くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「湖のほとりで」「ココ・シャネル」

湖のほとりで

「湖のほとりで」
全編、特にテンションがあがるわけでもなく、淡々と進むストーリー展開、抑揚のない台詞回し、静かなカメラワークで、とにかく眠くて大変でした。しかしながら映画は非常によかった。

冒頭、1人の少女マルタが母に見送られて学校へ出かけるところから始まります。
カメラはゆっくりと彼女のあとを長廻しで進んでいく、そこへ、赤い車が通り過ぎて止まる。車の運転手は近くに住むマリオという知的障害の青年で、マルタは彼の車に乗り込む。
つづいてマルタがいなくなったという母の姿へ変わるのでアメリカンサイコサスペンスになれた私たちはてっきりマルタはマリオに誘拐されたと思い、それがこの映画の本編だと考えてしまいます。

しかし少女の捜査に借り出される主人公の刑事サンツィオが現場に到着すると、程なくマルタが発見されて、私たちは頭の切り替えを要求されるのです。
ところが、マルタが話す湖の伝説と蛇の話をもとに湖のほとりに刑事が行くとそこに一人の女性の死体が。
オーバーラップをゆっくり重ねて捜査陣が集まる様子が実に静かで美しい。

こうして物語は本編へ入っていきます。アンツィオ刑事が捜査する様子が散文詩のごとく描かれ、1人また1人と村人たちの供述を拾っていくうちに、大きなうねりもなく静かな村に住むさまざまな人間模様が表に出てくるという展開を見せる。

題名の「湖のほとりで」を見てもとてもミステリーと想像がつかないので、本当に静かな順序で進んでいくのを見てくると、謎解きのミステリーよりも人間ドラマであると納得し始めてきます。
ラストで真犯人が見つかり逮捕されても、いつものミステリーのごとく溜飲が下がる思いの感動ではなく、それに続くサンツィオ刑事とその妻との面会シーンでこの映画は人間の心の物語であることを納得するのです。

題名からの印象通り静かな映画で最後まで眠くて大変でしたが作品は素晴らしいものでした。


「ココ・シャネル」
素晴らしい作品にめぐり合いました。
シャーリー・マクレーンのシャネルを見たくていったのですが、なんのなんの展開の素晴らしさ、カメラワーク、構図、テクニック、音楽で見せる映像リズムの見事さに圧倒されました。
脚本は、多くのヴィスコンティ監督作品に参加している名脚本家エンリコ・メディオーリ、監督はアクションやホラーしか紹介されていないクリスチャン・デュゲイです。

15年ぶりの復活コレクションのシーン、シャーリー・マクレーン演じるシャネルが真っ白な階段のスプリットミラーにかさなって映し出されます。パートナーはマルク(なんとおじいさんになったマルコム・マクダウェル)。
やがてショーは始まりますがブーイングが続き失敗。過去を思い出して回想シーンへと物語が進んでいきます。

子供時代のガブリエル・シャネルと妹のジュリアは母に死にわかれ父に捨てられて不遇な時代から始まります。やがて帽子のデザインでその才能が芽生え、幾多の恋を経験しながら波乱の人生がつづられていきます。

モノクロームや古いフィルムのように傷のある画面を挿入したり、真上から突然捉えたりする映像技術を駆使し、あるときは嵐の風で突然ろうそくがかき消されて部屋中が真っ暗になり、恋人バルザンとの破綻を匂わせるシーン、あるときは二人目の恋人ボーイとパーティに出かけて締め出され、打ちひしがれるところへ突然降ってくる雪の演出でそれに続くロマンティックなシーンを作り出したり、またあるときは戦場のシーンでの時間の流れにサイレント映画の時期に多用されたメトロノームのシーンをオーバーラップさせる画面を作ったりとテクニカルな演出をどんどん取り入れていきます。

終盤三分の一あたりからはちょっと目につきすぎてくるものの、いったいこの監督はどれほどの映画を勉強したのだろうかと感心してしまいます。

やがて、成功を収めたもののこのあたりから現代の2回目のコレクションに奔走するシャネルのシーンを細かく交錯させ、クライマックスになるリトルブラックドレスのエピソードでひとつにまとめて二度目のコレクションで大歓声のうちにエンディングを迎えるというラストはなんとも熱い感動が胸にあふれてきました。
本当にいい映画を観たなという充実感でいっぱいで、今一番薦める映画といえる作品に出会った気がしました。