くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「SAYURI」

SAYURIトップスティーブン・スピルバーグが監督を降り、そのお眼鏡にかなったロブ・マーシャルが演出をした「SAYURI」
日本の物語なのに主要な登場人物に中国やマレーシアの大女優を起用して話題になったこの映画。チャン・ツィーのファンとして大いに期待していたのだが不安も多々あった。そして、不安は現実になる。

物語はまだ日本に置屋もあり花街もあった時代。一人の少女が芸者として一人前に育っていく姿を描いている。

冒頭、貧しい漁村の村の一軒家で二人の姉妹が人買いに連れて行かれるところから物語が始まる。
日本映画でも良くある設定であるが、かなり強引である。
そして、花街で下働きをしながら一人の男性(渡辺謙)に出会い、生涯この男性に近づくために無我夢中で芸者を目指すのが主人公なのであるが、どうにもしっくり来ない。

ミッシェル・ヨー扮する売れっ子芸者がこの主人公SAYURI(チャン・ツィー)をたたき上げていくあたりは、まるで良くある修行映画である。この辺が前半部の見せ場であるが、どうもこれといってテンポが悪い。というか、こんなシーンの展開はこの作品に全く似合わないのである。

そして、筆頭の芸者になってからのSAYURIの描き方ももう一つ、どういう方向にこの作品を持っていきたいのかわからない展開である。確かに所々にこの作品の物語の中心になる渡辺謙扮する会長への一途な純愛を秘めている場面は登場するが、どの場面をとっても中途半端なのだ。ぐいっとのめり込むところが全くない。

戦後の世相を見せる場面も登場し、アメリカ軍がはびこる花街の様相も挿入されていくクライマックス、これも全く時代描写に力強さがない。
淡々と登場人物たちの生き様が挿入されるがどれも中途半端。

要するにこうだ。ロブ・マーシャル監督はこの映画はリアリティを求めたのではなくエンターテインメントを作りたかったというが、実はどこかに東洋の神秘、様式美の世界も描いてみたかったのだ。しかし、あまりにも知識の薄さゆえに通り一遍の演出しか出来ず、まるで蒔絵を開いてみているだけの映像にとどまってしまったのである。

素晴らしい抽象画を描くためには具象画のレベル以上にしっかりとした基本的なデッサンが出来なければいけないのと同じで、基本となるべき日本に対する正しい知識を自分の知識としてしっかりと理解し、飲み込んだ上で自分なりのエンターテインメントにすべきだったのである。
単に、ロブ・マーシャルにはこの原作を映像化するのには荷が重すぎたといわざるを得ない。

なんせ、あのチャン・ツィーが全く生きていない。生かせていない。コン・リーもミッシェル・ヨーも東洋を代表する芸達者な俳優を起用しながら、使いこなせていないのである。渡辺謙もしかり桃井かおりもしかり、このロブ・マーシャルという監督、俳優を生かすすべも知らずしてただ知名度だけで選んだ俳優陣を使い、間を持たせようとしたのではないだろうか。

ラストシーンは最悪。日本を舞台にした映画だから東洋的なラストシーンに無理矢理持っていっている。そこへ至る経緯も無理矢理である。これでは生きない。チャン・ツィーがもったいない。

ついでにセットや衣装、着物、芸者の世界、すべてにリアリティを持たせずに描いたというこのロブ・マーシャル監督。あほですね。リアリティを持たせるだけの知識がなかっただけです。

とはいえ、この原作をなぜ日本の映画会社が目をつけて映画化しようとしなかったのか。その点だけはアメリカの映画会社の選択眼に頭が下がる。

0099771519Memoirs of a Geisha
Arthur Golden

さゆり 下 文春文庫 コ 16-2 さゆり〈上〉 Memoirs of a Geisha (Penguin Joint Venture Readers S.) Memoirs of a Geisha Geisha of Gion

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