沙希。そんな彼女を見て、永田は次の舞台のヒロインに出てもらうことになる。そしてその舞台は成功し、劇団の評価も上がり始めるが、まもなくして永田と沙希は一緒に住むようになり、永田は沙希を舞台に出さなくなる。この辺りの経緯の描写が実に甘く、永田の一人台詞で描いていく物語の限界が見え始める。

 

あとは永田と沙希の不器用ながらお互いに惹かれながらの生活がぎこちなく描かれるのだが、いつのまにか沙希は限界を感じ始めている。それを感じながらも知らないふりをしている永田がいる。やがて永田は、演劇にのめり込むために沙希と離れて暮らし始める。

 

永田は他の小劇団の舞台を見て自分との格の違いに打ちのめされたりするがそれを沙希の前で見せず、時に沙希に素っ気なくしたり、すねてみたり、憎まれ口を言ってみたりする。そんな永田に軽やかに笑いかける沙希だったが、いつの間にか沙希は酒に飲まれていくようになる。そしてついに沙希は実家に帰ることにする。

 

荷物を置いて実家に帰り、仕事につき、まもなくして荷物を取りに戻るが、整理の準備に来ていた永田と久しぶりに会う。整理していた荷物の中にかつて沙希に出てもらった舞台の台本が出て来て、二人で読み合わせを始めるが、途中からお互いに素直な気持ちをセリフにし始める。そして突然壁は倒れ舞台に変わる。

 

沙希に惹かれたいたと感情のままに語る永田、そして分かりながらも時の流れに逆らえなかった沙希、素直に気持ちを舞台の上でぶつけ合う二人、いつの間にか客席には大人になった沙希がその舞台を見ていた。自分たちの若き日の不器用さに涙している沙希がいた。やがて舞台は終わり暗転、かつて沙希と永田がふざけた猿の面を永田がかぶり、涙ぐんでいる客席の沙希に戯けて見せる。とうとう耐えきれず沙希がフッと笑って舞台は終わる。客が全て出て、最後に沙希が立ち上がり、フレームアウト寸前で映画は終わる。

 

語るべき物語はしっかりと伝わって来たし、いい映画だったと思います。でも、行定勲ならもっといい映画が作れるはずだと思うのです。そこだけが少し残念でした。

映画感想「海底47m古代マヤの死の迷宮」「コンフィデンスマンjJPプリンセス編」

海底47m古代マヤの死の迷宮」

期待してなかったけれど、思いの外面白かった。これでもかというほど最後まで手を抜かずに見せ場を作った才能に拍手したい映画でした。まあ、ありきたりのパニック映画といえばそれまでですが、いつの間にか引き込まれてしまいました。監督はヨハネス・ロバーツ

 

主人公のミアが学校でいじめっ子にプールに突き落とされるところから映画が始まる。親同士の連子なのだろうか姉と呼ばれたサーシャはそんなミアを妹とは言わずにその場を去る。なかなか纏まらない家族をまとめるため、父は週末に行われる船中の窓からサメを見るツアーに誘う。

 

サーシャとミアは偶然出会った友達の誘いで、穴場だという場所へ出かける。その水の底にはマヤ文明の遺跡があり、古代文明の調査をしているミアらの父の潜水道具を見つけた四人はその海底洞窟を目指して潜ることにする。

 

そして水中の神殿までたどり着いたものの、一人が深海魚に驚いた拍子に柱が倒れて洞窟に閉じ込められてしまう。さらに、深海で育った目の見えないサメに襲われる。四人は洞窟の奥を目指すが、父も洞窟の調査に潜っていて、父の同僚のベンと出会う。ところがベンはサメに襲われる。ミアたちはなんとか先へ進み、ようやく父と会う。そして父が入って来た入江まで来るが、引き上げるワイヤーで脱出しているときにサメが襲って来て、慌てたミアらの友達がワイヤーに無理やり登り、ワイヤーが落ちてしまう。そこで、父の提案で、海から流れ込む潮の流れのそばを通って海に出ることにするが、突然父がサメに襲われる。

 

残ったミア、サーシャ、アレクサは父の言っていた潮流から海に出る道を辿り始める。ところが潮流にサーシャが流されてしまう。ミアとアレクサは先へ進もうとするが追って来たサメにアレクサが殺され、ミアも潮流に流されるが、サーシャが助けてくれる。彼女は無事だったのだ。そして二人で狭い洞窟の隙間をくぐっていくが酸素はまもなくしてなくなり、最後の力を振り絞って岩の隙間から海に出る。

 

ところが崖ばかりで上がれない。そこへ船がやってくる。サーシャとミアは船を目指すが、なんとその船はサメを呼び集めて見せる観光船で、サメの餌を撒いていた。みるみるサメに囲まれるミアたちは、すんでのところで、船に登りハッピーエンド。このクライマックスのこれでもかの畳み掛けの見せ場が実に面白い。

 

突っ込みどころは無視して、最後の最後まで楽しませようとするスタッフの意気込みが見える映画で、作品自体たわいのないものですが、気持ちよく楽しめました。

 

「コンフィデンスマンJP プリンセス編」

薄っぺらい物語ですが、これがこのシリーズの色と言えばそういうことなのでしょう。演出も稚拙だし、ストーリー展開も中身がなくて、最初からラストまで見えてしまう。でも、先日自殺した三浦春馬出演シーンになると胸が熱くなってしまいました。監督は田中亮。

 

台湾で一人の老夫婦がレイモンド・フウに恨みを抱いて出ていくシーンから映画が始まるが、そもそもこのシーン大して意味がない。まあ、ラストで取ってつけたような場面のためという程度のお粗末さ。

 

シンガポールの大富豪レイモンド・フウが亡くなった。彼の元で代々支えて来た執事のトニーがその遺言を読み上げる。レイモンドには二人の息子と一人の娘がいたが、遺言にはもう一人いる末娘ミッシェル・フウに全財産を譲ると書かれていた。映画は、その遺言執行と家督引き継ぎのパーティシーンから始まるが物語は六ヶ月前へ。

 

ダー子は次のターゲットにレイモンド・フウの相続を利用すると考える。そしてたまたま小悪党のような仕事の片棒を担がされているこっくりという渾名の少女を引き込み、彼女をミッシェル・フウに仕立ててレイモンド・フウの屋敷に乗り込む計画を立てた。あとはいつものメンバーが集まって来て、いつものような適当なノリでストーリーが展開。

 

世界中からランカウイ島に集まってくる。そして、レイモンド・フウの家督を引き継ぐ印の引き継ぎ式となる。偽物ながらも次第に自覚を持ち始めるこっくりは、その本来に優しさから、彼女を敵視するレイモンドの3人の子供たちの心を掴んでいくが、この描写が実に雑い。

 

さらに3人それぞれの本当の希望の伏線もなんの工夫もなく、普通に見ている私たちにわかる。一方、ダー子が証拠としてトニーに渡していたレイモンドとダー子の合成写真も、偽物だと気づいたトニーは一人の女性を見つけ、それが本当のレイモンドの相手だと分かり、証拠の手紙を手に入れる。しかし、いざ戻ってみて、偽物のミシェルの人柄を知るに及び、その手紙は本物の証拠として3人の子供に披露する。

 

そしてクライマックス、印を偽物とすり替えて手に入れようとしていたダー子だが、結局すり替えず、こっくりはそのままミシェルとして残るように全て画策していたことを白状する。当然、本物のレイモンドの相手と思われた女性もスターが変装したものだった。

 

こうして映画は終わるが、クレジットの後のエピローグで、2年前香港でレイモンドがダー子たちの雑談で、本当の後継を作るなら詐欺師を集めるのが一番などと言っているのを聞いてレイモンドが自分の後継を考えるヒントに知るシーンで映画は完全に終わる。とはいえ、中身がない。いいお話なのだが、何もかもが薄っぺらい映画だった。

 

 

 

映画感想「パブリック 図書館の奇跡」

「パブリック 図書館の奇跡」

いい映画なんですけどね、それほど引き込まれるほど出来がいいと思えないし、所々にちょっと嫌なシーンがあるけど、さらっと消えてしまうし、脚本も普通の出来栄え。そんな映画でした。監督はエミリオ・エステベス

 

シンシナティにある公共図書館で働くシチュアートの姿から映画は始まる。間も無く市長選が行われるようで、地元検事局の検事と地元の牧師の一騎討ちになっているらしい。何かにつけて問題を起こすスチュアートは、図書館員を首にされかかっている。

 

連日の寒波で、この辺りのホームレスに凍死が相次ぎ、この地のシェルターも不足していて、夜を過ごす場所がない状況。昼は図書館にやって来て過ごしているのでスチュアートとも顔見知りになっている。

 

ここに地元警察のビルという刑事がいて、息子が行方不明でホームレスの中にいるのではないかと捜索していた。そんなある夜、ホームレスたち70人は図書館が閉まっても出て行かず、図書館の三階に立て篭る。スチュアートは、いつのまにかホームレスと行動を共にして立て篭る。そこへビルたちが駆けつける。

 

マスコミも駆けつけどんどんことが大きくなっていく。マスコミのキャスターはこの事件を人質をとった立てこもり事件として報道しようとするが、スチュアートの機転で、反故にされてしまう。この辺りの演出が実にあっけないし、無理やりマスコミの非道を放り込んだようなエピソードになっている。

 

さらに、市長選候補の牧師が信徒を連れて、衣服などを差し入れにやってくるが、このエピソードもわざとらしい。ここまでことが大きくなってビルは突入せざるを得なくなる。スチュアートは図書館内の防犯カメラを切る。ビルたちが突入しようとしたら突然図書館の入り口が開き、全裸になったホームレスたちとスチュアートが出てくる。そして、彼らは歌を歌い始め堂々と警察の前に出てくる。

 

そして彼らは逮捕されバスに乗せられて行って映画は終わる。スチュアートの恋人になりそうな女性や、図書館の同僚たちの存在ももっとうまく使えば映画に深みが出ると思うが生かし切れていなくて、結局気を衒ったラストシーンだけにかけた感じの作品だった。ラスト近く、誰もいない図書館のなかを、何やら社会批判的なナレーションを入れた映像が流れるのはなんともわざとらしく、映画としてはあまり好みではない一本でした。

映画感想「お名前はアドルフ?」「今日から俺は!!劇場版」

「お名前はアドルフ?」

典型的な舞台劇で、その面白さはわかるが、なかなか映画にはなり切れていないのが残念。ただ、画面は美しいしカメラワークも秀逸。監督はゼーンケ・ボルトマン。

 

ピザ配達人が街中を走っている場面にタイトルが被って映像が始まり。ある一軒の家に着くが出て来たのはやたら屁理屈を垂れる大学教授のシュテファン。妻のエリザベトが、うちではないと答えて物語はこの映画の舞台のシュテファンの家に移る。

 

この日、やって来たのは間も無く妻アンナが子供を産む予定の弟のトーマス、そしてトーマスらの家に養子で育てられたクラリネット奏者のレネ。お話は、トーマスが子供につける予定の名前を白状するところから始まる。なんと、生まれてくる子供にアドルフとつけるという。当然、シュテファンらは大反対して議論が炎上する。しかし実はこれは冗談で、そこへアンナがやって来て、勘違いしたままのシュテファンと言い争いをした後、誤解が解けたと思ったら、今度はアンナが切れてしまう。その中で、幼い頃愛犬を殺したのは実はシュテファンで、あの時はトーマスが自分がやったと言って目立っていたと非難する。さらに物語はさらに展開して、一つが解決するとさらに次へ移るという舞台劇の典型的な展開となる。

 

実はレネはトーマスらの母親と恋仲になっていると白状し、切れたトーマスがレネを殴る。あとはなるべくしてパーティは終わり、トーマスらは帰る。

 

そして、べ舞台役者でもあるアンナは最後の舞台に立つが、そこで破水して、そのまま病院へ行き子供を産む。しかし生まれて来たのは男ではなくて女の子だったというオチがついて映画は終わる。とまあ、楽しいのですが映画としてどうだったかというにはもう一歩工夫の欲しかった映画でした。

 

今日から俺は!!劇場版」

楽しいね。映画の出来不出来なんかふっ飛ばして乗りとツッコミで駆け抜けていく福田雄一ワールドを楽しめる映画。映画の本来ってこういうのをいうんだけどね。とにかく面白かった。

 

開久高校に一時間借りすることになった北根壊高校、なるべくしてそれぞれの不良グループが対立することになる。この物語に軟葉高校の三橋と伊藤が絡み、さらに理子や早川京子が絡んできてのあるようなないような物語が即興演出のように展開していく。

 

これ以上語る程もないたわいない映画なのですが福田雄一らしいなんでもありの演出が冴え渡る。まあ、福田雄一作品の中では中レベル程度の出来栄えですが、何も考えずに笑えるし楽しめました。橋本環奈可愛かった。