くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ある人質 生還までの398日」「ベイビーティース」

「ある人質 生還までの398日」

見応えのある作品なのですが、誰を中心に描きたいのかがぼやけている作品で、主人公はダニエルなのですが、アメリカ人のフォーリーにも割いている演出がどうも全体を甘くしてしまったのは残念です。シリアで一年近く拉致されたデンマークの写真家ダニエル・リューの実話の映画化です。監督はニールス・アプデン・オプレブ。

 

体操のエキシビションでしょうか、デンマークの体操選手たちが軽やかに演技を披露する場面から映画は始まります。そこに主人公ダニエルもいますが、着地に失敗して骨折してしまい、世界大会に行けなくなります。ここから妙にへこんだ主人公を描くのではなく、兼ねてからの夢だった写真家になるべく進み始める、といきなり本編へ入っていきます。

 

写真家の助手になってソマリアに行ったダニエルは、独り立ちした後、地元の庶民の姿を写真に収めようとシリアに向かう。この辺りかなりハイスピードな展開です。地元のシリア自由軍の許可を持った上で、サポーターと同行して撮影していたが、突然、拉致されてしまう。シリア内は様々なグループの乱戦となっていて、不安定になっていたのだ。訳もわからないまま拷問を受けるダニエル。

 

一方、ダニエルの両親は、予定の便で帰ってこないダニエルを心配し、拉致されたと判断し、救出の専門家のアートゥアを雇う。やがて身代金の要求がくるが、とても払えるものではなく、なんとか集めた金で交渉してもらうが、相手は怒って、一気に額を上げてくる。このままでは殺されるだけと判断した両親は、止められていた募金で金を集めることを始める。

 

募金は思いの外集まり、最後の一歩も助け舟が出て、その金でダニエルは約1年ぶりに釈放されて帰ってくる。物語は、同時に拉致されたアメリカ人のジャーナリストフォーリーの話も絡めて描いてくる上に、ダニエルの両親の苦悩にも焦点を当てているので、どこが物語のキーなのかぼやけてしまった上に、最後の最後に、フォーリーが殺された上に、アメリカでの葬儀にシーンとオバマ大統領のテロップで終わるという、何を描きたかったかというエンディングになっています。

まあ、こういう出来事がありましたという勉強に見る作品だった感じです。

 

「ベイビーティース」

昔から何度となく描かれた裕福な家の薄幸の美少女と不良少年との恋物語を現代風の演出と映像で綴る純愛物語です。前半は流石になかなか入り込めなく、どちらかというと反発的に見ていましたが、中盤から後半にかけて物語が透明度を帯びてきて、ラストの詩的なエンディングはとっても良かった。監督はシャノン・マーフィー。

 

一人の女子高生ミラが駅で列車を待っていると、突然彼女を突き飛ばすように一人の青年が、入ってきた列車に飛び込まんかという勢いで登場する。こうして映画は幕を開けます。青年はいかにも不良少年という出立ちのモーゼスという名で、ミラはモーゼスを見つめる中、何かを感じます。モーゼスはミラが鼻血を出しているので介抱してやります。ミラはモーゼスに自分の髪の毛を切ってほしいと頼みます。モーゼスは犬の美容室をする母親の店に忍び込み、ミラの髪の毛をバッサリ切ってしまいます。モーゼスは、自宅を追い出されたので泊めて欲しいと頼みます。

 

ミラの母アナは精神不安定で、精神科の夫ヘンリーの治療を受けています。二人は診察室でSEXをするという場面から二人は登場、どこかおかしいミラの家族の姿が描写されます。一方のモーゼスも家に帰ろうとしても母親らしい人から、邪魔者扱いされてしまい、帰ることもできない。

 

それから間も無くして、ミラはスキンヘッドになってモーゼスの前に現れます。おそらく不治の病、癌なのでしょうが、ミラは自分より少し大人のモーゼスに惹かれていきます。しかし、モーゼスにはミラは最初は興味もありませんでした。しかし、次第にミラのひたむきさに惹かれていくモーゼス。

 

ミラの家の向かいに、妊婦の女性が一人住んでいて、ヘンリーはさりげなく惹かれています。それは、アナが不安定であり、ミラのことも心の重圧になっているからかもしれません。しかし、ミラがモーゼスに惹かれている姿を見るにつけ、ミラの望み通りにしてやりたいという気持ちが大きくなってくる。それはアナも同様でした。

 

アナはかつてはピアニストを目指していたが、ミラが病気になったことで諦めたという過去もあるようです。ミラのバイオリンの先生も時折物語にからんできます。

 

ヘンリーとアナは、モーゼスに、一緒に住んでほしいと頼みます。それはミラの希望を叶えたいと思うためですが、その頃にはモーゼスもミラを離したくないと考え始めていました。そんなミラにプロムに出るためのドレスをアナは買ってきますが、それを試着した時、ミラは胸の下のしこりに気がつき、自分の余命が少ないことを知ります。

 

ヘンリーらはホームパーティーを企画し、モーゼスの家族も、バイオリンの先生も向かいの妊婦も集めます。縁たけなわの時、向かいの妊婦が産気付き、みんなは産婦人科へ。残ったミラとモーゼスはベッドをともにします。ミラはモーゼスに、枕を押し付けて殺してほしいと頼みます。朝までもたないのがわかったのと、痛みで苦しみたくないという理由でした。モーゼスは一度はまくらを押し付けるが、ミラが暴れるので思わず離してしまう。そしてそのまま二人は体を合わせる。

 

夜が明ける、一人外に出たミラは空を仰ぐ。翌朝、ヘンリーとアナは朝食を準備している。モーゼスが起きてくる。ヘンリーはミラに水を持っていこうとして何かを感じて立ち止まる。アナがそのコップを取ってミラの寝室へ、そしてミラの死を知ります。このシーンが実に上手い。暗転後、浜辺でホームパーティーで集まったメンバーが戯れている。ミラは両親の写真を撮って映画は終わっていきます。

 

オーソドックスな物語を、手持ちカメラやテクニカルな映像処理でモダンな画面で再構成した面白さがちょっと斬新で素敵な映画で、最初はいかにもいけすかない不良少年モーゼスが、いつの間にかピュアな若者の笑顔を見せるようになる演出がちょっと素敵です。ただ、妊婦の女性や、バイオリニストの先生は登場人物として必要だったのかは疑問です。好みもあるかもしれませんが、いい映画だったと思います。

 

 

映画感想「藁にもすがる獣たち」「メメント」

「藁にもすがる獣たち」

曽根圭介の原作を韓国で映画化した作品。これは面白かった。若干、無理やり感がないわけではないけれど、先が読めない展開の面白さを堪能できました。韓国映画でなかったらベストワンにするところです。監督はキム・ヨンフン。

 

一人の人間が大きなバッグをホテルのコインロッカーに預けにくる。カットが変わると、このホテルの清掃員ジュンマンはこの日もロッカーをチェックしながら手際よく清掃をしていたが、一つのロッカーが鍵がかかっていて、開けてみると大きなカバンが入っていて大金が入っていた。忘れ物と判断したジュンマンは、うまくいけば自分のものになると遺失物倉庫になおしたふりをして隠してしまう。ジュンマンは妻と認知症の母と生活していた。

 

ここに空港の出入国窓口に勤めるテヨンがいる。彼は恋人の多額の借金に追い立てられる日々を送っていて、この日も、友人でチンピラのデメキンとあてにしている人物の行方を探し金の算段をしていた。そこへソウルからきたと言う刑事が執拗に絡んで来る。間も無く金融業者のパク社長に捕まり執拗に責め立てられる。パク社長にはサイコで異常な殺し屋が一人脇に控えていて脅される。

 

ジュンマンは認知症の母スンジャと妻ヨンソンとの間で嫌になっていて、あの金を使って再出発を計画する。ホテルをクビにされたジュンマンは金を取りに行って自宅に隠す。

 

ここに、DVの夫に苦しめられながら風俗で働くミランがいる。この日、チェンジばかりする若者ジンテに気に入られ彼の相手をするが、ジンテはすっかりミランに惚れてしまい、ミランの夫を殺してやると提案。ところが間違えて別人を車で跳ね飛ばしてしまい、死体を埋めたのはいいが、罪の意識に苦しみ始める。ミランは彼を死体を埋めたところに連れ出し、供養をしたと思わせて落ち着かせるが、一向にまともにならないので、車で轢き殺してしまう。途方に暮れたミランは風俗店の社長ヨンヒに助けを求める。ヨンヒはミランの行ったことを隠蔽するとともに、ミランのDVの夫を巧みに殺し保険金を手に入れれば良いと提案し、風呂場で夫を殺し保険金を手に入れる。ヨンヒとミランはことを成し遂げて、部屋で祝杯をあげ、ヨンヒはミランに自分と同じ刺青を太ももに彫る。しかし、ミランが目覚めると拘束されていて、ヨンヒに殺されバラバラにされてしまう。そしてヨンヒはまんまと金を手に入れる。

 

テヨンがいつものように帰ってくると恋人のヨンヒが来ていた。ヨンヒは彼の恋人だった。ニュースで風俗店の社長ヨンヒが死体で見つかったと流れる。ヨンヒはミランになりすまして海外に出たいと言う。そこへ、かつてヨンヒに絡んで来たソウルから来た刑事が訪ねてくる。テヨンがタバコを買いに出て戻ってみるとヨンヒはその刑事を殺していた。テヨンはヨンヒが手に入れた大金をホテルのロッカーに隠すが、追っていたパク社長から逃げる途中で車に轢かれ死んでしまう。ここの部分がやや記憶が曖昧。

 

そんな時、ジュンマンにホテルの支配人から電話が入る。未払いの給料を払うと言うことだったが、行ってみると刑事に化けたパク社長とヨンヒだった。パク社長らは、ホテルのロッカーに入れたはずに金がどこにいったか目星をつけていたのだ。ジュンマンはシラを切ってその場から逃げ出すが、パク社長らはジュンマンをつけていき、ジュンマンが自宅で金を出したところで部屋に入ってきて金を奪おうとする。そこへ認知症の母スンジャが来て、パク社長らが刑事ではないと叫ぶのでパク社長はジュンマンとスンジャを殴り殺す。しかし背後からヨンヒがパク社長を殺す。一階では脂が煮えたぎっていて、間も無く火災が発生。外で待っていたパク社長の部下の殺し屋が駆け込みなかにジュンマンとその母、パク社長を見つける。殺し屋が去った後、ジュンマンとスンジャハ目を覚ます。死んでいなかった二人は脱出し燃える家を見て途方に暮れる。

 

全てうまく行ったヨンヒは高跳びするべく空港のロッカーに金を入れて手洗いに行くが、そこにパク社長の殺し屋がやってきてヨンヒは殺される。しばらくして空港のトイレの清掃婦が掃除をしているとロッカーの鍵を見つける。なんとその清掃婦はジュンマンの妻ヨンソンだった。ヨンソンはその鍵でロッカーを開けると金が入っていた。それを持っていって映画は終わっていく。

 

お金の持ち主が二転三転するストーリーと時系列を使った凝った構成が見事な一本。振り返ってみればあれはないやろというのもなきにしもあらずですが、韓国映画らしいグロテスクさを逆手にとってぐいぐいと前に進む物語は素直に面白いです。見て損のない映画でした。

 

メメント

時間と空間を引っ掻き回しながら展開するなんとも言えない好き放題の映画で、それはある意味面白く独創的に見えるのですが、昔からあるタイムトラベルものを複雑に構成したと言う感じでもある。一度見ただけではよくわからない典型的な作品ですが、それがこの映画の最大の魅力なのかもしれません。監督はクリストファー・ノーラン

 

一人の男が銃で撃ち殺されるような映像が逆回転して、銃を手に持つ主人公レナードの姿になって映画は幕を開ける。泊まっているモーテルの受付にレナードがいるとテディと言う男がやってきて親しげに話しかける。レナードはすぐにポケットのポラロイド写真を取り出す。テディの写真と、彼の嘘を信じるなと言うコメント。レナードは直前の記憶が消えてしまう病気で、それは妻を犯され殺された時に受けた傷害によるものだと言う。

 

レナードは、ジョン・Gという犯人を追いかけていくのが物語の本編。レナードの仕事は保険の調査員で、かつてサミーという自分と似た症状の男を調査したことがある。その映像もレナードの行動の中に挿入されるが、ここに何か謎があると次第に思い始めます。

 

レナードはナタリーという女性にも会い、言葉を交わす。ナタリーはドッドという男から逃れようとしているらしく、さらに麻薬の取引も物語の中に匂わせてくる。再三登場するテディやレナードが泊まっているモーテルの部屋での謎も繰り返される。

 

モノクロ映像が時間軸通りに展開しカラー映像が逆行してストーリーを追っていくという「テネット」にも通ずる映像表現で、一本の話を描いていく。10分間の記憶しか残せないレナードは、妻をレイプした犯人ジョン・Gを追い詰めていくというモノクロのストーリーにポラロイド写真と刺青に刻まれた記憶の断片が唯一のストーリーのヒントになるのですが、次第にそのヒントが実はレナードの幻想の一部であるかに見えてきます。

 

実はレナードの妻は強盗犯に殺されたのではなく、インシュリン注射をするレナードに殺されたこと。サミーという人物は存在せずレナードのことであること。テディはレナードの事件を扱った刑事で、レナードの復讐劇を黙認していくが、レナードの記憶がすぐになくなることを利用したナタリーという女性が登場して話を複雑にしていることが見えてきます。

 

そしてクライマックス、ジョン・Gを追い詰めたレナードは彼を殺します。ここでモノクロ映像とカラー映像の時系列が一致します。しかしそのあと、テディの写真の裏に、テディの嘘を信じるな、と自ら書いたレナードはジョン・Gの車を盗んで走り出す。そして刺青店の前で急ブレーキをかけ、なんだったかと呟くのですが、要するにレナードの復讐のターゲットをテディにすることで自分の生きる目標に振り返るというエンディングになります。

 

なんとも言えない難解そのものの作品で、この解釈で正しいのか、もっといろんな伏線が張り巡らされているのではないかと自分の記憶をたどりなおそうとしてしまう。まさにクリストファー・ノーランの意図が成就したような悔しい思いに浸る作品でした。

映画感想「あの波の果てまで」(前篇、後篇、完結篇)

「あの波の果てまで」(前篇 後篇 完結篇)千

大ヒットテレビドラマの映画版で岩下志麻を一躍スターにした映画です。まあ、典型的なすれ違いメロドラマという感じで、離れたと思えばまた元の鞘に収まりまた波乱の出来事が起こってはなんとか解決する。これというのもない普通の映画ですね。監督は八木美津雄。

 

東京にいた主人公の千秋が賢島の実家に戻ってくる所から映画は幕をあけます。たまたまバスを降りたところで佐竹という青年と知り合います。賢島で真珠の養殖を行う父庄三は、新興の養殖業者の妨害で危機に瀕していて、なんとか金の工面をするべく奔走していた。千秋は実家の苦境を知り、仕事をするべく東京に行くことにする。そんな彼女に研究所の佐竹という男性を紹介される。やがて千秋は佐竹を恋するようになりますが、一方で佐竹を執拗に追いかける蘭子が、行く先々で佐竹に縋ってきます。

 

実は千秋の実母はかつて水産研究所にいた女性で、千秋を捨てて北海道に行っていた。千秋は実母美奈子を訪ねて北海道に行くが美奈子の態度は冷たかった。

 

一方佐竹も東京から北海道の研究所へ移った。しかし、佐竹はまた東京に戻りさらに沖縄へと旅立っていきます。追いついては再会しては別れるを繰り返す千秋と佐竹。千秋には池尻という一人の青年も近づいてきます。とにかく千秋が美しいので、父庄三がピンチになるたんびに資金を提供してくる男が出てくるけれど、皆千秋が目当てという典型的なドラマが何度も繰り返す。そしてどうしようもなくなった千秋は池尻との結婚を決意するが、自分を許せない千秋は自殺未遂をします。そこから助かって、佐竹と再会して、前篇は終わります。不幸を受け入れようとする主人公、果たせぬ恋に悩む主人公、まさにメロドラマの王道ですね。

 

さて、不幸な女の恋物語の後篇は、池尻と千秋の結婚シーンから始まる。曖昧な返事をしていた千秋の言葉から池尻はどんどん結婚の話を進めてしまい、庄三への池尻の援助のこともあり断りきれず結婚式となった。しかし、池尻は勤め先のチャームスクールの社長と愛人関係があり、その社長の執拗な絡みに辟易としていた。そして、池尻はチャームスクールを辞め、起業する決意をする。

 

池尻と千秋は普通の新婚生活を始めるが、池尻は何かにつけて千秋と佐竹のことが気がかりだった。千秋の周りの友人たちも千秋の境遇を鑑み、何かにつけて助けようとする。佐竹は千秋にきっぱり別れを告げて、実家の九州へ旅立つ。

 

そんな頃、池尻の仕事のパートナーの黒岩が会社の金を持ち逃げし、池尻は窮地に陥る。さらに賢島で庄三も死んでしまう。自暴自棄になった池尻は千秋に当たり散らし、千秋は家を出る決心をする。そして佐竹を追って九州へ行く。佐竹と再会した千秋はこのままうまく行くかと思われたが、東京から弁護士が来る。池尻が黒岩をナイフで刺したのだという。弁護士は池尻のために千秋に戻ってほしいと懇願、困った千秋は佐竹に会い相談するが、佐竹はお互いなんのわだかまりもなく幸せになる日まで待つことにして、千秋を送り出す。こうして後篇は終わります。本当に二転三転していきますね。

 

いよいよ完結篇、次から次と二人の仲を裂こうとする人物が出ては消えの連続で展開していく。池尻の裁判は、千秋の証言で好転、さらに黒岩をかつて使っていたという宮原産業の社長などが突然現れて、有利な展開をし、池尻は執行猶予となる。しかし千秋への想いはかげることなく、千秋と佐竹の行く末は厳しくなる。

 

宮原は千秋とその母を自分の経営する旅館で使うことにする。そんな千秋に執拗に迫る池尻。詐欺を働いた黒岩は何故か無罪放免で宮原の経営するクラブのマネージャーになる。そんな頃、佐竹に女川から観測船に乗る話が舞い込んでくる。一方池尻は離婚を承知せず、千秋にナイフで迫ったりし、自暴自棄になっていく。宮原も千秋に迫ったりするというなんとも言えないエピソードが出てくる。しかし、千秋の実母の説得でようやく離婚を承諾する。

 

その頃、佐竹は女川から船に乗る予定になる。佐竹を追って千秋も女川に向かう。しかしここでも邪魔するキャラクターが登場して、千秋は佐竹に会えない。ところが急遽燃料補給で青森に寄港するという連絡が入り、千秋は青森へ向かうが、なんと台風が直撃して佐竹の乗った船は難破してしまう。

 

千秋は浜辺で途方に暮れる。さらに、佐竹が波に呑み込まれたという情報も聞いて、千秋は汽車に飛び込もうと考えるが駆けつけた美奈子に助けられる。悲嘆に暮れる千秋の前に船の船長が瀕死の重傷でやってきて佐竹は無事だと知らせる。そして船で浜に来た佐竹と千秋はようやく抱き合ってハッピーエンド。

 

宮原や、下宿に女やら、出ては消えていくおじゃまキャラがなんとも微笑ましい上に、しまいには台風って、本当に笑わざるを得ない。しかも無理やりハッピーエンド。これぞ古き良き日本映画ですね。微笑ましくなってしまいました。

映画感想「霧ある情事」「死者との結婚」「離愁」

「霧ある情事」

前半は非常にテンポの良い流れでぐいぐい引っ張っていくのですが、後半逃避行になった途端にだらだら間延びしてしまうのがしんどい。ただラストの洒落たエンディングはなかなか良い感じの映画でした。監督は渋谷実

 

刺青をした一人の男室岡がシャワーを浴びているシーンから映画は幕を開ける。妻の葬儀の日なのですが息子浩一が警察に逮捕されたのだという。困った室岡はたまたま電話が来た二号の園子に引き取りにいってもらう。園子は室岡が拾って世話をしている秘書の森野に園子への手当てなどを渡していて、この日も園子は森野のところへ行く。実は森野は園子のことが好きだった。

 

そんな時、たまたま浩一が森野に絡み、最近室岡の仕打ちにむしゃくしゃしていた森野は浩一と揉み合って刺し殺してしまう。それを聞いた園子は、飲んだくれの父親との確執などにむしゃくしゃしていて、森野と逃げることにする。

 

森野は自分の実家を目指すが、馬小屋に隠れているところへ、追いかけてきた園子の父親に発見される。園子は父を殺そうと湖に連れ出し、まんまと沈めたと思ったが、なんと生きていて、園子と森野が小屋に火をつけて死のうとしたところへ助けに入る。森野はその場で自殺してしまい、園子は実家に戻り、飲んだくれの父の姿に嫌気が差しながらもふて寝して映画は終わる。

 

ちょっと全体の流れがうまく噛み合っていない仕上がりですが、どこか魅力が見える一本で、決して傑作ではないものの見て損のない一本でした。

 

「死者との結婚」

モダンなタッチで余計なカットを全く挟まずに繋いでいくフィルム編集が見事で、ヌーベルバーグを思わせるタッチが実に面白いサスペンスでした。監督は高橋治

 

一人の女性光子がビルの屋上から飛び降りようとしている、カットが変わると列車から飛び降りようとしている。背後に流れる一人セリフで、光子がいかに不幸な目にあったかが語られる。そして船から飛び込もうとして止められ、船室に連れて行かれる。止めたのは保科妙子という新婚の女性でどうやら大金持ちの家に嫁いだらしいがまだ姑とも面識がないとのこと。化粧のために婚約指輪を光子に預けた妙子だが、直後船が波に呑まれて沈んでしまう。この出だしがハイテンポで面白い。

 

病院で目覚めた光子は、自分の名前が保科妙子になっていることに気が付き驚く。指にしていた預かっていた婚約指輪のせいだとわかるが、夫となるべき人も本物の妙子も死んでいた。そしてあれよあれよという間に出産し、保科家に入ることになってしまう。しかし、夫となるべき男の弟則夫は最初は疑う。しかし、献身的に尽くす光子は妙子となって生活するうちに則夫も光子を妙子として受け入れるようになっていく。姑のすみのは心臓が悪く、今更光子が真相を告げても体に悪いだけと思ったこともある。

 

ところがある日、謎の手紙が光子に届く。それはかつての恋人中西久夫からだった。光子は中西に恐喝されながら今後を悩み始める。そして光子は中西を殺すために銃を持って中西のアパートに行くが、既に中西は何者かに殺されていた。そこへ則夫が駆けつけ、中西の死体を列車に投げ込み処理をする。ちょうどその夜、すみのの容体が急変し死んでしまう。死の床で、すみのは光子に一通の手紙を託す。

 

まもなくして警察がやってきて則夫は事情聴取に出かける。困った光子はすみのから、困った時には開くようにと渡された手紙を開く。そこには中西を撃ち殺したのは自分だという告白が書かれていた。戻った則夫に話し、光子は子供を連れて家を後にして映画は終わる。

 

ワイプを使った映像編集でオープニングを畳み掛け、本編に入った後も、余計なシーンをバッサリカットしたかのような展開のリズムでどんどんストーリーを語っていく。なかなか見応えのある一本でした。

 

「離愁」

半年間のひとときの揺れる女心を凝縮して描く三角関係の恋愛ドラマ。まるで昼ドラを見ているような感覚に浸りながらも、いかにもな恋物語を楽しめました。監督は大庭秀雄

 

竹生島に向かう船の中で、一人の男性境がくらい表情の女性れい子を見つけるところから映画は始まる。れい子がいかにも飛び込みそうなので境は彼女を連れて旅館に戻る。れい子は叔母の暁子を呼ぶが、やってきた暁子は境の知り合いだった。暁子は夫三浦と婚約していた頃に陶芸家の作品展で境と知り合い、つかの間付き合っていたのだ。できることなら境と結婚したかったというのが本心だった。

 

やがて、れい子は暁子が連れ帰るが、暁子の心は揺れ動き始める。そんな頃、夫の三浦が学会で半年ヨーロッパに出かけることになる。れい子は暁子の揺れる心を察知しながら、境に近づくようになり、親しく振る舞いながら暁子をじれさせるようになる。れい子は自分にも恋人がいたが、境に惹かれていく自分を感じていた。

 

そんなれい子を戒めながらも自分の気持ちを抑えきれなくなっていく暁子。感極まり、暁子はもう二度と境と会わないという誓約書をれい子と二人で書く。しかし、れい子は暁子との逢瀬を段取りしてやる。夜遅くなっても帰らない暁子にいらつくれい子だが、戻ってきた暁子は誓書を破ることにする。やがて、三浦がヨーロッパから帰ってきて、暁子は何事もなかったように出迎え、れい子も今までのことが嘘のように恋人とどこかへ行って映画は終わる。

 

まあ、たわい無いと言われればたわい無い映画ですが、時間を区切った一時の恋愛物語としての面白さは堪能できました。

映画感想「あの頃。」

「あの頃。」

今泉力哉監督作品なので相当期待したのですが、なかなかこちらに響いてこないままラストまで流れていって、ちょっと物足りなさを感じてしまいました。そもそもこういう話は今泉力哉監督はどう撮るんだろうと不安でしたが、その通り、ちょっとリズムが乗り切れなかったように感じたのは私だけでしょうか。

 

2004年、大阪。スタジオでバンドの練習をしている主人公劔は、仲間からもっと練習してこいと罵倒されるところから映画は始まる。バイトに明け暮れ、これというものもなく毎日を暮らす劔、そんな彼のところに友人の佐伯がパチンコに行こうと誘いにくる。劔はベースの練習に没頭しているので佐伯は一人でいき、そこで手に入れた松浦亜弥のCDを土産に届ける。

 

なんの興味もなかった劔だが、一眼で松浦亜弥に魅了され、CDショップへすっ飛んでいく。そこの店長ナカウチはハロプロイベントを仲間内で開催しているスタジオに劔を誘う。そして劔はそこで仲間に入れてもらい、そのままナカウチらと行動を共にするようになる。この辺りの展開の抑揚がどうも中途半端で盛り上がらない。

 

グループで知り合ったネット弁慶のコズミンらのエピソードを絡めながら、ロビやアール、イトウら仲間と騒ぐ日々を描いていくがここもいまひとつインパクトに欠ける。やがて2008年となるが、メンバーの時間は変わることがない。やがてナカウチは東京へ行く。劔は音楽への思いを忘れられず、ナカウチに誘われるままに東京へ行く。

 

そんな頃、コズミンが肺がんに犯されたと連絡が入る。もともと前向きで楽観的な彼は、癌になったことに悲観することもなくメンバーたちとの行動に何かの時は参加する。ストーリー展開に変化が出てきているにも関わらずリズムが全く変わらず、メンバーたちのノスタルジーに浸るセリフが挿入されるが、スクリーン上では全く時間が進んでいない。この違和感のまま、やがてコズミンは死んでしまう。

 

劔はナカウチの紹介で再びバンドを始めるようになり、今が最高にしあわせだと呟く。映画はこうしてフェードアウトしていくのですが、いかんせん、富永昌敬脚本なのにリズムが乗ってこないし、いつもの今泉力哉監督らしい洒落たセンスも見えてこないのがどうも消化不良な映画でした。

映画感想「世界で一番しあわせな食堂」「愛と闇の物語」

「世界で一番しあわせな食堂」

とっても素敵なハートフルラブストーリー。たわいのないお話なのにいつの間にか引き込まれて、ラストは心があったかくなりました。美しいフィンランドの景色と、素朴な登場人物たち、そして自然とラブストーリーが見えてくる展開はとっても良いです。監督はミカ・カウリスマキ

 

フィンランドの田舎村、一人の中国人チェンと息子のニュニョがバスから降り立ち、一軒のレストランに入る。そしてその店を切り盛りするシリカに、フォントロンという人を知らないかと尋ねる。食堂内にいる人たちにも丁寧に聞いて回るチェン。二人は食堂の隅で閉店までいたが、ホテルも遠いということで、シリカは空いている離れの部屋を与える。

 

次の日もチェンらは食堂で手がかりを待つが、そこへ観光バスに乗った中国人旅行者がたくさんやってくる。困ったシリカの姿を見たチェンは忠義期料理を作ると言い出す。そしてチェンが作った料理は評判になり、次々とツアー客が立ち寄るようになる。また村の老人たちもその食事を食べると体の調子が良くなると評判になっていく。

 

まもなくして、フォントロンというにはフォルストロンという名前で、既に亡くなっていることがわかる。フォルストロンというには上海でチェンがいた頃彼を助けてくれた恩人で、その時の恩返しにお金を返しにきたのだという。チェンの妻は自転車に乗っていて事故にあって亡くなっていた。チェンは結婚指輪を村のそばの丘に埋める。

 

目的が果たせなかったチェンだが、村の人々やシリカに懇願され、しばらくこの村にとどまり、料理を作ることにする。村の人たちにも慕われ始め、l医食同源を主旨とするチェンの料理は村人にも評判になっていく。ニュニョも村の子供達と仲良くなっていく。しかし、チェンのビザの期限が近づく。

 

チェンは去る決意をすり。そして妻に誕生日、チェンとニュニョは指輪を埋めた丘に行く。そして爆竹を焚いて祝うがその煙の中にシリカが現れる。

 

間も無くして、警官がチェンのところにやってくる。しかし既にチェンはいない。村人のスマホに上海で結婚したチェンとシリカの映像が流れてくる。フィンランドに戻ることを約束して二人は結婚、ハッピーエンドで映画は終わる。

 

シルエットをうまく使ったフィンランドの景色のカットがとにかく美しく、ため息が出るほど息を呑んで引き込まれてしまいます。その中で、村の老人たちの優しい笑顔やそのあたりに普通にうろついているトナカイの景色など、映画全体がゆっくり素朴に流れているのが心地よい作品でした。

 

「愛と闇の物語」

監督がナタリー・ポートマンじゃなかったら見ていないかもしれない作品です。正直、最初は何を描こうとしてるのかわからなかった。地味な映像と淡々と進む家族の物語はしんどかった。

 

一人の老人、主人公アモスの今の姿である。場所はエルサレム、彼は幼い頃の母の思い出を回想していく。時は1945年に遡る。英国統治下のエルサレムで過ごす父アリー、母ファニア、そしてアモスユダヤ人で、何かにつけて、白い目で見られている。母はもともと裕福な家庭に育ったので、ここでの抑圧された生活は次第に心に影を落とし始める。そんな彼女はアモスに持ち前の想像力を駆使して様々な冒険物語を聞かせる。

 

というのがお話の中心なのですが、どうもファニアの物語が浮き上がってこないので、終始地味な物語が続く。といってユダヤ人としての苦悩がしっかり描けているわけでもなく、時折現在のアモスの映像も挿入されるのですが、展開がリズムにのってこない感じで、見かねたアリーは、しばらくテルアビブの姉妹のところで休養してはどうかという提案でファニアはアモスらの元を離れるが、しばらくして亡くなったという知らせが入る。映画はこうして終わっていくのですが、何を描くという視点が明確に見えなかった。

映画感想「ノンストップ」「愛の濃淡」

「ノンストップ」

非常に評判が悪いので迷っていましたが、意外に面白かった。韓国映画の幼稚さが程よい感じで生かされていて楽しいコメディになっていました。これでもかと次々と黒幕やら裏切り者やらが出てくるしつこさがもうちょっと上手く整理できたらもっと面白くなったろうにという出来栄えでした。こういう映画を粗探ししてはいけないし、素直に楽しむ作品だと思うので、十分だったと思います。監督はイ・チョルハ

 

何かの任務で北朝鮮工作員が次々と敵を倒していく場面から映画は始まる。そして一人の女性に逃げるようにという連絡が入り相棒らしい男性を撃って逃げる。そして物語は現代となる。

 

揚げパンを作る主人公ミヨンは、パソコン修理を仕事にする優しい夫ソクファンと娘と幸せに暮らしている。ソクファンはいつもくじ引き付きの栄養ドリンクを飲むのだが、この日もハズレ。そんなところへ帰ってきたミヨンは、たまたま飲んだ栄養ドリンクでハワイ旅行が当たる。これまで節約生活をし、娘にも贅沢させていなかったミヨンたちは、これを機会に旅行へ旅立つ。

 

やがて、飛行機はハワイへ飛び立つが、何と中には北朝鮮の秘密工作員が乗っていて、かつて脱北した諜報員、実はミヨンがこの飛行機に乗ったことを掴み、彼女を北朝鮮へ連れ帰る任務を帯びていた。そのリーダーはかつてのミヨンの相棒ヒョンミンだった。今やミヨンは整形して姿がわからない。突然テロリストたちが飛行機をハイジャックしたのに対し敢然と立ち向かっていく。

 

こうして、機内での予想外のアクションシーンとなる。この導入部はそれなりに面白いし、いかにも無能な客室乗務員なども登場して、まさに韓国映画感満載である。実はミヨンの夫ソクファンも工作員で、情報担当だったこともあり、パソコンを駆使して機内をサーチしていく。

 

一時は有利に展開したミヨンらだが、捕まってしまう。しかし、ヒョンミンも裏切られ、ミヨンとの疑惑も晴れた二人はヒョンミンと力を合わせテロリストを排除し、全てうまく収まったかと思われたが、乗客で乗っていた一人の男が実は北朝鮮が送り込んだ工作員で、ミヨンを連れて飛行機から脱出しようとする。間一髪、ミヨンの機転でその男は機外へ投げ出され大団円。一時は韓国へ戻る予定だったが機長の判断で予定通りハワイを目指す。実は栄養ドリンクのくじもソクファンの計画だったというオチで終わる。

 

まあ、あれよあれよと雑多に展開する映画ですが、退屈するような間延びシーンもしつこい稚拙なシーンも最小限で止められていて、乗客の中の女優や姑と同乗の嫁のエピソードなどそれなりに工夫も見られた。諜報員らの背後の政府関係者らしい人々の話は全くわからなかったのは残念。もうちょっと感性のいい監督ならもっと面白くなったかもしれないけれど、これくらいなら十分だと思います。面白かった。

 

「愛の濃淡」

イライラするほどにめんどくさい大人の恋愛ドラマ。これがこの時代の色なのですが、そこまでめんどくさくても今時の子供じみた恋愛ドラマよりずっと大人びているのだから大したものでもあります。主演の岡田茉莉子は相変わらず見事な存在感ですが、主演というより脇役に見えるストーリー展開は微妙ですね。監督は岩間鶴夫。

 

洋品店で新しい服を新調した主人公えり美のカットから映画は幕を開ける。店を任されている森子がデザインしたもので、えり美に褒められ有頂天。店員の間ではえり美はどこかのお嬢さんかマダムだろうと噂されている。そんなえり美は街で正彦という男性とぶつかってしまい知り合う。カフェでえり美は自分の商売のマッチを差し出す。それは娼婦ということだった。えり美の誘いを体良く断ったが、正彦の誠実さはえり美の心を掴んでしまう。

 

正彦は森子の勤める店のオーナー小織の弟で、正彦と森子は恋人同士だった。正彦は森子とデートしている時たまたまえり美が雅彦の会社の取引先の水沢という男性といるところを見かける。水沢には妻子がいるがえり美を娼婦と知らずに付き合っていた。伊豆に行った時、正彦は森子にキスを迫るが森子は頑なに固辞してしまう。

 

ある夜、正彦が家で寛いでいると突然えり美が訪ねてくる。水沢に住所を聞いたのだという。しかも部屋で飲んでいたえり美は突然倒れてしまう。とってつけたような展開である。慌てる正彦だが、すぐに気がついたえり美は部屋を後にする。この後、えり美と正彦は次第に親しくなっていく。

 

京都で森子のファッションショーが開催されることになり、森子はそこでショーのスポンサーでもある芦沢夫人の弟滋と知り合う。滋は一見紳士だったがいかにもな遊び人で森子に結婚を申し込む。森子は正彦のことが好きなので何とか断ろうとするが、そこに正彦とえり美のことを疑い始め、苦悩し始める。

 

えり美は、水沢に別れを言い出し、水沢の申し出で最後の旅行を承諾し伊豆に向かう。えり美はそこでたまたま正彦も伊豆にきているのを知る。一方森子は滋の申し出を断り、正彦を追いかけてくる。そんな頃、えり美は、水沢がえり美との別れに未練がましいことを言い出してきたので困って正彦に電話をする。その場にたまたま森子がいて、森子は正彦の元を離れる。えり美は何とか水沢から逃げて東京に戻り、友人のロロの部屋に転がり混む。

 

ロロは正彦を訪ね、えり美の苦しみを伝え、会ってやって欲しいと告げる。ちょうどその頃、えり美を見つけた水沢はえり美に迫り、とうとう刺し殺してしまい自らも自殺する。そこへ正彦を連れたロロが帰ってくる。悲嘆に暮れ外に出た正彦の前に森子が現れる。そして二人で歩いていって映画は終わる。あれ?滋はどうした?芦沢夫人はどうした?という感じで、しかも都合よく現れる森子がなんとも言えない存在感で、ではえり美の話はどうなのと思ってしまう展開で終わる。売春禁止法施行直後のメロドラマという色合いが懐かしい一本でした。