くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」「胸騒ぎの

kurawan2016-11-25

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
とにかく、ウジウジしたなんとももたついた映画でした。特にオープニングから導入部がしんどくて見ていられない。主人公ニュートを演じたエディ・レッドメインを始めみんな俯き加減の内向的なキャラクターのために、全体が内に沈んでしまう。だから派手なCGシーンが繰り返されても盛り上がってこないのです。監督はデヴィッド・イェーツです。

魔法動物を収集し保護を進める動物学者ニュートがニューヨークにやってくるところから映画が始まる。たまたま、パン屋を開くとうろついていた男のカバンと入れ替わり、カバンの中に保管していた三びきの魔法動物が逃げ出し、その動物を回収する話に、魔法省壊滅を目論む謎の人物たちが絡んで、どんどん話が膨らむはずが、どこまでいってもちまちまとした展開が繰り返され、膨らんでこない。

悪人側が弱いのも致命的だが、ニュートに寄り添うヒロインも弱いので、映像の派手さにもかかわらずストーリーが縮みこんでしまった。

最後はめでたしめでたしなのだが、エピローグのラブストーリーも、引き立たないし、ラストの記憶を消してしまう下りも、感慨を生み出さない。

原作の弱さもあるのだろう。J・K・ローリングは「ハリー・ポッター」シリーズ以外はストーリーテリング力はないのではないかなと思う。まぁ、あの作品も最初の一巻だけで、あとは大したことなかったので、そういう人なのだろう。

映画化にあたり、思い切った脚色が必要だったのかもしれません。期待してなかったけれど、その通りの出来栄えでしんどかったです。


「胸騒ぎのシチリア
くどくどと展開するストーリーにいい加減嫌気がさして、やっと終わりかと思ったら、またその後もくどくどとシーンが続く、その上、ラストのサプライズも生きてこない。映画の作りも全体に品がなくて、やたらワイワイとわめく一方で奇妙な静寂と、違和感に包まれている。残念な一本でした。監督はルカ・グッダニーノです。アラン・ドロンが主演した「太陽が知っている」のリメイクです。

全裸で横たわるマリアン、傍らには夫のポールが横たわっている。ロック歌手のマリアンは喉の手術をしてその静養のためにここシチリアにやってきて静かに過ごしていた。ところがそこにマリアンの元彼で音楽プロデューサーのハリーが突然やってくる。傍若無人で礼儀知らずに近い彼はやってくるなり、ひたすら喋りまくりながら静かなポールたちをかき乱し始める。しかも娘のペンも一緒だった。

このハリーがまずウザい。ひたすらわめくわはしゃぐはでポールたちを悩ませる。しかし、これはこれで演出としていいとしても、セクシーな存在として登場するペンがいまひとつ光ってこないし、ひたすらハリーの傍若無人ぶりだけが強調される。時折コマ落としのような編集や場違いな音楽が挿入され、見ているものの心もかき乱す。

何かにつけ、マリアンに迫るハリー、一方、ポールはペンに惹かれるという展開なのだろうが、それもいまひとつ色気が無いままに流れていく。

マリアンとハリーが二人きりで街に買い物に行き、ペンと二人きりになったポールは、小悪魔のごときペンに誘惑されたかのカットが挿入。一方のハリーは強引にマリアンに体を迫る。

やがて夜、食事の後、マリアンもペンもベッドへ。はしゃぐはハリーはプールに飛び込む。傍らにいるポール。ハリーがふざけてポールをプールに引き込むがそのままもつれ、ポールは勢い余ってハリーを溺死させる。そして朝、警察の捜査が入るも結局、ポールは罪に問われず、そのまま帰路につく。途中、追いかけてきた警部に止められるが、実は彼はマリアンのファンで、サインをもらうだけだった。このサプライズも、ここまでの流れがくどくど続いているので生きてこない。

空港でペンと別れ際、実はペンは22歳といっていたが警察で17歳とわかるし、イタリア語もペラペラだし、その辺りを偽っていたことがわかる。

何もかもが何処か不穏な物語だったというラストでエンディング。

こうしてあらすじを書くとシンプルだが、それぞれれのエピソードからエピソードの流れが実にくどくどと演出されているので、いい加減嫌になってくるのです。画面も美しく無いし、全体の映像演出も品がない。まぁ、普通の映画でしたね。


「誰のせいでもない」3D
さすがにヴィム・ヴェンダースの映像は半端ではない。3Dを有効に利用したミステリアスな演出が白眉の一本でした。単純なサスペンスなのですが、不思議なくらいに日現実の世界に放り込まれていく空気が素晴らしい。

主人公トマスは作家で、自宅から離れた小屋のようなところで仕事をしている。一仕事終えて、恋人で一緒に暮らしているサラの元へ車を飛ばすが、途中、雪そりに乗った子供が飛び出してきて急ブレーキをかける。慌てて外に出たが、そこに一人の男の子が倒れていた。しかし車に当たった風がなくホッとしたトマスはその子をつれて近くにあるその子の家へ。ところが出てきた母親サラはもう一人いた弟の行方を聞く。

警察も事故と判断し、トマスは責められなかったが、子供を死なせた罪悪感から、やがて恋人のサラとも別れる。そして四年が経つ。

トマスは新しい恋人アンができ、その恋人には小学生くらいの女の子がいる。普通の生活をしているが、過去から抜け出したわけではなく、必要以上に常に冷静に振舞っていた。

森の木々を立体的の捉えたカメラアングルや、斜めに捉えるカット、奥行きを見据えた室内のショットなど3Dを意識した画面が物語に緊張感を生んでいきます。

一方の少年クリスチャンと母親のサラの生活も、あれ以来、どこか緊張したものが漂っている。

そしてまた四年が経つ。サラの息子のクリスチャンも作家を目指し、トマスの著書を愛読していた。そして、クリスチャンはトマスに会い、言葉を交わす。

ある夜、トマスが文学の賞を取りそのパーティの後トマスとアンが自宅に帰ると、ベッドに小便がかけられていた。アンと娘を実家に避難させ、一人部屋に残ったトマスの前にクリスチャンが現れる。二人は朝まで話し、夜明け、ベッドを一緒に外に干してクリスチャンは帰る。全てが終わったと感じるトマス。ゆっくりと振り返ると背景が奥に引き込まれるようにぼやけていく、エンディング。

映像の美しさと立体感がなかなかの一本で、ドラマ性もしっかりしているし、ラストは胸にじわっと迫ってくる感情が生み出される。クオリティもそれなりのちょっとした佳作でした。