くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「糸」「酒と女と槍」

「糸」

これは良かった。61歳になった自分が見るから余計に色々が重なったのかもしれないけれど、どんどんのめり込んでしまいました。監督は瀬々敬久

 

平成元年、主人公高橋漣が生まれるところから映画が始まる。そして自転車で走っている漣、遡って中学時代、友達の竹原と花火大会に向かう。漣が遅れたので必死で自転車を漕ぐ二人。花火会場、園田葵と友達の後藤弓が花火を楽しんでいる。終わりかけにー駆けつけた漣達だが間に合わず、漣の自転車が坂を飛び出してしまい、漣は葵達の前に転がり込む。葵が漣に傷テープを渡す。葵に左腕には包帯が巻かれている。

 

この出会いから、漣と葵は付き合うようになるが、葵の家庭は父が亡くなり母が若い男を引っ張り込んでいるがその男は葵に暴力を振るっていた。ある時、葵は母と札幌へ引っ越してしまう。漣は弓から住んでいる場所を聞き、尋ねるが部屋は荒れていた。たまたま買い物から帰った葵は左目に眼帯をしていて母の愛人に殴られたという。漣は葵を連れて逃げ、列車に乗って昔キャンプで行ったことのあるバンガローに泊まる。しかし警察に見つかり、葵と漣は引き離されてしまう。

 

時がたち、竹原が弓と結婚することになり招待された漣が会場に行き、そこで葵と再会する。しかし葵は高級車に乗った男と去ってしまう。この男は投資会社を営む水島という男で、お金を稼ぐためキャバクラで葵が働いていた頃に知り合い、付き合っていた。

 

一方の漣は故郷の美英でチーズ工場で働いていた。彼はそこで、先輩の桐野香と知り合い、まもなく結婚、妊娠するが香に腫瘍が見つかる。それでも女の子を香は産む。しかし、癌が悪化し、幼い娘を残して死んでしまう。

 

一方、葵は水島に大学まで卒業させてもらうが、リーマンショックが起こり、水島は行方不明になる。しかし、沖縄が好きだった水島を知っていた葵は沖縄まで追いかけて、水島を見つけるも、大金を葵に残して再び水島は消えてしまう。そんな時、シンガポールでネイルの仕事をしているかつてのキャバクラでの同僚高木玲子から連絡があり、葵はシンガポールへ行く。そしてしばらくネイルサロンで生活するがふとしたトラブルで、店を辞め、田舎に帰るという玲子を止めて葵はシンガポールでネイルサロンを開くことを決意する。

 

やがて玲子と葵の店は繁盛しみるみる大きくなるが、玲子が不動産投資に失敗し、会社は借金を抱えてしまう。葵は水島にもらっていた金を使って精算し、日本へ帰ってネイルサロンに勤め始める。一方チーズの世界大会を目指し始めた漣は、落選の連続に落ち込みながらもチーズ作りに励んでいた。

 

ある時、シンガポールで会社をしている時の同僚の冴島がやってきて、シンガポールエステサロンを始めたから来ないかと言って航空券を葵に渡す。漣のチーズはたまたま三ツ星レストランのシェフに認められレストランで使われるようになる。

 

シンガポールへ行く決心をし空港へ向かう葵だが、たまたまネットニュースで美英で子供食堂を始めた村田節子の記事を目にする。村田節子は幼い頃よく遊びに行っていたおばあちゃんで、葵はシンガポールへ行くのを辞め節子の元へ向かう。

 

葵は節子のところで食事をとっていると昔を思い出して思わず泣き出してしまう。そんな彼女を抱きしめにきたのが、たまたまチーズを運んできた漣の娘の結衣だった。香が生きていた時、泣いている人には抱きしめてあげなさいという教えを守ったのである。葵は結衣がチーズを作っている父の娘と聞いて、迎えにきた結衣の父を漣だと確信、後姿を見る。一方チーズの工場へ戻った漣は、結衣から、泣いている女の人を抱きしめたこと、その女性が節子におかえりと迎えられたことを聞き、葵と判断、一度は飛んでいこうとするが思いとどまる。しかし結衣に背中を押され節子の元へ行くが葵は函館から青森行きのフェリーに乗ると言って去った後だった。

 

かつて、漣が葵を助け出した時、青森にフェリーで行くからと言ったことが思い出される。漣は函館に向かう。間も無く平成が終わるカウントダウンが始まっていた。フェリー乗り場についた漣だが葵はすでにフェリーに乗り込んでいた。しかし、葵は漣の声を聞いた気がして下船するが漣はいない。お互い必死で探すも、カウントダウンでごった返す中見つからない。

 

間も無くしてフェリーが港を離れる。落胆する漣のところに葵の手が重なる。かなたにカウントダウンの花火が上がる。それは、かつて漣と葵が出会った日の花火と同じ景色だった。こうして映画は終わる。

 

小さなエピソードの数々を伏線にし、平成の年に起こった東日本大地震リーマンショックなどの史実を盛り込みながら、人と人が出会いと別れを繰り返しながらも、そのつながりの糸がほぐれていく様が切ないほどに胸に迫ってきます。林民夫の脚本らしいストーリーですが、人生の半分を過ごした平成のドラマが、至る所で自分と重なり、たまらない感慨にふけることになりました。良かった、ただそれだけです。

 

「酒と女と槍」

まあ娯楽時代劇として仕上がった感じの映画ですが、原作にはもうちょっとメッセージがあるように思えなくもない作品でした。監督は内田吐夢

 

時は豊臣の時代、槍の名手富田高定はこの日も戦で手柄を立て豪快に引き返してきた。しかし、秀吉が余興を楽しむ席で失態があり、秀次切腹を命じた上、関係者全員の切腹という対処に富田家の兄は、家の安泰のため高定に切腹を申しつけるが、話を適当にした上、高札を立てて、自ら切腹すると公言する。

 

切腹までのいく日かを愉快に過ごすべく、高定は贔屓の色拍子采女に一晩酌の相手をしてほしいと頼む。采女を可愛がる左近は高定に下心があるのではと疑うが、何もなく、切腹の日を迎える。ところが秀吉から命が下り、切腹をやめないと一族を処罰すると言われ、高定の兄は切腹をやめさせる。

 

高定は武士を捨て、浪人となり采女を妻として暮らし始めるが、まもなくして秀吉が死に関ヶ原の戦いとなる。武士を捨てた高定だが、武士魂が蘇り、采女の妊娠を知るものの彼女を捨てて旅立つ。そんな高定に抗議すべく左近は自害してしまう。高定は狂ったように戦場に出ていき、死んでしまう。つまり、武士の無情を描いたものだが、娯楽色の方が前面の出た仕上がりの作品でした。

映画感想「2分の1の魔法」「ポルトガル、夏の終わり」

「2分の1の魔法」

映画自体はディズニー作品としては中の下くらいでしたが、クライマックスの怪物との死闘シーンや父親が復活する一瞬のファンタジーシーンの演出は流石にうまい。監督はダン・スキャンロン。

 

かつて、魔法に満ちていたが今や科学にどっぷり浸かっている世界で、自分が生まれる前に死んだ父に会いたいと常に思っていたイアンは誕生日に魔法の杖をプレゼントされる。早速魔法で父を蘇らせようとするが力不足で半分しか蘇らなかった。残りを蘇らせるために魔法の石を探すため、兄バーリーと冒険の旅に出る。

 

そしてようやく苦難の道の終点に近づいたと思ったそこは元の学校の前、そこの工事現場の遺跡に石があると判断するが、まもなくして陽が沈む期限が近づいていた。しかも、石を守る岩の怪物も出現する。

 

岩の怪物は駆けつけたイワンの母とマンティコアの活躍とイワンの魔法で退治するが、イワンは父の復活に立ち会えず、兄は最後の別れを父に対面して伝える。

 

クライマックスのマンティコアと怪物の戦いシーンのスペクタクルがとにかく面白いが、後は今ひとつドラマがうまく描ききれていないのが勿体無い。普通の出来栄えという感じでした。

 

ポルトガル、夏の終わり」

本当にクオリティの高い上質の佳作です。画面作りも美しいし、淡々としたドラマですが静かに人間の物語が聞こえてくる。もちろん役者の演技力の賜物でもあるのですが、全体を見据えた演出のまとまりが秀逸です。いい映画でした。監督はアイラ・サックス。

 

一人の女性がプールに入って泳ぐ場面から映画は始まる。彼女は映画女優のフランキーで、癌の進行で、自分の余命を知り、ポルトガルのシントラという世界遺産の街に一族や親友を呼び集める。彼女は自分の死後も彼らが問題なく暮らしていけるよう、段取りをつけようと呼び寄せたが、それぞれにはそれぞれが抱える問題があり、思うように進まない。

 

映画は、フランキーの姿を中心に呼び寄せられた人たちが抱える問題を淡々と静かに描いていく。そして、町の外れの丘に全員が登っていくラストが素晴らしく、次第に夕陽が海に映えていくのを画面の側に捉えながら、揃った人たちが海を見つめ、一人また一人と丘を下り映画は終わっていく。

 

物語中の画面も素敵だがラストシーンは名シーンと言えるほど美しい。しかも、たんたんと流れていくドラマに何某か伝わるものが迫ってくるのがなんとも見事で、群像劇のようだがはっきりと登場人物が色分けされているのも大したものですが、やはりイザベル・ユペール以下の名優達の演技によるところもあると思います。とにかくいい映画でした。

映画感想「森と湖のまつり」「恋や恋なすな恋」

森と湖のまつり

非常に長く感じるのは物語の構成がまとまっていないためか、主人公の視点が誰なのかがわかりづらく、滅びゆくアイヌ民族の切なさを描いているのだが、中心になる高倉健の灰汁が強すぎて、響いてこない仕上がりになった感じです。ただ、ヨーロッパ映画のような映像作りがとっても美しく、洋画を見ているのかと思う瞬間もあり作品でした。監督は内田吐夢

 

北海道阿寒地方の列車の中、アイヌ民族研究の池博士と女流画家雪子がアイヌ部落に向かっている。そこで出迎えた茂子の絵を描くことになった雪子は茂子がアイヌ人であることから、本土の人間との差別意識があることを知る。

 

一方、アイヌ民族の存続のための基金集めをしている一太郎はその強引なやり方に地元の人々から反感を負っていた。池博士はそんな一太郎の安否を気遣っていた。雪子はふとしたことから一太郎と知り合い、一方、アイヌ人でありながら本土の人間だと偽って暮らしている大岩との争いに巻き込まれていく。

 

エピソードそれぞれがバラバラで絡み合っていかないために、とにかく長く感じてしまう。結局、大岩との争いで殺めてしまった一太郎はカヌーに乗って湖の彼方に消えるのだが、途中、一太郎の姉ミツのかつての恋人の男の死体を湖で引き上げ、何処かへ去って映画は終わる。まあ、映画の出来栄えはちょっとなあという一本でした。

 

「恋や恋なすな恋」

これはなかなか面白い作品でした。アニメーションや舞台装置を取り入れた実験的な映像世界はとにかく面白いし、幻想的な恋の物語は見応え十分でした。傑作人形浄瑠璃を基に夢か現実か不思議な映像世界が展開します。監督は内田吐夢

 

絵巻物が開かれる場面から映画が始まり、京都で様々な事象を占う加茂保憲には跡継ぎの子がいなかった。占ってみれば羊の年に生まれた女性を養女にするが良いと示され、和泉国信太の榊と葛の葉という双子の娘のうち榊を幼女に迎える。保憲には弟子として保名、そして後添えの息子道満がいたが、実直な保名と引き換え道満は野心が強く、保憲は保名を榊の婿して迎え後を継がせようと考えていたが、欲深い後添えは道満に継がせるため、保憲を暗殺、代々伝わる巻物の紛失を保名と榊のせいにし、拷問して榊を殺してしまう。

 

愛する榊を失った保名は気が触れ、巻物を道満から奪い返したものの、そのまま信太までにげていき、そこで葛の葉の両親と会い身を寄せる。そんな頃帝では世の乱れを鎮めるため、白ギツネの生き血を必要という道満の指示により、信太の森に狐狩りが行われる。保名と葛の葉の目の前で矢にいられた老婆を助けたが、実はその老婆は信太の森の白ギツネだった。

 

老婆の夫の老ギツネは恩を返すため、都の追手に傷付けられた保名を助けるために孫の白ギツネに葛の葉の姿とし介抱させる。しかし、榊と間違えた保名は白ギツネの化身を愛してしまい、白ギツネも保名を愛しやがて子供が生まれる。ところが、行方知らずになった保名の居所を掴んだ葛の葉の両親は保名の庵を訪ねてみると娘と瓜二つの女がいて驚く。

 

白ギツネは障子に「恋しくば訪ねてきてみよいずみなる、信太の森のうらみ葛の葉」とかき子供だけ残してさっていく。保名は子供を抱き上げ悲嘆に暮れて映画は終わる。

 

白ギツネがアニメになって巻物をくわえるくだりや、クライマックスは完全に舞台劇となる展開など、実験的な映像と様式美を駆使した演出が見事な作品で、木下恵介の「楢山節考」を思わせる一品でした。

映画感想「海の上のピアニスト」(4Kデジタルリマスター版)「ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー」

海の上のピアニスト

20年ぶりか、やはり美しい映画でした。全編がファンタジー、全編が寓話の世界、それでいて何か感じさせるものがある。名作という名の通りの映画ですね。監督はジュゼッペ・トルナトーレ

 

一人のトランペット奏者マックスが、暗がりの石段に座っている。生活のため、そして久しく触れることもなくなったトランペットを古楽器店に持ち込むところから映画は始まる。いったん売ったもののもう一度吹きたくなり、最後に一度と店先でトランペットを吹くマックス。その曲を聞いて店の主人が一枚の貼り合わせたレコードをかける。引き取ったピアノから出てきた原盤を張り合わせたのだという。そして演奏しているピアニストを教えて欲しいとマックスに頼み、マックスはかつて船の中で生まれ育った一人の男ナインティーハンドレッドの物語を語り始める。

 

グランビア号は、ヨーロッパからアメリカを往復する豪華客船だった。この日も金持ちのパーティの後何か落とし物はないかと床を探す石炭焚きの男ダニーはピアノの上に捨てられた赤ん坊を発見する。ダニーはその赤ん坊にナインティーハンドレッドと名付けて育てることになるが、ナインティーハンドレッドが7歳の時、船内の事故でダニーは死んでしまう。

 

ある夜、一等船室に忍び込み、金持ちたちのパーティをのぞいていたナインティーハンドレッドは、そこでピアノを目にする。まもなくして彼はいきなりピアノを見事に弾き始め、ナインティーハンドレッドは、パーティ会場で即興演奏で有名になっていく。そんなバンドに無理やり雇ってもらったマイクは、船酔いに苦しむ夜、ナインティーハンドレッドにピアノの横に座らされ、船の揺れに合わせてピアノと一緒に床を走り回る。まさにファンタジーシーンの名シーンである。

 

こうしてトランペット奏者マックスはナインティーハンドレッドと親しくなり、何かにつけ、話をするようになる。時は現代、長らく病院船で朽ちかけてきたグランビア号は、この日爆破して沈められる予定になっていた。それを聞いたマックスは、中にナインティーハンドレッドがいるはずだからともう一度調べてくれと迫る。

 

映画は、グランビア号が航海を繰り返していた華やかな時代、ナインティーハンドレッドとジャズの名手との演奏合戦などを交え、マックスがボロ船になったグランビア号の中にるはずのナインティーハンドレッドを探す展開とが交互に描かれていく。そして、古楽器店にあったレコードの原盤が作られる下へと進む。

 

ナインティーハンドレッドの才能を認めた音楽プロデューサーが船内でレコーディングをしようとする。ナインティーハンドレッドは窓から一人の女性を認め、彼女への思いを曲にしていく。そして彼女にレコードを渡そうとするが果たせず、ただ、彼女は住所だけを伝える。

 

何度かの航海ののち、アメリカで船を降りる決心をするナインティーハンドレッドだが、タラップを降りる途中で引き返す。現代、マックスは船内に隠れているはずのナインティーハンドレッドを呼び出すために、レコードと蓄音器を持って船内に入り、船内で流す。そして諦めかけた時、ナインティーハンドレッドがマックスの前現れ、自分はこの船とともに消えると伝える。船は爆破され、マックスは古楽器店を出ようとすると店主がマックスにトランペットを返す。

 

やはり名作ですね。映像がとっても綺麗だし、物語は寓話だし、しみじみと胸に感動を呼び起こすストーリーに酔ってしまいますね。良い映画です。

 

「ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー」

面白い?のだろうか。冒頭から完全に映画のリズムに乗ってこないし、カット割りも稚拙で、都度都度せっかくの流れをぶち壊してるようにしか見えなかった。平凡な青春おセンチ映画?にしか見えなかった私の感性がズレているのだろうかと思う映画でした。監督はオリビア・ワイルド。

 

優等生で勉強一筋だったモリーと親友で運動家のエイミーは大の仲良しで、卒業式を明日に控えたこの日も二人で学校へ向かう。しかし、モリーはたまたまトイレで、クラスメートが自分の悪口を言っている上に遊びまわっていたはずの彼らも自分と同等の大学に進むなどを聞くにつけ、バカバカしくなったモリーは、エミリーと今夜、憧れているニックのパーティーに行き、高校生活が勉強だけで終わらせないようにしようと誓う。しかしニックがパーティしようと思っているニックの叔母さんの場所がわからず、その情報を探すために最初に絡んだのが金持ちのクラスメート。しかし彼のパーティには誰もいず、ジジといういかれた彼女だけだった。

 

物語はモリーとエミリーがニックのパーティ会場を探す下りを、コミカルに描き、終盤、ニックのパーティ会場へ到着、モリーは憧れのニックに接近しようとするし、同性愛者のエミリーは気になっているライアンに近づこうとするが、なんとニックとライアンがキスしている場面を目撃。モリーは先に逃げ出し、エミリーはたまたま知り合ったホープが同じ性癖だったことからいい感じになっていたが、気分が悪くなったエミリーはホープに吐いてしまう。そんなパーティ会場へ警察が踏み込み、エミリーは自分をオトリにして他のメンバーを助ける。

 

卒業式の日、留置所にいるエミリーにモリーが接見し、うまく取引して卒業式会場へ。そして無事、式も終わり、モリーは一年間アフリカに行くエミリーを送っていく。ホープもパーティの時のエミリーとのことも気にせずいい感じになって別れる。こうして映画は終わるのですが、どこかリズムがあってこないので、下ネタギャグシーンもほとんど笑えないし、ラストの切ないシーンもどうも引き込まれず、宣伝映像だけが見せ場だったのかと思えるような感想になりました。

映画感想「第50回全国高校野球選手権大会 青春」

「第50回全国高校野球選手権大会 青春」

市川崑監督が手掛けたドキュメンタリーで、夏の甲子園大会中止によりリバイバル公開されたので見にいく。市川崑監督のドキュメンタリーといえば「東京オリンピック」という名作があるので期待大でした。

 

面白い、とにかくラストまで全然飽きさせずに楽しめます。スプリット画面やオーバーラップ映像、スローモーション、クローズアップなど映像テクニックを駆使して描く演出の面白さもですが、バックネットの遥か後方からピッチャーマウンドを見下ろすカメラアングルには度肝を抜かれます。さらに、選手の足の躍動感、試合の緊張感、とにかく、映像センスの上手い人が作るとこうなるんだという教科書のような作品でした。

映画感想「弱虫ペダル」「僕の好きな女の子」

弱虫ペダル

期待通りの出来栄え。めちゃくちゃに映画に乗ってしまいました。徹底的にロードレースシーンに執着した作りが映画として成功したという感じです。本当に良かった。監督は三木康一郎

 

主人公小野田坂道がママチャリに乗ってアニメソングを歌いながら登場するシーンから映画は始まる。このリズムに乗ったオープニングが実にうまい。そしてこのリズムのまま最後まで映画をリズムに乗せてしまう。

 

中学時代からロードレースのヒーローとしてこの高校へやってきた今泉は、高校裏手の坂道を登り始めていた。ところがママチャリで軽々と登る小野田を発見し、呆気に取られる。この出会いシーンもうまい。アニメ研究会に入ろうとするも部員がいなくて困っていた小野田は、部員集めのための勝負に今泉と自転車レースすることにする。そこで今泉は勝つことへの執着に燃える小野田の才能に唖然とする。

 

いつものように秋葉原にやってきた小野田はそこで関西からやってきた同じくロードレースにかける鳴子と知り合う。この鳴子を演じた坂東龍汰が実に良くて、存在感で映画を締める。

 

そして、自転車部に入部した小野田、今泉、鳴子らはいきなり新入生ロードレースに参加、そこで小野田の才能を認めた部長の金城は、インターハイ出場をかけた千葉県予選大会に今泉、鳴子、小野田を加えることにする。

 

クライマックスに延々とロードレースシーンが続くがカメラが実にいいし、リアルに自転車を漕ぎ主人公たちの息遣いが伝わって、どんどん映画の中にのめり込んでいく。冒頭のリズムがそのままラストまで乗っていき、途中、事故に巻き込まれて最下位になった小野田が、自分の役割を果たすために百人抜きで山道のトップに出てくるクライマックスの設定も上手い。そして見事役割を果たした小野田は今泉をゴールさせて部をインターハイへと導いて映画は終わる。

 

それぞれにキャラクターの色分けがしっかりできているために主人公が程よく埋もれ、見せ場に生かすべき人物をちゃんと見せる。しかも縦横無尽のカメラで見せるロードレースのシーンが見事な上に、走り込んでいく登場人物のリアリティは映画に緊張感を絶やさない。なかなかの青春映画の傑作でした。

 

「僕の好きな女の子」

なんとなく今泉力哉の空気感があると思ったら、やっぱり彼が脚本協力していました。まどろっこしいようなプラトニックラブの物語のようですが、男性のほのかな希望というか夢のようなものが切ない展開と洒落たユーモアで描かれた小品で、思いの外素敵でした。監督は玉田真也。

 

この日、加藤はガールフレンドの美穂と待ち合わせをしている。LINEの通話で、待ち合わせ時間をコミカルに言い合いするこのオープニングが微笑ましい。やってきた美帆はやたらでかいジュースを買ってきていて、それを加藤に渡す。

 

加藤はドラマの脚本家で、美帆は恋人というわけでもなくただ気の会う友達という関係だが、実は加藤は美帆が好きだった。物語は美帆が突拍子もない行動で加藤を翻弄しながらも、加藤も翻弄されるのが心地よいというじゃれあいを描いていく。ただ、加藤は美帆のためにと買った缶ジュースをどうしても渡せない。このまどろこしさがしつこくて、実は美帆なんかはいないのじゃないかと疑い始めるのはこの辺りから。

 

加藤と美帆は公園で、ギターを弾いているストリートミュージシャンを見てふざけている。そこへ迷子が現れ、ミュージシャンのところへいくが、そのまま加藤らが探すことになり、加藤は美帆と迷子の親を探したりする。

 

加藤は恋愛ドラマの脚本を手がけるが、それは美帆との出来事をそのまま描いたものだった。加藤の友人の女性にそのことを指摘されたりする。美帆から彼氏と別れたと言われた加藤は、内心小躍りしたりする。美帆の写真展に誘われた加藤は差し入れのケーキを買っていくが結局渡せない。

 

ある時、美帆に呼び出されて行った加藤は、美帆に彼氏ができたと言われる。加藤は戸惑いながらもその彼氏に会って見たいという。美帆は彼氏を呼び出し、三人で公園で遊び、加藤が一人アヒルボートに乗っている時、彼氏は美帆に、加藤は美帆が好きなんだという。美帆は全く気がつかなかったと答える。

 

彼氏が先に仕事で帰り、加藤と美帆は二人きりになるが、どこかぎこちないままである。カットが変わり、ストリートミュージシャンが帰り支度をしている。加藤が近寄る。ミュージシャンが、いつも一人でベンチにいますねと答える。そこへ子供を連れた女性が近づく。加藤はミュージシャンに、自分の妻だと紹介する。つまり美帆は架空の女性だったのだ。加藤とその妻、子供の三人が歩いて行って映画は終わる。

 

多分美帆は架空の女性だろうとなんとなくわかる流れですが、今泉力哉らしい淡々とした恋愛ドラマに仕上がっていて、思いのほかよかったです。

映画感想「剣の舞 我が心の旋律」「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」

「剣の舞 我が心の旋律」

ソ連の作曲家アラム・ハチャトゥリアンが八時間で書き上げたという傑作「剣の舞」誕生の前後を描く物語。ロシアならではの景色や、構図、色彩が美しい作品で、日頃目にする色合いよりも抑えた上品さがとっても綺麗ですが、内容はかなりシリアスなものでした。監督はユスプ・ラジコフ。

 

美しい田園の広がる田舎町、時は二十世紀初頭、主人公アラムの子供時代が描かれて映画は始まるが、すぐに第二次大戦下に移るので、何のための冒頭シーンか不明。時は第二次大戦下のソ連、間も無く初演を迎えるバレエ「ガイーヌ」の練習が続く。振り付け担当のニーナは連日変更を切り返し、音楽担当のアラムを困らせている。ダンサーでアラムを慕うサーシャは人知れずアラムに差し入れを届けていた。

 

そんな頃、文化省の役人プシュコフがやってきて、結末を変更した上に士気高揚のためのダンスを追加しろと命令してくる。プシュコフは何かにつけ反抗的なアラムを見張るように、徴兵免除を条件にダンサーを囲い込んだり、サーシャに迫ったりする。そんなプシュコフに思わず殴りかかったダンサーは投獄され、彼を救うためにサーシャはプシュコフに身を捧げる。

 

その現場を見たアラムは狂ったように曲を作り、それは八時間で完成されて「剣の舞」という傑作を生み出す。その踊りには体制への非難が痛烈に盛り込まれていた。

 

完成した「ガイーヌ」は世界中で公演され大成功、アラムも名声を手に入れたというドキュメンタリー映像で映画は幕を閉じる。作品としては普通の作品で、一見反体制的なメッセージを盛り込もうとする感じもあるが無難に回避した仕上がりになっている。ただ、映像がとっても美しいのでそこが見どころという感じでした。

 

「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」

重厚で、映像も面白く、展開もスピーディなのに、いかんせん脚本のエピソードの構成バランスが悪く、雑多な話になってしまって整理ができていない感じでした。人物関係の描写も弱い上に、関連づけがちゃんとできてないので、見ている方は混乱してしまう。しかもエピソードのどれもが同じウェイトで演出されていくので、何をポイントに見るものかが全く見えなかった。いい映画なんですけどね。監督はアグニェシュカ・ホランド

 

沢山の豚が餌を食べているシーンから映画は始まる。イギリスのジャーナリストジョーンズは、チャンスを掴む才能と強引さでかつてヒトラーを取材したことがあった。時は第二次大戦前期世界大恐慌の頃である。ジョーンズはヒトラーがいずれヨーロッパを席巻し、ソ連にも迫るであろうことを上席者の前で熱く語るが誰も信じてもらえなかった。政府高官ロイド・ジョージの元で働いていた彼は折しも左遷される。しかし、世界経済がどん底の中、ソ連だけが繁栄を続けていることに疑問を持ち、単身ソ連に向かう。

 

モスクワではかつてピューリッツアー賞を受賞した記者デュランティが彼を迎える。彼は記者仲間のパーティにジョーンズを招くがそこは阿片パーティだった。何とか抜け出したジョーンズの前にエイダという一人の女性が現れる。彼はデュランティのもとで働く記者だった。

 

ジョーンズはデュランティがなぜソ連の現実に目を瞑っているかを探るために、エイダに近づく。そこで、外国の記者はモスクワから外に出ることができないと知る。しかも、ジョーンズの友人で、先にソ連で何かを調べていたポールは殺されたのである。

 

ジョーンズはソ連の関係者に巧みに取り入り、ウクライナへの汽車に乗り込み。そして、その男が油断した隙に汽車を出て、ウクライナの農村へ向かうが、そこは飢饉と飢えに苦しむ悲惨な状況だった。死体の肉を食いながら生き延びる人々の姿を見たジョーンズは、真実を知らしめるために取材を続けるが、秘密警察に捕まってしまう。しかし、余計なことは言わないことを条件にデュランティが彼を釈放させ、イギリスに送り返す。

 

ジョーンズはイギリスで、記者を前に自分の見たことを話すが結局、デュランティの手回しもあり、ソ連の状況は厳しいながらも好転しているかの記事が出る。さらに、デュランティの功績もありスターリンの外交は成功しアメリカとソ連は国交が樹立してしまう。

 

地方紙に飛ばされたジョーンズはたまたま休暇で来た新聞王ハーストに直訴し、ついに真相を紙面に乗せることに成功する。こうして物語は終わるが、ジョーンズは満州国で捕まり、30歳を前に殺されたとテロップが出る。

 

映像演出の面白いところは随所にあるのですが、とにかく脚本の弱さが映画をしんどいものにした感じです。重々しいいい内容なのですが、ちょっと残念でした。