「ライアンの娘」
デヴィッド・リーンの名作を何十年かぶりで見直した。
さすがに映像づくりの美しさにはため息がでる。冒頭の、波の打ち寄せる海岸の景色、風に流れる雲の陰が砂浜に映し出す姿、村の町並み、ドリアン少佐とロージーが初めて結ばれる森の中の、様々な自然のインサートカットの美しさ、赤の衣装に替わっていくロージーの心の変化、ブルーの軍服のドリアン少佐との対比、これが美学である。
後半に入り、砂浜に校外学習にきたチャールズが妻の足跡を見つけ、少佐との不倫を確信、そこへ、アイルランド独立の勇者がやってくる下りから、ラストシーンへ、映像で物語を語り、リズムを作り出すデヴィッド・リーンの手腕が発揮される下りは圧巻。
確かに学生時代に見たときは、まだまだこの心の機微は理解できなかっただろうと思う。男と女の物語、男の生きざまの物語、村人の心理、それぞれが、本当に大人の世界なのだ。
人生の経験が積み重なるほどに、この作品の良さを身にしみて感じいる。まさに名作である。
こういう一級品は時に目にしておくべきものだなと改めて感じいりました。
「エレファント・ソング」
監督でもあるグザヴィエ・ドランが精神不安定な精神病患者を演じた心理ドラマ、元々は戯曲であるようで、終始室内劇の様相で展開する。美しいカメラ映像も交え、静かに、しかし、どこか異常な雰囲気で進むストーリーはなかなかミステリアスである。監督はシャルル・ピナエ。
映画は、一人の少年が、オペラの舞台の袖にたっているシーンに始まり、なにやら病院の担当者が、審問を受けているらしい場面が重なる。一人の青年マイケルの担当医ローレンスが、突然行方不明となり、マイケルだけがその事情を知るだろうと、院長のグリーンが彼に対峙する。しかし、マイケルは、答える代わりに三つの条件を出す。自分のカルテを見ない、褒美にローレンス医師の机にあるチョコレートをもらう、看護士長スーザンを同席させない。
条件をのんだグリーンは彼と話を始めるが、像の話や、オペラの話、グリーンの家庭の話など、なかなか核心に迫らない。さらに、ローレンス医師に性的虐待を受けていたと、自分の裸の写真を見せる。そして、最後にようやく、ローレンスが残したメモの一片を渡すが、それでも、まだ引っ張る。
そして最後の最後に、渡したメモには、ローレンス医師は姉が倒れたので、診察ができないから、今日は診察しないと言う程度の内容。しかも、メモと引き替えに渡したチョコを必死で食べるマイケル。そのチョコは、アーモンド入りのもので、実はマイケルは極度のアーモンドアレルギーだと告白。あわててアドレナリンを注射するも、手遅れで死んでしまう。
マイケルはローレンス医師を愛していた。しかし、ローレンス医師のマイケルへの愛情は医師と患者というレベルであり、耐えられなくなったマイケルは、自殺をした、ということであるらしい。いや、自殺の原因はそれだけではない。目の前で像を撃ち殺した父、トップクラスのオペラ歌手で、自分を省みてくれなかった母への思い、様々な愛情の枯渇の結果だったのかもしれない。
グリーンと妻(恋人)がともに、公園のベンチで寄り添う。雪の降る中、真っ赤な実を付けた木が彼らを隠していくカメラワークでエンディング。美しい。
そう、マイケルの余りに美しい気持ちがもたらした悲しいラストシーンでもあるのだ。難を言うと、マイケル以外の人物の背景がわかりづらいこと。不要と言えば不要かもしれないが、省略しすぎが逆に物語を複雑にしてしまったかもしれない。
作品は、なかなかのクオリティで、楽しめるのだが、いかんせん、体調が悪かったか、前半が居眠り状態だったのが残念。