くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「コッポラの胡蝶の夢 」「シェルブールの雨傘「ロシュフォ

コンポラの胡蝶の夢

フランシス・フォード・コッポラ監督が10年ぶりに発表した作品「胡蝶の夢」を見てきました。
人生の終焉を迎えて、絶望した主人公が、自殺を図らんとした日に落雷にあって40歳近く若返ると共に驚異的な能力さえも身につけるという物語である。

題名が示すように中国の荘子の「夢の中と現実とがどちらが本来の自分かわからなくなる」という思想をテーマにしたお話である。

横長の画面を最大限に生かし、真横に人をとらえたカメラワークを取るかと思えば、さかさまに画面を捉えたり、斜めに演じたりとさまざまな実験的な演出が試みられています。その演出が、夢か現実かわからない不思議な物語をさらに助長する効果をもたらして、最後まで卑近込んで生きます。

ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」などを手がけた頃の重厚なコッポラらしい格調の高さは見られないものの、久しぶりに演出を手がけた挑戦する精神が見受けられある意味ギラギラした若さの見られる作品でした。
さまざまに交錯するシーンを駆使し、時間と空間の幻想世界をまるで一見ホラー作品のようなサスペンス仕立てで仕上げていくあたりの手腕は、さすがコッポラというべきでしょう。

原作を知らないので、この構成がオリジナルかどうかはわかりかねるものの、ティム・ロスの主人公が超人的な能力を身につけ、一方で多重人格のように別の自分が鏡の中に現れるくだりは、幻想的でもあるが、老いに対する恐怖を体現しているようでまるでヴィスコンティの「ベニスに死す」の主人公の教授を思い起こされた。

後半からは同じような境遇になる女性を登場させ、さらに物語りは深みを帯びてくると主に、作品のテーマが見え始めるが、ラストに進むにつれてどこか切ない恋物語と人生の終焉に対する寂しさが前面に押し出されてきます。
ラストシーン(ネタバレがあるのでかきませんが)ではまるでベルトリッチの演出手法のごとく、輪廻で締めくくるあたり心憎い限りでした。

さて、本日はこのあと「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」のデジタルマスター版を見てきました。


シェルブールの雨傘」は20年ぶりで、始めてみたときは、ちょっとしんどかった思い出があります。
せりふがすべて歌というフルミュージカル仕立てのためか、90分の作品ながら、やはり長く感じてしまいました。
ただ、アメリカミュージカルのような夢の世界オンリーののう天気な作品とは違い、アルジェの戦いなどを背後に含ませたかなり政治色も交えた奥の深い作品であることにあらためて気がつきました。



もう一本の「ロシュフォールの恋人たち」にいたっては30年ぶりです。
その間に一度見たことがあると思うのですが、そのどちらでも、半分寝てしまうほどしんどかった思い出があります。
しかし、今回は、その見事な空間演出にうなってしまいました。
画面が変わるたびに遠くむこうのほうから踊るダンサーたち、通りをドヌーブが歩くのにあわせてすれ違うダンサーたち、クレーンを多用した豪快なカメラワークの中に展開するダンスダンスのすばらしさ。

さらに、その物語の構成の見事さにうなりました。
3つの恋が、すれ違いながら、ラストへと絡み合っていくというなるデヒッチコックの伏線を思わせるような緻密な脚本と物語構成に脱帽してしまいました。

しかも、いずれの作品もミッシェル・ルグランの名曲が流れてくると、もう背筋が寒くなるほどわくわくしてしまいます。
いやぁ、名作ってやっぱり何度見てもすばらしいものですね。
ようやく、映画の良し悪しが判るようになってきたような気がします