また「ロッキー」を作るのか!なんていう罵声があちこちに聞こえた。この「ロッキー・ザ・ファイナル」の製作発表の頃である。
過去の栄光にしがみついているシルベスター・スタローンを罵倒する声もかなりあった。そんな人は皆、第一作「ロッキー」で人生を見つけた人ばかりだったのではないでしょうか?あの感動を踏みにじってほしくないというおもいがそんな罵声を生み出したのでしょう。もちろん私も・・・
でも、なぜか見たい。惰性で作られたパート2以下のロッキーシリーズからかなりの時間がたち、何か別のものが見られるような予感がしたからです。
そして、今日「ロッキー・ザ・ファイナル」を見た。
ラストシーン、椅子が震えるほどに涙が止まらなかった。押さえても押さえても、涙があふれてくる、体全体で心の底から熱くなってくる。この感動は何なんだろう・・・
思えば、三流映画の端役しか回ってこなかったシルベスター・スタローンが自ら脚本を書き、自ら売り込み、渋々ながら製作に持ち込まれた第一作「ロッキー」・・
映画史に残るほどの感動を呼んだあんな映画があったのだろうか。誰もが絶賛。そして一生の心に残る作品になった映画。しかし、この映画もシルベスター・スタローンの不屈の意欲がなければ世の中にでていなかったのだ。
常に夢を求め、常に前向きに突き進んだスタローンの熱意こそが、このシリーズの感動の原点なのです。
「ロッキー・ザ・ファイナル」の中のせりふにあります
「人の心は決して年をとらない・・」と。
今回の作品も自ら脚本を書き、製作、監督、主演をしています。
すでに年老いたことは十分に納得の上、あえて、隠そうともせずにしわだらけの顔のアップを撮ったりもします。
うじうじと過去の栄光を思い出す毎日を送る主人公「ロッキー」の姿に自分を重ねているのでしょうか。そして、もう一度・・いやまだまだ前進しないといけない自分に気がつく姿はスタローンそのもの、そして、かつて「ロッキー」に感動した世代が今、たっている自分の姿そのものではないでしょうか?
ひたむきに映画を作ろうとしたシルベスター・スタローンを笑えますか?自分はどんな立派な人生を送っていますか?今の生活に安穏として暮らしていないのですか?夢を見ていますか?前へ進んでしますか?
そんなことを考えると、もう、シルベスター・スタローンを笑えません。「ロッキー・ザ・ファイナル」を笑えません。
ふと我に返って、この作品のすばらしさを見てみると、非常に脚本が緻密であることに気がつきます。細かいシーンをさりげなく挿入し、単なるロッキーの夢の物語に終わらせない奥の深さがあるのです。
対戦相手のチャンピオンがふと昔のジムのトレーナーのところにいき、悩む心を打ち明ける場面、さらりと挿入するロッキーの息子の親の七光りに対する嫉妬心の表現。ロッキーを取り巻いてきて集まってくる人たちが、すんなりと一つになっていくうまさ。そして、ラストの見事な展開と演出。
確かに、名作とか傑作ではないかもしれません。でも本当にいい映画です。きっと今の自分に勇気を与えてくれます。そしてもう一度前を見て歩こうと思わせてくれます。いい映画でした。