くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「青くて痛くて脆い」「ようこそ映画音響の世界へ」

「青くて痛くて脆い」

なんともひどい映画だった。原作が悪いのか、脚本が悪いのか、監督の演出が悪いのか、役者が悪いのか、どこへ向けたら良いのかわからないくらい、どれもこれもが薄っぺらくて見ていられない。途中まで我慢すればと頑張ったが結局よくもならずにエンディングだった。ひいきの杉咲花さえも生かし切れていない。あんまりな映画。監督は狩山俊輔。

 

主人公?の田端は何をするにもかかわらないことで、何事もなく過ごすことを心情にしている。この日も大学の授業に普通に出ていたが、そこで、世界平和を目指したいという秋好という女性に出会う。彼女はなぜか執拗に田端に近づいてきて、そのうち2人でモアイというサークルを作ろうと言い出す。なりたい自分になる。世界平和のためにやれることをする。そんな目的のサークルは友達ごっこのようにスタートする。途中から参加してきた大学院生の脇坂が秋好と付き合い始めたことを知った田端はサークルから消えていく。いや秋好が消えたと思う。そして三年が経つ。

 

今や、就活サークルとして巨大化したモアイは天野というチャラいリーダーを中心に盛大に活動していた。田端は友達の前川と、モアイを元のサークルに戻すべきモアイ壊滅作戦を始める。そして誘われたバーベキューイベントに参加した田端はそこで秋好と再会する。秋好は今もモアイの代表だった。いったいなんなのだというひどい脚本はここまでのフェイクが全く生きていないことを私たちに気づかせる。

 

そして、前川もモアイに引き込まれ、それでもなんとか田端とモアイ壊滅作戦を続け、学生の個人情報が企業に流れているのを発見、田端はその情報をSNSにアップする。当然炎上して、モアイは解散。しかし、田端は秋好が解散のスピーチする動画を見て目を覚ます。さらに、自分がリークしたとSNSにアップしても無視されることに気がつく。

 

学校で、秋好を見かけた田端は彼女を追いかけ、謝ろうとして映画は終わる。なんなんだというひどい脚本、さらに役者を生かせていない

演出に呆気に取られてしまった。終盤、モアイのアニメシーンで、少し心が揺らいだがそのあとまた不出来な映像に戻された。最低の作品。残念でした。

 

「ようこそ映画音響の世界へ」

ハリウッド映画音響にスポットを当てたドキュメンタリー。連日に満席という作品を見る。素直に楽しかった。あっという間に終わりました。監督はミッジ・コスティン。

 

サイレント時代から間も無く始まるトーキーの時代へ、そのそれぞれに関わってくる音響デザイナーなど音響のプロフェッショナルの姿と、映画にどう効果を与えてきたかをテクニカルな部分も交えて描いていきます。

 

単純に興味津々、面白かった。

映画感想「勝負をつけろ」

「勝負をつけろ」

やっちゃいました。去年見た映画を気が付かずにまた見てしまった。クライマックスの地雷除去シーンあたりからなんとなく思い出して、そのあとの場面で確信、一緒に見ていた友達も終わり辺りまで気がつかなかった。監督はジャン・ベッケル。

映画感想「ごん」(劇場版)「脅迫者」「ラインの処女号」「霧の中の少女」

「ごん」

ごんぎつねのストップモーションアニメ。繊細な表現で、今までタブーとされてきた水とススキを描くことにチャレンジ。懐かしい童話の世界観と優れたテクニックに引き込まれる三十分でした。監督は八代健志。

 

物語は今さらいうまでもないので書かないとして、ごんぎつねが時に二本足になったり、人間的な表情を見せるのが素敵な映画でした。

 

「脅迫者」

典型的なフィルムノワールの展開で、シンプルそのもののストーリーを楽しめる一本。監督はブレンティン・ウィンダスト。

 

殺人犯メンドゥーサが逮捕されたが彼の犯行を証言するリコを搬送してくるところから映画は始まる。必要以上に怯えるリコを宥めながら明日の裁判に備える検事ファーガソンは自室でリコを匿うが、リコは自ら窓から脱出を試み落ちて死んでしまう。

 

ファーガソンらは仕方なく事件を最初から検証して行くというのが本編となる。そして事件の発端から、新たな証人を見つける糸口を探し、一人の女性の存在を知るが、メンドゥーサの手下たちも彼女を消そうと追っていた。ファーガソンらは巧みに彼女に近づき、間一髪で彼女をを確保して映画は終わる。

 

ラストのファーガソンが仕掛けた罠があっさり敵側に見破られ、間一髪、ファーガソンの機転で彼女を確保する下りは面白いが、それほど抜きんでた仕上がりでもない。まあ、中レベルのフィルムノワールでした。

 

「ラインの処女号」

導入部をもう少しスピーディにしたら映画が締まった気がしますが、全体になかなか面白いサスペンスに仕上がっていました。監督はジル・グランジェ。

 

ラインの処女号というライン川を降る貨物船に一人の男がストラスブールまで乗せて欲しいとやってくるところから映画は始まる。船の船長は一旦断るがたまたま荷役夫が怪我をして臨時で乗り込むことになる。この男は本名はジャックといってこの船会社の元社長だが七年間行方不明で、妻は若いラダという男と結婚している。ジャックはストラスブールにある会社に乗り込むつもりだった。

 

この船にはピエトロという船員が乗っていたが彼は何やら不法なことをコソコソしていた上に、ラダともつながっていた。ストラスブールについたジャックは元妻のところに行くが、元妻とラダはジャックを殺そうとする。会社を売り払い金を手にしようとしていたのだ。しかし、度胸もなく何度も未遂。そんなジャックに味方したのが会社の秘書のアナと船長の娘マリアだった。

 

ジャックは元妻の邸宅に乗り込み、ラダがただ金目当てだと知り、口論になるも翌朝出て行くように言い渡して邸をさる。ところがラダが何者かに殺され、ジャックに疑いがかかる。ジャックとマリア、アナは、ことの真相を求め、また駆けつけた警部も別の犯人を疑う。

 

真犯人はピエトロだった。最後港に追い詰められたピエトロは、桟橋から落ちて死んでしまい映画は終わるが、よく考えるとあちこちに無理のある脚本になっている。そこを勢いで突っ走るので単純に楽しんでしまう。これがフィルムノワールの魅力の一つでもありますね。

 

「霧の中の少女」

これは面白い。典型的な北欧サスペンスで、二転三転して行くうちに真実が分からなくなってしまうのですが、どんどん映画に引き込まれていきます。しかも映像もカメラワークも抜群で、原作者自ら監督をしたというけれど、見事な出来栄えになっていました。原作、監督はドナート・カリシ。

 

美しいイルミネーションの施された家が写されて、誰かがそこから出てくる場面から映画は始まり、カットが変わると、精神科医フローレスのところに夜中に電話が入る。フローレスが治療室に入るとまもなくしてやってきたのはヴォーゲル警部。胸元に血の跡があり、フローレスヴォーゲル警部と話を始める。

 

時が少し遡り、雪深いアヴェショーの村、アンナ・ルーという一人の少女が行方不明になる。捜査に派遣されたのは、かつてロメオという連続爆破犯を逮捕したものの結局無罪が判明、その時のマスコミを使った派手な捜査と証拠捏造を疑わせる強硬な手段が叩かれたヴォーゲル警部だった。

 

警部は、当初から誘拐と断定、マスコミに大々的に情報を流し、捜査の規模を広げて行く。もともと閑静な村で、自主団体のような宗教組織で結束された村は、一気に騒々しい世界に変貌、被害者家族にもマスコミの取材が押し寄せる。

 

場面が変わり、半年前にここに越してきた教師のマルティーニの家族は、娘のモニカの反抗期で荒んだ毎日になっている。ある時、たまたまガソリンスタンドで、マルティーニの車が誘拐事件現場に頻繁に見かけられたという映像が流れ、一転してマルティーニは容疑者としてマスコミが殺到し始める。

 

ヴォーゲル警部は次第次第にマルティーニを追い詰め始める一方、アンナが残した日記を手に入れるが、それは明らかに家族に読ませるためのもので、本物は別にあると判断する。そして、追い詰められて行くマルティーニの前に、マルティーニの血痕のついたアンナのリュックが見つかり、マルティーニは逮捕される。しかし、血痕は、マルティーニがヴォーゲル警部に呼び出された時、怪我をした手でテーブルを触れた時の血をヴォーゲル警部が捏造したものだった。

 

こうしてマルティーニは逮捕されるが、ヴォーゲル警部の元に匿名のメールが頻繁に届く。それはマルティーニは真犯人ではないというものだった。ヴォーゲル警部はその送り主を訪ねると、霧の男を追跡取材している老記者ベアトリスだった。彼女に言わせれば、30年前から起こっている少女誘拐事件の犯人霧の男こそが今回の真犯人だと告げる。そしてアンナの真実の日記をヴォーゲル警部に渡す。

 

ヴォーゲル警部はその日記の中に入っていたヴォーゲル警部宛の封書の写真のところに行き、そこでビデオテープを発見する。そのテープには、アンナが殺害されたベッドの様子が写っていた。ヴォーゲル警部へその場所へ行き、部屋に入り確信した時点で、自分の過ちを知り、テープを無茶苦茶にしようとしたところへ、記者がやってきて警部は槍玉にあげられてしまう。全て、仕掛けられたものだった。

 

結局、マルティーニは無罪釈放され、家庭も元どおりになった上に、被害者として祭り上げられて行く。と描いたところで、フローレス医師の部屋。ヴォーゲル警部は、ことの真相を全て語り出し、何もかもが自分の推理通りで、マルティーニこそが犯人だと確証、自ら彼を殺害したと告げる。冒頭の、イルミネーションの家から出てきた人物はアンナ・ルーで、彼女は猫を探しているというマルティーニに誘拐拉致され最後は殺されたのが描写される。

 

語り終えて、ヴォーゲル警部は警官に逮捕されて行くが、フローレスが所々に語っていた、ロメオが犯人扱いされたストレスで、心筋梗塞を起こしていたという伏線に、ラストでフローレス医師も同じ症状を見せる映像がかぶる。

 

映画はここで終わるが、では、ヴォーゲル警部は妄想で、精神異常だったのか、実はロメオの復讐にあったのか、実はマルティーニの巧妙な犯罪だったのか、全てが混沌として終わる。

 

ミニチュアの村のカットや、イルミネーションに飾られる家のショット、移動カメラで俯瞰で撮る意味ありげな演出など、映像面もなかなかで、少々脚本の整理が仕上がり足りないために、どれもこれもになって、ちょっと混乱するところもあるものの、見事な出来栄えだと思います。面白かった。

 

 

映画感想「幸せへのまわり道」「シチリアーノ 裏切りの美学」

「幸せへのまわり道」

ミニチュアの街並みなどを多用し、子供番組と現実を交錯させながら不思議な演出で描いて行くヒューマンドラマですが、トム・ハンクスの好演もあり、しみじみと染み渡る人間ドラマに仕上がっていました。最近はこの手の人生ドラマにのめり込んでしまうのは歳のせいでしょうか。監督はマリエル・ヘラー。

 

いきなりミニチュアの街並みが現れ、一人の男フレッド・ロジャースが歌いながら登場する。大人気の子供向け番組が収録されている現場から映画は始まります。子供向け番組とはいえ、離婚問題や戦争などの暗い面も扱い、軽妙な会話で紡いでいく大人気番組。

 

エスクァイア紙のやり手の雑誌記者ロイド・ボーゲルは、この日、フレッド・ロジャースの記事を書くように言われる。ロイドは母を見捨てた父をいまだに許していなくて、姉の結婚式に来ていた父ジェリーと喧嘩をしてしまい、はずみで殴られて顔に怪我をしてしまう。

 

自分が得意とする記事ではないものを押し付けられて、形式的にフレッドのところに来たロイドだが、フレッドの巧みで人懐こい言葉にいつの間にか乗せられて行く。物語ははロイドがいつのまにかフレッドに惹かれて、次第に親密になる流れを描く一方で、ロイドとジェリーの確執、ロイドの心の悩みが挿入されて行く。時々、ミニチェアの街並みやフレッドが使うぬいぐるみなどの場面を挿入した自由奔放な演出がなかなか楽しい作品です。

 

ある時、ロイドの家に来ていたジェリーと口論となり、ジェイドは突然倒れてしまい病院へ搬送される。ロイドもいくものの、未だ父を許せないロイドは帰ろうとするが、そこで、フレッドがいつも使っているぬいぐるみを鞄に入れた人物を見かけ、その男を追いかけて行くうちに、突然フレッドの番組に出ることになる。ところが気を失ったロイドはフレッドの家で介抱される。

 

フレッドはロイドをレストランに連れ出し、ロイドにしばらく沈黙して自分を愛してくれた人を思い出すようにいう。次第に心の苦しみが溶け出して行くロイドは、子育てを任せきりにしていた妻アンドレアとも仲直りし、自宅療養するジェリーのもとを訪れる。そして、兄夫婦も呼んでパーティをするが、そこへフレッドも現れる。ロイドの書いた記事は絶賛されて読者を掴み、ジェリーも含め家族の絆もようやく温かいものに戻って行く。

 

まもなくしてジェリーは死んでしまい、フレッドはいつものように番組を収録して、一人残ったスタジオでピアノを弾いて映画は終わる。不思議なほどに惹かれる作品で、自分の人生を何度も振り返ることができました。小品ですがとっても素敵な映画だった気がします。

 

シチリアーノ 裏切りの美学」

決して凡作ではないし、作品のクオリティは高いのですが、いかんせん、登場人物の見分けがつかないので、本当のところが十分理解しきれなかった。もう一度思い出して整理したい。監督はマルコ・ベロッキオ

 

イタリア、犯罪組織コーザ・ノストラパレルモ派の幹部級のブシェッタのパーティシーンから映画は幕を開ける。名だたる組織の幹部たち、愛人、子供たちが集まる盛大なパーティだが、血で血を争う毎日に疑問を感じる日々だった。しかも敵対するコルレオーネ派の非常な殺戮が横行している。

 

この後、次々と子供達や仲間が殺される様が描かれていき、ブシェッタは抗争をまとめきれずブラジルに逃れる。しかし、まもなくしてブラジルで逮捕されたブシェッタはマフィア撲滅に執念を燃やすファルコーネ判事に捜査の協力を求められる。かねてからコーザ・ノストラに失望していたブシェッタは組織の罪を告白する決意をする。

 

そして300人以上のマフィアの構成員が逮捕され、ブシェッタは政府の保護のもとに生活をするようになる。映画の後半は、保護され、平穏に暮らすブシェッタの姿と度々法廷に引き出されて証言を続ける彼の姿が描かれる。ファルコーネ判事が何者かに高速道路で殺されるに及んで、アメリカで暮らしていたブシェッタはイタリアに戻ってくる。しかし、彼にはかねてからの病があった。

 

60歳を超えての彼の誕生パーティーに集まる一族、パーティの後、屋上で一人眠る彼。眠りの中で、パーティを後にして次々と友人たちが帰って行く。一人残された男の前に若きブシェッタが現れ、撃ち殺して映画は終わる。おそらくブシェッタの夢だったのだ。コーザ・ノストラの組織に入って間も無く命令された狙撃がなかなか出来ず、最後の最後行動を果たせたという切ない夢を見ていたのだろう。

さすがにクオリティの高い作品ですが、もう少しゆっくり整理して思い出したら、作品が見えてくる気がします。

映画感想「オフィシャル・シークレット」「ソワレ」

「オフィシャル・シークレット」

なんか後味が悪い。ポリティカルサスペンスなのだが爽快感はない。実話だからというリアリティもない。主人公にどうも感情移入もできない。そんな映画だった。正義感を貫いたというヒーロードラマなのに、賞賛できないという映画でした。監督はギャビン・フッド。

 

法廷に立つキャサリンのカットから映画は幕を開ける。そして物語は一年前に。イギリスの諜報機関GCHQで働くキャサリン・ガンはこの日も様々なメールの翻訳、盗聴を行なっていた。しかし一本のメールに目が止まる。それは、アメリカがイラクを攻撃する事を正当化すべく、非常任理事国の国々に圧力をかけようと工作しているものだった。

 

キャサリンはこのメールをリークし、知人で反戦活動家のジャスミンを通じて、マスコミに公表すべく画策を始める。回り回って、オブザーバー紙のマーティンに届いたこのメールは、何度もその真偽が調査されていくが、キャサリンの中には一抹の後悔が生まれてくる。そしてなかばあきらめかけた時、オブザーバー紙の一面トップに記事が載る。

 

キャサリンは、自分の身の危険を感じ始めて憔悴し始め、職場での職員への尋問が続くのに耐えかねて、自ら告白逮捕される。警察の尋問ののち、いったんは釈放されるも、間も無く起訴される。一方キャサリンはこの方面の有能な弁護士ベン・エマーソンらに相談し、キャサリンの行動を正当化するべく活動を始める。

 

そして裁判の日、法廷に立つキャサリンの前で、検察側はこれ以上訴追しないといきなり公言、裁判はあっけなく終わって、キャサリンは自由の身となる。弁護側が要求した文書が開示された場合、政府の戦争容認が犯罪行為だったと判明することが明らかになったために政府側が口をつぐんだことによるものだった。

 

こうして物語は終わるが、キャサリンが政府を糾弾しようとした一途な正義感にも見えないし、実際後悔する瞬間もある。さらに、GCHQ入社時に全ての秘匿義務にも納得の採用であり、たしかに行なったことは正しいのかもしれないが、こうも簡単に政府のトップシークレットが外に漏れて混乱するようでは秩序も組織もない気もする。その意味でキャサリンに全面的に応援できないのが正直なところです。

映画自体もそれほど優れた演出でもないし、脚本も細かいところに穴もある。故に、主人公に共感できなく見えたのかもしれません。

 

「ソワレ」翔

いい作品に仕上がる一歩手前のそれなりの佳作という出来栄え。シンプルなストーリーを見せ切るだけの演技力、演出力がほんの少し足りなかった感じがとっても残念な映画でした。監督は外山文治。

 

夜の浜辺のシーンから、主人公翔太がオレオレ詐欺の金の受け取りのバイトのようなことをしている場面から映画は始まる。役者を目指し劇団に所属するも今一つめが出ない。この日翔太の故郷和歌山の老人ホームへ演劇ワークショップ的なボランティアに出かけた。

 

そこで、一人の若い看護師タカラと出会う。彼女は高校を中退してここに来たが、父に性的虐待をされていた上に母も男を作って出ていっていた。この日、地元の祭りがあり、劇団員がタカラを誘い、翔太が彼女を迎えに行くことになる。タカラはチャイムの音が迎えの劇団員だと思い開けると、出所してきた父親で、そのままタカラは襲われる。そこに翔太が駆け込むが、タカラはハサミを父親に突き立てる。救急車を呼ぼうとする翔太をタカラが止めたので、とっさに翔太はタカラを連れて飛び出す。

 

この後の二人の逃避行が物語の中心になり、小さなエピソードを描きながら二人のこれまでの人生や夢を描くのだがここがいかにも弱いために物語に深みが出てこない。そしてふとしたことで喧嘩別れしてタカラは一人ぼっちになる。しかし、夜、翔太が彼女の前に現れ、フェリーに乗ってさらに逃げようとするが警察が駆けつけ捕まってしまう。

 

時がたち、翔太は順調に役者をしていた。自宅で高校時代に作った映画を見ていて、その中で、笑顔になる時はこうするというセリフを見て驚く。なんとそれはタカラが時々していた仕草だった。タカラは翔太の高校の生徒だった。こうして映画は終わるのだが、ラストとこれまでの中身と全く関係なく唐突に見えてしまう。ラストだけ見ると切ない物語になるが、逃避行の部分の中身は違う気がする。上手く仕上がりきれなかったか、脚本の練り足りなさか、どうも、どこかもう一歩という映画だった。

映画感想「ジェイド・ダイナスティ 破壊王、降臨。」

「ジェイド・ダイナスティ破壊王、降臨。」

典型的な三流香港娯楽映画という感じの一本でしたが、クライマックスのCG満載のスペクタクルシーンはなかなか面白かった。監督は「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」のチン・シウトン

 

両親を殺されて孤児となった小凡は、武術界の名門青雲門に弟子入りし武術に励むが一向にうまくならない。そして10年の時が経つ。両親の命日に魔教の神器摂魂棒を手に入れた小凡は信じられない力を発揮し始める。その神器を狙う鬼王軍団が迫る一方、青雲門最強に女戦士雪琪との戦いが迫ってくる。

 

前半は小凡が武術大会に出る下りと、暗殺者碧瑶との恋、さらに片思いの霊児への愛などがふざけたコミカルな演出で展開。そして鬼王軍団が登場する終盤の畳み掛ける展開はなかなか面白く、青雲門と鬼王軍団との大バトルは見応え十分だが、あまり時間を割いていないところを見れば予算の問題か脚本の弱さか。

 

そして摂魂棒の魔力に毒された小凡は、鬼王軍団のみならず青雲門の仲間にも刃を向け、最後は雪琪との一騎討ちになり、雪琪に情けをかけてもらい、碧瑶を抱いた小凡は何処かへ消えていって映画は終わる。まあ、時間潰し程度の一本でした。

映画感想「グッバイ、リチャード!」「人生劇場 飛車角と吉良常」

「グッバイ、リチャード!」

ちょっと面白い映画でした。余命いくばくもなくなる主人公の話ですがジメジメしないし、命ってこんなものかというドライさと、ブラックコメディのような展開、それでいてあったかくなる人間ドラマ、映像の妙味を楽しめる映画でした。監督はウェイン・ロバーツ。

 

主人公リチャードがステージ4の癌宣告を受けるところから映画は始まる。治療しても一年、治療しなければ半年という余命宣告を受ける。彼は大学の英文科の教授で、自宅の夕食で話すつもりが、娘のオリヴィアは、実は私はレズビアンだというし、妻のヴィクトリアは不倫をしていて相手はリチャードの大学の学長だという。あっさりとした展開からこの映画がちょっと違うなという雰囲気が漂う。カメラはシンメトリーな構図で終始貫いていく。

 

親友のピーターにだけ病気のことを告白するが彼はいわゆる俗物で、一般的な対応をしてくる。教室では、リチャードは自分の授業に興味のない学生を追い出し、本気に生徒数人で授業を進める。バーでは店員を口説いてSEXしたり、マリファナを手に入れてみたりする。一見、詩を前にして好きなことをする人物なのだがそこは非常に客観的なカメラが彼を捉える。このドライ感がこの作品の特徴で、所々に挿入される死や人生観の台詞が不思議と知的にさえ見せてくる。しかし、その品質は俗っぽい。そこがいい。

 

最後の最後、リチャードは学長のパーティで自分の病気を告白して、研究休暇をとってパーティ会場を後にして一人で車で旅立つ。ヴェロニカに、グッバイ、リチャードと言われる。一人車を運転するリチャード、かなたにT字路が見えて止まる。満点の星空、思わず涙が溢れるリチャード、そして、車はどちらの道へ行くでもなく真っ直ぐに突き進んで入って映画は終わる。

 

不思議な映画ですが、どこか心に何かを残します。そんな作品でした。

 

「人生劇場 飛車角と吉良常」

なかなかの秀作、人間ドラマとしての深さ、人生劇としてのはかなさ、娯楽作品としての面白さがそれなりに揃った名編でした。監督は内田吐夢

 

留置所に青成と宮川がいて、そこへ青成の恩師大横田がやってくる。やがて出所した青成のところへ、吉良常が上海から戻ってくる。ここに、おとよとその愛人の飛車角は、追手を逃れ隠れている。

 

物語はおとよと宮川、飛車角の三角関係の恋話に、吉良常の深みのある人生談が挿入され、ヤクザ同士の争いの中、宮川は死に、吉良常は病死、飛車角は殴り込みをかけて、最後一人さっていって映画は終わる。

 

物語の詳細がはっきりつかめないものの、クライマックスの殴り込みシーンはモノクロになったり、去って行く飛車角に赤いスモークが被りかなたの空がブルーになるなど様式美にもこだわった演出も美しい。任侠娯楽作品ですが、力の入った一本でした。