くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「青い鳥」

青い鳥

阿部寛という俳優さんは、非常に好きな俳優さんでもあり、その俳優さんが、なんといじめのクラスに赴任する吃音をもつ先生を演じるとあって、興味津々「青い鳥」を見てきました。

物語は、いじめを苦に自殺未遂をした生徒を抱える或る中学のクラス、そこに臨時で赴任してくる一人の教師村内を通じての物語です。
しかもその教師、吃音のため言葉がうまく話せません。その設定のオリジナリティにも惹かれました。

この作品を見ていると、今までいじめの問題について論じてきたのが、明らかに大人の視点であったこと、そして大人の先入観であったことを痛切に感じました。
それは、このドラマの中で生徒たちが語る「いじめているつもりはなかった」「彼は笑っていた」という台詞によります。

いじめていたとされる生徒たちも、特に陰湿でもなくただ冗談半分に友人をからかっていた。いじめられていた側も、笑顔の中でそのいじめを受け入れていた。そこには大人たちの考える形式的ないじめは存在しません。ゆえに、事件が起こっても「気がつかなかった」の一言で済ましてしまいます。さらに、形式的に、反省文を書かせることで事件を過去のものにしようとする。

このあたりが淡々とさりげなく描かれる中に、主人公村内の静かな中に芯の通った行動が、いじめの問題を私たちに問いかけてくるのです。

ただ一言彼が訴えるのは「本当の言葉を一生懸命聞くこと」
見た目の笑顔や態度で判断するのではなく、言葉の持つ意味を真剣に受け止めるべきであると訴えるのです。

ラストシーン、再度「反省文を書いてみなさい」という村内の提案に、金八先生ばりに、全員が答えて反省文を書くなんていう白々しいシーンは出てきません。ほんの数人が先生の提案に答えるのです。そしてそれが真実であり、学校を去る際に「人を教えるとはほんのわずかでもなにかが教えられればよかったと考える」という台詞に見事にあらわされています。

物語の三分の二あたりまで、先生が教室に向かう場面では足しか写しません。最後の最後にようやく顔を写して教室に向かう姿が描かれますが、それは最後の最後の授業なのです。

細かいシーンの中に、監督や脚本家の訴えたい気持ちがひしひしと描かれている非常に中身の濃い秀作であったと思います