くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「さくら」「ドクター・デスの遺産 BLACK FILE」

「さくら」

可もなく不可もない平凡な家族の物語が、次第に歪み歪んでいく終盤がなかなか面白いのだがその後の締めくくりが普通なので、せっかくが無駄になったようなもったいない作品でした。監督は矢崎仁司

 

主人公薫が大学から実家に戻ってくる場面から映画は始まる。行方不明だった父が帰ってくるという手紙をもらったのだという。こうしてこの長谷川家の過去が語られていく。物語の始まりはさくらという子犬を飼い始めたところから始まる。

 

薫には頼りになる兄一、可愛い妹美貴、運送会社に勤める父昭夫、母つぼみがいて幸せな日々だった。妹の美貴はなにかにつけ一を慕い、いつも一緒だった。物語の前半はアットホームなこの家族の毎日が平凡なホームドラマとして描かれていく。

 

間も無くして一に恋人が出来るが、その恋人に美貴は異常なほどに嫉妬心をあらわにする。間も無くしてその彼女は九州へ引っ越し、しかも毎日来ていた手紙も突然来なくなる。そんな頃、薫にも彼女が出来る。

 

平穏に見えた毎日だったが、ある夜一が交通事故に遭い、半身不随と顔半分が爛れた姿になる。車椅子になる一を美貴は献身的に看病するが、それは一の事故を喜んでいるような気さえした。

 

そんなある夜、美貴は薫に部屋に来て子供時代のランドセルにためていた一の彼女からの手紙を見せる。手紙が来ていなかったのではなく美貴が隠していたのだ、その夜一はさくらを散歩に連れ出し公園で自殺する。葬儀の場で美貴は放尿してしまう。間も無くして父が何処かへ消えてしまう。そして現代に戻る。

 

美貴も薫もそして戻った昭夫、そして母つぼみは一のお墓に参る。家族はいつの間にか元通りに戻ったかのようである。その夜、さくらがぐったりするが、病院を探し回っているうちにうんちをして快復、年が明けて新たな年、家族が餃子を食べるシーンで映画は終わっていく。

不思議な物語ですが西加奈子原作らしい一本で、よく考えるとファンタジーのようでもある。そんな空気感が面白い作品でした。

 

「ドクター・デスの遺産 BLACK FILE」

テレビの刑事ドラマレベルの作品にがっかりしました。香港映画風のハイテンポでB級テイスト満載のオープニングが面白いのですが、ちょっと付け焼き刃的な脚本がいまひとつ練り足りなかった感じです。真犯人の登場も唐突だったし謎解きも鮮やかさに欠ける作品でした。監督は深川栄洋

 

雨の中公衆電話から一人の少年が警察に電話をしている。父親が殺されたという。どうやら安楽死を装った殺人事件だと思った犬飼刑事と相棒の高千穂は葬儀の場に向かう。少年の言葉から、謎の医師が存在することが見えた犬飼は死体を強引に解剖へ。そして、薬物による殺人が判明。この手の安楽死を扱う闇サイトとその主催者ドクター・デスの存在を知った犬飼たちは捜査を始める。

 

一つの事件に映っていた映像から看護婦雛森を割り出し、逮捕するが、医師に命令されたことが殺人とは知らなかったと供述、捜査員は彼女を解放して泳がせることにする。

 

一方、それらしい事件を辿っていき、ドクター・デスの似顔絵を作るが、供述者の表現が一致しない。しかしそこに嘘と真実があると判断した高千穂の意見から、一つの似顔絵が完成、それを指名手配する。そしてホームレスの男を逮捕する。しかしその男はただのダミーだった。

 

真犯人は雛森だと確信したが雛森は姿を消してしまう。犬飼の娘沙耶香は重い腎臓病を患っていた。雛森は彼女に近づき、安楽死を望むようにマインドコントロールする。そして犬飼に連絡して、沙耶香の思い出の地に呼び出す。しかし雛森の反撃に会うが駆けつけた高千穂がすんでのところで雛森を逮捕し沙耶香を助ける。

 

こうして映画は大団円を迎えるが、おそらく原作には叙述に描かれているであろう安楽死のメッセージが全然伝わらず薄っぺらい仕上がりになっている。犬飼と沙耶香の苦悩も弱いし、高千穂の存在も甘い。犯人雛森木村佳乃突然の登場ですぐにネタが割れてしまうし、沙耶香に暗示をかける急展開が唐突すぎて呆れてしまいました。時間があればもっといいものできたろうにという感じに映画でした。

映画感想「PLAY 25年分のラストシーン」「Malu 夢路」

「PLAY25年分のラストシーン」

ホームムービーで撮りためた映像を編集したとして作られた作品で、よくある手法ですが、それなりに楽しむことができました。監督はアントニーマルシアーノ。

 

13歳の少年マックスが両親にもらったビデオカメラで友人達や家族の日常を撮り始める。そして38歳になった彼がその撮りためた映像を編集し自分を振り返っていく。

 

友情、恋愛、失恋などを描きながら、現在に至った彼は、過去の後悔をやり直すべく、本当に愛していたエマに恋の告白をするラストシーンへ繋いでいく。

 

これという斬新さがあるわけではないですが、時間軸を前後左右させながら、一見ただのホームムービーですが、主人公マックスの切ない青春ラブストーリーという軸を崩さずに描いていく感じがとっても爽やかでよかった。

 

「Malu 夢路」

一体何を描きたいのか最後まで分からない映画だった。現実と幻覚、過去と現在、何もかもを混濁させたストーリー展開と人物の登場に翻弄される映画でした。監督はエドモンド・ヨウ。

 

ホンのところに妹のランが訪ねてくるところから映画が始まる。母が亡くなって20年が経っているという展開らしいがよく見えない。しかも、ランとホンがどっちがどっちかわからない描写も散見され、混乱の極みに入ってしまう。

 

少女時代、貧しくて母が姉妹とともに無理心中しようとした下から、ランとホンの幼い頃の記憶と想いか綴られるが、あるときホンが目を覚ますとランがいない。しばらくしてランの遺体が日本で発見されたという知らせで日本へ向かうホン。

 

そこでランと親しかった日本女性と出会う。ランはある時はシンガポール出身だといい、ある時は中国出身だといい、ある時は台湾出身だと言い、さらに自分の名前も様々に名乗っていたという。そして、何故か首を絞められて死んだらしい。

 

全く謎が解けないままに、ホンはランが知り合っていた謎の日本人を発見する。そしてその日本人はランとの思い出の森へとホンと出かける。どうやらこの謎の男がランの首を絞めたようで、突然ホンがその男の頭を殴って倒してしまう。そして一人山を降りるホンの前にランが現れ映画は終わる。

 

解説を読まないとなんのことかさっぱりの映画で、ストーリーテリングがなっていないのかと疑ってしまう作品でした。

映画感想「青春神話」「愛情萬歳」「河」

「青春神話」

これはなかなかの秀作、青春の一ページを殺伐とした虚しさで描く映像が見事。しかも、背景の街並みの絵作りも上手く、世相が的確に描写されている光の使い方も上手い。監督はツァイ・ミンリャン

 

雨が降り頻る中、電話ボックスに飛び込んだアザーとその友人。二人はボックス内の金を盗んでいく。アザーが家に帰ると、排水が悪いのか廊下は水浸しになっている。隣の部屋に兄貴がいて恋人のアクイとの情事の声が聞こえる。

 

ここに大学を目指し予備校に通うシャオカンがいる。何もかも嫌になったのか予備校の授業料を払い戻す。父はタクシーの運転手で母は宗教に凝っていていつも家庭内は殺伐としている。シャオカンは払い戻した金でBB弾の拳銃を買う。父の車に乗っているときに隣にアクイを乗せたアザーが通りかかり、行手を阻んだアザーに警笛を鳴らす父の車の窓を壊して逃げる。

 

シャオカンは、アザーをつけ回すよになり、アクイの勤め先を掴んだりしてストーカーまがいの行為をする。アザーは友達とゲーセンに忍び込み、機械の基盤を盗んで逃走、その様子もシャオカンは目撃する。アザーはアクイと恋仲になりホテルに行くが、止めたバイクをシャオカンはめちゃくちゃにする。シャオカンはアザーが悔しがるのを同じホテルに部屋から見下ろして嬉々として喜ぶ。そして、アザーがバイクを押していく後をつけ、知らぬふりをして手伝おうかと声をかけたりする。

 

アザーは壊されたバイクの修理にために金がいるようになり、先日盗んだ基盤を売りつけにいくがバレてしまい逃げる。瀕死の重症になった友達を背負ってアザーが乗ったタクシーはかつて窓ガラスを破ったシャオカンの父のタクシーだったが気付かれず、そのままアザーの部屋に転がり込む。

 

アザーたちの姿を見送ったシャオカイの父は部屋に戻り、すこしドアの隙間を開けておいてやる。それはシャオカイが戻ることを期待するかのようである。

 

アザーのところへアクイがやってくるが、アクイはアザーと抱き合い、ここを出たいと言って映画は終わる。音楽の使い方も含め、テンポよく展開していくセンスはなかなかのもので、才能を感じさせる映画でした。

 

「愛情萬歳」

これもまたちょっとした映画でした。冒頭のシチュエーションが実に上手いので一気に本編へ引き込んでいきます。しかも、これからどうなるのかというサスペンスが上手い。それでいて何か殺伐としたむなしさを感じるラストも見事でした。監督はツァイ・ミンリャン

 

ドアに鍵が刺さっていて、とり忘れたのだろうか、一人の男シャオカイがその鍵を盗んでタイトル。カットが変わり、あるフードコートで一人の青年アムゼイがコーヒーを飲んでいる。そばにいかにも男を探しにきたような女リンが座る。そしていくべくして二人は高層マンションの一室へ。そこは冒頭で出てきたマンションである。アムゼイは翌朝この部屋が空き家だと知る。

 

一方、納骨棚の訪問販売をしているシャオカイはこのマンションに先に忍び込み、メゾネットの2階で手首を切って横たわっていた。階下で物音がしたので覗いてみると男女が体を合わせていた。

 

リンは不動産屋で、このマンションも商品だった。映画はリンが物件を紹介する一方で、アムゼイやシャオカイがこのマンションで入れ替わり立ち替わり忍び込んではお互いに気づかれないように過ごす姿を描いていく。そしてリンもこのマンションでくつろぐこともしていた。彼女の自宅のアパートは古いのかいかにもみすぼらしいボロ屋だったのだ。

 

アムゼイとシャオカイはあるとき、お互いにバッティングして知り合ってしまう。アムゼイの仕事は路上で品物を売る違法な商売だった。リンは日頃の仕事に嫌気がさして、アムゼイを求めていた。そして二人は再度マンションへ行き体を合わせるが、シャオカイが先に来ていてベッドの下に隠れていた。

 

情事の後リンは先に帰り、ベッドの下から出たシャオカイは眠るアムゼイに思わずキスをして帰る。リンは一人寂れた公園に行き、野外劇場のベンチで泣きじゃくり映画は終わっていく。全く不思議な映画です。ラストの泣きのシーンがやたら引っ張るのと、途中シャオカイが女装して悦に浸る場面にさまざまなメッセージがあるのでしょうが、不思議な一本でした。

 

「河」

これはややおぞましいほどに奇妙な映画でした。監督はツァイ・ミンリャン

 

エスカレーターで主人公のシャオカイは映画の撮影をしている友人の女性と再会する。撮影現場にきたシャオカイだが、死体のシーンがうまくいかないということで、シャオカイが川に入ることになる。無事撮影が終わり、友人の女性ともSEXして帰ってくる。

 

シャオカンの父の部屋は水漏れが始まっている。妻は欲求不満な様子である。そんな家庭に帰ってきたシャオカイだが、何故か首が曲がったまま戻らなくなる。両親が病院へ連れて行ったり東洋医術を施すも一向に治らない。

 

シャオカイの父はホモのようで、そんな男たちが出会うようなところで男漁りをしている。シャオカイの父はシャオカイを治すために、列車に乗って神頼みに行く。しかし、結論は出ない。シャオカイは女性に興味があるのかどうかわからないままに父が使っているところへ行きそこで一人の男と関係を持つがなんとそれは父だった。

 

翌朝、帰ることにした父は朝飯を買いに部屋を出る。一人残ったシャオカイはベランダに出て映画は終わっていく。なんだこりゃという作品で、どう解釈するのかなんとも不可思議な一本だった。

映画感想「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」「ビルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」

ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」

スタジオライカストップモーションアニメ。ゴールデングローブ賞受賞作品。の割には普通のアニメーションでした。CGかと思うほどスムーズに動くストップモーションアニメの凄さはあるのですが物語がシンプルで、悪くいうとありきたりだった気がします。監督はクリス・バトラー。

 

冒険家のライオネル卿が恐竜の写真を撮るために湖にやってきている場面から映画は始まる。現れた恐竜の写真は撮るが相棒が食べられたので、彼を助け出したものの恐竜の尻尾に叩かれてカメラが壊れる。探検家クラブでも信じてもらえず、たまたま自宅に届いたビッグフットの存在を示す手紙で、それを追い求め見つけたらクラブに入会を許可してもらうことで探検に向かう。

 

そしてやってきたところ意外にあっさりビッグフットに出会う。そしてビッグフットの希望でヒマラヤ奥地シャングリラにいる親戚のイエティに会いたいという望みを叶えるために、友人の妻アデリーナの持つシャングリラへの地図を手に入れる。

 

そしてシャングリラを目指すが、クラブのリーダーは彼が成功することを望まず、暗殺者を送ってくる。ライオネル卿は遠路インドにたどり着き、シャングリラにいくがそこは頭の硬い一族が支配していた。彼らは秘密を守るためライオネル卿らを拉致する。ライオネル卿らはそこに希望がないと判断し、脱出して映画は終わっていく。

 

エピソードそれぞれの場面にそれほどすごい映像もアニメもなく、物語もシンプル、しかもライオネル卿を追ってくる殺し屋も、クラブのリーダーも、さらにシャングリラの王もそれほど個性的な存在感が見えない。何故ゴールデングローブ賞を取ったのか疑問に思うほど普通のアニメでした。

 

「ビルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」

いいドラマだし、役者もしっかりしているのですがNetflix配信映画の域を出ない。画面が映画的ではないという感じです。ただ、やはりしっかり演出され、ぐいぐい引き込まれる迫力はさすがでした。監督はロン・ハワード

 

主人公J.D.の少年時代から映画は幕を開ける。今はオハイオ州に住んでいるがかつてはテキサス州にいてそのことが嫌だというセリフから始まる。彼は少年時代いじめにあうこともあったが、そこに駆けつけたのが家族だった。彼の母ベヴは薬物依存症だった。看護師として働き、姉リンジーらも含め家族を支えてきたが、一方でトラブルだらけで、その度に家族でフォローしてきた。そして十四年が経つ。

 

今やイェール大学に通う青年となったJ,D.だが、やはり生活は厳しく、奨学金やアルバイトでなんとか通っていたものの、次の授業料も厳しかった。たまたま有名法律事務所にインターンの仕事を得る機会を与えられた。そんな時、故郷の姉リンジーから連絡が入る。母がヘロイン過剰摂取で病院に入ったから戻ってきてほしいという。

 

J,D.は最終面接が迫る中、恋人のウジーにも隠して故郷へと向かう。そこに待っていたのはすっかりおちぶれた母ベヴだった。しかも、入院先でも、長く置いとけないと追い出され、施設を探さなければならなくなる。物語は最終面接のために戻らないといけないJ.D.の苦悩と幼き日、彼を支えた祖母マモーウの思い出を交差させながら描いていく。

 

若い頃から依存症だったベヴは、何かにつけJ.D.を苦しめ、そんな彼を助けるため、祖母のマモーウはJ.D.を引き取ることにする。その日の食べ物にも困る祖母の姿を見たJ.D.は一心発起し、バイトを始め勉強に身を入れてみるみる改心していく。

 

やがて、大学にも合格し、母の元を離れたのだが、夢を叶える直前で母の元に戻ったJ.D.は苦しむ。そして面接のために戻る時間が迫ってくる。モーテルに連れて行き、ベッドに寝かせたJ.D.の手をベヴは握るが、戻らないといけないという言葉に、快く送り出す。

 

面接に向かうJ.D.はウジーに電話をし全てを話す。そして、ウジーの部屋の前についたJ.D.は彼女を抱きしめて映画は終わる。実話を元にしているので、ラストも途中も決まっているのですが、さすがにしっかりした役者と一流の監督が撮っただけあって見応えがありました。でもやはり配信ドラマの域を出ていないには残念です。

 

「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」

バート・ミラードというクリスチャンソングのミュージシャンの半生を描いた半分宗教映画ですが、丁寧に描いていく演出で可もなく不可もない素直な感動作でした。監督はアンドリュー・アーウィンとジョン・アーウィン

 

主人公バートがウォークマンを当てて自転車で走るシーンから映画は幕を開ける。時は1985年。彼は庭掃除のバイトをして好きな曲のテープを買い、ガラクタを集めて自分の想像の世界に入るのが好きだったが、父アーサーは何かにつけて暴力を振るう男だった。

 

ある時、キャンプに行くのを勧められたバートはそこでシャノンという少女と知り合う。キャンプから帰ってみると、母は出て行ったとのことで父は引っ越しの準備をしていた。バートは父を恨みながらも父に好かれるべくアメフトを始める。

 

しかし、怪我で続けられなくなった彼はたまたま合唱の単位を取ることにしそこで歌の才能を認められ教会曲を歌うようになる。そして、父の態度に嫌気がさしていた彼は家を飛び出し、たまたまボーカルを探していたバンドに参加するが、みるみる売れていく。

 

バートは音楽で身を立てることを夢見ていて、有名なマネージャースコットに曲を聞いてもらうが、何かが足りないと言われる。しかし、バートの才能を認めたスコットはナッシュビルに招待しそこでレコード会社のプロデューサーに紹介するがコテンパンに言われてしまう。

 

落ち込んだバートは気を取り直すためにバンドを離れ実家に戻ってくる。そこで父アーサーが末期の膵臓癌だと知る。そして、かつての暴力的な男ではなく、改心している姿を見るにつけ、バートはアーサーの世話をすることを決意する。間も無くして父は他界し、そこへバンドのメンバーが戻ってくる。次の会場へ向かうバスの中でバートは父を思って「アイ・キャン・オンリー・イマジン」を作曲、スコットも認める一曲となる。

 

その曲はバートの憧れの歌手に復帰ソングとして使われることになり、その歌手のステージで歌われる直前、バートにバトンが渡されバートらのバンドのデビュー曲となり映画は終わっていく。客席にはシャノンの姿があった。

 

アーウィン兄弟の宗教映画だったが、今回はなかなか出来の良い仕上がりになっていました。

映画感想「少女ムシェット」「バルタザールどこへ行く」「ストックホルム・ケース」

少女ムシェット

四十年ぶりの再見。その時もあまり印象が残ってなかったが、傑作というのはこういう、時に一回でわからないが部分があるものだと改めて思う。たしかに徹底的に計算され尽くされた演出がとにかくしんどい。前半の細かいカットと最小限のセリフ、音楽の挿入だけで見せる主人公の立場、そして後半次第に物語が動いていくにつれて、まるで坂を転げ落ちるように、悲劇の結末に向かう流れは、最後まで見て、最初に遡って思い出してその見事さを知る。これが傑作というものなのだろう。監督はロベール・ブレッソン

 

森の中、一人の男が罠を仕掛けていて、それを見つけるもう一人の男の目がある。罠にかかる鳥を逃してやる男、逃してやったのは森番のマチュー。密猟者アルセーヌが罠を仕掛けたのだ。アルセーヌは酒場の女も口説き、マチューも口説くものの女はアルセーヌになびいたりする。

 

ムシェットは学校でも同級生や先生にも蔑まれ、裕福な同級生に泥を投げつけたりする。アル中の父親からは、アルバイトの金を取られたりし、唯一ムシェットを可愛がる母は病気で寝ていて、赤ん坊の弟の世話をムシェットがせざるを得なくなっている。

 

そんなある学校の帰り、ムシェットは雨にあい、森で雨宿りしていると、アルセーヌと出会う。そして山小屋に連れて行かれ、無理矢理体を重ねられる。翌朝家に戻ったムシェットは母に相談しようとするが、話を聞く前に母は死んでしまう。葬儀で街で色々段取りをしようとするムシェットに町の人々の冷たい視線があたる。

 

マチューに呼ばれ行ってみると、昨夜アルセーヌが密猟で捕まったという。昨夜、マチューとアルセーヌは酔った勢いで喧嘩をしたもののその後のアリバイがない。ムシェットは昨夜一晩一緒だったこと、自分はアルセーヌの愛人だと叫んで飛び出す。

 

途中、雑貨屋の女主人に葬式用の服をもらう。それを持って森に行く。ハンターがうさぎを次々と撃ち殺している。ムシェットは、もらった服を身につけて坂を転げ落ちる。何度も何度も転げ落ち、最後にとうとう沼に落ちてそのまま沈んでいく。こうして映画は終わる。

 

あまりにも切ない話であるが、徹底した映像演出で見せる物語はさすがにしんどい。しかし、何度も見直してみたくなる作品です。こういうのを傑作と呼ぶのかもしれませんね。

 

バルタザールどこへ行く

解説とラストシーンからおそらくそういうことなのだと理解できるのですが、なんとも長く感じてしまう映画でした。一匹のロバの目を通じて人間の愚かさ醜さを描いていく作品ということですが、正直、誰が誰でどういう話なのか追いかけるとしんどかった。監督はロベール・ブレッソン

 

ジャックとマリーという幼い恋人同士が、一匹のロバを手に入れるところから映画は始まる。ロバにバルタザールという名前をつけたマリーたちはこのロバを可愛がる。やがて十年が経ちロバは鍛冶屋の苦役にこき使われていた。ふとしたことで、荷台をひっくり返したことから、バルタザールはその場を逃げ出し、マリーの元に帰ってくる。マリーはバルタザールとの再会を喜ぶが彼女には不良の青年ジェラールという恋人がいた。

 

ジェラールはバルタザールを借りて仕事をするが何かにつけて当たり散らす。そんな姿を冷たく見つめるバルタザールの目には、周りの人間たちの赤裸々な姿が見えて来る。

 

自尊心の塊のようなマリーの父はあらぬ疑いをかけられ裁判で負けて一文なしになるし、村のアル中の男はバルタザールを引き取るも自分がどうしようもなく、村人から蔑まれるが、遺産を受けることになり酒を浴びるものの、一方で殺人の疑いなどをかけられる。

 

ジェラールたち不良仲間は、陰で様々な悪事を行い、そんな彼らに決着をつけようとしたマリーは裸にされて晒者にされる。ジャックがマリーの元に帰ってくるが二人の間には埋められない何かが存在した。

 

ジェラールはバルタザールに盗んだ品物を積んで逃げようとするが追っ手に迫られる。逃げるジェラールらを見下ろすバルタザール。その足には銃弾が当たっていた。翌朝、羊たちの群れの中で静かにバルタザールは死んでいき映画は終わる。

 

人間の愚かさをロバとマリーの数奇な運命の中に描いた作品だが、途中出てきる人物やエピソードの説明シーンを全て省略した演出なので、物語を探していると訳がわからなくなる。これは映像で語る作品だと理解するまで少し時間がかかってしまいました。正直しんどい映画でした。

 

ストックホルム・ケース」

犯人に親密感を持ってしまうというストックホルム症候群の語源となった銀行強盗事件の実話を元にしたものですが、特に工夫も何もないので、ただトンマな犯人の映画にしか見えなかった。主人公ラースを演じたイーサン・ホークのちょっとオーバーアクトな演技が作品を陳腐にした感じです。監督はロバート・バドロー。

 

一人の女性ビアンカが、かつて経験した人質事件で何故か犯人に好意を持ってしまったとつぶやく場面から映画は過去に戻る。ラースがいかにもアメリカンな格好でストックホルムの最大の銀行を襲撃するところへと続く。

 

いきなり人質を取り、余計な人は外に出して、行員二人だけを拉致、仲間で刑務所にいるグンナーを連れてこいと要求する。そして、やってきた旧知のグンナーと人質三人と立て篭もる。

 

なかなか要求を聞いてくれない警察に対し、ラースはビアンカに防弾チョッキを着せて、警官の前で撃ち殺したように偽装する。そして進展したかに思えたが、次々と難題がふりかかる。やたら喚き散らし、失敗を繰り返すラースのキャラクターが、肝心のラースとビアンカに芽生える愛情を殺してしまった感じになり、肝心のテーマがぼやけてしまった。

 

そして逃走用の車に向かうラースたちだが、車のタイヤが撃たれて、一方でビアンカの偽装もバレて、ラースたちは逮捕される。刑務所に入ったラースにビアンカが面会にきて映画は終わっていく。まあ、普通の出来栄えの映画でしたが、作りようによっては面白くなりそうでした。

映画感想「おらおらでひとりいぐも」「461個のおべんとう」「ホテルローヤル」

「おらおらでひとりいぐも」

一人ぼっちになった老婦人の毎日を淡々と描くファンタジーという感じで、面白いと言えば面白いが、後向いたようにしか見えない瞬間がなんとも鬱陶しいと言えなくもない。どこかじめっとしたものが見え隠れしなければ、あっさりドライないい映画になったような気もします。監督は沖田修一

 

夫を数年前に亡くし、一人ぼっちで生活している桃子さんが天井を走る鼠の音を聴いている場面から映画は始まる。時々彼女の周りに三人の心の彼女が現れる。物語は、彼女が岩手から出てきた頃の過去や、夫周造との出会い、或いは幼い日々の思い出などを回想しながら、今の毎日の変わりばえしない生活を描いていく。

 

時々部屋の中はいろんなステージに変身して様々なシチュエーションが展開。外に出る時は病院へ行く程度の景色ばかり。時々来る娘の描写など平凡な日々をひたすら描いていく。

 

終盤、一人で近くの山にハイキングに行き、帰ってきていつも行く図書館で、何度も勧められて断っていた習い事をすると返事をする。一人居間で、心の三人と踊っていると孫が一人でやってきて、破れた人形を直してくれという。娘や孫が東北弁を喋ることに、どことなく安堵した桃子の場面で映画は終わる。

 

なんの変鉄もない。これという魅力も見えてこない。何か物足りないのです。奇抜なセットや展開を見せるのですが、その効果が今ひとつ生きていない気がします。まあ、こういう静かな映画もありですけど、という感じでした。

 

「461個のおべんとう」

もっとつまらない映画かと思ったが、思いのほか良かった。この監督の演出センスがいいのだろう。音楽シーンと通常シーンの組み合わせのリズム感が非常にいいので、どんどん引き込まれていくのです。ただのお弁当映画なのに、その割り切りの楽しさで最後まで行きました。監督は兼重淳。

 

バンドをしている一樹のステージシーンから映画は始まる。息子虹輝と妻の三人暮らしだが、キャリアウーマンの妻と一樹の間にはいつの間にか隙間ができている。この隙間の描写に力を入れていないのでやや弱いが、この後の展開で帳消しになる。虹輝が成長し、やがて高校受験が迫る頃一樹らは離婚する。虹輝は一樹のもとで暮らすようになるが、高校受験に失敗する。それでも虹輝は高校を諦めず、一年後合格する。

 

一樹はこれから毎日弁当を作るから1日も学校を休まないようにと虹輝に言う。年下の中での登校に抵抗のあった虹輝も父の言葉に励まされる。こうして、毎日欠かさず作る一樹の弁当を持って虹輝は学校へ行き始める。一樹の弁当はインスタでも知り合いの間で評判になっていくし、弁当を介して虹輝も友達ができる。

 

映画は、父と子の三年間を弁当を媒介に成長していく姿として描いていく。虹輝にも一樹にも恋が訪れ、母の再婚の話も聞こえてくる。卒業を前に大学受験に向かい始めた虹輝の心に余裕がなくなってきた終盤の展開から、一樹の弁当に絡んでのふとしたことから心が晴れ、やがて一樹と虹輝はさらに未来へ進んでいく。

 

たわいのない話で、お弁当だけの話で、よくある話のはずなのだが実によくできている。一樹のステージシーンの挿入のうまさ、高校生活シーン、弁当制作シーンのさりげない組み立てが絶妙。何気なく終わるラストシーンも洒落ていていい感じで気持ちよかった。

 

ホテルローヤル

波瑠の起用が完全にミスキャストで、あまりに清純すぎて物語の濃厚さがふっ飛んでしまった。しかもエピソードがチープで、原作がどうなのかわからないが映像としては非常に薄っぺらいものになった感じです。監督は武正晴

 

ひと組の男女が既に閉鎖になっているラブホテル、ホテルローヤルにやって来る。男はカメラマンらしく女はモデルらしい。寂れた部屋で写真を撮り始めるが脱いだ女に男が被さっていき映画は時を遡る。

 

北海道の片隅に立つラブホテル、ホテルローヤルの一人娘雅代が美大受験に失敗して戻ってくるところから物語は始まる。アダルトグッズの営業の宮川がやってきていて、女将のるり子が応対している。夫で雅代の父大吉はフラフラするばかりでぐうたら亭主で、るり子は酒の配達の男と不倫中。ある時るり子はその男とどこかへ行ってしまう。仕方なくホテルを継ぐことになる雅代。

 

掃除婦の二人の会話と雅代との絡みを軸に、ホテルに来る客の人間模様を描いていく展開だが、中年夫婦が束の間の非現実の空間で燃える姿や、掃除婦の一人の真面目に働いていると思っていた息子がヤクザで、捕まったと言うニュースに大騒ぎするエピソードなどが描かれて、そのあと高校教師と女子高生がやってきて、わけありのまま二人は心中。一気に経営が傾いてホテルを閉鎖へと流れていく。この中で父大吉は死んでしまう。

 

終盤、整理に来た宮川に雅代がSEXを迫る場面が物語に深みを作れるはずが波瑠の演技力不足というか中途半端な脱ぎっぷりで盛り上がらず、ホテルを後にした雅代が、若き日の両親の姿を街で見る流れで映画は終わっていく。

 

おそらく原作はもっと深みのある描写がされているのだろうが、映像になった時点で、完全にペラペラになった。もっと濃い役者を揃えれば、特に波瑠ではなく誰かにすれば成功したのに残念な仕上がりになりました。

映画感想「恐怖に襲われた街」「オー!」

「恐怖に襲われた街」

えっ?爆弾はどうなったの?という大ボケのラストシーンに大笑いしてしまった。殆どが主人公ルテリエが犯人を追いかけていくシーンで、そのどれもがスタントなしでやったというアクションシーンの連続で、それだけで魅せる作品。もちろん謎解き的な展開もあるが、最初のカットで大体この人が犯人とわかる場面になっているのもかなり雑。まあ、こういうのもあるよね。監督はアンリ・ベルヌイユ

 

一人の女性が部屋にいると男から電話がかかってきて、今から行くという。何度も脅されてきたようで、玄関のチャイムが鳴り、恐怖に怯えた女は窓から落ちてしまう。玄関に来た男は隣の部屋に来たただの客だった。

 

刑事のルテリエは、かつて銀行強盗を追いかけたときに市民を巻き添えにした事件の犯人を探していた。帰ってみると、先程の事件が語られ、ミノスと呼ばれる男が警察やマスコミを挑発していた。乗り気ではないものの仕事ということでルテリエは次に狙われそうな女性を調べ始めるが、間一髪、ルテリエが向かう直前に殺されてしまう。その追跡の時に、犯人がガラス片を落とす。それをルテリエはポケットに入れ調べる。

 

新たな犠牲者を止めるべく、看護師のエレーヌの部屋に泊まり込むルテリエだが、病院から緊急手術と連絡が入り、エレーヌは出かける。ルテリエは病院まで送るが、なんと更衣室に犯人が待っていた。実は病院で働くピエールという義眼の男だった。そしてピエールは次のターゲットであるポルノ女優のパメラの家に押し入り時限爆弾をセットして立て籠る。

 

ヘリに吊るされたルテリエが、ベランダから飛び込み、ピエールを逮捕して映画は終わるが、時限爆弾はどうなったのというエンディングに笑ってしまいました。ジャン=ポール・ベルモンドの体当たりアクションを見せるだけの映画でした。

 

「オー!」

なんとも長く感じる映画で、ストーリーの展開や背後の音楽、登場人物それぞれが噛み合っていなくて、結局一人の男オランの儚い半生の切なさも、男の生き様も、恋人ベネディットとの悲恋も描けず終わった感じです。監督はロベール・アンリコ。

 

レーサーである主人公オランの事故シーンから映画が始まり五年後、彼は銀行強盗になっていた。しかし、まだまだ下っ端的に使われていたが、ボスのカンテールが銃の暴発で死んでしまう。オランは、なんとか後釜に座ろうとするが認めてもらえず、一人で車の強盗をして捕まってしまう。

 

刑務所に入るものの、同室のホームレスと入れ替わって早めに出所させてもらうと、娑婆ではオランの名前はアル・カポネとアルセーヌ・ルパンを混ぜてオーという愛称で有名になっていた。

 

オランは恋人のベネディットに会い、一方で銀行強盗を繰り返し始めるが、かつての仲間が自分らで大きな仕事をし、そんな姿を見て自分もあやかろうとネクタイを買いに行って刑事に撃たれる。

 

なんとかベネディットに助けてもらい自宅に金を取りに戻るが、そこにかつての仲間がいて、銃撃戦になり、駆けつけた警官隊も交えて大銃撃戦になる。ベネディットも死んでしまい、オラン一人残って逮捕されて映画は終わる。

なんとも言えない出来栄えの作品で、まとまっているようでまとまりきらず、非常に長く感じてしまいました。