くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「冬の光」「沈黙」

冬の光

冬の長期休暇も最終日、本日もベルイマン特集に出かける。本日は「冬の光」と「沈黙」、いずれも20年以上も前に見たことがある映画です。従って、ほとんど覚えていないのです。

まず「冬の光」ですが、この作品、教会でミサをするシーンから始まり、ミサのシーンで終わるという、全く教会からほとんど出ることのない作品である。もちろん、主人公の神父を慕う女性メッタ(イングリッド・チューリン)の学校へ出かけたり、自殺したヨーナス(マックス・フォン・シドー)の死体を見に行ったりする場面で外へ出るのですが、ほとんどが、主人公が風邪気味という設定でもあり、外へ出ません。

牧師に相談にくるヨーナスは中国が原爆を作るらしいという新聞記事で悩んでいる上に、その精神的な苦痛が結局自殺にまで発展します。毎回行う教会のミサも今や来る人々も少なく、神父本人も自分の妻が死んで、本当に神の存在があるものかと疑っています。

そんな疑問が、風邪の熱としてうなされるように神父にのしかかってくる様がこの映画のいわんとしていることなのでしょう。
例によって、美しいモノクロームの寒々とした風景が展開し、枯れ木や寂しげに立つ教会の姿、などが本当に寂寥感を醸し出していくれます。
沈黙
沈黙三部作の第二作目ということで、神の沈黙を徹底的に問いただした作品ですが、この作品では鏡を多用したシーンが少なかったことが印象に残る程度のしんどい映画でした。

さて、沈黙三部作の最後が文字通り「沈黙」
こちらも30年近く前に見た映画なので、当時の印象では怖い映画だったと記憶していましたが、ちょっと違っていました。初めて見たときはとにかくしんどくて、ホテルの外を戦車が通るシーンや廊下でたたずむ少年ヨーハンに向かって小人の芸人がにやっと笑うシーン、さらにずーっと奥まで続くホテルの廊下を駆け回るヨーハンの姿などのシュールな世界だけが印象に残っていたのですが、本日はしっかりと最初から見ることができたので、全編をゆっくり鑑賞しました。

まず、電車の中でのシーンから始まります。窓の外は次々と景色が変わって、コンパーチブルの席では主人公の二人の姉妹と妹の息子ヨーハンが乗っています。姉は体調が悪く苦しそうで、そんな様子を不安げに見ながらヨーハンは電車の廊下に出て、暇をつぶします。その様子からしてただ者ではないシーンの連続、戦車がたくさん並んでいる横を通ったりとシュールな世界、独創的なシーンが続きます。

ホテルに着いてからは姉と妹の確執、妹の性への欲求からくる男あさりや、姉の自慰の場面、ヨーハンが廊下で繰り広げる行き場のない心の動揺を見せる場面、窓の外にどこからともなく来る一台の戦車、言葉は通じないがやたら親切なほてるの侍従、小人ばかりで構成された芸人たちとの交わり、どれもがなんとも不思議な世界で終始されます。

この映画はここまで見てきた作品の中では一番一般的なカメラワークになっていて、大きく天井から真下にとらえてみたり、部屋の天井から俯瞰で妹の情事の様子をとらえてみたり、ベッドの東部から姉の自慰のシーンを撮ってみたりと、ベルイマンらしからぬシーンも連続します。もちろん、ベルイマン独特の鏡のシーン、ドアからドアを抜けて向こうの部屋を見せるシーンなど見事な構図も広がりますが、寒々としたスウェーデンの景色というより、都会の中の明るさと雑踏が時折挿入されて、ちょっと違うという雰囲気です。

世界中でヒットした作品というのがうなずけるほど、庶民的なシーンもたくさんあり、ベルイマンファンをうならせるシーン、それに過激すぎるほどの性の表現、少年ヨーハンのアップのシーンなどもまじえられて、動のシーンが多いことも確かです。そのために寒々としたシーンの連続、神の不在に対する人々の心の寂寥感などはあまり切々と初田割りません。沈黙三部作の最終章ということで、劇的に締めくくらんとしたというような感じもしないではありませんでした。

冒頭の時計のちくたくという音から始まって、随所に使われる音の表現もさすがに見事で、そこに姉妹の叫びが交錯する展開は本当に見事。
ラストシーン、姉をおいてストックホルムへの電車に乗った妹と息子ヨーハン。ヨーハンには姉から一枚の手紙が託されています。それを読むヨーハンの姿で映画は終わりますが、果たしてなんと書いてあったのでしょうね。